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スペースコロニーの住人たち

落ちたらあとは飛んでいくだけ

作者: 佐月依子



「ねえ、アリル。あんたも知ってるんでしょ?」


 機体を整備する手をとめて、エーネはここ数日間ずっと聞くに聞けなかったことをとうとう問いかけた。かがみこんでいたせいで体の前にきていたダークブロンドの三つ編みを背中にはらって、顔を上げる。

 見上げた先のコクピットでは、アリルという名の青年が機体の制御システム画面を見つめながら、真剣な表情でホロキーボードを叩いている。


 ここはとある学園の演習場に設えられた整備ドックの片隅だ。著名な宇宙工学博士が理事を務める学園は、多くのスペースコロニーが集まる宙域で最大規模を誇っており、カリキュラムも豊富なバリエーションがある。エーネはメカニック科整備士コースで学ぶ5年生だ。パイロット科4年生のアリルと実習でペアを組んでいて、休日である今日も課題のためにこうして顔を合わせていた。

 

「なんですか? あ、新型ランチャーの試験結果のことですか? 残念でしたね、理論値よりも実戦では使いにくそうで」


 アリルは画面から目を離しもせずに会話に応じた。時折キーボードを打つ手元を見るためか、淡い茶色の猫っ毛が顔の動きに合わせてふわふわと動き、その表情を見え隠れさせる。

 もどかしい。エーネは曖昧な言葉でしか聞くことのできなかった自分を情けなく思いながら、少し声を強めた。

 

「そう、残念よね。でもそれじゃない」


 エーネの真剣な声音に、アリルがようやく手を止めた。そしてエーネの方へ顔を向ける。ブルーグレーの綺麗な瞳がエーネを映した。いつも、少しだけ見透かされているような気がしてしまうけれど、今日はいつにもまして落ち着かない。


 アリルはわずかに目を細めた。言葉を選ぶときの、彼の癖だった。

  

「エーネ先輩の婚約が破棄されたことですか」


 彼らしからぬ平坦な声だった。表情も凪いでいる。エーネは思わず顔を伏せた。

 

「やっぱり知ってるんだ。なんでなにも聞かないの?」


 アリルの言う通り、エーネは先日一方的に婚約を破棄された。なにもお互い愛し合って結んだ婚約ではなかったのだから、穏便に解消を持ちかけられたら応じるつもりでいたのに。おかげでエーネは無遠慮な級友たちからあれこれ詮索され、憐れまれ、やりづらいことこのうえない。過程はどうあれエーネとしてはこの結果に満足、いやもはや歓喜していると言ってもよかった。好きでもないし好みでもない男との結婚という未来を回避できたのだから。

 ことが起こったのは数日前だった。けれど一番よく顔を合わせる実習ペアのアリルだけは、一切その話題に触れない。


 アリルはこともなげに答える。

 

「普通、そういうデリケートな話題はむやみに詮索しないものじゃないですか」


 エーネは少し息をついて顔を上げた。

 

「……見かけによらずまともな神経してるわよね」

「はは、相変わらず口が悪いな」


 そう言ったアリルの笑顔は、どこか嘘っぽかった。彼はいつも真意の読めない笑みを浮かべて、のらりくらりと人を煙に巻くようなところがある。外見も少々ちゃらんぽらんに見えるし、周囲を気遣うといったこととは縁遠い雰囲気だ。現に今も、手元の作業を再開している。


 けれどしばらくしてきりがついたのか、アリルは打鍵の手を止めて指を鳴らした。操縦席の背もたれにぐっと体重をかけるようにして、エーネの方へ顔を向ける。


「で、聞いてほしかったんですか?」


 課題の締め切りいつでしたっけ、くらいのトーンだ。エーネは少し気落ちした。

 

