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第40話 ずっと熱いんだ

 慌てて追いかけるまでもなく、わたらいさんは外へ出てすぐに足を止めた。僕はその姿を、ガラス越しに店内から見ている。


 しばらく後、彼女を刺激しないように、そっと店の外へ出る。夜の街は、まだ熱を帯びていた。


 わたらいさんはコンビニの壁に背中を預け、ぜいぜいと荒い息を吐いていた。冷房の冷気に触れて一時的に落ち着いたはずの体温が、再びアスファルトの熱と、彼女自身の自己罰の衝動によって急激に上がり始めている。


「ちょっと、待って……」


 僕の接近に気がついたわたらいさんは、自分のハーフパンツのポケットに手を差し込む。そして、紙幣と硬貨を数枚ずつ取り出した。


「これ、たまたまあった分……」


 わたらいさんは言い訳するように、声を小さくした。


「家じゅうの財布や封筒や貯金箱から……お金をかき集めたの。多分、家賃とか、何かの支払いに使うためのお金だったんだと思うけど……当分はこれで……生きていける、と思う……」


 わたらいさんは、押し付けるようにして僕に全財産を差し出してくる。


「持ってて。あると、使っちゃう。生き延びようとしちゃう。……今だって、冷たいもの、欲しいなって考えてた……でもダメなの。それじゃあ」


 彼女はしわくちゃになった紙幣と硬貨を、空虚な僕の手に握らせた。汗で湿ったお金は、彼女の罪の意識の重さをそのまま伝えてくるようだ。


「だめなの……私だけ、生きてるのは……」


 わたらいさんは言葉を途中で切り、荒く早い呼吸をする。自己犠牲の衝動と、本能的な生存欲求の間で揺れている。


 僕は彼女の差し出した金銭を突き返すことはせず、「わかった」と簡潔に答える。とりあえず、自分のズボンのポケットに入れた。


 その言葉に安堵を覚えたらしいわたらいさんは、再び夜の道へ踏み出そうとした。だが、その足取りは既にフラフラだ。自己罰の熱で命の炎すら燃えつきそうだ。もはや、それすら厭わないのが分かった。


「もう少し休もうよ」


 僕はわたらいさんの腕を掴み、引き留める。無駄なことだと分かっている。


「時間がないの、早く行かなきゃ。よじれが待ってる」


 力なく呟くわたらいさんの瞳は光がない。僕に生かされた一瞬の安堵を、罪悪感の熱で必死に焼き払おうとしている。


「……そんなに死にたいの?」


 いつもより低い声で問いかけた僕に、わたらいさんの背中が微かに跳ねる。


 僕は返答を待たなかった。彼女の腕を掴み、そのままコンビニの裏の、照明の届かない暗い路地へと引きずり込んだ。




 搬入口にある金属製のシャッターの前に行く。シャッターは真夏の熱を分厚く蓄えており、夜になっても触れると肌が焼かれるような熱を放っている。


「……っ!」


 わたらいさんの顔が、恐怖に凍りつく。

 既に腰が引けている彼女を逃がさないように、僕は正面から抱きしめた。


「あ、いや……いやだっ……ごめんなさいっ」


 そのまま、泣きべそをかきはじめた彼女の背中に回されている自分の両腕を、高温のシャッターに強く押し付けた。僕の体重による拘束で、押し潰されるようなわたらいさんの悲鳴が漏れる。


