つまらない授業
――ガタン
教室のどこかでそんな音がした。
なんだろう。
周りを見ると、新井くんが机に両手をついて立ち上がっていた。
クラスメイトがざわついている。
「優里くん……どうしたの……?」
「急に立ち上がるなんて、びっくりしたじゃない」
新井くんの周りにいた女子が騒ぎ出した。
新井くんは耳が赤い。
熱かな?
私はスマホをポケットにしまって立ち上がった。
新井くんを保健室につれていくために、彼の席に行った。
私が目の前に来たからか、顔を上げた。
「新井くん」
「……加藤?」
「顔赤いよ?熱があるんじゃない?保健室行った方がいいんじゃない?」
新井くんは私を多少睨みながら、頷いた。
「ごめんね、保健係だから不調そうな人は、保健室に連れて行く義務がある。だから、ちょっとどいてもらってもいい?」
私がそう言うと、女子たちは少し不満そうにしながら去っていった。
一人の女子は、私をずっと睨んでいた。
私は気にせずに、新井くんに声をかけた。
「立てる?」
新井くんは立ち上がって、廊下に出た。
私は新井くんについて行った。
「あれ、顔色良くなってるね。人の多さに酔っちゃった?」
「……そんなんで酔ってたら、毎日保健室行きだ」
「確かに。でも、心配だし一応休んでおいたら?」
「そうする。次の授業数学だしな」
サボりたいだけかな。
でも体調が悪そうだったのは事実だし、ここで保健室に連れて行くのをやめたら人でなしになるよね。
私は保健室のドアの前に立って、ドアをノックした。
「後藤先生、いらっしゃいますか?」
後藤先生というのは保険の先生の名前だ。
少し待ったけど、返事がない。
「いないのか?」
「そうかも。ベッドだけでも使わせてもらおう」
私は保健室の扉を開けて、新井くんと中に入った。
初めて来たな。
私たちの学校の身体測定などは、全て体育館で行われるから、保健室を訪れることは全くない。
保健室にはベッドが四つ、棚が一つ、体重計が三台、机と椅子が一つずつ、ソファーが一個という、絵に描いたような保健室だ。
「日が当たるところの方が良い?」
「眩しいから廊下側でいい」
新井くんは、廊下側のベッドの方へ行き、ベッドに寝転んだ。
先生に一応伝えたほうがいいかな。
先生用の机の上においてある、「いらない紙入れ」と書いた入れ物の中からプリントを取り出し、シャーペンを借りて、新井くんがいる理由を書いた。
「それじゃあ、私は教室に戻るね」
「あぁ。サンキュー」
私は新井くんのいるベッドのカーテンを閉めて、保健室を出た。
私は教室に戻って、スマホを開いた。
うららと和真が会話していた。
盛岡和真『そういえば、優里と青衣どこ行った?』
七星うらら『あ、忘れてた。会話に入れなかったのかなぁ』
ちょうど私の話をしていた。
夕暮青衣『ごめんね、委員会の仕事してた』
盛岡和真『青衣ちゃんはったらきものぉ!』
七星うらら『ちょっと和真、読みづらい文章送らないでよ!』
盛岡和真『ぎょっめぇん!』
私は静かにスマホを閉じた。
これ以上はマジで笑ってしまう。
「3限始めるぞ。席に着け〜」
放課は信じられないほど騒がしかった教室は、その一言で静まり返った。
静かな教室の中に、先生の声が響く。
「次、加藤」
私はノートの端に落書きをして、先生の声を聞き逃した。
「加藤?加藤!」
集中しているから、全く声が聞こえなかった。
先生は私の方へ歩いてきて、丸めた教員用の教科書で私の頭を叩いた。
「いで!」
「加藤〜?俺の授業はそんなにつまらんか?ノートに落書きをしている暇があるなら、黒板の方程式を解け!」
怒っている。
確実に面倒くさい人を怒らせてしまった。
謝罪しておくか。
「落書きしてたのは申し訳ありませんが、授業がつまらないのは事実です」
「謝ってるつもりか?一言多いんだよ。黒板の問題を間違えたら絶対しばくぞ」
「このご時世、そんなことしたらパワハラで訴えられますよ」
「早よ解きに行け!」
私は渋々黒板に向かった。
後ろからは他の生徒からの話し声が聞こえてくる。
恐らくこれが私が嫌われる理由。
全くそんなつもりはないのに、思ったように言葉が出てこなくてこうなってしまう。
私は黒板に問題の答えを書いた。
「先生、これでいいんですよね?」
「一問だけで良かったんだが……。全問正解だ」
私は席に戻った。
しばらく授業を受けていたら、スマホが震えた。
授業中にメール?
天気のアプリからの通知かな。
私はスマホを取り出して、届いた通知を見た。
通知には「夏風優里が貴方との個人チャットを繋ぎました」と書いてある。
夏風邪優里って、さっきグループにいた人かな。
私は雑談のアプリを開いた。
夏風優里『さっきはどうも』
たった一言、それだけが書いてあった。
夏風優里『夕暮青衣、あなたは人から嫌われてる?』
すぐに返事が返ってきたかと思えば、いきなりそんな文章が書かれていた。
何でそんなことを聞くのか、私には分からなかった。
まぁ、
「人の気持ちなんて一生理解できないしね」
あ、口に出ちゃった。
後ろから人の気配を感じて、振り返った。
私の後ろには、眉を顰めながら作り笑いをしている先生がいた。
やべっ。
「加藤〜?」
「問題なら解けてますよ?」
私はノートを差し出した。
まぁ、今日解いたわけじゃないけど。
私は優里のメッセージに返信した。
夕暮青衣『さぁ、どうでしょう』
◇◆◇
「加藤さん、先週はよくも新井くんを連れて行ってくれたわね」
あれから一週間。
私は今、一週間前の出来事を、今更責められていた。
この人たちの名札には、新井くんファンクラブのバッチが入っている。
新井くんファンクラブ。
それは、新井くんを激推しする女子、約五名によって結成されたファンクラブである。
クラブ会員はおそらく、この学校の全学年の女子の大半が所属しているだろう。
そんな人たちの地雷を踏み抜いてしまったのだ。
仕事をしただけだけどね。
てか、何だよファンクラブって。
「ファンクラブの人たちみんな怒ってるのよ」
「仕事をしただけなんですが……」
「余計なお世話よ!」
「体調が悪い人を放っては置けません」
この人たちが言いたいことはわかる。
新井くんは私たちがなんとかするから、お前は手出しするな。
みたいなことだろう。
誰も保健室に連れて行こうとしなかったくせにね。
「新井くんが誰と関わろうと、あなたたちには関係ないはずです。新井くんの人間関係を管理する権利はありませんよね」
「……あるわよ」
「なぜ?」
「……」
今まで好き勝手言っていた人たちが、やっと黙った。
「それでは」
私は彼女たちを置いて、その場から離れようとした。
しかし、ファンクラブの女子に腕を掴まれて動けなくなった。
「……なんですか?」
「あなた……ファンクラブに入らない?」
「……は?」