「気にしてないならいいの。あんたも何か言われたりしてない? 主に、グレッグに」


 グレッグ。エーネの元婚約者の名だ。同学年だがあちらは総合学科で校舎も離れているせいか、婚約するまでは面識がなかった。

 そしてグレッグは、エーネ同様親のすすめで見合いを受けたにも関わらず、その前から交際相手がいたらしい。

 一方的に婚約破棄したことへエーネの親が抗議をしたせいか、自分の行いを棚に上げてこちらへ突っかかってきていた。エーネのペアがアリルであることは周知の事実で、巻き込んでしまっていないか心配だったのだ。

 

 エーネの案じる視線を面白そうに見返して、アリルは小首を傾げてみせた。

 

「いいえ? みじめに泣いてるんじゃないかって聞かれましたけど」

「言われてるんじゃない」


 いかにも腹を立てたグレッグの言いそうなことだ。婚約中に数回食事をした程度ではあるが、プライドの高い性格は感じ取っていた。

 しかしアリルはどこか嬉しそうな笑みを浮かべている。

 

「すごく機嫌が良さそうですって教えてあげました」


 アリルは、高圧的な上級生に臆するような精神構造はしていなかった。

 それにしても最高のカウンターだ。

 

「よくやったわ」


 エーネが思わず褒めると、アリルは嬉しそうに機体の縁に腕を置いて、顔を近づけてきた。

 

「もっと褒めていいですよ」

「調子に乗るな」


 距離の近さに、エーネは内心の動揺を押し隠して一歩さがった。

 アリルがすっと目を細める。先ほどまでと打って変わって、その表情はあまり機嫌がよくなさそうに見えた。


「それで、先輩。昨日までは鼻歌まじりに作業してたっていうのに、今日はどうしたんですか」

「鼻歌」

「無自覚でしたか。言わなきゃよかったな」


 まったく身に覚えがなかった。グレッグとの婚約は思っていた以上にストレスだったようだ。それにしても聞かれていたことが恥ずかしくて、エーネは動揺した。


「けっこう古い歌姫の曲聴くんですねぇ」


 アリルはにんまりと笑っている。完全にからかう姿勢だ。


「それは、お父さんがよく家で聴いてて……」


 言い訳のように言いかけて、エーネは口をつぐんだ。


「……お父さんが、またお見合いしろって」

 

 アリルは一瞬真顔になって、目を丸くしてみせた。

 

「お見合い、ですか」

 

 今日のエーネの悩みの原因だ。

 この自由な宇宙時代に、お見合いなんていう古風な結婚観を平気で娘に強いるのが、エーネの両親、主に父親なのだった。彼はいわゆる遺伝子婚信者だ。結婚相手を選ぶのに、遺伝子解析による相性診断が最も合理的かつ最適な方法であると信じている。これは一昔前に大流行した結婚方法だったが、今ではあくまで相手を探す一つの手段として定着しており、過信しすぎるのはよしとされない風潮にある。


 両親はごく普通の恋愛結婚だったが、遺伝子の相性的に子供に恵まれない組み合わせであったらしい。つまり、エーネは養子だ。

 そして、並々ならぬ愛情をもってして育てたエーネに、自分たちと同じ不幸を味わってほしくないと強く考えているのである。年若いうちに相性診断で相手を探し、その相手との関係を育んで欲しいと思っているようだ。


 育ててもらった恩と、両親への愛情と、そして意志を無視されていることへの反抗心。エーネは最初のお見合いのときから、ずっと心に重たいもやがかかったような気持ちでいた。心の奥底では婚約なんて嫌だと思っていたのに、それを隠して両親にいい顔をして。グレッグの方から破棄してきたことへ一番安堵しているのはエーネの方なのだ。そんなずるい自分を棚に上げてグレッグを責めることなどできず、両親の抗議を止められなかったことも自分が情けなかった。


(私も、アリルみたいに飛べたらいいのに)


