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時詠み聖女の邦崩し

作者: 調彩雨

 聖女の力はひとびとを救うために、創世の女神イェグから下賜されたもの。

 ひとを救うものとして女神に定められながら、定めに反して聖女の力でひとを害するならば、その身に恐ろしい罰が与えられるだろう。

 女神イェグの創りし世界を壊そうとした、邪なる男神ナブのように。


「女神の罰とは、いったいどんなものなのでしょうね」

 雷に打たれて、焼け死んだ聖女を見たことがある。

 本来雷に打たれれば、衝撃で即座に天に召されるはず。だと言うのに、その聖女は天に見放されたかのごとく、無惨に焼け爛れた姿のまま生きながらえ、医者でも手の施しようのない怪我の、壮絶な痛みにのたうちまわりながら、七日も苦しんでから死んだ。

 あれは、女神に与えられた、罰だったのだろうか。

 そうだとすれば、彼女はいったいなにをして、女神から罰を与えられたのだろうか。

「わたしも」

 今考えていることを実行に移したならば。

「罰を与えられることに、なるのでしょうか」

 答える声はない。

 役立たずの嫌われ聖女に取り巻きはいない。ずっとひとりで、だからこれは、誰に聞かせることもない独り言だ。

 わたしの隣に立つものはいない。ひとりで考えるしかない。

 そしてわたしの頭は、これこそが人助けで、女神がわたしにこの力を授けた理由だと判断している。

「これが間違いだと言うのなら、どうか不必要に誰かを傷付ける前に、わたしを殺して下さいまし、女神様おかあさま

 そうしてわたしは、八年も過ごした神殿を出、生まれ落ちたくにを捨てるために、歩き出した。


 わたしには親がいない。ものごころついた時にはすでに独りで、ひとを食べる獣の闊歩する深い森の奥、家も持たずに、風雨を避けられる小さな洞穴ほらあなを寝床として暮らしていた。

 森での暮らしに不満はなかった。深い森では安全な水も十分な食べ物も簡単に手に入ったし、いつどうやって手に入れたかわからない一張羅は、汚れもほつれも破れもせず、どんなに身体が成長しても身に沿っていたから。戦うすべを持たぬひとなら一晩で食い尽くされてしまうと言う獣も、わたしを襲うことはなかったし。

 それが女神イェグから与えられた聖女の力の恩恵であると知ったのは、神殿騎士に捕まり神殿に連れ去られてからのことだった。

 突然、お前は聖女だと言われ。棲処すみかから引き離され。いままで必要としなかった知識を山のように詰め込まれ。

 神殿には、ほかにも聖女だと言う女が、老いも若きもさまざまにいたが、わたしと親しくしようとするものはいなかった。みな、良い家で良い親に育てられた育ちの良いものたちだったので、親も家もなく山野で育った野生児など、同じ人間と思っていなかったのだ。

 孤児の野良育ちでも託宣で認められた聖女であったから、初めの頃はそれなりに敬われたし大事に扱われた。けれど、わたしに与えられた聖女の力、時詠ときよみと名付けられたそれが、役立たずと思われるようになると、わたしをまともに扱うものなど居なくなっていった。

 それでもわたしは聖女であったから。

 神殿から外出することすら許されないなりに、与えられた予算を投じて、救えるものは救おうとした。それは孤児であったり、貧民であったりしたので、わたしの神殿内での地位が上がることは終ぞなかったけれど。

 邦にも神殿にも恩などなく。けれど神殿を出ることは許されず。だから出来る限りで、知恵を蓄えようと動いた。そうして知恵を蓄えて。

 わずかな隙を突いて、神殿から抜け出した。

 逃げて逃げて、国境を目指す。

 折好く、国境間際に、隣国の皇帝が来ていた。代替わりしてから精力的に、他国への侵略を進めている若い王だ。今日もきっと、邦を攻める足掛かりを探すために、ここに来たのだろう。

