第一話
気がつくと、見慣れた風景の中にいた。
またか、と少年は思った。
現実には見た事のない大きな研究室のような場所に、少年はいつものように部屋の中心近くに立っていた。
それは夢だった。何度も見たことのある夢だ。
そしてこの夢は、なぜか目が覚めても忘れることがない。他の夢は目が覚めると忘れてしまうのに。
何度も同じ事の繰り返しなのに、この夢に飽きることはなかった。
少年は顔を上げた。
そこには少女がいた。
真っ黒な長い髪と背中から伸びる窮屈そうにたたんだ真っ黒な翼が、膝を抱えて座っている少女の体のほとんどを覆っている。
少女は、部屋の中心にある大きな台のようなものに乗せられた大きな鳥かごの中に、閉じ込められていた。
少年が鳥かごに近付くと、その中でうつむいて座っていた少女は、少年に気づいて視線をゆっくりと少年の方に向けた。少女を見つめる少年の視線と、少年を見つめる少女の視線が重なった。
そして、少女はそのどこにも鍵穴のない、けっして逃げることのできないかごの中から、少年に手を伸ばす。
少年には、その中から少女を逃がす方法が分からない。連れ出す事は出来ない。
それでも、少年はその手を取りたいと何度も願った。差し出されたその少女の右手に触れたいと思った。
しかし、その思いとは裏腹に少年の体は全く動こうとしなかった。どれだけその少女の手を取ろうとしても、肩が上がらない、指先さえも動かない。
どれだけ自分の体が動くよう願っても、どうしても動こうとしない自分の体を呪っても、目の前に差し出されたその手を取ることはできなかった。
少年は叫びたくなった。心の中にあるものが悲しみなのか怒りなのか苦しみなのか何なのか全く分からない。いろいろなものが混ざり合ってグチャグチャになって、少年はとにかく叫びたかった。それでも、動かない体ではそれさえも許されない。
いつも見ている夢なのに、いつも最後まで懲りもせずもがき続けた。
そうしているうちに、いつも目が覚める。
目を開いた少年の前には、夕焼けに赤く染められた空が広がっていた。
視界の少し上の方にはあまり大きくない林が広がり、下の方には村の中ではそれなりの広さのある畑が広がっている。
畑仕事のついでに薪を拾っていこうと考える人が多いため、この二か所を繋いでいる土手はしっかりと雑草も刈り取られ、きれいに整備されている。目を覚ました少年はその土手に寝転んでいた。
少年は十代半ばくらいの中肉中背で、体形にはそれと言った特徴はない。ただ、右手の人差指には銀色に光る指輪がはめられており、それには鳥のようにも、人のようにも見える小さな不思議な模様が彫られていた。
少年の視界の下の方に、チラリと人の姿が映った。
「ようツバサ、今日はここにいたか。いつもここみたいな分かり易い場所にいてくれれば俺も村の隅まで探し回らなくて済むんだけどな」
あたりには林以外に視界をさえぎるものはほとんどない。
土手に寝転んでいた少年、ツバサの下の方、畑のあぜ道から土手を登って近づいてきた金髪の少年にも、ツバサがここにいることが遠くからも分かったようだ。
「そんなに大変なら毎日わざわざ探しに来てくれなくていいよ、リュウ。そんなに心配しなくたって村は柵でしっかり囲まれてるんだ。歩き回っているうちにうっかり外に出たりなんかしないよ」
ツバサはあくびをしながら体を起こした。
その金髪の少年は精悍な顔つきをしていて、かなり筋肉質な体をしていた。ツバサと並んでいたら、力仕事を任せられるのは確実にこちらだろう。
「そんな無茶なこと言うなよ。俺に院長の言いつけを聞くなって言ってんのか?」
「……ごめん、無理だな」
「そうだろう。探し回られるのが嫌なら一人で勝手に院を抜け出さないでくれよ。いくら村の外のことが知りたいからって、一人で村の中を探しまわっても大したことは分からないだろう。そのうち何かの拍子に我慢しきれなくなって村の外に出ちまうんじゃないかって院長は心配してるみたいだぜ?」
