小谷城の戦い・三
かつての近江守護である京極氏を歓待する為とも幽閉する為ともいわれ、小谷山の本丸に連なる位置に築かれてその名前を付けられた京極丸は、かつての守護を留め置くに相応しい造りを以て頑強に俺達に抵抗をした。
だが守りを最大限に発するには適切な位置に適切な人が配置されてこそ真価を発揮するものである。堅城と謳われ美濃の地に鎮座した稲葉山城のように、上洛の障害となるべきはずの観音寺城がその役割を果たすことが無かった時のように、すでに居ないといけないはずの兵が逃げ出し、ある言いは降伏をし始めている小谷城も、かつて俺達の前に立ちふさがろうとした二城と同じ定めを行くこととなっていた。敵の抵抗はわずかばかりな物で、俺達はその何倍もの手数によってそう時間を掛けずに曲輪の奪取を成し遂げた。
「では小一郎殿は北の小丸へ向かい下野守を頼みます。俺達はこのまま南の本丸を目指します」
「ありがとうございました喜六郎様。御武運を」
「小一郎殿も御武運を」
互いに無事を祈りながら兵を進めた。
結果として本丸へ直接乗り込むのではなく、京極丸を落とし城を南北に分断した事は正解であった。清水谷底から登り、敵兵を北へと追い込むように攻め込んだおかげで、南の中丸から本丸へと悠々と進むことが出来た。途上姿を見せる浅井の兵達も居たのだが俺達が北側から現れたこととで、すでに北の小丸で防戦をしている筈の前当主は討たれ、備前守長政を討つために押し寄せているのだと勝手に勘違いして逃げていってしまった。
これはもう消化試合のようなものだ。心に生まれた油断が頂けなかった。
「危ない!」
玄蕃の声と同時に何かが破裂するような音が俺の耳に届いた。そしてその何かを視認する間もなく背中から押され前のめりに倒れ込む。一瞬の間に何が起きたのか理解は出来ず、起き上がるに際して聞き覚えのある音の正体に辿り着く。――火縄銃による火薬の炸裂音である。
すでに玄蕃は音の聞こえた方向に駆け出していく。敵は木の影に隠れていたようで、見つけた玄蕃は下手人へと刀を振るう。狙撃の主は刀を抜くのでは間に合わぬと咄嗟に手にしていた火縄銃を楯に玄蕃の刀を受け止めた。
「ご無事ですか殿!」
「ああっ俺は問題ない!それよりも玄蕃の助太刀に向かうぞ!」
「承知!」
俺は起き上がり体に着いた泥をはたき落としながら剣戟が響く方向へと駆けていく。そこには下手人の首を取ろうと刀を振るう玄蕃と、猛攻をいなしながら逃げ出す隙を伺うようにしている六尺を越えるのではないかと見えるほどの長身の女の姿があった。他に周りに敵の姿が見えないことから、彼女が鉄砲を放った奴に違いは無いだろう。
彼女は懐に入り込もうとする玄蕃を叩きつけるように刀を振り、自身に致命傷が与えられないように適切に反撃を入れる。相当な使い手であった。玄蕃一人では決着がつくのか微妙な所である。
「理介加勢するぞ!」
「俺も加勢する!」
三対一の構図。常ならば加勢を嫌い文句の一つを口にする玄蕃であったが、目の前の敵に対して意地を張れるだけの余裕はないと理解しているようであった。俺達の言葉が耳に届いた時に一瞬嫌そうな顔を見せはしたものの、断りの声は彼女から上がることが無かった。
「ちょっ、待って!待って!いったん止まろう!」
俺と奥山とで刀を抜き、敵に斬りかかろうとした時であった。
三対一では不利であると見た敵から制止の声が上がった。
「断る!こっちは火縄銃で撃たれてるんだ!襲われたままお前を逃がすわけないだろうが!」
「それでもいいから待って!一旦、ね?一旦。ほら刀も置くからさ、話し合おう?話し合いましょう」
そう言うや彼女は少しだけ俺達から距離を取り、手にしていた方と火縄銃とを惜しげもなく地面へと放り投げる。敵を前にしての彼女の行為に、さすがの俺達も毒気を抜かれてしまい、刀を下すのだった。
※ ※
「で?俺だから狙った訳でなくて、大将首なら誰でも良かったと、そう言うことか?」
「ふへへ、そうっすそうっす。そうなんです。わっちが浅井はもう駄目だー捕まって死ぬ前に逃げよう!ってなった所にたまたま、そう、たっまたま!貴方方が来まして・・・。それで次の仕官の為の箔付けに、首を取ってやるかと襲っただけなんですよ!」
俺達の目の前に座り事情を騙る長身の女――名を藤堂与右衛門高虎と名乗った――は涙を嘘っぽく流しながらへりくだるように話す。そんな彼女の姿に皆白けた目を向けていた。
「ああ!もしかして嘘だと思ってます?思ってますよね!本当の、本ッ当なんですよ!」
コイツと話すだけ時間の無駄になる。そう判断したのは俺だけでなく他の人もだった。互いに高虎をどうするべきか視線で会話する。
「取り合えずまた狙撃されては堪らんからな、この火縄銃は没収させてもらう。脇差だけは返してやるから、まあ何処へなりとも逃げてくれ」