「ううっ……!」


 直接触れていなくても、彼女の背中に熱が伝わるらしい。わたらいさんが、顔を歪めている。背中に触れる僕の腕、そしてシャッターから立ち昇る熱気が、彼女を二重に罰する。


「離してっ!何考えてるのっ!ぺこ、火傷しちゃう!」


 熱い。焼けてひりつく腕の中で彼女がもがくのも構わず、今度は彼女の肩越しに、自分の頬を直接シャッターに押し付けた。


 わたらいさんが明確に、鋭い悲鳴を上げる。


「……熱いよね、わたらいさん」

 僕は、囁く。


 恐怖と痛いほどの熱で、半狂乱のわたらいさんの身体が激しく痙攣した。


「これが、君が求めていた熱なの?あの日の、事故の熱」


 僕は彼女の耳元に、熱い息を吹きかけた。


 頬をシャッターから離す。彼女の首筋に顔を埋めるようにして、身体の拘束を緩めないまま、震える声で囁いた。


「……僕も、ずっと熱いんだ」


 僕の頬を滑り落ちた熱い雫が、わたらいさんの首筋の汗と混ざり合う。彼女は驚きで呼吸すら止めた。


 この状況で僕が涙を流すなんて、彼女は想像もしていなかっただろう。


「兄ちゃんが死んだのは、僕のせいなんだ。


運動誘発性の小麦アレルギーだったのに、僕の誕生日に一緒にケーキを食べるのを止めなかった。その後すぐに、走って公園に行く兄ちゃんから、僕は自転車で逃げた。


だから、僕も、ずっと……ずっと、熱いんだよ」


 僕の過去の罪の開示と涙で、わたらいさんの抵抗は、完全に崩壊した。


 この瞬間だけは、彼女の罪悪感が僕のトラウマという、似て非なる熱によって上書きされたようだった。


「お願いだから、生き返って。僕の隣にいて。この熱は、誰も冷ましてくれないけど……君だけは……」


 僕は彼女の首筋に顔を埋めたまま、脅迫の言葉を耳元にねじ込んだ。


「君が死ぬなら僕も死ぬ。本気だから。これは、僕が決めたことだから」


 その言葉と共に、僕はようやく熱いシャッターから自分の腕を離した。じりじりと焼けていた腕の痛みは、解放された瞬間、より鋭くなった。


 僕はヨロヨロと彼女から離れる。


 わたらいさんは、僕の拘束から解放されたにもかかわらず、ぴくりとも動けずにいる。言葉を失ったように呆然と僕を見つめていた。それでも、その瞳には生気が戻りはじめている。


 彼女は歩み寄り、泣きじゃくり震える僕の背中を慰めるようにゆっくりと腕を回した。


「……こんなの、おかしい。どうかしてるよ」


 抱きしめられて、僕の熱と彼女の熱が一つに重なり合う。妙に冷静なわたらいさんの声だけが現実みを帯びていた。


 僕はまだしゃくり上げながら、さっき彼女に受け取ったお金をズボンから抜き出し、見つめた。


「……君は僕を拾ってくれて、ぺこって名前をくれたんだから……僕はわたらいさんにわがままを言う権利があると思うんだ」


 湿ったお札を、彼女のハーフパンツの尻ポケットに押し込む。急な接触に驚いたわたらいさんの身体が跳ねた。

 

「喉が渇いた。小銭でジュース買ってきてもいい?」


 鼻を啜りながら僕が尋ねると、わたらいさんは薄く笑った。

「いいよ、もちろん」


 彼女の了承を得ると、すぐにその手を掴んで僕はまた涼しいコンビニの店内へ引きずり込む。


 冷たい飲み物が並ぶ冷蔵ケースの前で、僕はぴたりと足を止めた。


「僕の分とわたらいさんの分、ふたつ買うまで僕は絶対にここから動かないから」


 僕は冷蔵ケースの扉を開けた。

 わたらいさんが、呆れたように笑う。

「……わかった」

 

 わたらいさんが、開かれた冷蔵ケースに手を伸ばす。彼女が選んだのは、水だった。


「水?そんなつまらないものじゃなくて、もっと楽しいものにしなよ」


 わたらいさんが僕の苛立ちをエスカレートさせる。僕は、彼女にも生きる喜びを味わってほしい。そんなものでは、生き返れない。


 わたらいさんは困ったような顔をしているので、「一番甘そうな炭酸飲料にしようよ」と提案する。


 そして僕が選んだのは、一番カラフルで、体に悪そうな砂糖と人工的な味に満ちた享楽的な飲み物だった。


 わたらいさんの表情が一瞬、抵抗するように歪んだが、僕の強引さには勝てなかったようだ。




 購入した僕らは店を出て、立ち止まったまま、すぐに飲み物を開封する。赤子が哺乳瓶に吸い付くように、夢中になって飲んだ。冷たい炭酸の泡と人工的な甘さが、渇いた喉と熱くなった体内に染み込んでいく。


「ふ、んぅ……」


 一息で半分以上飲んでしまったわたらいさんが、再び多幸感に包まれたような甘い息を漏らした。


「美味しいね」

 僕が言うと、わたらいさんが恥ずかしそうに頷く。


「……生き返る、みたいだね」

 彼女の頬に、暑さとは違う赤みがさす。


 僕も「うん、生き返った」と答えて笑う。


 彼女が、罪悪感から自分自身をおろそかにする限り、僕は何度でも、彼女を死の熱狂から引き剥がし、強制的に蘇生させるつもりだ。


 この子が「生きてる」ことを証明し、僕らの狂気を完成させるために。


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