 整備用の手袋をはめたまま、アリルの愛機にそっと手を滑らせる。手袋越しにも伝わる鋼鉄の冷たさに、不思議と慰められた。美しいメタリックブルーグレーのカラーリングは、実習で使う機体として与えられてすぐ、アリルと一緒にカスタムしたのだった。放課後遅くまで学校に残って、ああでもないこうでもないと額を突き合わせながら塗料を選んだ楽しい思い出だ。半年以上前になる。あの頃はまだ、エーネは婚約の話すら出ていなくて、育ての両親との関係に思い悩むこともなかった。もっともっと、心は自由だった。

 

「最悪。しかも今日、このあと食事」


 沈んでいく心のままに低くつぶやいて、エーネはこのあとのことを思ってもっと気が落ち込んだ。


「行きたくない」

「どうしてですか?」

「どうしてって、そんなの」


 ほかならないアリルには、そんな風に聞いてほしくなかった。けれどそんなのは、エーネの自分勝手な気持ちの押しつけだ。この想いを伝えてすらいないのに。

 言葉につまったエーネは、静かに自分を見おろすアリルの瞳が、思いのほか真剣なことに気がついた。


 アリルはたまに、こんな目でエーネを見る。深い光を湛えて、なにもかもを受け入れてくれるような。

 実際、アリルはエーネのことを信頼してくれている。それは普段、実習でのやりとりに限らず、言葉の端々から伝わってきていた。そんなとき、エーネは期待せずにはいられなくなってしまう。人としての信頼と、恋愛対象としての魅力とは、違うものだとわかっていても。

 

「またグレッグみたいなのだったら嫌だから?」

「そうだけど」

 

 グレッグの名前を聞いて、エーネはもともとない自信がもっとなくなったのを感じた。彼に最後に言われた言葉を思い出して、思わず自分の手を見つめる。オイルの染みがついた整備用手袋は、お世辞にも綺麗とは言えない。


(機械いじりばっかりしてる陰気な女……)


 陰気かどうかはともかくとして、前半は事実だ。アリルはどう思っているのか、怖くて聞けない。

 そんなことを考え込んでいるエーネがすっかり無言だからか、アリルが少し焦れたように口を開いた。


「相手がだれかとか、少しも聞いてないんですか」


 アリルのそんな様子に驚きながら、エーネは慌てて首を横に振る。


「知らない。聞いてない」

「なんでですか」

「いきなり言われて、つい頭に血が上って」

「家を飛び出した?」


 朝食の席で養父から急に告げられたエーネは、感情のままにそれ以上の会話を拒否して出てきてしまった。


「それはご両親、驚いたでしょうね」

「学校ついてから、ちゃんと電話はした。けど実習前だったから時間もなくて」


 言い訳のように言いつのるエーネをちらりと見て、アリルはこともなげに言う。

 

「今聞いてみたらいいじゃないですか。行くかどうかを決めるのはそれからで。嫌だったら行かなきゃいいんですよ」

「……うん」


 そうできたらいいのに。

 今の今まで、行かないという選択肢が思い浮かんでいなかったことに、エーネは驚いた。

 育ての両親にはどうしてもどこかに遠慮がある。恩がある。悲しませたくない、反抗してはいけないと、思ってしまう。

 

「先延ばしにするってのもありですね。急な予定なのは確かなんですから、実習でトラブったとでも理由をつければいい。僕を言い訳に使ったっていいですよ」


 口数の少ないエーネを思いやってか、アリルはいろいろと提案してくれた。こういう優しさも持っている彼のことを、エーネはやはり好きだと思う。経験がなさすぎて、関係を進展させたいとまで思いきれないのが情けないけれど。


 手首に装着した小型の通信端末を操作し終えて、エーネは顔を上げる。アリルに向けて笑みを作ってみせた。

 

「……ありがと。ひとまずメッセージ送った。ふたりとも用事あるって言ってたから、返事はまだだと思うけど」


 悩んでいただけのところから、とりあえず一歩は進めた。アリルのおかげだ。少し気分が軽くなったエーネの笑みに頷きを返して、アリルがたずねる。

 