 警備の隙を縫って、立派な黒馬にまたがった皇帝の前へと歩み出る。

 聖女の真っ白な衣は、黒い兵と茶色い馬ばかりの中でよく目立った。

「初めて見る顔だな。お前は誰だ」

「時詠み聖女、と申します」

「ふむ」

 皇帝はわたしを見下ろして、目をすがめた。

「聞いたことがある。ランドルト聖王国の聖女に、その名の聖女がいたはずだ。なるほど、他国の者に、王の目の前まで忍び寄ることを許したか」

 細められた皇帝の目に、一気に周囲の緊張が高まる。

「兵を責めないで下さい」

 怒れる王を聖女の顔で宥める。

「それが、時詠み聖女の力なのです」

「ほう」

「兵の落ち度ではなく、神の力が、わたしをここに呼び寄せました」

 皇帝はあまり信じてはいない顔だったが、気にせず微笑みを返す。

 それに、ふん、と面白くなさそうに鼻を鳴らし、皇帝はわたしに問い掛けた。

「それで」

 嘘なら見抜いてやろうと、その瞳は言っていた。

「その、ご大層な聖女さまが、共も連れずなぜこんなところに?」

「あなたに会いに来ました。モルド帝国皇帝陛下」

「なんのために」

 しっかりと、皇帝の顔を見据えて答える。

 さて、女神はわたしを殺すだろうか。

「邦を、滅ぼして頂くために」

 それで絆されてくれるほど、野心家の若い王は甘くなかった。

「手を出せ」

「はい」

「疑いもしないのか」

 つまらなそうにわたしの手を掴み、ぐいと馬へと引き上げる。

「話は聞いてやる。来い」

 来いもなにも、馬上に抱き上げられては逃げることも出来ないけれど。

「わかりました」

「怖くはないのか」

 大人しく身を委ねるわたしへ、皇帝が問う。

「え、ああ、馬に乗るのは初めてではありませんので、それに、皇帝陛下は馬の扱いがとても上手、」

「馬が怖いか聞いたわけではない」

「ではなにを……あ、そうですね、怖くはありますがこれが女神様おかあさまの思し召しと信じておりますので、恐れている結果にはならないと願いたいですね」

 苦しんで死ぬのも、苦しんで死ねないのも嫌だ。罰を与えられるとしても、私利私欲のために女神の力を使ったわけではないので、苦しまなくて済む罰にして欲しい。

「なんの話だ」

「女神の罰が怖くないのか、と言う話では」

「そんな話をしたつもりはない」

「お互い言葉が足りないようで」

「時詠みを名乗るくせに察しは悪いのか」

「残念ながら」

 役立たずだと邦では判じられた力だ。

「そんな便利な力は持ちません。ただ」

 背後で馬を操る皇帝を見上げる。

「あなたの役には立つかと」

「その見返りにお前はなにを望む。地位か?富か?」

 地位も富も、求めてはいない。

「わたしたち聖女の力は、母なる女神イェグから、ひとびとを救うために下賜されたもの。ひとを救えさえするなら、わたしはなにも求めません」

「滅ぼせと言わなかったか」

「言いました。女神にひとを救うものとして定められながら、ひとを傷付ければ罰を受けます。とても苦しむことになると」

 だから、と苦笑する。

「それが怖くないかと言われれば、恐ろしいです。それでもわたしは、女神様おかあさまがわたしに力を授けたのは、このためであると判断しました」

「国を滅ぼすのがひとを救うことだと?」

「ええ」

 前を見据える。馬上で小声ならば、周りには聞こえないだろうか。

 首に巻いていたスカーフを引き上げて、口許を隠す。

「だって、滅ぼせるのですもの」

 神殿で、暮らして。多くを、学ばされて。

 得た結論が、それだった。

 この国は滅ぼせる、と。

「時詠み聖女は、邦を滅ぼせると判断しました。であればそれこそ、女神がわたしに与えた役目なのでしょう」

 始めは、迷った。

 それが本当に、ひとを救うことになるのかと。

 だが、どれほど考えても。何度試算しても。結論は揺らがなかった。

 だから判断したのだ。邦を滅ぼすことこそが、自分が聖女として、この国に生まれた理由なのだと。

「わたしを、参謀として下さい。名誉は要りません。成功したなら誰か別の方の策として下さって良い。ただ、わたしが言うように、ランドルト聖王国を攻めて下さい。さすれば必ず、ランドルト聖王国はあなたの手に墜ちましょう」

「どこに信じる根拠がある」

「あら」

 首を傾げて、皇帝を流し見る。

「千の兵に守られたあなたの許に、供をひとりも連れず、女のわたしがたどり着いた。それこそ、わたしの能力の証左ではありませんか」

「俺が」

 ちらりと寄越された一瞥と、視線が合う。

「ここにいることすら、わかっていたとでも」

 にこりと微笑んで、それを答えとした。

「……そんな力があるならば、お前が聖王の首でも刎ねれば良かっただろう」

「クーデターならばそれで十分でしょうね」

 だが、首を落としてどうにかなるような、そんな話ではないのだ。

「わたしはただ、邦を潰したいのではありません。崩して、積み直したいのです。その過程で、邦が滅びて消えるだけ」

「その手駒に俺が丁度好いと言う話か」

「わたしの手など借りずとも、あなたがランドルト聖王国を侵略することは可能でしょう」

 若い王には、それだけの力も才も時間もあるし、ランドルト聖王国の聖女は、わたしひとりではない。

「けれどわたしの力を信じて使うなら、より早く、より少ない被害で、ランドルト聖王国を手に入れることが出来ます」

 そこまで言って、視線を前方へと戻す。

「わたしが女神様おかあさまの定めに、反していなければですが」

「反していれば、死ぬからか」

「苦しんで死ぬかもしれませんし、死ぬよりもっと、苦しむことになるかもしれません」

 頭に加わった重みは、もしや皇帝の顔だろうか。

「なぜ、そんな賭けに出た?聖王国の聖女だ、それなりの富は与えられていただろう」

「そうですね。役立たずと言われていたので名声はありませんでしたが、一応は聖女でしたから、お金は貰っていました」

「役立たず」

「邦を滅ぼす力です。邦の役には立ちません」

 皇帝が首を傾げたか、頭への重みのかかり方が変わる。

「俺が聞いていた話と違うな」

「え?」

「時詠み聖女は、ランドルト聖王国の平民に、彼こそが真なる聖女といたく崇められていると聞いた。ゆえにランドルト聖王国を落とすなら、まずは時詠み聖女を丸め込むのが得策だと」

 他国に伝わるほどだったのか。

「下民は下民同士仲が良いと」

 あの国の聖女は人気取りの炊き出しはするが、真剣に貧民や孤児を救おうとはしていない。救い方も知らない。

「蔑まれておりましたが」

「貴族と平民の人口差は理解しているか?やる気と余裕がないだけで、死ぬ気でやれば平民は貴族をぶちのめせる。数の暴力でな」

「それでは多くの民が命を落としましょう」

 数の差はあっても、烏合の衆と、民から巻き上げた税で田畑を耕しもせず剣ばかり振っていた騎士とでは、一兵の戦力が異なる。最終的に平民が勝つとしても、それは幾万もの犠牲の上に築かれた勝利だ。そしてやっと勝利したあと、疲弊した民は他国の兵に蹂躙される。

