「第四話」《『英雄』の退陣》
カイは泣きじゃくるミロを部屋まで連れていき、そっと一人にした。
きっと誰の目にも触れたくないだろう。
静かに扉を閉め、帽子を被り直す。ひさしがちょうど目元を隠してくれる。
「……すまない」
その言葉にはどれほどの悔しさと後悔、そして哀切が滲んでいたか。
ミロに対して何もできぬ自分が、もどかしかった。
要塞に攻め込んだ兵士五千名のうち、死者は一一四七名。
そのうち五名が、カイの指揮下にあった隊員であり――
一一四七の『一』は、テオである。
文字に起こせば、なんの変哲もない。ただの数字。
だが、その一つひとつには名があり、愛する者がいた人間が存在した。
カイは目元に力を込める。
このまま、すべて流せたならどれほど楽か。
「あははは! 鬼さんこちら!」
「まてぇーっ!」
庭から、子供たちの遊ぶ声が響いてくる。
ちょうど良いと、持参していたクッキーを配ることにした。
「さあ、ガキども。クッキーだぞ!」
わらわらと子供たちが集まってくる。
「カイ! 英雄なんだって? すげぇ!」
無邪気な瞳が、きらきらとカイに向けられる。
一人ずつクッキーを手渡していく。
「英雄! 戦いの話聞かせてよ!」
「英雄の、かっこいいところ知りたい!」
カイは「まいったな」と頭を掻いた。
己を英雄と呼ぶにはあまりにおこがましく、また、何も知らない子供たち自らの体験を語ることには、強い躊躇があった。
「また今度な」
いつまで、はぐらかし続けられるか。
そう思いながら、頬をかく。
「あっ、こら」
カイの足をよじ登ってくる子供たち。
その笑顔に、心が少しだけ救われた。
この笑顔のために、己は戦ったのだと、そう思うことができる。
「おい。危ないぞ」
子供たちが落ちぬよう、四つん這いの姿勢になる。
「カイさんなら、それぐらい耐えれるでしょ?」
煽るのは、クッキーを食べている小さな子供たちを手伝っていた、ミロと同じ、孤児院最年長のルカだ。
「おいおい。俺だって人間だぞ。……って、俺のズボンで口を拭くな。これは軍服なんだぞ?」
服をはたいていると、ルカが水をかけてきた。
手に持ったホースを離す気配はない。顔には満面の笑みが浮かんでいた。
「おいっ、ルカ! やったな、コノヤロウ!」
――――
「……そうか、辞めるのか」
リサ中佐の机の上に、一通の辞表が置かれていた。
「はい。すみません」
「いや、謝る必要はない」
受理印を静かに押す。
「長い間、お疲れ様。カイ」
リサ中佐は椅子から立ち上がると、カイの前へ歩み寄り、手を差し出した。
カイはそれを丁寧に握り返す。
「お世話になりました」
リサ中佐の執務室を出て、自室へ戻った。
部屋の私物など、数えるほどしか置かれていない。否、最初から持っていなかったのだ。
「……ふぅ、終わりか」
退役に悔いはない。
しかし、この決断が本当に正しかったのか、分からないままだ。
最後に軍施設を一通り回ることにした。
私服に着替えて、廊下は出る。
各部隊は書類に追われており、歩いているのはカイひとり。
廊下に響き渡る靴の音。光が差し込む窓。その光が過去の記憶を呼び起こす。
どれも手放すには惜しいものだ。
どこからか銃声が聞こえた。
暇な者がいたもんだ。
カイは訓練所へ足を向ける。
的を、寸分違わず撃ち抜く男の姿があった。
「カイ中尉!」
「ハルだったか。邪魔をしたな」
敬礼を制す。
「そろそろ終えるつもりだったんで、ちょうどよかったっす」
カイは置かれていたライフルを手に取った。
弾を込め、照準を合わせる。
舞い落ちる一枚の葉。
その一瞬に、三発の銃声が轟いた。
「見事っすね……」
三度、銃声葉響いたはず。
だが、的に刻まれた弾痕はひとつだった。
「訓練すればできるさ。……まぁ、もう"これ"は、握りたくないがな」
そう言い、カイは静かにライフルを置いた。
「やはり、退役されるんすね」
「……ああ」
カイの直属の隊員たちは、遅かれ早かれこの結末を察していたのだろう。
カイは、監督官用の椅子に腰を下ろした。
「でだ。何故、隠れている」
視線をそらさぬまま、カイはそばの茂みに声をかけた。
「あー……やっぱバレますよね〜」
「全隊員で何をしている。……仕事は終わったのか?」
カイは呆れて空を仰いだ。
将来が少しばかり心配になり、出した辞表の判断が揺らぐ。
「みんな、中尉が退役するって聞いたら居てもたってもいられなくなって」
「リサ中佐に頼み込んで、休みをもらいました!」
直属の部下は十五名。多くない数だが、今、仕事を抜けられるのはとても困るだろうに。
「確認するが、今日は全員休みなんだな?」
全員が、うなずく。
「はぁ……飲みに行くぞ。準備しておけ」
顔を向けると、隊員たちは――
「げっ」
これまで見たことがないほどに、輝いていたという。
次回の更新は
2025年8月1日(金)18時00分
です。
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畸人0.1号