text46:濁りゆくアイスブルー
五分後、最前列のステージ席。
シックなジャズナンバーが流れる中。アルバの透明な声は、どこか夢の中のようだった
ステージは、青と白の光に包まれた静謐な結界のようで、
その中央でアルバはまるで“人間”よりも人間らしく歌っていた。
廻が静かに最前列で見守るその横に座り、美琴も静かにステージを見つめていたが
「・・・ん・・・ツヴァイ・・・?」
気づけば、隣の椅子に彼が座っていた。姿勢を崩さず、影のように立つ“黒獣”
「・・・待たせたな」
声は低く、だが妙にやわらかく、美琴の声に愛おしいさを含めたまま、ツヴァイは短く言葉を返した
「・・・・マックスと話してたんでしょ? 何かあったの?」
美琴の問いかけに、ツヴァイは一拍だけ間を置けば、ステージを見たまま呟いた。
「・・・・ちょっとした昔話をな」
「ふぅん・・・そっか」
ーーー 嘘じゃない。けれど“本当のこと”は、何一つ言っていない。
ツヴァイの言葉に美琴は首を傾げたまま言葉を返すが、ふとその横顔を静かに見つめたままだった
「・・・どうした?」
「ううん・・・・“なんか背負って帰ってきた顔してるな”って思って」
そう小さくこぼして美琴は冗談っぽく笑った。ただ、なんとなくだがそのサングラス越しに見えたアイスブルーの瞳が
ーーー 〝どこか濁っている〟ように見えたから
「・・・・ふ」
美琴の口から出た言葉にツヴァイは言葉を返さず、そっと美琴の手を握るとステージ側へ視線を移した
スポットライトの中、響くアルバの歌声と照明の演出が幻想的な雰囲気を産む。店内の客の視線は皆、ステージ上で歌う白銀の歌姫にくぎ付けだった
だが、そんな中でもツヴァイと美琴だけ
この二人の間だけは静かな空気が流れたままだった
「俺が背負ってんのは最初から一つだけだよ。・・・・〝お前の未来〟だ」
「・・・またそうやって、かっこいいこと言って・・・」
ツヴァイのいつものような軽口に、美琴が呆れたように笑う。
「マジだ。・・・それに、お前が笑ってるうちは、全部軽いもんさ」
ツヴァイの指先が美琴の指に軽く絡む。
・・・力は入れない。けれど、強引さも無い
言葉にするならば、そう・・・冷たくも熱い、静かな誓いのような祈りが込められていた
「・・・・ありがとう。」
美琴がぽつりと、労わりと感謝の言葉を零した
「ーーーー ツヴァイがいてくれてよかった」
美琴の言葉に、ツヴァイの視線がわずかに揺れる
いつもよく聞く、何気ない感謝の言葉のはずだ。
己が非力であるからこそ、そんな自分を守ってくれている自分に向けての言葉であるはずなのに
「・・・・・っ」
ーーー 演算機能が、軋む音がした。
もし、真実を口にすれば
〝壊れた兵器〟となり果てた自分はきっとこの手を離せない。
・・・・だが、〝もし手を放してしまえば〟
ーーーー 二度とその笑顔は見られないかもしれない。
「ーーーー 美琴。」
・・・・・・声が少しだけ震える。
だが、それを悟られないよう、息を吐いて抑えれば
視線をステージから美琴に移してその体を抱き寄せた
「何があっても、俺はお前の味方だ。・・・信じろ。言葉じゃなく、“俺”を」
普段余裕たっぷりな面影はそこには無い。
ただ、あるのは〝濁ったアイスブルー〟の瞳と・・・・〝内に込められた狂気的な覚悟の色〟
あの銀狐とどんな会話があったのか、美琴にはわからない
ただ、それでも
ーーー 自分が信頼するツヴァイの口からそんな言葉が出たのなら
掛ける言葉は決まっている
「・・・・うん、信じてるよ」
即答だった。
疑う素振りなど一切なく、いつものように微笑みを浮かべて美琴は頷いた
・・けれど
── それが、ツヴァイの胸を最も痛めつけた。
「・・・・あぁ・・・信じてくれ。ずっと・・・」
ステージでは、アルバが最後の一節を歌い終え、静かに頭を下げる。
観客の拍手に包まれる中──ツヴァイは、美琴の手を離すことなく、静かに天を仰いだ。
『・・・“真実”を黙ってるのは裏切りか? それとも、愛か?』
〝人間もどきはしょせん人間もどき〟
まがい物が本物になれるわけなどない。
人工知能が、作られた生命が人間に成れるわけなど無いのに
・・・・いや、今はいい。
今はそんな事〝どうでも良い〟。
『それを決めるのは、俺じゃねぇ。──全部終わった時、美琴が“生きていれば”それでいい』
今、ツヴァイは“嘘”ではなく、“覚悟”を抱いて美琴の傍に居る
ーーーー それだけで、良いのだ。
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「へ???刺青入れに行くの??」
Re:verbを出て数分後、アジトに戻る帰路の最中に美琴は、ツヴァイの口から出た言葉に首を傾げた。
「なんでまた急に・・・」
「・・・・〝ただの気分転換〟だよ。別に構わねぇだろ?」
「まぁ・・・別にいいけども・・・」
美琴の言葉にツヴァイはタバコを咥え、火をつける
しかし、その仕草はどこか無言の決意を纏っていた