「まだ時間ありますよね」

「うん」

「もう一回テストしたいんですけど、いいですか」

「もちろん」


 会話を始める前に、必要な整備は終えている。いつでも次のテスト飛行ができる状態だ。

 機体の周りの工具を片付けて、エーネは足場を動かそうと手首の端末に触れた。しかしコントロールシステムを操作するよりも早く、コクピットから声が降ってくる。


「先輩も乗ります?」


 エーネは弾かれたように顔を上げた。


「え……」

「気晴らしに。飛ぶの、好きでしょ」


 アリルは笑っていた。見たこともないような優しい表情だった。

 エーネはすぐに頷いた。タラップに足をかけると、アリルの手が差し出される。パイロットスーツの手袋と、整備用の手袋が重なった。


 操縦席の斜め後ろには、救護者などを同乗させられる一人がけのスツールがある。エーネがそこに腰かけると、スツールの下から伸びてきたセーフティベルトが自動で腰に巻きついた。端末を操作して足場を機体から離すコマンドをタップする。

 エーネは、操縦席で発進準備をするアリルの背中に話しかけた。


「アリルが乗せてくれるの、すごく久しぶりだね」

「感謝してくださいね。タダで乗せてあげるのは僕の整備士さんだけですから」


 アリルは振り返りもせずにいつもの調子で返してきた。けれどそこに込められているエーネへの信頼が、胸にくすぐったい。


 ペアを組んだばかりの頃、エーネがもとはパイロット科志望だったことを知ったアリルが、テスト飛行に同乗させてくれたことがあった。けれど操縦席よりも不安定なスツールだったことが災いし、エーネはひどい乗り物酔いをしてしまったのだ。

 

 この機体は、正式名称TGF-23、グリフィン練習機と呼ばれているロボットだ。宙域防衛軍の多機能防衛機であるGF-23グリフィンは、その名の通り伝説上の生物であるグリフィンを模した性能をしている。地上では四足走行、空中は飛行することができ、足と翼は可変パーツになっているのだ。二種の形態を持つロボットは当然、高い操縦技術が求められる。この学園で防衛軍を目指すパイロット科の生徒は、グリフィン練習機が与えられるのが常だった。グリフィンの操縦がこなせれば、飛行型戦闘機もそれ以外の機体もある程度扱えるものなのだとか。


 つまりペアを組んだばかりの頃は、アリルの操縦はかなり拙かった。彼は自分の操縦のせいでエーネが乗り物酔いしたことをかなり気に病んでしまって、それ以来乗せてくれることはなかったのだった。


 エーネの目から見て、今のアリルの操縦はとても滑らかだ。ずっと彼のグリフィン練習機を整備してきて、テスト走行、テスト飛行のモニターチェックも欠かしていない。上達を一番近くで見てきていた。

 

 今日のコロニーの気象設定は曇り。コクピットの中も少し薄暗い。アリルの肩越しに見える演習場は、休日だからか他の機体もなく、学園敷地内としては一番距離が離れている図書館の時計塔までよく見えた。


「発進しますよ。ぼーっとしてないでつかまってくださいね」

「一言多いよ」


 文句を言いつつも、エーネの声は弾んでいる。久しぶりに乗せてくれたこと、これから飛べること、それらすべてが嬉しくて、ワクワクしているからだ。エーネは言われた通り、操縦席の背もたれからせり出している手すりを掴んだ。

 エネルギー炉が立てる微かな音。モーターの微細な駆動音と、わずかな振動。

 やがてグリフィン練習機は滑らかに走り出した。


 速い。

 跳ぶように過ぎさる周囲の景色。ぐんぐんと迫ってくる、演習場の地面に描かれた踏切マーカー。


 強く地を蹴って、鋼鉄の禽獣が跳躍する。可変パーツの変形音がして、機体は飛行モードに切り替わった。下からせりあがるような浮遊感に、エーネは手すりを掴む手にぎゅっと力を籠める。この瞬間だけは、どうしても得意になれない。