「それに他国が許さないでしょう。平民の数が貴族の数より多いのは、どの国も同じことなのですから」

「てっきり」

 頭に顎を乗せられているからか、皇帝の声がよく響く。

「そのために動いているのかと思ったが。飢えた民に肉を狩らせて、戦う力を付けさせて」

「そうですね」

 ひとと獣では戦い方が異なるとは言え、狩りをすれば武器の扱いは身に付けられる。食糧も手に入るし畑作を邪魔する害獣も減って、一石三鳥だ。

「わたしが一声掛ければ、億の民が牙を剥きましょう。ただ、それだけではわたしの望みは叶いません」

「すげ替える頭が必要、ってことか」

 さすが、話が早い。

「気に入らないな」

「でしょうね」

 女神の掌で転がされる状況を、喜ぶような人間ではない。頭から重みが離れるが、振り向かないまま言う。

「でも、断らないでしょう」

「なぜそう思う」

「時間も兵も有限だからです」

 有限の時間のなかで、ひとつが早く進むなら、別のことにより時間を割ける。有限の兵を動かすのに、ひとつに掛かる兵を少なく出来るなら、その分を別に回せる。

 この若い王は、名誉よりも合理性を、選べるひとであるはずだ。

「王はふたりも要らない」

「もちろんです。王はあなたひとりだけ。わたしはあくまで、女神により遣わされた、あなたの兵に過ぎません」

 いくら、求心力があろうとも。

「巧く御して見せる自信は、おありでしょう?」

「可愛げのない」

 問い掛ければ、不満そうな声。

「邦を滅ぼそうと言う女に、可愛げがあるとでも?」

 可愛げのある聖女を求めるなら、邦に幾人もいたけれど。

「伴侶にでもするなら可愛げもあった方が良いでしょうが、参謀にするならば可愛げがないくらいが頼もしいでしょう」

「滅ぼせるのは故郷だけか?」

「いいえ」

 前を見据えて答える。

「あなたに動いて頂くために必要であるなら、ほかの国を滅ぼす手助けも致しましょう」

「聖女とは名ばかりの、恐ろしい女だな」

「そんなものでしょう、神なんて」

 ひとと同じ視点では、ものを見ていないのだから。

 ふむ、と頷いた皇帝が、ふと問い掛ける。

「お前、名は」

「さきほど名乗りましたが」

「それは聖女としての称号だろう。お前個人の名はないのか」

「ありません」

 気付けば森にひとりだった。神殿に捕まってからも、名を問われることはなかった。

「呼ぶものがおりませんから」

「親兄弟は」

「記憶にありません」

 皇帝が、孤児か、と呟く。

「さあ。そもそも親がいたのかすら」

 肩をすくめる。わざわざ捨てに行くにも、あまりに深い森だった。木の虚から生まれたとでも言われた方が、幾分真実味を感じるくらいだ。

 おそらくわたしが役目をまっとうするために、親子の情など不要だったのだろう。だから、女神はわたしに親を与えず、代わりに実り豊かな森を与えた。

「名前がないと不便だ」

「称号があれば十分でしょう。あなただって、名前で呼ばれることなどそうないのでは?皇帝陛下」

「まあ、そうだな。そうだが」

 不満げな声に後ろを伺えば、不機嫌そうに眉を寄せていた。

「不便なら」

 このひとは、呼びたいと言うのだろうか。わたしの名を?

「お好きなように付けて呼んで下さって構いません」

「む、そうか……では……キナ。お前はこれから、キナ、だ」

「わかりました。皇帝陛下」

「俺の名は、ユウ、だ。長ったらしく呼ばれるのは好まん。ユウと呼べ」

 誰かに名を名乗られたのも、初めてかもしれない。

「ユウ陛下?」

「長い」

「ユウ、さま」

「ユウで良い」

「ユウ」

「そうだ」

 皇帝は満足そうに笑って頷いた。変わったひとだ。

「良いだろう、キナ」

 そして皇帝はわたしの頭を片手でなでる。

「お前を俺の参謀とする。実力を示して見せろ。使えないならすぐ捨てるから、そのつもりでな」

「わかりました。時詠み聖女の名にかけて、勝利をあなたの手に」


 皇帝はまず、邦ではなく別の国を攻める戦いにわたしを参加させた。

「攻めようとしているのは、北方三国だ。まず、どこから攻める」

 地図を広げて三つの国を指差す皇帝に答えるべく、ひとつの国を指差す。

「ここですね」

 それは、皇帝が示した北方三国とは、別の国。

「最初から仲違いを始める気か?」

「北方三国のうち、二国は時を待てば、戦なしで落とせます。残りひとつは先に二国を落としてからが良い。ですから、今攻めるならばこちらです」

「戦なしで?」

 皇帝が首を傾げて、ひとつの国の名をなぞる。

「正気か?こちらなんか、俺のことを蛇蝎だかつの如く嫌っているぞ。ほか二国にも好まれてはいない」

「嫌っているのは、上層部でしょう。だからこそ先に、ここ、アベリナ大陸です」

「ふん」

 皇帝は腕を組んで、椅子の背もたれに身を預けた。

「いずれ攻めようとは思っていた。が、攻めあぐねていた。お前はどうやってここを攻めると言う?」

「まずは昨年、ユウが攻め落とした、この国特産の毛織布を、」

「はっ。戦の話をしているのに、毛織布?ほかの人間が言っていたら、首と胴が離れていたぞ。まあいい。続けろ、キナ」

 用意するのは毛織布。それから、ザランド。

「ザランド?虫食い山羊を集めてどうするんだ?」

「夏に、支援するのです」

「支援」

「モルド帝国とアベリナ大陸の、農村部を」

 皇帝は、言葉も出ないと言いたげに、髪を掻き上げた。

「おい今しているのは人助けの話だったか?」

「大海を挟んだアベリナ大陸を、併合すれば必ず歪みが出ます」

 皇帝の手は誰より広くを抱え込めるかもしれないが、それでも全ては手に余る。

「アベリナ大陸は、あちらに主権を残して、ていの良い貿易相手としておくべきです。いまは」

「いずれは?」

「ユウ。思いませんか?」

 身を屈め、皇帝の瞳を見上げる。

「モルド帝国の手のものの言葉で動く国なら、それはモルド帝国の属国も同然だと」

「とんでもない女だな、キナ」

 犬歯を見せて、皇帝が嗤う。

「つまり、親切に手を差し伸べて助言をし信頼させ、こちらを盲信する傀儡を作るって言うのか?」

「送り込める手勢はお持ちでしょう」

「ああいるな。そう言うのが大好きな狸が」

 思い浮かぶひとがいたのか、皇帝が目を細める。

「ただ支援を申し出ると、裏を疑われます。ですから先に、こちらで裏を用意しましょう」

 とん、と、アベリナ大陸とモルド帝国の間に浮かぶ大きな島を指差す。

「ガランシアを攻めます。そのために、協力相手を欲していると思わせましょう」

「正気か?」

「必ずや、勝利をあなたの手に」

 射殺すほどの視線を、しっかりと見返す。

 しばしの間のあと、皇帝は息を吐いて頷いた。

「わかった。今回はキナの策に乗ろう。俺にお前の実力を、示して見せろ」

「どうぞしかと、ご覧下さいませ」


 ガランシアとの緊張状態を作りながら、毛織布と虫食い山羊(ザランド)をかき集める。集めた毛織布はひとまず保管し、集めた虫食い山羊(ザランド)はまずモルド帝国農村部にオスとメスを1匹ずつ組で分配する。

