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第74話 君の目に映るもの

 大通りの角を曲がると、タクシーの速度が落ち、ゆっくりと街を這うように進み始めた。


「……法定速度があるから、これが限界だ。なるべくゆっくり走るから、よーく探すんだ」


 運転手の言葉を受けて、僕とわたらいさんは食い入るように、それぞれの窓の外を見つめた。


 鍵。鍵。

 この銀色の細く平べったい、歪な形の金属が、吸い込まれるように収まる場所。


 例えばそれは、古い一軒家の玄関。

 路地裏に並ぶ、錆びた物置の扉。

 街灯に照らされた、月極駐車場のフェンスの向こうに並ぶ車の列――。


 ――そうだ。

 車かもしれない、と僕は思った。


 もし車なら、今僕らが乗っているこのタクシーと同じように、どこへでも行ける足になる。


 兄ちゃんなら、そういうものを選びそうな気がした。

 ――いや。ダメだ。

 兄ちゃんはまだ、自分で運転できなかったはずだ。

 自分で動かすことができないものの鍵を、わざわざ持つだろうか?

 動かない車なんて、ただの鉄の塊だ。


 ダメだ、ダメだ。

 違う。考え直せ。


 僕は舌打ち混じりに、改めて窓の外に集中した。


 それなら今度は――。

 建物の影。

 ドアノブの形状。

 シャッターの鍵穴。


 僕は、鍵を差し込めるものばかりを片っ端から目で追っていた。

 それ以外は、ただのノイズだ。

 網膜には映っているはずなのに、僕の脳は、鍵穴を持たない景色を片端から捨て去っていく。


 分かっている。

 外を見ているのに、僕の意識はいつしか、手のひらの上の小さな鍵という内側に閉じこもっていた。


「……あ」


 隣で、わたらいさんが小さく声を漏らした気がした。

 僕はそれを聞き流す。


 今、僕の目の前を、古いアパートの集合ポストが通り過ぎようとしていたからだ。


 ――あそこのどれかに、合うんじゃないか?

 僕は必死になって、目を凝らす。


「……ねえ、ぺこ」

 二度目の声も、僕の耳を滑り落ちた。

 確かに聞こえたはずのに、情報として、脳まで届かない。


 ――違う、あのアパートじゃない。

 もっと別のものだ。例えば、例えば……。


 不意に、シャツの袖をきゅっと引かれた。

 無理矢理、意識を覚醒される。

 驚いて、反射的に振り向く。


 わたらいさんも、驚いていた。

 とっさに、僕に触ってしまったことに。


 それでも、僕の袖をゆるく握ったまま、彼女は反対側の手で、窓の外をまっすぐに指差した。


 今、この瞬間にも、車窓がコマ送りで流れ続けているからだ。

 流されないように。

 見逃してしまわないように。


「ぺこ、ほら……あれ、じゃない?」


 わたらいさんの指さす先を、僕も見た。


 けれど、彼女が指差した先には、建物なんてなかった。

 車もアパートも、鍵穴がありそうなものは何一つ見当たらない。


 代わりに、歩道を走る一台の自転車が、視界を横切った。


 ――自転車の鍵?

 僕はそれを必死に目で追う。


 違う。

 そりゃあ、僕だって、最初はそうかも知れないと考えたけれど。

 兄ちゃんが、自転車の鍵をわざわざあんな風に隠し持つはずがない。


「……自転車の鍵じゃ、ないと思う。もっと違うものを探してみようよ。建物とか、車とかさ」


「違うの!」

 そう言いかけた僕を、わたらいさんの、思いの外強い声が遮った。

「……そうじゃない。もっと、上」


「……上?」

 僕は呟き、ほとんど彼女に身体を重ねるようにして、さらに身を乗り出す。

 下から、見上げるように窓を覗き込んだ。


 上を見たって、夏の空と電柱があるだけだ。鍵穴が刺さりそうなものなんて何もない。


 何にも、ないじゃないか。

 そう呟きかけた、その時だった。


 嫌でも、それが目に入った。


 夏の空とは対照的な、オレンジ色の大きな看板。

 その中央に鎮座する、独特な模様。

 見覚えのある、ロゴマーク。


「……っ」

 思わず、息が止まる。

 手元の鍵と、頭上の巨大な看板が、僕の中で確かな一本の線で繋がった。


「ねえ、あれじゃない?」

 わたらいさんの言葉が、今度ははっきりと脳に届く。

「鍵にも、あんなマークついていたよね?」


 それでもまだ不安げなわたらいさんが、僕の手の中の鍵を覗き込む。


「おんなじ……」

「……同じだ」

 呟いた声がふたつ、同時に震えた。


 間違いなく、鍵と同じロゴマークが、そこには描かれていた。


 運転手が心当たりがあると言ったそれは――建物でも車でもなく、トランクルームの巨大な看板だった。


「すごい……」

 僕は、思わずわたらいさんの手を、両手で握りしめていた。

「すごいよ!わたらいさん!」


 僕ひとりだったら、きっと、あの看板はただの背景として消えていた。

 鍵穴を探すことに必死で、空を見上げることなんて、思いつきもしなかった。


 必死に差し込める場所を探している間に、タクシーはあの場所を通り過ぎ、永遠に答えを失っていただろう。

 僕は、この狭い窓から小さな鍵穴を探していた。

 でも彼女は、もっとずっと広く、大きな街を見ていたんだ。

 僕が見落としていた世界を、彼女は全部、拾い集めてくれていた。


「……あった。あったよ、運転手さん!」

 僕は、たまらず運転席にしがみつく。

「わたらいさんが、見つけてくれた!」


 叫んだ僕の横で、わたらいさんが、ふふっと短く笑った。

「違うよ、ふたりで見つけたの」


 運転手が、片手でサムズアップした。

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