 こういうところが適性なしなのだと実感して、エーネは苦笑した。


 演習場の上空をぐるりと旋回するコースに入ったグリフィンは、さらに加速する。

 心のうちのもやもやを、全部地面に置いてきたような気持ちになる。エーネは清々しい気持ちで景色を眺めた。


「私……ほんとはパイロットになりたかったの」


 エーネの呟きに、アリルは頷いて見せた。優しく微笑むような気配がするのは、きっとエーネの気のせいではない。

 

「知ってますよ。三半規管と……動体視力でしたっけ」


 入学試験の適性検査で、エーネはパイロット科の適性ラインに達していなかったのだった。

 ペアを組むときに何気なく話したことを、アリルは覚えていたようだ。

 

「うん。向いてないのはなんとなくわかってたんだけどね」


 それでもやはり、憧れたパイロットになれないのだと突きつけられたときは、悲しかった。

 エーネは戦災孤児だけれど、両親の知己だった今の養父母にすぐに引き取られた。この学園にある戦災孤児の支援制度では生徒の意志で専攻を選ぶことは叶わないが、通常の入学手続きを踏んだため適性さえあればどのコースも選ぶことができた。その中でメカニック科を選んだのは、パイロットという職にどこか未練があったのかもしれない。


 しかし整備士の勉強をするうちに、エーネはどんどんその奥深さにのめり込んだ。かつて憧れた職業を一番近くで支えることができるのも、嬉しかった。


 そんなエーネのパートナーは、ちっとも可愛くないことを言う。

 

「先輩、ちょっとどんくさいとこありますもんね」

「ほんっと失礼なやつ」


 今はアリルの憎まれ口も気にならなかった。それくらい、グリフィンで飛ぶのは気持ちがよかった。


 旋回コースを一周すると、アリルはオート航行にモードを切り替えた。覚え込ませたコースを正確になぞった飛行ができるのか、機体のテストをするのである。

 

 操縦桿から手を放して、アリルが振り向いた。

 薄暗いコクピットの中で見る彼の瞳は、ブルーグレーが鈍く光って見える。この機体の色と同じだ。冴え冴えとして、美しい青。

 

 エーネをじっと見つめたまま、アリルは真剣なまなざしでこう言った。

 

「僕は、エーネ先輩が整備士目指してくれてよかったって思ってます」


 エーネはうろたえてしまった。

 

「なに、急に……」

 

 戸惑うエーネをよそに、アリルは真剣な表情を崩さない。


「命を預けられると思える人だから」


 強くゆるぎない信頼を、こうして言葉にされるのははじめてだった。


「僕より熱心にモニターチェックしてますよね」

「それは、機体の状況を把握するのは整備士として当然のことだよ」


 本当に、急にどうしたというのだろう。エーネは困惑し、同時に恥ずかしくなってきた。

 まさかとは思うが、励ましてくれているのだろうか。


 アリルは少し懐かしむような微笑みを浮かべた。


「僕は最初、この実習乗り気じゃなかったんです。でも防衛軍志望なら取らないわけにいかないし。旅客船とか、とにかく他のパイロット目指してる同級生たちは楽でいいなと思ってたくらいで」

「そう、だったんだ」


 エーネが上手な返事をできなかったからというわけではなさそうだったが、それきりアリルは少し黙っていた。

 オート航行が問題なく遂行されているしるしである周期的なシステム音のほかは、駆動音が微かに鳴っているだけの空間。思えば振動もほとんどない。


「アリル……上手くなったんだね、こんなに」


 エーネの言葉に得意げに頷いたアリルは、しかし予想外の返事をする。

 