 それからまずは。

「北方三国に?我が国からの支援など、受け入れられないと思いますよ?」

 皇帝がわたしの補佐に付けたのは、まだ若いと言って良いだろう見た目の男性だった。皇帝は狸と呼んでいたが、どちらかと言うと狐っぽい雰囲気の、美しい顔をしている。

「申し出て下さい。断られても一度は引き下がって」

「……なるほど。わかりました」

 どこか見透かすような視線にぞくりとするが、皇帝への忠誠は高い方だ。だから、心配いらない。

 案の定、北方三国はモルド帝国の申し出を突っぱねた。

「アベリナ大陸に、小麦と芋の買い付けを申し出て下さい」

「買い付け?ザランドの売り付けではなく?」

「今後、アベリナ大陸の食糧を輸入したいから、その安定供給のために、害虫対策用の獣を贈りたい、と」

 少し間を空けてから、抑えた声で言う。

イナゴの大量発生があります。ザランドがいなければ、食い荒らされて大凶作になるでしょう」

 補佐官が、目を見開く。

「それは確実な情報ですか」

「時詠み聖女の名にかけて」

「わかりました。必ずアベリナ大陸に、ザランドを普及させましょう」

 言葉通り、補佐官はアベリナ大陸にザランドを売り込んで見せた。

 その間に、ガランシアと一当たりする。

「おいこんな風下で、大丈夫なのか?」

「ええ。火矢の準備を。まだ、火は付けないで下さい」

「皇帝陛下の命令だから、嬢ちゃんに従うけどよ。いくら美人とでも心中は勘弁だぜ」

 こちらは小型船が三十。対するガランシア側は、大型船が七隻と中型船が二十。勢力的には、あちらが上か。

「ヒェッ、あ、また無事だ。嬢ちゃん、なにが見えてんだい。さっきから、あちらさんの大砲が一個も当たってない」

「みなさんの操舵技術のお陰ですよ。さて、横一列に展開して下さい」

 大きな船に衝突でもすればひとたまりもない小型船。けれどその分、小回りは利く。

「火矢に火入れを。構えて下さい」

 ここは、ガランシアに近い海。船が燃えても、運次第では陸まで泳げるだろう。

「放て!」

 先までの向かい風が嘘のような追い風。風上からの火矢は飛距離を伸ばし、居並ぶ戦艦に突き立つ。風に煽られた炎はたちまち勢いを増し、渦巻く業火がガランシアの艦隊を飲み込んだ。

「なっ、ええ?ガランシアの艦隊が、火矢一本で?」

「一本ではありませんでしたが」

「あ、いやまあ、ソーデスネ。一斉射撃で。でも、大砲でも火薬でもなく、ただの火矢で……」

 悲鳴。怒号。命からがら海に飛び込む人影。

 阿鼻叫喚のガランシア艦隊を、モルド帝国側は無傷のまま、呆然と眺めている。

「戻りましょう。近付けば巻き込まれかねませんし、あちらはもうこれ以上、なにもできません」

「攻めなくて良いのか?好機だろ」

「モルド帝国の艦隊が、ガランシアの艦隊を全滅させた。いま欲しいのはその事実だけですから。深追いしても、実りはありませんよ」

 無敗、と言うのは素晴らしい実績だ。負けたことがないから、負ける想像をしなくて済む。

 では、その無敗の称号をなくしてしまえば?