ツバサは、自分の横に立っていたリュウから視線を外し、ぼうっと村の外を眺めた。人の手が入ってないために広がり続ける森に、その中を流れている川、遠くには山が見えるあまり高くない土手からでも、村の外の景色はそれなりに見渡すことができた。
「なあ、村の外ってどうなってるんだろうなぁ?」
「……俺だって今どうなってるかなんて全然分かんねえよ。分かるのは八年前のことまでだ」
「僕は八年前のことも分かんないんだよなぁ」
ツバサはここ八年間の出来事しか覚えていない。それ以前のことは村にいる人たちから聞いて知ったこと以外何も知らないし、話に聞いたものが本当にあるのかすら判断することができない。
「実際、八年前のツバサのことって聞いたことなかったよな。ってか聞いても大丈夫か?」
八年前のことはトラウマになっている人の方がはるかに多い。
「うん、全然大丈夫だよ」
八年前、ある災害があった。それが人為的な事件だと言い張る人もいれば、あんなことが人間に出来るわけがない、偶然起こったんだ。と主張している人もいる。
ただ実際にそんなことを議論しようとする人たちはほんの一部で、大体の人たちは人為的に引き起こされたのか偶発的に起きたことなのか、どちらだとしても酷い出来事だったことに変わりは無いため考えたくもないし、思い出したくもない記憶として忘れたふりをしようとしている。そして、その人数は災害で自分たちに襲いかかってきたモノにトラウマになっている人の数とほとんど同数だ。
ある程度議論する人たちがいるにも関わらず、災害のことは意外とあまり分かっていない。ただ、いきなりペットや野鳥、魚など、人間以外のあらゆる動物が黒くなり巨大化して人を襲い始めたということだ。その姿は、『動物』というより『化け物』といった方がしっくりくるものだったという。
その姿がまるで動物がいくつもの影を被ったように見え、また幻のように思えたため、誰がはじめに言ったかは知らないが今では『幻影』(シャドー)呼ばれている。
「一緒に逃げてきた人たちは誰も襲われなかったからよかったけど、普通に生活してる中で、まさか自分が食われる恐怖を体験することになるとか前もって予想してる奴なんていないからな。めちゃくちゃ怖かったぞ。逃げてる間は安全な場所があるのかさえ分からなかったしな」
リュウはツバサの隣に座ってそう言った。
理由は分かっていないが、村がある一帯には『幻影』(シャドー)が入ってこない。ここにいる限りは化け物に襲われる心配はないが、一歩でも出れば命の保証はない。
ここに逃げてきた人たちの中には災害後しばらくたってからこの場所の周辺を調べてくるといっていったん村の外に出た人がいたが、戻ってくることはなかった。
そんなこともあったため、ここに逃げてきた人たちはもともとここに広がっていた森の平地部分を切り開いた。そして食料の調達も何もかも、生きることに必要なことがこの安全な場所の中だけでできるように、という全員が望んだ場所が作られた
その後すぐに、化け物が入ってこない場所の目印として境界に柵が立てられ、完全に自分たちの安全に生活できる場所が確立された。それで、やっとこの村は落ち着いた。
「僕は、どこから逃げてきたかとか何も覚えてない。気づいたらここにいたんだ」
それで、とつづけるツバサの横顔をちらりと見て、本当に何も覚えてないみたいだな、とリュウは思った。
「何年か前に、勝手に院を抜け出して叱られたときに院長さんに話したことがあるんだ。そしたら院長、僕はきっとみんなより怖い体験をしたから記憶がなくなったんだろうって、村には一人も僕と一緒に逃げてきた人はいないし、ここまで来れたことが奇跡そのもののような体験をしたんじゃないかって言ったんだ」
ツバサは一度もリュウの方を見ることもなく、どこか遠くを見つめながら話した。
「つまり、お前は外のことを知るべきじゃない、けどどうしても知りたいってことか」
うん、とツバサは頷き、右手の人差指にはめている指輪に目を落とした。
いつから持っていたのか覚えてはいない、おそらく災害以前から身に着けていたであろうこれが何かの手がかりであるような気がしていた。
ただ、あくまで何となく思ったことであるので、ツバサはリュウにも、院長にも、誰にもそのことを言ったことがない。