「ええっ!?い、いいんすか?本当にわっちを逃がしちゃってもいいんすか?」
今彼女に時間を取られる訳にはいかなかった。すでに小谷城の麓からも、山頂の方からも火の手が上がっていた。このまま小谷城が陥落するのにそう時を必要としないだろう。こんな問答をするくらいならば、早く新九郎殿と会いたかった。
「ああでも待って、待ってください。ここで殺し合ったのは何かの縁ですし、わっちを仕官させてくれたりなんて・・・しないっすか?してくれないっすか?袖振り合うもなんちゃらって言いますし・・・」
突如高虎は変なことを言い出した。彼女の提案は俺の足を止めるには十分すぎるほど魅力的な内容であった。
「ほらわっちってこんなに背が高いので何かと便利ですしぃ?それだけで槍の間合いが広がりますしぃ?」
確かにさっきの攻防では玄蕃とも遜色なく、それどころか優位に立ちまわっていた。だから武の方は文句もない腕前だ。
「ハッ!間合いが広いからって内側に入られたらどう仕様もないだろうが!間合いなンて広ければ広いほど内側を取られやすくなるじゃねえか!」
と玄蕃は鼻で笑う。しかし高虎の言葉を否定するには弱い言い訳である。
「そんなこと言われても、さっき、わっちの間合いの中に入ることのできなかったあなたに言われる筋合いはないと思うんだけど。そっちの織田様もそう思いますよね?ね?」
「なっ!?」
図星を吐かれた玄蕃は思わずと言った風に声を上げる。そして眉尻を下げながら否定の言葉を求めて俺へと顔を向けた。だが目の前で力量差を見せつけられた俺も、隣の奥山も高虎の言葉を否定など出来る筈も無く、ただ首を横に振るしかできなかった。
「そ、そんな・・・」
二人の反応に衝撃を受けた玄蕃は肩を落とし地面を見やる。少しの間そうしていたかと思うと、突如顔を上げて噛みつくよう言った。
「と、とにかく私はコイツが加わるってのは反対だ!まず生意気すぎる!」
「・・・お前がそれを言うのか理介」
「っ!だ、だいたい命を狙った相手に対してすぐ仕官をしたいってのも有りえねえ話だ!それもコイツは殺し損ねて不利になった途端にだ!絶対に反対だかンな!!」
「ええ~いいじゃないですかあ!ねえ、良いですよね?ね?」
玄蕃の反対する意志は固い物であった。言っていること自体に非はそこまで無い、がしかし、どうしてここまで頑ななのかいまいち理解に苦しむところも多少はあった。
――確かに命を狙われた。だが高虎が言う分には俺を狙ったわけでなく誰でもよかったが故の事故である。そのことを抜きにしても、際立った腕前を持つ直臣の少なさが俺の弱点である。だから仕官してくれるというならば、願ってもないことではあるのだ。
戦場にありながら熟考し、俺は回答を決めた。
「・・・そうだな、大変ありがたい申し出だったが今回は無かったことにしてくれ」
「うえっ!?ほ、本当に断るんですか?本当に?こんな機会もうないかもなんですよ?」
断られると思ってなかったのだろう、驚きの声が上がった。
「ああ。滅茶苦茶に惜しいと思っている。お前ほどの才を持つ人はこの天下にもそう多くはないだろう」
高虎は俺の返答を聞くと、自問するかのように低く声を呻きながら腕を組む。俺たちはその彼女を待つようにしばらく見ていると、彼女は明るい声をだした。
「・・・分かりました。今回は縁がなかったということで諦めます」
嘆息するように彼女は息を吐きながら言う。
「雇ってもらえないというのであれば、もう時間切れです。なのでわっちはこの戦場からは逃げさせていただきますね。備前守様からは感状を戴いたこともありますので、捕まりでもしたらわっちの首に相応の値が付けられそうなんでね。・・・まあ織田の殿様がどれほどの価値を見出してくれるかまでは知りませんけど」
彼女の呟きは北の方角より聞こえてきた尾張訛りの強い喚声により掻き消されてしまった。
「それではご縁がありましたら、その時はどうかよろしくお願いいたしますね、織田喜六郎殿」
彼女はそれだけを告げると瞬く間に小谷山の茂みへと消えていった。
「嵐のような御仁でしたな」
「全くだ。だが中々に面白そうな奴だった。今でなければ一もなく召し抱えたんだがな」
「おや、ならば召し抱えてやればよかったじゃないですか。まどろっこしい言い訳で煙に巻かなくとも、些事を気にしない度量を見せてやればよかったと思いますがね」
「まあその通りではあるが・・・なあ」
奥山の言葉に対して、隣に立つ玄蕃を見る。彼女は未だ高虎が逃げていった方角を見つめ、主人に不貞を働く敵を威嚇する犬のようにうなり声をあげていた。
そんな彼女の様子を目に居れた奥山も言わんとすることを理解したのであった。
「成程。理介がこれでは時機が悪いですな」