 今後、ことあるごとに、彼らは敗北に怯え続けることになる。どんな追い風も次の瞬間には手のひらを返すことがあるのだと、常に女神の愛情に、祈り続けることになる。

「ま、勝たせて貰ったからには、参謀どのの指示に従うぜ」

「いえ。勝たせて貰ったのは、わたしの方ですよ」

「あん?」

 小回りが利く小型船とは言え、自由自在に動かすには技術が要る。高い錬度の艦隊があってこそ、今回の作戦は成功した。

「あなたと、あなたの指揮する艦隊があったからこそ、ガランシアの艦隊に勝つことが出来ました。ありがとうございます」

「海賊上がりに、聖女の嬢ちゃんが礼を言うたぁ驚きだな」

「いくら皇帝陛下の命令があったとは言え、得体の知れない女の指示に従うことに、抵抗はあったでしょう。黙って従って下さったことも、感謝しています」

 この艦隊が良いと、皇帝に願ったのはわたしだ。

「返せるものは多くありませんが、確実に言えることがあるとすれば」

 無敗神話は、今日をもって崩れ去った。

「無敗のガランシア艦隊を、初めて打ち破ったのはあなた方です。歴史に残る勝利ですよ」

「はは。オレたちが、歴史に、ねぇ。なあ嬢ちゃん、聞いて良いかい?」

「わたしで答えられることでしたら」

「あんた皇帝直下の参謀ってことは、戦が得意なんだろ?戦に勝つ極意はあるかい?」

 戦に勝つ極意、か。

「終わり時を、誤らないことですね」

「ほお?」

「戦と言うのは止めた時の状況で勝敗が決まります。ですから勝つためには、自分が負けている時には絶対に止めず、勝っている時にすかさず止めることが重要です」

 艦隊の隊長は、そいつぁもっともだが、と笑う。

「それが出来たら苦労しねぇなあ」

「ええ。ですから、わたしのような参謀が、役立てるのですよ」

「はあー、おっかないねぇ」

 首を振りつつも艦隊の隊長は、なら、次の機会も頼むよとわたしに笑みを向けた。


「アベリナ大陸で、虫食い山羊(ザランド)が崇められていますよ」

 補佐官はそう報告して来た。

「そうですか。人助けになったようで、良いことですね」

「ええ良いことです。……支援を突っぱねた北方三国は、田畑どころか果樹までイナゴに食い荒らされて、大打撃だそうですが」

 補佐官がわたしを見下ろす。

「次の手はどのように?」

「アベリナ大陸に、交易を持ち掛けましょう。毛織布と、余剰な農作物を交換して欲しいと」

「お金ではなく物々交換を?」

「良い品ですよ。お金で寒さは凌げませんが、この毛織布は服にしても掛布にしても、とても暖かいのです」

 あの大陸は数十年に一度、激しい寒波に襲われますから。

「備えあれば憂いなしです。どうぞ多くの方に、毛織布が行き渡るように取り計らって下さい」

「かしこまりました。交渉はわたくしの役目ですからね。必ずやご期待に応えて見せましょう」

 補佐官は言葉通り、毛織布と引き換えに大量の小麦と芋を入手してくれた。

「ありがとうございます。これを使って、北方三国に食糧支援を申し出ましょう」

 北方三国の農作物は、イナゴの食害で壊滅的な被害を受けている。貴族や裕福なものならば、備蓄があったり、商人から買えたりするだろうが、そうでないものは食糧を得られず飢えるだろう。国が支援策を打たねば大勢の餓死者が出るが、これだけの大不作に耐え得るほどの食糧備蓄など、あの国にはない。一昨年の不作時に放出してしまっているからだ。

「あちらが支援を受けるかどうかはわかりませんよ」

「断られても、構いません」

「なるほど。かしこまりました」

 北方三国は、モルド帝国の支援など受けないと、食糧支援の申し出を断った。

「断られましたが、この先は?」

「わたしが出ます」

「えぇ?」

 胸元から、メダイを取り出す。

「こう見えて、ランドルド聖王に正式に認められた聖女ですから。聖教会の名の下に、国境はありません」

「ああ、北方三国はランドルド聖王国と国教を同じくしていましたね」

 補佐官の言葉に頷きを返し、食糧を載せた馬車を引き連れて国境を越える。お供しますと寄って来たのは、いつかわたしが救った農民。

 有志の農民を引き連れて、農村に食糧を配り歩く。

 わずかばかりの食糧の施しに、みな、これでは足りないと思っただろうに、そんな気持ちは押し殺して礼を言って来る。それに悲しみもあらわに、謝罪を返した。

「申し訳ありません。わたしにもっと、力があれば」

「そんなこと」

「いいえ。だってわたしの言葉を聞いて、虫食い山羊(ザランド)を飼育していた村はイナゴに荒らされておりません。わたしに力があれば、モルド帝国皇帝陛下(ヅテ)でザランドを飼うよう助言をしたときに、断られたりしなかったはずです」

 顔を覆って肩を震わせれば、有志の農民のひとりが、濡れた声でおいたわしいと肩を支えてくれる。

「食料支援だって、モルド帝国の申し出を受けてくれさえすれば、もっと迅速に、たくさんの食糧をお配り出来たはずなのに、わたしの力が、及ばないばかりに、この国の上層部は支援を受け入れて下さらず」

 申し訳ありません。申し訳ありません。と、くずおれて謝罪を口にする。

「モルド帝国皇帝陛下は慈悲深く、受け入れてくれさえすれば、すぐにでも十分な食糧を支援する準備があると。いっそ皇帝陛下が、この国に攻め入ってモルド帝国に併合して下されば、すぐにみなさんに食糧が──いえ、そんなこと、考えては、」

「聖女さま」

「はい」

 農民たちの暗い目が、わたしに集中していた。

「ここがモルド帝国なら、十分な食糧が貰えたってのかい?」

「皇帝陛下は農業の重要性を理解していらっしゃいますから」

 事実、モルド帝国の農民は驚くほど手厚く扱われている。使い潰さぬよう、飢えぬよう、しかし怠けることのないように。国の末端に至るまで、管理の目が張り巡らされているのだ。

「直近の話ですと、食糧輸入先として目を付けたアベリナ大陸に、先行投資として無償で虫食い山羊(ザランド)を提供されています。お陰でイナゴの食害を防げたアベリナ大陸は、皇帝陛下にいたく感謝し、安く小麦と芋を売って下さいました。わたしがいまお配りしているのは、そうして買い入れた小麦と芋です」

「なんで、この国にはザランドが配られなかったんだ」

「配ろうとは、致しました」

 配ろうとはしたとも。断られると予想していたとは言え、支援を申し入れたのは事実で、断ったのはこの国の上層部だ。

「ザランドも、食糧も、モルド帝国は支援を申し出ました。けれどこの国の国王陛下は、受け入れて下さらないのです」

 わたしがもっと、力ある聖女であればと、悔しがる。それを有志の農民が、時詠み聖女さまはやれるだけのことをなさいました、悪いのは聞き入れない王ですと、慰めた。

 そのやりとりに、農民たちが聞き耳を立てる。

 噂は迅速に広まり、次の村では農民たちから、モルド帝国であれば十分な支援が受けられるのかと訊かれる。

「受けられます。モルド帝国内の農村は、あらかじめザランドで蝗対策をしておりましたから、蝗害を受けておりません。今年の収穫も前年からの備蓄も十分ですし、アベリナ大陸から輸入した食糧もありますから、食料支援する準備は……」

 言葉を止め、顔を歪めた。

「国主が、受け入れてくれさえすれば、すぐにでも」

 そうして、話をしながら、農村を巡れば。

「モルド帝国の狗が」

「聖女さまになにを!」

 首に抜き身の剣を突き付けられたわたしに、有志の農民たちが殺気立つ。

「首を落とされたくなければ即刻この国から出て行け」

「わたしは、ひとびとが飢えることのないよう食糧を届けたいだけです」

「黙れ。ランドルド聖王国から逃げ出した聖女崩れが」

 わたしに剣を突き付ける騎士は、気付いているだろうか。その姿に多くの目が向けられていることに。その言葉に多くの耳が傾けられていることに。

「それもまた、女神様おかあさまの下されたお役目あればこそのこと。ランドルド聖王国にいたままでは、救えない方々を救うためです」

 身を乗り出せば、剣先が喉を突いて痛みを与える。血も出ている。

「モルド帝国皇帝陛下はわたしの頼みを聞き入れて、手を貸して下さっているだけのこと。貴国が支援の申し出を受けて下さるなら、あるいは、あなたがわたしに代わって、この食糧を、不作に苦しむ方々の許へ運んで下さるなら、わたしはあなたの言葉通り国を出ましょう」

