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Sky Sanctuary

作者: shiori@

お題:白露×スカイグレー

 ――9月中旬、台風が迫る街で、一つの恋が始まり、そして終わろうとしていた。


「はい桜井君、これノート。見やすく書けてるか分からないけど…」


 少しノートの出来を心配そうにしている隣の席に座る近本美雪(ちかもとみゆき)から桜井海人(さくらいかいと)はノートを受け取った。

 一番前の席に座るもの同士、自然とこの交流は始まった。


「ありがとう…いつもゴメン」

「そんなことないよ、桜井君努力家だし、これは委員長のあたしにできる配慮だから」


 視力が悪く、視覚障がいの中でも数少ない全色盲(ぜんしきもう)を抱えた海人に委員長の美雪は常に優しかった。

 思春期の学生が集う学び舎で真面目に勉学に勤しむ生徒は多くない、それを委員長としての立場で痛感しているからこそ、美雪は海人との関係にやりがいを感じていた。


 海人は受け取ったノートをいつものように開いてみる。

 一学期の最初の頃からずっと同じ施しを彼女から受けているが、次第に見やすく成長していく内容を見て嬉しくないはずがなかった。


(また変なイラストが増えてる…これはもうムーミン谷の同人誌じゃないのかな?)


 お馴染みのキャラクターが独特の絵柄で吹き出しを加えて描かれているのを見て海人はつい口元が緩んでしまう。

 彼女の優しさに感謝して平常心を維持しつつノートを写していく。途中でチャイムが鳴り、海人は名残惜しくノートを閉じ、机に奥にしまい次の授業の準備を始めた。



 放課後になり、海人は部活動がある美術室を訪れる前に、いつものように校舎の外にある自販機で飲み物を買いに向かった。


「今日はこれにするか……」


 80円と表記されたホット用のココアを冷やした商品にするか一度迷った後で、海人は100円と表記された500ml入った炭酸飲料を選んだ。

 350mlのココアと比べてコスパで選んだ結果だった。


 冷たい飲み物を手に入れた海人が美術室に入ると、先客が既にキャンバスに向かってカッターナイフを向けていた。

 真剣な表情をした女子生徒の横顔を見ながら静かに海人は席に着いた。


(いつものことながら、凄い集中力だな……)


 静寂に包まれた美術室で一人黙々と匂いを発する油絵の製作を続ける少女の名は能登深愛(のとみあ)。筆を取ればプロ並みのデッサン力と表現力を持ち合せている、神童と評して相違ない将来有望な美術家である。


 海人は画材を取り出し、一意専心(いちいせんしん)する深愛を見習って筆を手にキャンバスに向かう。

 色彩を宿さない瞳を持った海人が描くのは決まってモノクローム絵画だった。一つの色を主体に選び、それ以外の色がキャンバスに混じらないよう最後まで描き上げる。それが海人にとっての絵画を描く最善の方法だった。


「今日は花瓶?」


 十分ほど経過した後で、深愛はゆったりと囁くようなか細い声で海人に聞いた。主語を省いて短く話しかけるのは深愛の癖だった。


 深愛について物静かで口数の少ないミステリアスな印象を持っている海人は幽霊に話しかけられたような感覚で振り向いた。


「そうだね、今日はデッサンだけ」

「よく飽きずに単純作業が出来るね」

「まぁ……実力相応だと思うから……」


 二人の間には圧倒的な実力の差がある、部活動という形式でなければ同じ教室で作業をしていることは有り得ないほどだ。


「深愛は……あっ、能登さんはもっと実力が磨ける美術科のある高校に行けばよかったのに」


 この前、つい衝動的に名前で呼んでしまい、馴れ馴れしくしないでと怒気を強くして言われたのを思い出した海人は言い直して聞いた。


「嫌だよそんなの……競争は嫌い。一人で描いてるのが一番楽」


 本当は優秀な講師が付いている方が画力が伸びる素質を持っているが、それを深愛は拒み、美術科のないこの高校の美術部に入って絵を描いている。

 

 美術に興味を持って活動盛んな部員はほとんどこの美術部にはおらず、気付けばこうして二人きりになっているのが日常だった。


「そっか……勿体無いな。その実力があれば海外でも通用するのに」

「おだてても何も出ないよ。それよりそっちの方が見ていて不思議、ずっと見てるけど、ほとんど上達してないよ」

「そうだね……でも、描いている時間は余計なことを考えずに済むから楽しいよ」


 ”それには同意”と一言返して、再び深愛はキャンバスの方を向いた。

 海人もそこで会話が終わったことを察して筆を執る。

 だが、会話はそこで終わりではなかった。


「一つだけ忠告、近本美雪(ちかもとみゆき)を好きにならない方がいいよ」

 

