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犬の家出

 前田又左衛門利家は父である前田利昌の四人目の子であった。すでに長兄に利久がおり、彼を除いても他に二人の兄が居た。

 家督は望めない。まあそもそも女のみではあったからいかに力が強かろうと、もしも兄に何かがあったとしても養子が入ることになるだろう。自分は要らない子である。そう考え幼少の時を過ごしていた。喧嘩を売られればそれを買い、何もなくても喧嘩を吹っ掛けた。いつしか町の者から狂犬と呼ばれるようになった。

 しかしある時そんな自分を拾い上げてくれた人が現れた。

 織田三郎信長であった。

 彼女は自分みたいな家督を継げない土豪の子らを集め三郎の郎党としてまとめ上げていた。

 そんな三郎に対し女の身で近しい所を感じつつも、弾正忠家当主である信秀様の長子という恵まれた所があることに鬱屈した気持ちも持っていた。

 しかし日々を過ごす中でそんな三郎も、実の母から疎まれていたり、すぐ下にはその母からの期待と愛情を一身に受けている優秀な弟が居て悩みを抱えていた。

 きっかけは何だったろうか。遠目で勘十郎様を見て嫌な気に包まれたときか、それよりも下の弟たちに慕われている三郎様を見た時か。それとも佐々や塙、生駒なんかの連中とふざけあっていた時か。


 ――いつしか彼女にも自分自身にも思うところはなくなっていた。ただ、彼女の。三郎様の役に立ちたい。強く思うようになっていた。


 当主となった三郎様であったが、今までと変わらなかった。真面目に政務をこなし、時々皆で遊びに出かけ昔を思い出すようにふざけ倒した。

 彼女の下で戦に出ればそのたびに手柄を挙げ、母衣衆に抜擢されたり、槍の又左と呼ばれ、嬉しくなったりもした。

 従妹のまつと暮らし始めてからも時々遊びに来てくださり三人で仲良く一晩を過ごしたりした。

 そんな三郎様のことが大好きであった。


 一緒に過ごして三郎様が泣いていたことは数度見かけたことがあった。

 一度目は先代様の死んだとき。

 二度目は傅役であった平手様の死んだとき。

 三度目は弟である信勝を切ったとき。

 特に弟の信勝を自ら手にかけた後のことは今でも鮮明に思い出される。きっとこれは忘れることのできない顔であると直感した。

 その三郎様の顔を見て、絶対に三郎様を悲しませたりしないと誓った時の気持ちははいまなお燃え続けている。

 彼女の周りにいる人たちのことも大好きであった。信勝は嫌いだった。三郎様からあんなに愛されていたのにそれを見えていない、いいや見ないふりをしていた、彼だけは例外。許せなかった。

 けどそんな彼の何十倍も嫌いなやつが、大好きな三郎様の周りをウロチョロし始めた。

 三郎様のことだけでなく私やまつのことも下卑た目で見てくる。三郎様のお気に入りだから百歩譲って三郎様と私には良い。けど私のまつにちょっかいを掛けてくるのは駄目だ。それに佐々たちのことも馬鹿にしてくる。馬鹿にしていいのは仲の良い私たちだけ、だから許せなかった。

 したくはなかったけど三郎様に直接訴えた。そのたびに三郎様はキツく注意をしてくれた。けど反省するのはその時ばかり。時が経てばまた元に戻っていた。

 性根が腐っている。アレはどうしようもない人間だ。叩き切らねば三郎様に仇をなす。


 最近アイツのことばかりに心が囚われて楽しくない。ムカムカしていた。


 ある日近くに住んでいる猿に遊びに行かないか誘われた。

 彼はちょっと前に織田家に仕官してきた背の低い男であった。猿もアイツと同じように助平な目で見てくるがアイツほどの不快感は感じなかった。――それでも嫌な気分になるからその度にどこかしらを叩いていたが。

 確かに気分転換にはなった。荒子の兄に赤母衣に選ばれたからと付けられた村井長八郎と猿との三人で川へと遊びに出かけた。日が暮れるまで遊び倒し猿と別れ帰路についていると、一番嫌な奴に出会ってしまった。