「モルド帝国の施しなど受けるか!」

 怒鳴った拍子に手がぶれて、また、浅く首が切り裂かれる。聖女の白い衣は、血で染まった襟元がよく目立つ。

「ならばこの食糧を、不作の農村へ配って下さい」

 背後の馬車を示して言う。

「これはわたしの聖女としての資産であがなったもの。女神様おかあさまからの慈悲であり、モルド帝国の施しではありません」

 イビツゆがんだ表情は、醜悪なものだった。

 剣を納めた騎士が、手を払った。

「なれば食糧だけ置いて行け!二度とこの国に足を踏み入れるな!」

「わかりました。馬車と馬ごとお渡しします。必ず、すべての苦しむ方に、食糧を届けて下さい」

 一国を追い出されたあと、二国目ではより早く追い出され、三国目では国に入る前に止められた。

 そうなると北方三国で出来ることもない。海上のガランシアとの戦いの作戦参謀をしながら、時を待つ。

 渡した食糧は農民に配られることなく、貴族に着服されたと、報告が入った。

 北方三国のうち、モルド帝国に近い二国でクーデターが起きたのは、それからしばらくのちのことだった。


「クーデターの首謀者が、モルド帝国の傘下に入りたいと申し出て来た」

 片手に書状の束を持って振りながら、皇帝陛下は言った。

「食糧支援と引き換えに、貴族共の首で飾られた領土をプレゼントしてくれるそうだ」

 はっと笑って、皇帝陛下が頬杖を突いた。

「本当に戦なしで北方三国のうち二国を落として見せるとは、恐れ入ったぞ」

「まだですよ」

「うん?」

「攻めるのは、北方三国すべてでしょう」

 言って、地図の上に指を滑らせる。

「とりあえずは、約束通り食糧支援です。準備は出来ていますね?」

「ご希望通りに」

 不作が原因のクーデターだったと言うのに、貴族が取られたのは命だけで、金品や備蓄食糧は荒らされていなかった。モルド帝国政府主導でそれらを接収し、支援のために用意した食糧も加えて、一部を備蓄、残りは国民へ配分する。

 十分な食糧を配れたので、これで冬が越せるだろう。種籾と種芋も確保出来たので、春にはまたこれを配れば良い。

 モルド帝国の官吏も軍も、侵略した土地を必要以上に虐げることはない。報奨は十二分に与えられるので奪う必要がないし、なにより皇帝陛下が掠奪を嫌うからだ。結果として侵略された国の平民や貧民は、侵略前より暮らしが良くなったと喜ぶ。

 北方三国のうち、モルド帝国に下った二国も、同じように、皇帝陛下によりもたらされた安心に喜びをあらわにしていた。

 そうなれば、平静でいられないのは残り一国だ。いつクーデターが起こるか。いつガランシアに攻め入られるかと、気が気ではないのだ。

 もしガランシアに征服されたなら、あの島は海賊の土地。慈悲などなく奪い尽くされることになる。

「あちらから、属国になりたいと申し出があった」

「そうですか」

「ガランシアを攻めることも、策略の内だったのか、キナ」

 書状を手にした皇帝陛下が豪奢な椅子の背もたれに身を預けて、わたしを見上げる。

「うちの海軍に勝てず、陸まで攻め込まれつつあるガランシアが、国力強化をはかって北方三国を狙う。そのときに、三国のうち二国がうちに下っていたら、残り一国はどう思うかって話だ」

 自国だけで成り立つなんて思えなくなってるはずだと、皇帝陛下は口許を歪めた。

「そうなれば、向こうは二択に思えるだろう。ガランシアか、うちか、どちらに下るか。親しいのはガランシアだろうが、ガランシアに下れば搾取される未来は見えるし、無敗のはずの艦隊がうちに連敗してる状況じゃ、いざと言うとき守って貰える保証もない。対してうちは、降伏した二国を手厚く支援してる上に、対岸のアベリナ大陸すら味方に引き入れてる。さあどちらを選ぶかと問われれば、なあ?」

