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第35話 羞恥の対価

 無防備なわたらいさんの背中を、僕はただゆっくりと撫で続けた。彼女の身体からは、先ほどの痙攣の名残のような微かな震えが伝わってくる。


 彼女の弛緩した身体の、僕の衣服の裾を握りしめる小さな手だけが、もう二度と離れないという誓約のようにぎゅうと力を込めていた。


 僕は満たされていた。これ以上ないほどに。


 どれくらいの時間が経っただろうか。わたらいさんがようやく落ち着きを取り戻し始めた頃、僕はふと、さっき玄関で落とした紙袋のことを思い出した。


 あれは、彼女を思って選んだものだ。この狂気に満ちた接触の後に、それを渡すこともまた、僕の役割だ。


 僕は、わたらいさんにそっと声をかけた。


「……少し動くよ」


 彼女は返事をしなかったが、僕の言葉に従うように、身体を少し動かした。


 そのまま僕はゆっくりと立ち上がろうとしたが、いつまでも身体は密着したままで、わたらいさんの片手は僕の服を離さない。


「んっ……」

 わたらいさんは深く俯き、顔をもう片方の手で覆ったまま、羞恥と安堵の混ざった呻きを漏らした。


 その姿から、ここで離れたら全てが崩壊すると訴えているかのような、強い依存の意思が伝わってきた。


 僕はその強い要求を、静かに受け入れるために、彼女の顔を覗き込む。


「う、う……っ。ちがう……」

 わたらいさんは、顔を力無く横に振った。

「は、ずかしっ……うぅ、全部……っ。全部……忘れてよ、ぺこ」


 顔を片手で覆ったままの、くぐもった声だった。彼女の理性が、先ほどの醜態と快感を今になって処理し始めたらしい。


「……うん、そうだね。恥ずかしいね」

 僕はそう言って、彼女の顔を覆う手の甲にそっと自分の指先を重ねた。

「だからこそ、忘れられないよ。わたらいさん」


 僕は彼女の耳元に唇を近づけ、ごく小さな、しかし絶対的な声で囁いた。


「『なかよしって、恥ずかしいことも嫌なことも、ぜんぶ見せることなんだよ』って、君が教えてくれたんだから」


 僕の言葉を受けて、わたらいさんがまたゆるく首を横に振る。


「だから、僕たちはずっとなかよしでいられるよね」

 僕はそう言って、彼女の髪を優しく撫でた。


 顔を上げられない彼女の代わりに、頬を包み込む形で頭を優しく持ち上げた。


 そして、身体を密着させたまま、ゆっくりと膝の上の彼女を床へ下ろし、僕の服を握りしめている指先を、一本ずつ、丁寧に剥がすようにして、ようやく体を離した。


 わたらいさんは、羞恥心から再び顔を伏せている。その場にへたり込んだまま、僕の衣服の残滓を掴むように、ただ空虚な手のひらを握りしめていた。


「かわいい」

 僕はそう言って微笑んだ。そして、へたり込んだままの彼女の身体を見下ろす。

 そして、追い打ちをかけるように、優しく、しかし確信に満ちた声で囁いた。

「もっと恥ずかしいことさせたくなっちゃうよ。わたらいさん」


 僕はそう言って微笑み、部屋を出て玄関へと歩き出す。紙袋は、土間の隅で静かに待っていた。


 僕はすぐに理解した。最初にわたらいさんが僕に飛び込んできたときに手から滑り落ちた紙袋は、僕らがこじ開けたドアから玄関へと滑り込んだとき、その動きに押されて、玄関の土間へかろうじて押し込まれたのだろう。


 無意識で動いた結果とはいえ、お土産を玄関の土間に蹴り出すような真似をしなくてよかったと、どこか冷静な安堵が胸をよぎる。


 それを拾い上げ、僕はわたらいさんの傍へ戻る。




 膝の上にそっと置いた紙袋を、わたらいさんは無言で見つめている。


 羞恥心と混乱で、まだお土産という日常的なイベントを処理できていないようだった。


 見兼ねて「手伝ってもいい?」と聞くと、彼女は頷く。

 僕は、彼女がすぐに中身を見られるように、紙袋の口を少し広げた。


「君に似合うと思ったものが入ってる」


 その言葉で、わたらいさんの身体が微かに震えた。彼女は、恐る恐る紙袋の中を覗き込む。


 そして、僕の顔を微かに、しかし素早く見上げた。


「お土産、だよ」

 僕は促す。

 黒いシュシュと、ダイオウグソクムシの精巧なフィギュア。水族館で買ったお土産は、それに尽きる。


 わたらいさんは、視線を落として再び中を覗き込んだ。そして、その紙袋に鎮座する、灰色の異形に、息を呑んだのが分かった。


 フィギュアをそっと手のひらに出す。その冷たい甲羅の造形が、彼女の火照った手のひらに、生々しい冷たさを伝えているだろう。


「……これ」

 わたらいさんの声は、極度に静かで、警戒と戸惑いが混じっていた。


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