「第十二話」《『英雄』たちへの冒涜》
「お、お前、が!! 死ねばよかったのに!!」
その言葉が耳を穿いた瞬間、世界が砕けた。
音が消える。胸の奥がぎゅっと掴まれ、息が詰まり視界が歪む。吐き気が込み上げる。
カイは頭が真っ白になった。面と向かってはっきりと言われたのは初めて。返す言葉を探す、が――何も出てこない。
「あ、……」
続かない声がカイの口から漏れた。
心の奥で何かがポキリと割れた音がした。
――分かっていた。ずっと前から分かっていた。
もし、あの時、自分が死んでいたら――
テオは生きていたかもしれない
そう
だから、
――自分の代わりにテオが死んだ。
頭の奥で誰かがそう呟く。胸の奥があつい。鼓動が世界に響き渡る。
息ができない。喉がひりつき、地面が遠い。何も聞こえない。
ミロが前に飛びだそうとする。
リサ大佐が即座に腕を抑え、必死に押しとどめる。
その横で、指先一つ動かないカイ。足が、全身が、この世界に縫い付けられたみたいだ。
兵士たちも止まったまま、誰もが息を殺す。
その瞬間、廊下の奥から鋭い声が響く。
「黙れ」
声の方へ向けば、ガルド大尉が毅然と立っていた。冷たい眼光が婦人を貫く。
「貴族ならば、国のため、陛下のため、民のために戦った彼を、讃えるべきだろう」
婦人は振り向き、涙で濡れた頬を紅潮させた。
「で、ですが! ……平民のあいつが生きて、私の息子が……!」
ガルド大尉は婦人にゆっくりと近づき、視線を揺るがすことなく言葉を発する。
「代わりに死ね、だったな。それは死者への冒涜だな。」
婦人は絶句し、手に持っていたハンカチを握りしめた。ちり紙のように小さくなるハンカチ。
「し、しかし……!」
「お前の息子が生き残って、同じことを言われても仕方がないと流すのか?」
ガルド大尉の声は低く、一切の揺らぎがなかった。
その場に静寂が訪れる。婦人も言葉を飲み込むしかなかった。
カイはただ立ち尽くす。それはリサ大佐も周りの兵士も同じだった。
その場に、音を立てるものはいない。
ガルド大尉はさらに一歩婦人へ詰め寄る。
「死者を、こいつを、ここにいるすべての者を、冒涜するな。命を賭して国に尽くした。それ以上でもそれ以下でもない」
婦人はその場に泣き崩れた。
近くにいた兵士がその婦人の肩を抱きどこかに連れて行った。
静寂が訪れたあとも、カイの肩は小さく震えていた。
深く息を吸い、押し殺した嗚咽を飲み込む。
「あ……ありがとうございました」
声がかすれる。
「フン。貴様のためではない」
カイと視線が交わることなくガルド大尉は去っていった。
小鳥の声が聞こえ、人が動き始める。
取り残されたのはリサ大佐とミロ、そしてカイ。
「すまなかった。」
リサ大佐が頭を下げた。
「いえ、大丈夫です。それよりガルド大尉は昇進されてるのですか?」
未だ震える手を隠し、頭を上げてくれと言う。
「いや、彼は上からの圧力があるからな。」
「上ですか?」
上はどこを指すのか。
「あぁ。彼は家が貴族なんだ。いい所のな」
「何故軍隊に?」
「三男だからな。」
なるほどとカイは頷いた。いい所であれば上級貴族であろう。だから先ほどの貴族にも怯まなかったのかとカイは納得する。
平民が貴族に逆らったら最後待っているのは、断頭台のみ。
リサ大佐に解放されたミロがカイに駆け寄る。
「ほんとに大丈夫ですか?? 泣いていいんですよ?」
「……生意気だな、この野郎。大したことない。」
口角を上げ笑い、頭をグリグリと押さえつける。
その手のひらが、まだわずかに震えていた。
「……痛いです」
すまんなとミロの頭から手をのける。
その様子を見ていたリサ大佐が口を開いた。
「……丸くなったもんだな。カイ」
「既にダリスにも言われました。そんなに尖ってましたか?」
「あぁ。やんちゃ二人組。有名だったぞ」
はあ、と頭を掻く。
「さて、これから仕事だ。門まで送ろう。」
リサ大佐の後ろを着いて歩く。
「よーい!! 初め!」
どこからともなく訓練の声が聞こえる。訓練場の横を通った時、カイは驚愕した。
まだ下ろしたてであろう軍服。称号が一つもついていない教官――
まるで自分の新兵時代を見ているようだった。
胸の奥で何かざわついている。空気が重い。
笑顔の裏に影が迫っている。カイはそう感じた。
「本日はありがとうございました。」
「あぁ。こちらこそな。またそちらに行ってもいいか?」
「はい。もちろんです。お待ちしております。」
カイは深く息を吸い、ゆっくりと門をくぐる。
そこには、日常の喧騒も訓練の声も消えたように静まり返った通りが広がっている。
カイは一歩一歩を踏み出した。
風が通り、遠くで小鳥が鳴く。
だが、その静寂の裏では、未来の戦争の影が、確かに蠢いていた。
次回の更新は
2025年9月26日(金)18時00分
です。
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畸人0.1号