「それでも敵対感情があれば、合理性より感情を取ることもあるでしょう」

「だからお前は、感情で動いた場合の失敗例を、ふたつも作って見せたわけだ」

 皇帝陛下が書状を机に投げ出す。

「民をかえりみず失策すれば、首を落とされかねないと来れば、感情なんて気にしている余裕はなくなる。くだらんプライドより命が大事なんだろう、あの国の上層部は」

 巧くやったなぁと皇帝陛下が嗤う。

「派手な支援行脚は、そこに目を向けさせるための囮で、重要なのはお前の影に隠れて暗躍する移民。お前の手勢だ。農民に武器を与え、叛乱を扇動した」

「べつに、わたしの手勢ではありませんよ」

「そうだな。お前がランドルド聖王国にいた頃に助けて、結果お前に心酔している元貧民だ。貧民だから、職を求めて流れ歩いていても、気にされない」

 どこからどこまで計算ずくなんだか。

 末恐ろしい女だと皇帝陛下は笑っていた。


「ひどい寒波です」

 補佐官が我が身を抱いて首を振る。

「なにもかも凍り付くような、恐ろしい気温ですよ」

「……虫食い山羊(ザランド)は」

 補佐官を見上げて言う。

「食糧が豊かだと尾に大量の脂を溜め込みます。尾の脂を搾って、乾かした骨に染み込ませると、長くもつ薪になります。肉は食べられますし、毛皮は防寒に、」

 肩を掴まれて、補佐官を見詰める。

「雄は一頭で十分です。雌も、肚に子を抱えている個体だけ残してあとは潰してしまって大丈夫でしょう」

「そこまで計算のうちだと?」

「油も骨も臭みはないので、暖炉にくべて問題はないはずです」

「今すぐ、その情報を伝えに向かいます」

 補佐官は拳を握り締めて、力強く頷いた。

「毛織布、とても重宝されているのです。これがなければもっと厳しい冬だったと。この情報があれば、さらにアベリナ大陸の信頼を得られます」


「ガランシアが落ちた」

「ええ」

「我が国の猛攻に加え、アベリナ大陸と北方三国で、包囲した形になったことが大きかったな」

「そうですね」

 皇帝陛下が胡乱うろんにわたしを見上げた。

「そこは自分の活躍を主張するところだろうに」

「わたしは口を出しただけ。実際に動き、結果を上げたのはユウをはじめとした、モルド帝国の方々です」

「ずいぶん動く口もあったものだな」

 目をすがめ、皇帝は息を吐いた。

「アベリナ大陸も、お前に策を授けられたうちの狸に心酔しているそうだな。他国の人間の言葉を、神の託宣のごとくありがたがって聞き入れると、狸が悪い顔をしていた」

「才のある補佐官をつけて下さったお陰です」

「都合好く」

 皇帝が細めた目で、刺すようにわたしを見据える。

「蝗害や寒波が来るものだな?」

女神様おかあさまの思し召しでしょう」

「そうか。良いだろう」

 豪奢な椅子にふんぞり返って、皇帝は大仰に手を広げた。

「ランドルド聖王国を攻めるぞ。宣戦布告は、いつにする?」

「冬が明けたら、すぐに」

「わかった。キナ、お前の望み通りに」


 わたしは神殿しか知らなかったが、ランドルド聖王国は広大な国だ。国の広さに比例して所持する兵も多く、さらに近隣諸国の国教の総本山を有するため、武力も権力も発言力も高い。否、高かった。

 今では近隣の国の多くが、モルド帝国に落とされて、残るは本丸であるランドルド聖王国ばかりだ。

 皇帝もわかっていて、だからランドルド聖王国を後回しにしていたのだろう。あるいは、広大な国を、さすがの皇帝も攻めあぐねていたか。

 けれど内部を知るわたしから見れば、広大で強大な聖王国など、まやかしの張りぼてでしかない。

 迷いなく軍を敷き、淡々と、張り子の外郭を剥ぎ取って行く。

「母国に対する手心はないのか」

「それで泥沼化でもすれば、目も当てられませんから。それに、どうせあの国は、外側なんて真面目に守ろうとはしていませんよ」

 神殿があるのも、聖王の御所も、国の中心部だ。貴族たちがいるのもそこ。外側は農民貧民と、それを治める外様とざまの貴族がいるばかりだ。

「道理で」

 皇帝が呆れたように言う。

「降伏が早くてお前に従順だ。外はすでに、崩してあったのか」

 微笑みを答えとして、虚飾の剥ぎ取りを進める。

 張りぼてを取り払ってしまえば、そこに残るのはちっぽけな王国だけだった。

 この、小さな王国が、広大な国土から実りを吸い取り、土地を枯らしていた獅子身中の虫だ。

「兵を揃えて下さい。一気に叩きます」

「なるほど、今までとは段違いだな」

「いいえ」

 張りぼての大国に守られた、ちっぽけな王国。けれどその実、張りぼての中身ですら結局は。

「今です。放て」

 放たれた一斉射撃は、居並ぶ兵を打ち倒し、二撃目を構えるまでもなく、残る兵は恭順を示した。自身の上官であったであろう、将の首を手土産に。

「外だけでなく、内も崩していたと。俺に頼る意味はあったか?」

「攻めたのはモルド帝国で、攻め落としたのはモルド帝国皇帝、あなたですよ、ユウ」

 血染めの国土を皇帝と並んで歩く。聖女と聖王のいる、その場所まで。

「この、裏切り者……っ」

 ろくに顔も見たことのなかった聖王は、わたしを見て憎々しげに吐き捨てた。

 命こそ無事だったようだが、瓦礫に当たったか、その脚はもう用をなしていなかった。

「いいえ」

 前に立って聖王を見下ろす。裏切ってなどいない。わたしも聖王も、自分の役目を果たしただけ。

 恥も外聞もなく命乞いをする聖女たちに比べれば、脚を潰され地に伏せながらも、敵愾心てきがいしんもあらわに顔を上げる聖王は、なるほど王だけあって誇り高い。

「わたしは、女神様おかあさまの思し召し通りに、肥大した権力を叩き潰しただけです」

 なれば最期まで誇り高く、美しく終わらせよう。

「あなた方のお役目は終わり。これからは新たな若き王が、この世を正しく導いてくれることでしょう」

 つるぎを抜き、やいばを聖王の首へ。

「長きに渡る献身、ご立派でございました。どうぞ、女神様おかあさま御許みもとで、心安くお過ごし下さい」

 さしたる手応えもなく、聖王の首は床へ落ちた。聖女のひとりが、聖王の亡骸に這い寄ってすがる。

「なぜ、このような……この国は、あなたの母国であったはず」

「確かに邦は、ここでしたが」

 生まれたのは、この国の森だった。それは確かだ。けれど。

「わたしの母は女神様おかあさまだけ。母国とは女神様おかあさま御座おわす場所です。ここではありません」

「あなたは、聖女でしょう」

「はい。わたしは時詠み聖女です。なればこそ、ここにこうして立っております。それこそが、わたしの定めであったから」

 わたしも彼女らも死んでいない。それこそが、答えだ。

「わたしは時詠み聖女。時を詠み、いくさを勝利に導く力が、女神様おかあさまより下賜されたものです」

「あなた、そんなこと、ひとことも」

「戦をしないランドルド聖王国には、必要のない能力でしたから。だからわたしは邦を出たのです。わたしがいなくても、ランドルド聖王国は勝手に瓦解すると、あなた方が瓦解に導いて下さると、見えていましたから。わたしはわたしのたまわった力で、瓦解までの時間を少し早めただけ。わたしがなにもせずとも、この国は勝手に滅びたことでしょう」

 聖女の手から聖王のくびを取り上げる。白い服が血で汚れたが、気にはしなかった。

 聖王の御所には聖王が民に姿を見せるための、豪奢なバルコニーがあった。あちこち崩れてみすぼらしくはなっていたが、長い年月、権力と栄華の象徴であったそこは丈夫で、まだ上に立てるだけの土台が、残っていた。