ツバサの意識がリュウの話から指輪に移ったことで、少し二人の間に沈黙が流れた。
「そろそろ帰るか。腹減ったし、あんまり遅く戻ったら院長に怒られる」
リュウは勢いよく立ちあがりそう言うと、ツバサの手を引っぱって立ちあがらせた。
家屋が集中している比較的平地になっている地帯の北端、この村唯一の孤児院が山を背にして立っている。
災害の時に親とはぐれてしまったり、何らかの理由で一人になってしまったツバサやリュウたちのような子供たちは結構な数だった。そんな子供たちがみんなで暮らせる場所を造ろう、と今の院長が村中の人たちの力を借りて作り上げたものがこの孤児院である。その先頭に立った院長は現在のツバサやリュウと同じくらいの十代半ばだったというから驚きだ。
苦労して暮らせる場所を作ってくれた院長にリュウをはじめ院の子供たちは頭が上がらない。ツバサも院を勝手に抜け出す事をのぞいては院長に迷惑をかけないよう気を付けている。
帰ってきたツバサとリュウは玄関から食堂に小走りで向かっていっていた。
「院長先生の部屋に行く前にご飯食べに行って大丈夫かなぁ?」
「院長もおまえには大した説教しないだろ。それより今は飯の方が大切だろ」
ツバサは他の子供たちよりはるかに多く無断で孤児院から抜け出している。外出禁止になったこともあったが、普段はのんびりしているのにこの時だけはやたらと行動的で、あの手この手を駆使して抜け出し続けた。院長も最後にはあきらめ、ツバサが院から抜け出しても村の外には出ようとしないから抜け出しても安全、ということを理由として、半ば強引に外出禁止を解除した。
その時に解除の代わりに出されたのが「ツバサが夕食までに戻りそうになかった場合リュウが連れ帰ってこい」と言う約束だったため、夕食前にツバサを探してきて院に連れてくることがリュウのほとんど毎日の日課となっている。
ただ、ツバサも院に戻ることが嫌なわけではない。院長が夕飯くらい自分の家で食べてほしいと思っていることもツバサには分かっているし、ツバサ自身もそのことを好んでいる。出かけるときは一応夕飯までには戻ってくるつもりでいるのだが、村を歩き回っていると時間を忘れてしまい、そのうちにリュウに探しあてられてしまうのだ。
二人はカウンターで夕飯を受け取ると、空いている席を探した。夕食の時間の終わりギリギリで大体の人たちは食事を済ませて自室に戻っていたので、ほとんどの席は座れそうだった。
「一番近い席でいいよね? 急いで院長の部屋に行かなきゃいけないし」
ツバサは近くの席に食器を並べながら言った。
「そうだな……うわ」
リュウは食堂の入口から入ってくるだれかを見つけた。ツバサも一度リュウの顔を見るとその視線の先に目を移した。
この時間になると、食堂の入口にいる人たちは夕食を食べ終わって自分の部屋に帰ったり、友達の部屋に遊びに行くために出て行く人たちがほとんどだ。そんな中に、そういった人たちの流れを無視して入口で立ち止まりきょろきょろと中を見渡している一人の女性がいた。
リュウはすぐに視線を机に戻し目の前の食事に集中したが、ぼうっと眺めていたツバサが、女性と目が合った。女性は、まるでいたずらの現場を発見したかのように二ヤりとして、大股で近づいてきた。
「戻ってきたら食堂に行く前に来いっていつも言ってるだろう?」
肩にかかる茶髪、整った顔立ちの二十代前半の女性、この人こそがこの院の院長。十代半ばで院を開こうとするほど大胆なことをする人。
「すみません。でも、院長のところに寄ってたら食堂閉まっちゃうと思ったので」
リュウは食べる手を止めずに言った。
「おいおい、もう八年くらいの付き合いになるのにまだ勘違いしてんのか? 私はそんなに長々と説教するような人間じゃないぞ。って言うかそんなつまらんこと私が耐えられん」
院長はツバサの隣に座る。
「院長先生説教は短いけどそのあとのどうでもいい話が長いんですよ。リュウはそれも考えて先に食堂に行くことにしたんですよ」
「まあそんなことだとは思ってたけどね。だから自分から食堂に来たんだし」
