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天正二年正月・中

「・・・ううっ、頭が痛え」

「喜六郎様大丈夫、ですか?」


――結局三が日を過ぎて人日の節句の頃まで浜松城で過ごすこととなってしまった。


元日の宴会では織田信長の弟である俺に対して、居心地の悪さを感じられるほどに警戒心が高かった三河の人達であったが、何かの拍子に異母兄の喜蔵兄上と仲が良かったことを話したら、これまでが何だったのかという程に彼らの態度が軟化した。

そしてその中で、俺に対する態度の事を聞いてみると、悪名高い佐久間信盛殿と同族の玄蕃を家臣として連れていることから、信盛殿に連なるのだと勘違いをしてあのような態度を取ってしまったらしかった。

俺はすぐにそのことを否定し、玄蕃と信盛殿は同族ではあるが立場も考え方も全く別でどちらかと言えば仲が悪い方であると必死に主張した。

どうにも三方ヶ原での折に援軍としてやって来た佐久間殿と違い、主君三河守家康を救おうとし敵中に突撃を行い、織田信長の兄弟でもあるに関わらず驕らなかった態度が彼らの中で尊敬に値する人物とまでなっていたのであった。その話を聞いた俺は懐かしさと嬉しさを感じ、酔いも相まり饒舌なまでに語りだし、それを聞いた彼ら三河の者達から次々と酒を飲まされてしまった。

結局その日は夜遅くまで酒を飲み、酒井殿の十八番という海老掬いを見たところまでは覚えているのだがそれ以降の事は何も思い出せなかった。

翌日の日中に目が覚めることは無く、起きたら日も暮れているという体たらくであった。

この惨状に俺は部屋で書を読んでいた孫六に声を掛ける。


「すまん孫六。昨日は最後どうなったんだ・・・?」

「・・・大久保様に連れられてこの部屋に戻ってこられましたよ。また明日、というか今日ですけど共に酒を飲もうと約束されていました」

「そ、そうだったか・・・。すまん飲み過ぎてしまったようだな」


孫六はというと書から目を離さずに答えた。いつもなら顔を向けてくれるはずであるのにそうしなかったということは、だいぶ呆れていることが分かった。


「とりあえず水を浴びてくるな」

「お気をつけて」


酔いを逃がそうと思い立ち上がりかけた時、廊下から足音が聞こえてきた。その音はこの部屋の前で止まったかと思うと、すぐに障子が開かれた。


「おお喜六郎殿!約束通り酒を持ってきましたぞ!今日は我が故郷の三河の品を馳走いたしますぞ!」


目の前に現れた大久保殿は俺の返事を聞くこともなく、起きたばかりで寝巻姿の俺を気にするでもなく手を取ると引きずるように連れ出していくのであった。

この日も結局解放されたのは明け方近く、夕暮れに起きたら起きたで三河の者達が日ごとに代わる代わる酒を持ち寄り酒宴を催す始末であった。これから取次ぎをするのに仲良くなっておくことに越したことは無い。そう思い強く断らなかったことが裏目に出てしまった。



※  ※


「喜六郎殿、鷹狩りに出かけましょう」

「起きてください喜六郎様!徳川様がお出でです!」


孫六に叩き起こされ、今日は珍しいことだなどと思いながら眠気眼を擦る。ぼやける視界の中、どうにも孫六と背丈は似つかぬ人物から声を掛けられる。一体誰だとばかりに目を凝らすと、現れたのは徳川三河守殿とその背後には榊原殿がいた。


「こ、これは失礼いたしました!このような姿でお会いしてしまい申し訳ありません!」

「いえ構いません。ここ何日か新十郎達が酒を土産に伺ってることは小平太や小五郎から聞いています。昨晩も大分夜更けまで飲んでいらしたのでしょう?」

「それは、・・・まあそうなります、ね」

「・・・もしご迷惑なら控えるように伝えましょうか?」

「いえ。このように良くしてくださるのに迷惑だなんて、そんなはずありません」

「なら、よかったです」


俺の返答に三河守殿は嬉しそうに顔を破顔させた。しかしそれも少しの間の事であり、眉間に皺を寄せながら言った。


「・・・とはいえここ数日は酒ばかり過ごしていたでしょう?いくら新年を迎え目出度いとはいえ、酒におぼれ昼夜逆転して過ごすは良くありません。私から皆に控えるように伝えますから、本日は喜六郎殿は体を昨年までと同様、日中に慣れさすとしましょう」