 そこに立って、聖王のくびを掲げる。

「暴虐の王は我が手に落ちました。これからは新たな若き王が、この世を正しく治めて下さることでしょう」

 宣言が終わるやいなや、地鳴りのような勝鬨が上がった。

 邦の、崩れ墜ちる音だった。

 聖王のくびを掲げたまま、その轟音を身に受ける。このとどろきに紛れて、我が身に雷が落ちるのではないかと、身を震わせながら。

 けれど落雷は訪れず、震える背は皇帝に支えられた。

「ひどい格好だぞ、それでも聖女か」

「時詠み聖女はこれで良いのです」

 新たな若き王の姿にさらに沸き立つ歓声のなかで、掲げていた手を下ろして言う。遺体が荒らされる前に、弔ってやらねばならない。聖王は最期まで、己の定めを果たしたのだから。

「この姿は、歴史に語られましょう。さすれば権力者は、恐れることになります。自分が道を誤れば、時詠み聖女が罰しにやって来ると」

 皇帝は鼻で笑って、わたしの肩を抱いた。

「つくづく、恐ろしい女だ」

 おびとを抱えて、皇帝を見返す。

「ためらいもせずひとの首を切れる女が、恐ろしくないはずがないでしょう?」

「違いないな。まあ、共犯者はこれくらい容赦ない女の方、が?」

 皇帝の腕を抜け、表舞台に背を向ける。

「これからは、あなたの時代です」

 ランドルド聖王国が落ちたのだ。もう、モルド帝国に逆らおうとする国はいなくなるだろう。少なくとも、この若い王が、上に立つあいだは。

「大変になりますよ。得てして国と言うものは、奪うより保つ方が難しい。新たな若き王の、お手並み拝見と行きましょう」

 時詠み聖女は、戦世を平定することを定められた聖女だ。泰平の世が訪れたならば、時詠み聖女の居場所はない。

「どこに行く気だ、キナ」

 ああけれど、あなたが名前なんて呼ぶから。名前なんて呼ばせるから。勘違いしたい気分になる。

 時詠み聖女ではなくキナとして、皇帝ではなくユウの隣に立つのなら、許されるのではないかと。

 くるりと皇帝を振り向くと、片手で古き王のおびとを抱き、片手で血濡れたスカートを持ち上げる。

「しばしのおいとまを、皇帝陛下」

 告げて深々と、頭を下げた。

「あなたが女神様おかあさまの敵となったときに、またお会いしましょう」

「それで俺が納得するとでも」

「納得して、祝福して下さい」

 背を向けて、歩き出す。

「わたしはもう、誰も殺さなくて良いのです」

 これ以上ここにいたら、この皇帝に肩入れしたくなってしまう。それは、許されることではないのだ。許されないことをすれば、罰を受けることになる。

「……さよなら、ユウ」

 次に顔を合わせるとしたら、それはきっと皇帝の首を取るときだから。

 どうかもう二度と、会うことのないようにと願う。

 時詠み聖女は、勝利を引き寄せる聖女。

 駆け出したわたしを捕らえられるものは、誰ひとりとしていなかった。


「女神の罰とは、いったいどんなものなのでしょうね」

 適当な枯れ枝で地面を掘りながら、木の根元に転がした聖王の首に話し掛ける。

「あなたは見たことがありましたか?わたしは一度だけ……いえ、もっと、何度も……」

 首を抱いたまま故郷の森まで駆けて、懐かしい洞穴で寝て起きたら、汚れた服は消え去り、かつてここで着ていた服に変わっていた。

 転がる聖王の首だけそのままで、弔いを求められているのだと思った。

 この穴を掘って、首を埋めて弔ったら、きっとわたしは眠るのだろう。眠って、すべて忘れて、また、この力が必要になったときに目覚めるのだ。

 ずっとそうして来たのだと、思い出す。すぐに、忘れてしまうけれど。

 ああ、でも。

「忘れたくないなぁ」

 断続するわたしの歴史のなかで、名前を貰ったのは初めてだった。誰かの名前を、呼んだのも。

 けれどどんなに忘れたくないと願っても、きっと次に目覚めるときには、すっかり忘れてしまっている。時詠み聖女に、人間らしい心なんて、邪魔でしかないからだ。

「このまま抗って起きていたら、女神おかあさまはわたしを罰するでしょうか」

 罰されて、でも、この記憶を抱いて、死ねるだろうか。

 苦しんで眠らされた挙げ句、二度と思い出せないように忘れさせられるかもしれない。

「そんなものですよね、神なんて」

 叛逆はやめることにして、掘った穴に聖王の首を埋める。

「あなたのたゆまぬ献身と忠義に、敬意と感謝を。どうか心安く、おやすみ下さい」

 土をかけて、祈る。

「おやすみなさい。古き王よ」

 ぽんぽんと土をなでて、立ち上がる。ここは騒がしくない。絶え間なく森の声は聞こえるが、ひとは立ち入ることがない。

 きっと静かに眠れることだろう。聖王も。わたしも。

 風雨を避けられるだけの小さな洞穴に戻り、身体を丸める。

 次に目覚めるのは、十年後か、百年後か。

 名をくれたあの若き王を、殺さねばならない世でないことを祈る。

「さよなら、キナ。おやすみなさい」

 小さく呟いて目を閉じると、わたしは女神の御手に意識を委ねた。

つたないお話をお読み頂きありがとうございました


戦記もの

読むのは好きなのですけれど

書くにはちょっと……いやだいぶ……頭の出来が残念過ぎて……

いろいろとお粗末で申し訳ありませんが

少しでも楽しんで頂けたなら幸いです

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夢想する……他の女神の子供たち(聖王、聖女)とゎ…あまりに違う『キナ』…女神を「お母様」と呼び…親も兄姉弟妹も家も…人としての喜怒哀楽の感情も死すら持たない彼女こそが…女神の唯一の子供(分身)?……ソ…
[一言] 切ないですね。
[一言] 感想を読んで思ったのですが、もう一度会うために悪逆非道になっちゃう展開もまた良いなって…メリバでしかないですけど いつか神に頼らず人だけのそれも破滅に向かっていく世界線も見てみたいですね…余…
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