 また、聞こえるか聞こえないか微妙な小声で言い放つ深愛。


「はぁ? 何でそんなこと突然言うんだ?」


「いや、勘違いしてるんじゃないかと思って。ゴメン、聞かなかったことして」


「何だよいきなり、何か知ってるんじゃないのか?」


「自分で確かめたら?」


「ああ、分かったよ。聞かなかったことにする」


 締まりの悪いやり取りをして、そこで会話は閉じられた。

 深愛の真意は海人に届くことはなかった。



 依然としてまだ蒸し暑い日が続く秋分に近づきつつある白露の期間。台風の前線が本州に近づき、低気圧の接近により湿気の強い生暖かい雨が降り続いていた。


 遅くまで美術室に残り、まだ深愛がキャンバスから離れそうにないのを見て、海人は先に帰ることを決めた。


 帰り道に一緒に話しながら歩いて帰るような甘い関係でもない二人。

 相手が集中しているのを邪魔することなく帰る、それもよくある日常の光景だった。


 四階から一階まで降り、下駄箱で靴を履き替える。

 ふと雨の降り続く校舎の外を見ると二つの影がぼんやりと見えた。


 海人はスニーカーに履き替え、何気なく近づいていく。


”汗臭くねぇか?”

”そんなことないよー! いつもの吾郎君だよ”


 話し声が聞こえて咄嗟に隠れる。片方の声が美雪であることに気付いたからだ。


(……どうして美雪が吾郎と親しくしてるんだ)

 

 恐ろしいくらいの胸騒ぎが海人を襲う、それが嫉妬心であると本人すら気付ぬままに。


 美雪は長い髪を下ろしていて黒髪ではないため遠くから見ても分かりやすい。海人は色が判別できないため、美雪に髪色を確認したことがあった。

 その時に知った栗色の髪、ぼやけた視界でもそのコントラストはくっきりと判別できた。


 そして、隣を歩く吾郎という男子は小中学校の頃からの友人だ。

 高校デビューしてから人が変わったように活発的になり、海人と交流をしなくなった。

 部活にも入り、新しい人間関係を構築し始めた吾郎のことを海人は遠くから眺める日々だった。


 仲睦まじく相合傘をしたまま、二人は校門に向かって歩いて行く。

 海人は二人の関係を追求したかったが、会話の間に割って入っていく勇気はなかった。



 翌日、前田吾郎(まえだごろう)のクラスを突き止めた海人は迷いながらも教室までやってきて五郎を呼んだ。


「なんだ……海人か、久しぶりだな」


 教室から出てきた五郎。中学の頃より身長が伸び、筋肉質になった肉体は頼りある男の雰囲気を纏っている。


「うん、聞きたいことがあって」

「仰々しい態度だな、言ってみろ」


 友人であるはずの五郎に威圧感を感じてしまう海人はいつも以上に緊張していた。


「近本さんとはどういう関係なの?」

「そういえばお前、美雪と同じクラスだったか。ノートを貸してあげてる男子がいるって話してたがお前のことか。丁度いい、これ返しておいてくれるか?」


 そう言って見慣れた美雪のノートを差し出してくる吾郎。

 馴れ馴れしく”美雪”と呼んだことが海人の感情を逆なでした。


「僕の質問に答えてないけど? 昨日見たんだ、吾郎が近本さんと一緒に帰るところ」

「あぁ……別に隠してるつもりはないからいいか。

 付き合ってるよ、夏休み前からずっと」


 吾郎は何事もないかのように、あっさりと交際を認めた。

 海人は目の前が暗転したような眩暈と息苦しさに襲われた。

 頭の中で一瞬、自分に向けてくれた美雪の屈託のない笑顔が浮かび上がる。

 だが、それは瞬時に消え去り、海人は目の前の五郎から背を向けて教室を離れるしかなかった。



 朝から降り続く雨は放課後になっても止む気配を見せない。

 美術室から眺める運動場には人影はなく、分厚い雲が天を覆い、スカイグレーに染まった空が一面に広がっている。

 だが、それは桜井海人にとって”いつもの空の色だった”

  

 ―――今晩は台風が来るかもしれないって、桜井君は帰らないの?


