「第九話」《美しい『時間』》
風を切って走り、アルディア国の領域の最端。アルディアと同じ南連合国ラトリア国との国境。
森の中に国境があるが兵士は駐屯していない。それもそのはず、巨大な川が天然の防壁となっているからだ。ここは軍時代にも何度か来ていた。
「うわぁぁ!!」
今の幼い子供達は国土の中央に築かれた砦の外に出ることはまずない。
外に出るものは商隊か兵士、あるいはごく一握りの勇気ある者のみだ。
「遠くに行きすぎるなよ」
エルナは初めて見る滝にはしゃいでいた。カイはエルから荷物を下ろし、レジャーシートを広げ、座れるように準備していた。
ふと振り返るとエルナが滝の下にできた小さな湖に足を滑らせそうになっていた。
「あっ! おい!!」
「だから遠くに行くなと言っただろ」
カイはびしょ濡れになった服を脱ぎ、水を絞っていた。エルは、エルナがまたどこかに行かないように見張っている。
「ごめんなさい……」
エルナはしょんぼりと俯いていた。
「はぁ……まぁ次からは気をつけろ。助けられる範囲には限りがある」
"限りがある"のだ。だから、全てを助けることはできなかった。そうだ、限界はとうに突破していた。
目の前の滝が、一瞬、血に濡れた戦場に変わったような気がした。
救えなかった命と、奪った命――
滝の音が血の叫びに。
カイの身体が小刻みに震え始める。終戦後、軍を辞めてからというもの、時折こうして、戦時中の記憶がフラッシュバックすることがある。
「カイさん……?」
エルナの声に我に返り、カイは彼女を見る。
「いや、なんでもない。昼にしよう」
エル用に桶をだしひとつには水を、もうひとつには果物を入れる。
「私ね、サンドウィッチ作ってきたの!」
「おぉ。すごいじゃないか。さすが宿屋の看板娘だ」
サンドウィッチは確かに美味しかった。
「ほら、頬についてるぞ」
カイはエルナの頬を軽く拭き取る。すると、エルナがぽつりと尋ねてきた。
「ねぇ。カイさん。英雄って、大変?」
「どうしてそう思うんだ?」
カイは内心かなり驚いていた。子供達はみんな、"英雄"と聞けば憧れの目で見るものだ。
「宿にいらっしゃるお客さんが言ってたの。『英雄カイは戦争が終わって名誉と名声だけ持って引退しやがった!』って」
「それで?」
カイが続きを促す。
「カイさん、お友達が死んじゃったんでしょ?それなのに、そんなふうに悪いように言われてて……嫌じゃないのかなって」
カイはエルナの感性に驚いた。――いや、そう考える人間がいることに驚いていた。
カイはしばし言葉を選ぶように口を閉ざし――そして、ぽつりと口を開いた。
「そうだな。『英雄』と呼ばれることが、苦痛に感じる時もある。だがな、今、エルナや孤児院の子供達と過ごしていて、楽しいんだ」
カイはエルナを抱き上げ、森の中をしばらく歩く。
木々の間から柔らかな陽が差し込み始めた。やがて開けた場所に出た。
「うわぁ!!」
目の前に広がったのは色とりどりの花が咲き誇る花畑。まるで花たちが達が歌っているかのようだ。
「だから……気にしなくていい。俺は、お前たち子供が笑っていてくれればそれでいい。そのためなら、どんな事でも耐えてみせるさ」
その言葉ははしゃいでいるエルナには届いていないかもしれない。だが、それは、カイの本心だった。
エルナは花の中に座りこんで、何かを作り始める。エルはカイの後を追って来たのだろう、日陰で静かに休んでいた。カイもその隣に腰を下ろす。
「あとで片付けに戻らないとな」
そう呟きながら、エルのお腹に頭を乗せる。
「カイさーん!!」
手や頭に花びらをつけたエルナが走ってくる。
「はい!」
何かがカイの頭の上に乗った。そっと上を見るて確認する。
「……花かんむりか」
カイには家族がいない。――いや、居たのであろうが記憶は無い。自分がどこから来たのか、どこで産まれたのか。
ただ、なぜか懐かしい。昔、花かんむりを貰ったことがあるような。
「……ありがとう」
そう言えばエルナはエルの頭にも花かんむりを乗せた。
「みんなお揃い!」
エルナ自身の頭にも花かんむりが乗っている。
「お揃いか」
「いいな」と言えば、エルナは嬉しそうに笑った。
「そろそろ帰るか」
まだ花畑で、はしゃいでいるエルナを呼び、昼食を片付け、帰路についた。
「カイさん、また連れてってくれる?」
「そうだな。女将さんの許可が取れたらな」
とても楽しかったのだろう。カイとエルの頭に乗った花かんむりを外させてくれない。
「あら。うふふ」
宿の外を掃除をしていた女将さんが気づいた。エルナは眠ってしまっている。起こさないよう、丁寧に下ろし、宿のソファーへ寝かせる。
「楽しかったようですね」
女将さんが、カイの頭に乗った花かんむりに目をやる。
「また連れて行ってくれと頼まれました」
カイは頭の花かんむりを外し、丁寧にカバンへしまった。押し花にすれば長く愛でられるだろう。
「約束はできませんが、また参ります」
「ええ。よろしくお願い致します」
女将さんがぺこりと頭を下げる。カイもそれに礼を返した。
――さて、急いで帰らなければ夕食に間に合わない。
「エル。今度は孤児院の子供達を連れて行こうか」
エルは「賛成だ」と言うように、鼻を鳴らした。
カイのカバンの中にある小さな花かんむりが誇らしかった。
㊗️連載二ヶ月突破!!!
連載開始から二ヶ月が経ち、累計1000PVの壁も越えることもできました。
ひとえに読者の皆様のおかげでございます。
改めて心より感謝申し上げます。
今後とも、『戦勝国の敗将』、そして作者、「畸人0.1号」をよろしくお願いいたします。
次回の更新は
2025年9月5日(金)18時00分
です。
またのご来場お待ちしております
畸人0.1号