すると今度は得意げな顔となり言う。


「すでに支度は整えてありますので、喜六郎殿は着替えてください」


三河守殿が言うと、彼女自身は部屋を出ていく。それと入れ替わるようにして孫六が服を手にして、あれよというまに着替えが済むのであった。


「・・・なあ孫六?」

「なんでしょう?」

「この時期に鷹狩りをしても獣の類は居ないんじゃないか?三河守殿は本当に鷹狩りに向かうのか?」

「さあ私には分からないです。・・・それよりも徳川様をあまり待たせてはいけませんよ。何か考えがあっての事でしょう。行きますよ喜六郎様」



※  ※


「良い獲物は取れましたか?」

「小平太殿!・・・いやあ、俺はあまり獲れなかったよ。そっちはどうだった?」


ひとしきり山野を駆け回り、疲れを感じた為に休憩していると先ほどまで三河守殿の傍に侍っていた榊原殿より声を掛けられた。

彼とはこの数日の中で一番仲良くなった徳川家中の人であった。お互い年齢がそう離れていなかったことや主君が女性であり、その主君と近しい位置に居ることから共感を感じ、仮名で呼び合う仲とまでなっていた。


「我が殿はさすがというか、日ごろから鷹狩りをしに出掛けているだけありますよ。まだ元気に駆けまわってます」

「ああ本当だ」


小平太殿が向けた視線を追うと、普通小者がやるような事を三河守殿自らが動き、熱心に指示を出していた。その姿はこの山に来たばかりの時と何ら変わらない元気さに溢れていた。そしてそんな彼女の傍に小平太殿と入れ替わるようにして家の小姓である孫六の姿があった。


「殿は鷹狩りを単なる遊行ではなく、自ら体を動かして快食快眠、ひいて身体を鍛える為の鍛錬だと考えて実践してますからね」

「成程。・・・それならばこの数日酒ばかりで過ごしていた俺にはえらいのも無理は無いか・・・」

「それはそうですな」


二人で軽い雑談を交わし合っていると、狐を捕らえ一応の満足を得たのか、狩りの道具を小者に預けた三河守殿と孫六が手拭いで汗を拭いながら俺達の下へとやってきた。


「年が明けたばかりだというのに、こうして鷹狩りができたのは、この一年幸先の良い年だと思えちゃいますね」

「左様ですね。確かに三河守殿は多くの獣を捕らえてましたしね。あながち天に目を掛けられているかもしれませんね」


火照った体を冷ます様に、木陰にある石に腰かけた三河守殿は呑気な顔をしながら言った。

その言葉に対し、俺は当たり障りのない返答を返す。

確かに前年までの状況を考えたなら彼女の言う通りであった。織田家に対して反抗勢力となった足利公方を内に抱え、京と岐阜との東山道近くには浅井家、その背後に朝倉が居るという一息吐こうにも吐けない状況であった。

それは三方ヶ原の地にて武田徳栄軒の手から窮地を脱した徳川家にとっても同じ状況、・・・いやもっと酷い状況であったからこその言葉なのだろう。


「・・・この調子でゆくゆくは虎を、いいえ虎の子を退治してしまいたいです」


その意味は何を指しているのか、聞く必要のない物であった。偉大な当主が没してもなお、織田と徳川の前に立つ宿敵、甲斐の武田氏の事であった。

幾度もちょっかいを掛け、異母兄を失うこととなったことを忘れることは無いだろう。


「そうですね。その時は是非姉上を、俺を呼んでください。俺達織田も借りを返さないといけないものですから」

「もちろん頼りにさせていただきます」


俺の言葉ににこやかに返す三河守殿は、そう言い黄昏るように遠くを見る。その方角は一年ほど前に行われた異母兄の眠る地、そして徳川の多くが討たれ大敗北を喫した三方ヶ原の地であった。

その日帰路へと着いたのはそれから時間をおいての事であった。



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