「第七話」《新たな『生活』》
マリンダさんから孤児院を継いで以来、カイは目が回るような毎日を過ごしていた。子供たちの食事、洗濯、掃除と、いくら子供たちと一緒にこなすとはいえ座る暇はない。軍にいた時の方が楽だったと思うほどだ。
日が傾き始めた頃、カイは大鍋で子供たちの夕食を作っていた。
「ミロ! ルカ! 晩飯だ!」
外で遊んでいた子供たちがミロとルカに引率されて食堂へ戻ってくる。
「カイ、今日は何?」
毎日繰り返されるその問に、カイはお皿に盛り付けながら答える。
「今日はカレーだ」
皿に盛る量は平等。おかわりは自己責任。それがこの孤児院のルールだった。
「そうだカイさん。先程マリンダさんからのお手紙が届いてました」
ミロがそう報告してきたが手紙を持ってきていなかった。
「……次からは持ってこいよ」
額を押さえながらもお腹を空かせた子供たちの皿へよそう手は止められなかった。
子供たちが食事を始めた際に、外にあるポストへ向かう。
庭が広く、敷地の端にあるポストまでがやたらと遠い。カタッとフタを開けると確かに手紙が入っていた。腰を痛めてしまってしばらく来れない――と書いてあった。マリンダさんは院長を辞めてからも週に何度か訪ねてくれていた。
カイは子供たちに絵を描いてもらってマリンダさんに届けようかと思い孤児院の中へ戻ろうとした。
「カイ」
振り向くとそこに居たのは元同期のダリスだった。
「よお、こんな街の端まで。よく来たな」
カイは孤児院を継いでから自由に外出ができなくなったため、ダリスの酒場に顔を出していなかったことを思い出した。
「どうしてここが分かったんだ?」
「お前が泊まってた宿屋の女将さんに聞いたんだよ」
その言葉である重大なことを思い出した。
「……エルナを遠出に連れていくのを忘れていた」
「おチビちゃんが怒ってたぞ」
「……やらかしたな。エルナは根に持つタイプだ。」
女将さんに不動産を紹介してもらってからエルナは風邪をひいて寝込んでいた。
そして、マリンダさんがカイの元へ来てトントン拍子に孤児院を継ぐことが決まってしまったので、エルナに会うことが無かったのだ。監督者がいない孤児院を離れることは禁止されている。
参ったな――カイは頭をかいた。
「エルはどこにいるんだ?」
「夕食の時間になったからな自分の寝床に帰っていると思うが」
院内に入ると夕食を食べていたはずの子供たちが群がってきた。
「おじさんだあれ?」
わらわらとダリスの集まりおのおの質問を投げかける。
「おじさん……」
カイは鼻で笑いながら、ちょうどカレーをひっくり返した最年少のルナの顔を拭う。ダリスが気になるのか、ルナはカイから逃げ出そうともがく。
「逃げるな。大人しくしてろ」
ルナの顔を、手を拭く。服を着替えさせるのはやめた。どうせまたすぐに汚れる。
「そいつのことはお兄さんとでも呼んでおけ。何かくれるかもな」
「わかった! おにいさん!」
「お兄さん!」の大合唱に、カイは肩を震わせて笑い、ダリスは魂が抜けた顔をした。
「ほら、飯が残ってるやつは食え。終わったら片付けと掃除だ。風呂も沸かすんだぞ」
「はーい!」
元気な返事とともに子供たちは散っていった。
「生きてるか?」
「……ああ……」
ぐったりとしたダリスを院長部屋に案内し、ソファーに座らせる。ダリスが咳払いをして話し始めた。
「似合ってるじゃなねぇか。カイ院長?」
「無理があると思うが?」
カイはダリスの変わりように笑いがこぼれる。
「なんだ?」
「……いや。かのカイ中尉が丸くなったもんだなと」
「俺をなんだと思ってるんだ」
近くを通った子供に紅茶を持ってきてくれと頼み、ダリスの正面に座る。
「それで、こんな所まで何しに来たんだ?」
「娘の自慢」
「……は?」
始まった親バカ話。立った、喋った、"ママ"が最初に呼ばれて敗北――よくある話だ。
ルカが途中、紅茶を持ってきてくれたが話の圧に押されてすぐ姿を消した。助けてくれ、と心の中で叫んだ。
ダリスは拳を握って力説する。カイは紅茶の表面に映る自分の呆れ顔を見つめた。
「それ三回目だ」
話を遮って、ようやく終わらせにかかる。
「そろそろ帰れ。娘と奥さんが待ってるんだろ?」
ダリスの親バカ暴走話を止める。
「最愛のな!」
「本当に、それだけの為に来たのか……」
カイは冷めた紅茶を注ぎ直す。
「……まぁ、ミロ君と上手くやれてるか見に来ただけだ」
「余計な世話だ」
ダリスはニヤニヤとカイを見る。その目線を払うように手を動かす。
「最近物騒だからな。気をつけて帰れ。帰り道にお前が死にましたなんて困る」
「俺は元軍人だぞ?」
「"元"だろ」
外まで見送りながら、ダリスはふと思い出したように言った。
「ああ、そうだ。リサ中佐がお前の居場所を探してたから伝えておいた」
「リサ中佐がか? 理由は?」
「さあな。」
目的が分からない人間に人の住所を教えるのは大人としていかがなものかと思う。
「了解した。用があれば訪ねて来るだろうしな」
ダリスが手を振り、街へと帰っていく。
月は雲に隠れ、夜は静かに息を潜めていた。
遠くで犬の吠える声がする。
明日は晴れるだろうか――カイは鍵を回し、その静けさの中に溶け込んだ。
次回の更新は
2025年8月22日(金)18時00分
です。
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畸人0.1号