 午後から暴風警報が出された影響で生徒のほとんどは校舎を後にしている。

 海人と深愛だけ美術室に残ったままでいることは本来異常なことだった。 

 

 雨音(あまおと)だけが異様に響く沈黙に包まれた一室で勇気を振り絞って深愛は声を掛けるが海人からの返事はなかった。


「ねぇ、どうしたら慰めてあげられる?」

「どうして能登さんが僕を慰めなきゃいけないんだよ……?」


 能面な表情を崩すことなく、声を掛ける深愛の声色はいつもより少し苦し気で優しかった。

 一人失恋の痛みに苦しむ海人は家に帰る気にもキャンバスに向かう気にもなれぬまま、肩を落として消化しきれない感情に沈んでいた。


「それは……そんな顔してたら私の絵にも支障が出るから」


 苦し紛れに言葉を絞りだした深愛。だが、心配してやまない深愛の言葉で心が晴れる海人ではなかった。


「訳が分からないよ。どうせ知ってるんでしょ? 僕が落ち込んでる理由」

「うん、二人が付き合ってるのを知らないの、君くらいかも。

 何を基準に彼を選んだのか分からないけど、玉砕した男子がいることも知ってる」

「そう……最初からチャンスなんてなかったって言いたいんだ?」

「そこまで言うつもりはないよ。言いたいことは一つ、落ち込んでる姿を見たくないの」


 傷ついた心にはそう簡単に言葉は届かないと分かりつつも、深愛はキャンバスに向かうことも、一人帰ることも出来なかった。


「分かった、何でもいいよ、慰めてくれるなら」

「うん」


 そう言葉を交わし、椅子に座った海人に近づいた深愛は両手を背中の方まで回し、軽く背中をさすりながら壊れ物に触れるように胸へ抱き入れた。

 かがんだままの海人の顔が優しく包み込まれていく。


「ごめんね、深愛は近本さんにみたいに明るく振舞うのは無理だから。こうしてあげることしか出来ないよ」


 触れ合う感触を感じながら、掠れた声で謝る深愛。

 海人は人肌に触れてようやく失恋の痛みが和らいだ。


「一人称、 深愛なんだ……」

「何、変だって言いたいの?」

「いやいや、そんなことないよ。素直に可愛いと思う」

「可愛いとかズルい……」


 可愛いと言われたことに反抗してグッと無理矢理力を込めて抱き締める深愛。

 慰めるにしては力が入りすぎているが、落ち込んだ海人にはそれくらいが丁度よかった。


「本当はね……台風の日は一人でいるのが辛くて家に帰りたくないの」

「ここにいても、あまり差はないと思うけど……」

「そんなことない。そんなことないから」


 自分達の関係を見失いそうになる時間をしばらく過ごし、海人は落ち着きを取り戻した。


 雨が少し弱まってきたところで二人は戸締まりして家路に着くことになった。


 二人分の足音を鳴らし、人気のない廊下を歩いて靴を履き替える。

 雨に濡れ、滑りやすい下足箱を出ると、雨を降らす分厚い雲が空を覆っていた。


「今、見ている空の色は君の瞳に映っている空の色と同じかな?」


 距離が縮まったのか、縮まっていないのか、その判断も出来ないまま、願いを込めて言葉にする深愛。


「かもしれないけど、そんないいものじゃないよ」


 色のない世界に生きる海人には正確な答え合わせは出来ない。

 それに、海人は自分の目が美術に向いていないことを自覚していた。

 

「私は好きだよ、スカイグレーの空」

「それは変わってると思う……」

「そうかも、ただ同じものを見ていたいだけだから」


 海人と出会い美術室で同じ時を過ごすうちに、いつしかスカイブルーの空を見るたびに海人のことを思い出すようになった。


 不器用で正直に気持ちを伝えることが出来なくても、想いは降り積もっていった。


 深愛は自分の想いに気付いて欲しいという願望を振り払い、分かれ道で別れの言葉を交わし、手を振った。


「バイバイ……少しは元気に戻れるといいね」


 今日は大胆なことをしてしまったと焦りを覚えつつ海人の後姿を見送る。


 誰と比べるわけではないが、もっと沢山、優しくして気を引くことは出来る。


 でも、今の関係が急激に変わってしまうことを受け入れられるほど、まだ強くなれないと深愛は自覚していた。


 台風がさらに近づき強い嵐を伴って雨は降り続く。


 幸せな距離で歩く二人と曖昧な距離で歩き続ける二人。


 海人の脳裏にしっとりと深愛の姿が色彩を帯びて色づき始めた。

 

お題に沿って今回は書いてみました。


完全に設定が同一というわけではありませんが『視えない私のめぐる春夏秋冬』の登場人物を本作品では使用させていただきました。

直接的な繋がりがあるわけではありませんが、楽しんで頂けると嬉しいです。

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