さて、と院長は軽い口調で続ける。
「どうせ聞かないでしょうけど、勝手に抜け出すなよう、って一応注意しとくわ」
「……毎度毎度思うんですけど、本当にとめる気あるんですか?」
リュウは水の入ったコップから口を離して言った。
「まあ、それなりには? ツバサが抜け出しても、どうせリュウが探してきてくれるし」
「結局人任せかよ」
リュウはコップの水を飲み干し、机に置く。
その間で、そこまで発言のタイミングがつかめず完全に聞く側に回っていたツバサが口を開いた。
「いつも迷惑ばっかりかけて、本当にごめんなさい。」
「いや、別にそんなに迷惑ではないぞ?」
「珍しいわね、ツバサが反省を口にするなんて……あれ、そうでもないか?」
まだツバサがしゃべっている途中だったが、間が大きくあいていため、リュウと院長はただの反省かと勘違いした。
そして、ツバサが続ける。
「これからは、あんまり迷惑かけないように早めに帰ってくるようにがんばるよ」
「結局抜け出す気満々かよ」
リュウが苦笑する。
院長は笑いながら、ふと窓の外に広がる夜空に目を移した。
「今日は星がきれいねぇ」
ツバサが食堂から院の二階の山側にある自室に戻ってから、数時間が経過していた。
少し前まで騒いでいた人達も全員寝静まったのか、人の気配は感じられない。
ツバサは窓を開けた。明かりのついているツバサの部屋を残して、あたりは暗闇と静寂とで埋め尽くされていた。
まるで、この世界に一人だけ取り残されてしまったかのような、不思議な感覚に襲われる。
ツバサの目の前にそびえている大きな山からは動物たちの声が夜の闇に溶けて混ざり合っている
部屋の明かりを消すと、まるで自分も夜の闇と混ざり合って、自分自身がどこにも存在しないような、よくわからない感覚に襲われる。
ツバサは窓から近くに生えている木に飛び移り、院を抜け出した。
ツバサの目の前の山には、村の周りに張り巡らされている境界線の柵がない。崖などの危険な場所が多く、価値がある物資が採れるわけでもなく、人が入る理由がほとんどないので、山自体が『立ち入り禁止』となっている。そもそも、その山の奥まで行って柵を立ててくること自体が危険ということもある。その山の中を、ツバサは進んでいく。
立ち入り禁止になっていても、何度もここにきているツバサは、伸び放題になっている雑草の中を星の明かりだけで進んでいける。
おそらく院長も気づいていただろう。ツバサは星がよく見える夜に頻繁に院を抜け出していることを。しかし、意図は分からないが見て見ぬふりをしているようだ。
ツバサが雑草をかき分けて進んでいくと、山の中腹で視界が開けた。
山の中腹にあるその場所には、木が全く生えておらず、上から見下ろすとちょうど円形に地面が見えるようになっている。柵がないのでどこまでが安全なのか正確にはわからないが、今までにこの場所では『幻影』(シャドー)を見たことは無い。
ツバサはその中央に歩いていく。木に星の光がさえぎられないため、通ってきた山の中よりも明るい。
右手を夜空にのばすと、人差指の指輪が月の光に照らされて輝いた。その輝きが、闇に溶けていた自分の居場所を教えてくれる。なぜか安心できた。
ツバサは、自分がここにいることを教えてくれるこの場所が好きだった。
少しの間そうして星空と指輪を眺めていた。
そろそろ帰ろう、と右手を下した時、地面が激しく揺れた。
爆音を伴った激しい揺れに、ツバサは思わず地面に膝をついた。記憶にある限りでは味わったことのないほどの揺れだった。
「なんだ、これ」
爆発があった方向は生えていた木がなぎ倒されており、視界が開けていた。ツバサは転んでしまわないように気をつけながら音のする方、村の外の方へ向かって行った。
視界が開けた先は、崖だった。少し身を乗り出し過ぎてしまえば吸い込まれてしまいそうな、そんな場所のちょうど真下に、大きな穴が口を広げていた。
その穴の入口に、四、五人の、重装備のため正確な性別はわからないが、体格的に恐らく男が、いた。
しかし、ツバサの目はその人たちにはあまり注目していなかった。