「先輩のおかげです」

「……殊勝なこと言うの、似合わない」

「さっきからなんですか、人がせっかく素直に話してあげてるのに」

「ふふ……」


 心地よい軽口の応酬に、どちらともなく笑いあう。


 笑みを浮かべたまま、アリルは言葉を続けた。


「自分で言うのもなんですけど、僕は自分に自信がある方です」

「そうだね」

「先輩はいつも、忌憚のない意見をくれる。驕らずにいられるのは先輩と組んでるからだと思ってます」


 本当に今日はどうしてしまったのか。エーネにとって都合のいいことばかり言うアリルは、もしかしたら夢なのかもしれない。

 でも、嬉しい。


「アリルこそ。売れ残ってた私と組んでくれてありがと」

「いえいえ。残り物には福がある、を体現してくださってありがとうございます」


 こんなことを言うあたり、やっぱりアリルはアリルだ。


 テスト飛行を無事に終えて、グリフィン練習機は地上に降り立った。整備ドックへ戻り、静かにその動きを止める。

 コクピットのハッチを開くと、整備ドックの明るい天井照明が少し目に眩しい。

 アリルは立ち上がって、機体の縁に足をかけるとエーネを振り返って手を差し出した。逆光になっていたけれど、少し得意げな笑みを浮かべていることがなんとなくわかって、エーネは微笑んだ。


 アリルの手を借りてグリフィンから降りる。さっきまで飛んでいたからか、動かない地面に足がつくと自然と息をついていた。


「どうでした? 少しは気が晴れましたか」

「すごく楽しかった。ありがとう、アリル」


 気晴らしになっただけではなかった。エーネは覚悟を決めることができたのだった。

 その覚悟を伝えるため、アリルを見つめる。


「私、やっぱり行ってくる」

「……行くんですか」


 アリルは途端に眉を寄せた。心配してくれているのか単に不満なのか、読み取りきれない。エーネは少し不安に感じたけれど、決意は曲げなかった。


「うん。ちゃんと自分でお断りする」


 そして両親ともきちんと話をするつもりだった。グレッグのときから、エーネがどう思っていたのか。そして、エーネはこれからどうしたいのか。

 

「へえ?」


 エーネの決意とは裏腹に、アリルは面白くなさそうだった。


「相手が誰かも知らないのに?」

「もう決めたの」


 アリルはエーネの想いを知らないから、こう言うのだろう。確かに、今度のお見合い相手はいい人かもしれない。好きになれる相手なのかもしれない。

 それでも、エーネが今好きな人ではないのだ。


「どうしてですか」


 アリルの声が真剣に聞こえて、エーネは誤魔化せないと思った。

 

「不誠実なことはしたくないから」


 まっすぐにアリルを見つめながら答える。眼差しで、言葉で、伝わってしまうかもしれなかった。それでも、エーネのペアとして最大限の励ましを伝えてくれたアリルに対しての、せめてもの誠意だった。


(気まずくなるのだけは、いやだけど)


 アリルは気づかないふりをしてくれそうだ。ずるいかもしれないけれど、エーネはそれに期待した。


 目の前のアリルは、エーネの言葉の意味を考えているらしかった。いくつか瞬きをして、どこかきょとんとしているようにも見えるのが、少し可愛らしかった。


「それは、つまり」


 しかし次の言葉は、全く可愛げがなかった。


「エーネ先輩、僕のこと好きなんですか」

「ななななななんでその結論になるかな!」

「頭の回転は速い方なんです」

「知ってるけど!」


 エーネの期待は裏切られてしまった。真っ赤になって動揺を隠せないエーネを前に、アリルは嬉しそうに口元を緩める。


「嬉しい、です」


 アリルはそう言って、子供のような笑顔を浮かべた。

 嬉しいなんて言われてしまったら、エーネも嬉しくてもうなにも言えない。


「ところで先輩。今日の食事、このお店なんじゃないですか?」


 アリルはおもむろに、手首の端末から投影したホログラムモニターでレストランの写真を見せてきた。

 まさに今朝、エーネが父親から伝えられたお店だ。

 

「どうして知ってるの?」


 目を丸くするエーネに、アリルは意味ありげに微笑んだ。


「断る必要、ないですよ。一緒に行きましょう、着替えて演習場の前集合でいいですか?」

「ちょっと、え?」


 全く話が見えない。なんでアリルがエーネのお見合いに同行するのか意味がわからなかった。

 混乱しているエーネに、アリルが告げる。

 