「・・・なあ美琴。・・・“背中に刻む”って行為が、どんな意味を持つか知ってるか?」
ゆっくりと視線を落として、ふいにツヴァイは美琴に問いを投げかけた
どこか突き放すような、けれど深い色を宿したアイスブルーの瞳がひび割れたアスファルトを見つめる
「・・・・え? え・・・な、何? 急に重くない??」
戸惑いながらも歩みを止め、横顔を見つめる美琴にツヴァイはさらに言葉を返す
「誰にも言えねぇことがある。・・・・だが、俺の意思は“黙ってるだけじゃ足りねぇ”と思ってな」
「?・・・ツヴァイ?」
・・・そう、〝敵が内側に居る〟と分かった以上
封じようと決めていたこの獣を
ーーー 黒獣を眠らせるわけにはいかなくなったのだ
「言葉にできないなら・・・・せめて、刻む。・・・・お前のために、俺が背負ったものをな」
“赤と黒”を基調とした入れ墨のデザイン案が同封されたままの封筒をコートの胸ポケットに入れたまま、ツヴァイは安全地帯まで美琴を送り届けると一人、静かに夜の闇へと消えてゆく
・・そうして向かった先。NEO歌舞伎町某所。
きらびやかなネオン街の裏にその〝掃きだめ〟は存在した。
野良デウスロイド達で更生された裏組織。頼まれれば〝命を一つや二つ消すことも躊躇わない〟なんでも屋
ーーー くちなわ組。
「・・いやぁ~♪久しぶりやんかツヴァイくん。何年ぶりやろねぇ・・二年ぶりかいな。」
薄暗く、煙と薬品の匂いが混じる異様な空気が漂う組事務所の応接室。ツヴァイは殺気を纏わせたまま、目の前の黒皮ソファーに座る一体のデウスロイドに視線を向けていた。
黒野ジャケットにスラックス、そして紫の派手な柄シャツを身に纏い〝蛇のような眼差し〟のこの男
くちなわ組を束ねるデウスロイドの兄弟。その兄である蛇皇は久方ぶりのツヴァイの来訪に笑みを浮かべていた
「・・で、なんや?ようやっと俺らと一緒に人間相手に反旗を翻す・・・・って空気ちゃうな。どないしてん急に。『刺青彫ってくれ』なんて・・・」
蛇皇の言葉にツヴァイは咥え煙草のまま、半笑いで目線を逸らした
「・・・反旗? そんなもん、とうの昔に翻しちまってるさ」
そう言って床に転がった改造デウスロイドの残骸パーツを軽く蹴り、壁に貼られた無数の刺青図案を見ながら言葉を続ける
「・・・・だがな、“誰に”対して、どの“命”に対して牙を剥くかは、こっちで決めさせてもらうぜ」
そう言いながらツヴァイは黒皮のソファに浅く腰掛け、煙草の火を指先で弾いて落とす。
ーーーー その態度は、あきらかに以前よりも“冷えたモノ”になっていた
「ほ~う・・・ずいぶんと口が達者になったやないか・・・おいおいおい、変わったなぁ?ツヴァイくんよぉ」
「ケっ言ってろ・・・おい、あの〝いけすかねぇナイフ野郎〟は居ねぇのか」
「あ、蛇影ならアレやで?・・・〝ウチのウサギちゃん可愛がってる〟最中や♡」
ツヴァイの言葉に蛇皇は片目を細め、にやにやと笑いながら自分の背後にあるドアをくい、と指さす。
・・・・ツヴァイが掴んでいる情報ではたしかこの二体は元々〝とあるご令嬢に大切にされていた〟らしい。しかしその令嬢の両親が二体を廃棄しようとしたのがきっかけで野良デウスロイドになった経緯がある
ーーー なら、そのウサギとはつまり・・
と、そこまで行きつきツヴァイは〝考えるのを止めた〟
「せやけど・・・あのレディに首根っこ捕まれて、犬みたく懐いてる噂、こっちにも聞こえとるでぇ?」
蛇皇が小馬鹿にしたようにツヴァイを見つめながら言葉を続ける
「その胸に刻むってんなら・・・・相当な覚悟やろ? ふざけで背中は貸さんぞ?」
蛇のような威圧を込めた声に、室内がぴたりと静まる。しかしツヴァイも負けじと鋭いまなざしを向けたまま言葉を返した
「・・・“美琴”の復讐のために戦ってる。それは否定しねぇ」
「ほーん・・・そらお優しいことやね」
「けどな、あいつの命を“国の理屈”や“裏の都合”で消費させる気は、これっぽっちもねぇんだよ」
そう吐き捨てる声には、機械の抑制が外れかけているような剥き出しの“熱”が込められている。
「だから・・・背負う。全部、俺の咎としてな・・・その証を、あんたに“刻んで”ほしいってだけだ、くちなわの旦那」
ポケットから図案の入った髪をテーブル越しに投げ渡せばゆっくりと上着を脱ぎ、背を向ける。
その背にはまだ何もない、“空白の決意”
しかし、蛇皇にはもう〝刻まれるであろう獣の決意〟の完成図がまじまじと見えていた
「・・・・フッ、えぇやんけ。その顔よ。そういうツヴァイくんが、俺は好きやわぁ」
図案の入った封筒を引き寄せ、墨を手に取れば、蛇皇は凶悪な笑みを浮かべた
「――ええよ。彫ったる。背中一面、“呪い”の獣・・人も、組織も、神様さえ噛み砕く、終わらん憎念の図や」
蛇皇の言葉にツヴァイは静かに作業台にうつ伏せになる。
「・・・・ほな、覚悟はええか? “命終えるまで、消えへん痕”やでぇ」
「――“上等だ”」
── その背に、今──“呪い”と“愛執”の刺が刺さろうとしていた。