ここまではっきり目にするのは初めてかもしれない。木の上にいるもの、壁に張り付いているもの、空を飛んでいるものもいる。ただ、それらの全てが星の明かりのある夜の闇よりも深い黒である。
「『幻影』(シャドー)だ……」
ツバサは恐怖で声を漏らす。それが容姿に対する恐怖なのか、一様な黒さへの恐怖なのか、ツバサには判断が付かなかった。
村の外れでうなり声は何度か聞いたことがある。しかし実際に目にするのはこれが初めてだ。足が動物のように四本あるものや虫のように八本あるもの、そもそも手足が無いもの、鳥のように羽が生えているものなど、大きさも大小さまざまだが、その全てが影のように真っ黒だ。
そして、それは一斉に穴の入口にいた人たちに襲いかかった。
そこでようやくツバサの体は動いた。ツバサは振り返る気すら起きず、村の方へと逃げて行く。ここまで化け物が登ってくるかもしれない。
背後からいくつもの爆音が聞こえてくる。『幻影』(シャドー)を追い払うために爆弾を使っているようだ。
「うわっ!」
広場の中央まで来たところで、真下から大きな振動が起きた。爆弾の一つが広場の下の空洞に入り爆発したのだ。
ツバサの足元が崩れ始めた。
その瞬間、ツバサの体は重力に引かれ、なすすべもなく落ちて行った。
「痛っ!」
穴の底は、意外と浅かった。
ツバサが落ちた場所には、上から崩れ落ちてきたやわらかい土が積もっていたため、けがはしなかった。
穴の中は、ツバサが落ちてきた上からと最初の爆撃で開けられた横の穴から星の光が差し込んでいて、ぼんやりと明るい。
ツバサは上の方、自分が落ちる前にいた辺りを見上げた。
「なんだこれ……?」
真っ先に目に入ったのは、洞窟の中とは思えない人工的に作られた壁と天井だった。自然にできたものとは思えない、そもそもこの空間が自然にあったものをきれいにしたのか、人の手で穴をあけたのかもわからないほど整備されている。大きな部屋のようだ。
そういえば、落ちてくるときに木の根とかに引っかからなかったのはここが木の根が生えられないようになっていたからか、と思ってから、ツバサはふと疑問を感じた。
なぜかこの場所に見覚えがある。
ツバサは視線を下げ、床の方に向ける。
そこら中にいろいろな機械の残骸が散らばっている。さっきの爆発で吹き飛ばされたのだろう。
そんな中、部屋の中央に一段と目をひくものがある。
初めて目にする、なのに何度も見たことのあるものが、そこにあった。
「なんでこんなところに……」
部屋の中央に鳥かごが置かれている。爆撃があったにもかかわらず吹き飛ばされた様子はなく、そもそも傷一つ付いていない。さらに大きさが普通ではなく、座れば人一人が入れるほどに大きい。
そして、実際それに人が入っている。
ツバサは周りに散らばっている機械の残骸を蹴飛ばしながら、鳥かごに吸い寄せられるように近づいた。
ツバサと同じくらいの年に見える少女がいる。ただ髪は白く、背中に真っ黒な翼はないが、たしかに夢の中で見た少女が、鳥かごの中で膝を抱えて座っている。
ツバサは右手で鳥かごに触れた。
キン、と何かが響くような音が聞こえた。
金属がこすれる音を立てながら、鍵穴のないはずの鳥かごの扉が開き、それと同時に中にいた少女が目を開いた。
聞きたいことがたくさんあった。目が覚めた後にいくつものこった疑問があった。なのに、それらは頭の中から消えてなくなっていた。頭の中が真っ白になった。
動けなくなったツバサとは対照的に、少女はツバサの存在に気付くとゆっくりと、しかしためらいなくその右手をツバサの方に伸ばしながら、そして口を開く。
「あなたが……私を連れ出してくれる人?」
これが現実なのか、それとも夢なのか、いつもの夢と同じところと違うところがあるのはなぜなのか、なぜ違うのか、ツバサには分からないことばかりだった。
それでも、今まで見た夢とは一番重要なことが違うことだけは分かった。
自分の体が動くということだけは分かった。それだけでよかった。
ツバサは、何度も何度も願ったように、差し出されたその手をつかんだ。