第82話 また明日
先日、初めてレビューを書いていただきました。ありがとうございます。返信機能がないようなので、前書きから失礼しました。
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コンビニの自動ドアが開くたびに聞こえる電子音が、遠ざかっていく。
タクシーが走り去った後の道は、驚くほど静かだった。
「……送るよ。暗くなってきたし」
「送るも何も、ほとんどおんなじところに住んでるじゃん」
わたらいさんはそう言って笑ったけれど、すぐに真剣な表情になる。
「……ぺここそ、ママに怒られたりしない?一緒に行こうか?」
僕は首を横に振った。
ポケットの中には、持ち帰ってしまった兄ちゃんのハンカチと、さっきまで僕たちを翻弄していた3024の鍵がある。
指先で、鍵の冷たい感触をなぞった。
これをママに突きつければ、僕はママを屈服させられるかもしれない。
ママが隠していた秘密を暴き、僕の存在丸ごと無視してきたことへの復讐だってできる。
はじめは確かにそんな考えも多少はよぎったけれど、そんな毒々しい気持ちさえ、どうでもよくなってしまった。
それは、さっき、わたらいさんと笑い転げたせいなのか、兄ちゃんを、ママの中の特別な場所から連れ戻して、僕の兄として隣に並んだせいなのかは分からなかった。
「ねえ、ぺこ」
アパートの階段を上り切り、僕の家の扉のところで、わたらいさんが立ち止まった。
「お兄ちゃんのハンカチ……ちゃんと、持っててね。それは遺品じゃなくて、お兄ちゃんが生きていた証なんだから」
彼女は、僕が兄ちゃんを神様の場所から引きずり下ろしたことを、ちゃんと分かってくれていた。
「……うん。分かってる」
僕はポケットの上から、ハンカチの膨らみにそっと触れる。
「ありがとう……また明日」
「うん、じゃあね。また明日」
わたらいさんが、にっこり笑った。
「自転車の鍵、返してもらえなくても気にしないでね」
「また明日」という言葉が、僕たちの背中を優しく押した。
目を逸らしたくなるような今が、どこまでも続いているとしても、明日は来る。
日常は続いていく。それは希望であり、同時に、ひどく残酷なことでもある。
わたらいさんの家は、僕の家よりも奥にある。
その後ろ姿が、一歩ずつ遠ざかっていく。
一歩ごとに、さっきまでの非日常が剥がれ落ち、見慣れた、アパートの匂いだけが鼻をつく。
彼女が扉を開けて、ちゃんと自分の家に帰ったのを見届けてから、僕は自分の部屋の扉の前で、深く息を吐いた。
ポケットに手を差し込み、ハンカチで包み込むようにして、3024の鍵を握りしめる。
反対の手で、家のドアノブを回した。
このドアの向こうにいるのは、敵じゃない。
神様でも、支配者でもない。
たぶん、ただの人。
たった一人の、僕のママなんだ。