 ※  ※


「やや、そこに居るのは又左衛門ではないか」


 ニタニタと小憎らしい顔を歪めながら近寄ってきた。楽しかった気持ちがどん底に沈む。


「又左様、ここは穏便に過ごしてくだされ」

「チッ、分かってるっスよ」

「今日はどちらに出かけてたので?留守にするのであれば某も読んでくだされば良かったですのに。又左衛門殿と一緒に遊ぶなり、まつ殿と家を預かるなりしてあげましたのに」


 こんなのでも三郎様のお気に入りには違いない。そのことに苛立ちはするものの、この気持ちに従って叩っ切ってしまっては三郎様が悲しむかもしれない。

 そう思える程度には理性があった。長八郎が居てくれてよかった。


「拾阿弥殿、一つここは穏便に済ましてくだされ。今日は主ももう帰宅する所でござりますゆえ」


 私の代わりに長八郎が対応してくれるが、拾阿弥はその長八郎を押し除け近づいてくる。

 長八郎がこけてしまった。


「――長八郎ッ!」

「ッ!堪えてくだされ、又左衛門様!!」

「くぅッ」


 刀に手を掛けるのと長八郎の静止はほぼ同じであった。


「おやおやどうされたのです?まさかこの小坊主に押されてコケてしまったわけでないでしょうに」


 拾阿弥はさらに調子づく。より一層顔を醜悪に歪めていた。


「拾阿弥殿、どうか、どうか穏便に!ご勘弁してくだされ!」


 長八郎は一層低姿勢に、早く過ぎ去ってくれるように懇願する。

 拾阿弥はその姿を面白くなさそうに見下ろす。


「フン。まあいい。それより又左衛門殿にお聞きしたいことがあったのだ。落とし物を拾ってしまってな、これの持ち主が誰か知らないですかね」

「チッ、何スか。拾い物なら拾った場所で聞いた方が良いスよ」

 落とし物を見せてきた。

「おお、これだこれだ」


 懐から取り出したのは笄であった。


「お、お前ェ!この笄はどうしやがったっ!!」


 又左には見覚えがあった。

 いや、見覚えどころじゃない。これは彼が初陣後に自らまつに贈った忘れることはない思い出のものだった。


「だから拾い物だと言うておろう。清州の長屋の女子が二人で暮らしているという屋敷の中で拾ったのだ」

「て、テメェ・・・叩っ斬ってやるッス!ぶった斬ってやるぅ!」

「又左様!落ち着いてくだされ!どうか、どうか!穏便に!!お頼み申す!」

「おうおう、健気よのうあの者は。それに引き換えお主はどうだ。斬る切ると戯言ばかりで中々切らぬではないか。ほれ、首はここよ、斬ってみよ」


 と首をさらけ出し挑発してくる。三郎のお気に入りである自分は絶対に斬られないと思っているのだろう。そこには意地も信念もなくただ、からかい続けるだけのものであった。


「ふう、お主は所詮口だけの女よ。殿も殿だがお主もお主。女らしく奥にでも控えておればよいものを。まあ殿が女ゆえ、某も寵愛していただけるのだろうがな。

 どうだ又左衛門、お主は最近槍の又左だとかと呼ばれてたな。某と寝所を共に、槍を突くのではなく突かれてはいかがか?もちろんまつ殿も呼んでな」

「又左様!!」


 次の瞬間には刀が振るわれていた。

 下衆であった。聞き及ぶに堪えぬほどの醜悪さであった。

 その口から発せられる声を聴きたくない。何より、主三郎信長を小馬鹿にもしていた、侮っていた。

 寵愛を受けているからなんだというのだ。もはや彼を傍に置くこと、生かすことに一利もなかった。

 心に迷いはなかった。

 主は悲しんでくれるのかな――ただその疑問が浮かぶのみであった。


「済まないっス長八郎。迷惑をかけた。どうか最後にこの笄をまつに届けてほしいっス」


 返事は聞かなかった。

 又左衛門はそれだけを告げると近くの馬をかっぱらい外へと駆け出していた。




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