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「第六話」《願っていた『日常』》

 朝の冷たい空気が頬を撫でる。カイは重いまぶたをこすり、街へと歩き出す。あちらこちらで元気のいい掛け声が飛び交う。


「おう、カイ! 『英雄』様は金持ちだろ? また買っていってくれ!」

「はは。また今度な」


 カイは国民に顔が知られているため、日に三度は『英雄』と呼ばれている。


 市場で果物をいくつか買い、宿へ預けている愛馬への土産にする。

 愛馬の名前は『エルドロス』、皆からは『エル』と呼ばれている。元は軍から支給された馬だったが相性が抜群で、いつしかエルはカイ以外を乗せることを拒んでいたのだ。そのため退職祝い金と特別にエルを譲り受けた。さすがに街へ連れ歩く訳にはいかないので宿の裏手にある小屋を借りている。たまに郊外まで連れて行き、風を切りながら共に走る。


「よォ! 早いな、カイ! 鮮度抜群なリンゴが今朝届いたんだが、どうだ? 買わないか?」


 市場をぶらついていると声をかけてくるような馴染みの店主もできた。


「そうだな。二つもらおうか」


 店主は手際よくリンゴを包んでくれた。その笑顔を見てカイも不思議と釣られて笑みが溢れる。


「にしても、少し荷馬車が多いな」


 実際、先ほどもカイはぶつかりそうになっていた。


「あぁ、そろそろ国を離れてた奴らが帰ってくるからなぁ! 荷物でも運んでんじゃねぇか? ほらよ、また待ってるぞ!」


「なるほど」とカイはリンゴを受け取る。

 元部下たちの家族も何人か隣国へ逃げていたのを思い出す。


「そうか、戻ってくるのか」


 毎日のように警報が鳴り響き、明日の命も、と震えていた日々は終わりを告げたのだ。澄み渡った空に戦闘機の姿は見えない。あるのは旋回して自由に空を飛び回っている鳥達だけ。カイは深い息を吐いた。ようやく、『終戦』という事実を実感した。


「いらっ、あ、カイさん、おかえりなさい。先程エル君にお水持って行きましたよ。この子が」


 宿の女将と、彼女の愛らしい娘が笑顔で出迎えてくれた。カイが滞在している宿の女将は、随分と気立てのいい美人だった。


「あぁ。新しくなっていた。助かっているよ。ありがとう、おちびさん」

「チビじゃないもん! エルナだもん!」

「この子、エル君と名前が似てるでしょ? だからたまに二人でお話してたりするのよ」


 女将はクスッと笑う。カイはエルナの目線に合わせてしゃがみこむ。


「エルと友達になってくれてありがとうな。女将さんの許可が取れたら、今度遠乗りに連れて行ってやるよ」

「ほんとっ!!」


 エルナは輝かしい笑顔で女将さんに許可をとりに走って行った。カイはエルナがエルに乗りたがっていることも、エルがそれを拒んでいないことも知っている。


「カイさん! いいって、ママが!」

「良かったな。予定を立てておこう」


 カイは時たまに思う。退役してからというもの全ての重圧から解放されたようで、テオを亡くした悲しみからなんとか少しずつだが這い上がっている。《普通の生活》それは、テオもカイも元部下達も、国民も皆が望んだことであろう。

 今ようやく探し求めていた《普通の生活》というものができてカイは深い満足を覚えていた。

 ふとカイは思い出しキッチンにいる女将さんに声をかける。


「そろそろ家を持とうと思うんだが、どこかいい不動産は、知らないか?」


「それでしたら」と女将は快くいくつかの紹介してくれた。



 数日間、不動産屋を何度も訪ねたが、条件に合う家は一軒もなかった。


「人通りが少なく、治安が良く、子供の声が聞こえる家」――

 職員は諦め顔で首を振るばかりだった。

「そろそろ出禁にしますよ」とまで言われてしまった。


 とぼとぼと宿へ帰るとマリンダさんが待っていた。


「こんな街の中心まで……どうされましたか?」


 マリンダさんに促されて対面で座り、カイが来る前に頼んでいたのだろう、コーヒーが運ばれてきた。カイの分も頼んでくれていたようでコーヒーに口をつけた。


「あたしに、戦火を逃れて他国に逃げていた娘夫婦がいるのは知っているかい?」

「いえ。ただそういう方々がいるのは存じております」


 具体例を挙げるとするならばダリスだろう。


「軍人さんからしたら思うところがあるのかもしれないがね。あたしには最善策だったとしか思えないよ」

「いえ。自分の命より大切なものはありませんので。」


 カイは大きく首を振った。


「そうかい。それでね、近々こっちに帰ってくるってなってね。一緒に暮らさないかと言われてるんだ。あたしとしては孫と過ごせるのは嬉しいからね。この話を受けようと思ってるんだけどね。」

「それは、大変嬉しいことですね」

「嬉しいさ。だけどね、一つ問題点がある。娘家族が住む家が孤児院から遠すぎるのさ。」


 マリンダさんは少し冷めたコーヒーを飲み干しティーカップを置く。そしてカイをまっすぐ見つめた。


「そこでだよ。カイ君。君、孤児院を継がないかい?」

次回の更新は


2025年8月15日(金)18時00分


です。


またのご来場お待ちしております


畸人0.1号

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