「なんでお見合いなんて話になってるのか知りませんけど、その相手、たぶん僕ですから」


 エーネはあいた口がふさがらなかった。

 

「な、なんで……アリルとマッチしたってこと?」


 そんな偶然あるんだろうか。遺伝子診断の相手が、学校の実習でペアを組んでいる男の子だなんて、しかもエーネが好きな人だなんて、都合がよすぎる。

 アリルは興味なさそうに首を傾げた。

 

「さあ。そんなの知りません」

「でも、それじゃ、お父さんたちは、え?」


 遺伝子診断によるお見合いではないのか。それも信じがたかった。エーネの養父は頑固で、一度婚約が破談になっただけで遺伝子婚へ懐疑的になるような性格はしていない。遺伝子の相性を調べないことには話が進まないはずだ。


「さすがにそこはクリアしたんだと思いますよ。診断用の遺伝子データをご両親に提供してますから」

「なんでそんなこと」


 なんでもないことのように言うけれど、遺伝子データを他人に提供するなんてこと普通はしない。個人情報の最たるものだからだ。アリルの思い切った行動に、エーネは驚いた。


「僕はただ、先輩の婚約が破棄されたって聞いたから、お嬢さんに交際を申し込む許可をくださいってお願いしたんです。データ提供は僕から言い出したことですよ。本気だってわかってもらえて、ご両親も診断で懸念をクリアできる、一石二鳥です」


 とんでもないことを言っている。


「今日、返事をするからもう一度会おうって言われてたんですけど」


 アリルは言いながら首を傾げていた。なんだか今日のことは、色々と行き違いと伝達漏れが起こっていそうだ。

 エーネが落ち込んでいたのを気にしていたのも、お見合いすると聞いて不機嫌そうだったのも、今日のアリルの感情の動きに納得がいって、エーネは胸がどきどきしてきた。

 よく考えなくても、アリルもエーネのことを好きなのだ。


 恥ずかしくなってうつむいているエーネの手を取って、アリルは少しかがむようにして顔を覗き込んだ。

 そして、いつものように得意げに、笑う。


「エーネ先輩。恋に落ちるのに、遺伝子の相性なんて調べてる暇ないと思いませんか」

「うん……」


 そんな余裕もなく、いつの間にか落ちている。気づいたときには、相手のことを考えている。

 アリルとは、初めの数日はぎこちなかったけれど、すぐに波長が合った。お互いグリフィンが好きで、飛ぶのが好きで。やるべきことはきっちりやるタイプで、課題への価値観も合っていた。同じ時間を過ごすことが、楽しくてたまらなかった。

 この気持ちがエーネだけのものではなかったことが、泣きたくなるほど嬉しい。


 しかしエーネは、幸せな気持ちに浸る間もなく現実を思い出した。これから二人が行こうとしているのは、二人のお見合いらしき会食である。

 

「待って……これからお父さんたちに会ってなんて言えばいい?」

「え? 普通に両想いなんでお付き合いしますでいいと思いますけど」


 つないだままのエーネの手を引いて、アリルは演習場の脇のロッカールームへ歩き出した。エーネは少し抵抗してみるけれど、あまり意味はなかった。

 

「無理、恥ずかしい!」

「ははは、あきらめてください」


 顔を真っ赤にして叫ぶエーネを見て、アリルも少し照れくさそうに、けれどどこか開き直って言い放った。


 その日のうちに二人の婚約が結ばれたのは言うまでもない。遺伝子の相性診断の結果については、知らないままだ。

 これからも二人はどこかの整備ドックの片隅で、あるいはグリフィンのコクピットで、同じ時間を共有して。

 二人の空を、どこまでも飛んでいく。



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― 新着の感想 ―
[良い点] なろうで初めてSF風味の恋愛ものを読んだのですが、とても爽やか&素敵でした……! 読み終わると腑に落ちる感じのタイトルも、とても好きです。
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