異見十七箇条
゛一つ、宮中への参内について、先代の光源院殿は怠っていたために神仏より見捨てられあのような最期を遂げることとなりました。その為に入京時より欠かすことなく責務を務め上げるように申し上げました。けれども早くからそのことをお忘れとなり、近年は怠っていることは遺憾な事でございます。
一つ、全国の大名へ御内書を御出しになられ、馬などを献上させるということは外聞良くないことゆえ再考なさった方が良いでしょう。もし必要とあらば信長に言ってください。さすれば添状を付けて取り計らい奔走いたします。そのようにすると仰ったにも関わらず信長に内密に遠国へ命じられては宜しくない行いです。
一つ、幕府に仕える者でしっかりと奉公して忠節を尽くしている者に相応の恩賞を与えずに、新参者で身分の低い者に不相応な恩賞を与えています。このような行いは侍たちの忠誠心を必要としなくなります。人々の評判も良くない物です。
一つ、近頃将軍と信長の関係が悪化したとの噂が流れております。将軍家の宝物を他へ移した事が知れ渡っております。このことで京の民の間では騒ぎとなっており、信長は驚きました。苦労して建築してあげた邸に住まわれていたのに宝物を他所へ移しては今度はどこへ移るというのですか。残念なことです。これでは今までの信長の苦労も無駄になってしまいます。
一つ、賀茂神社の所領を没収し石成友通に与え、石成に賀茂神社の経費を負担するように、表向きは厳重に申し付けたにも関わらず、裏ではそこまでもしなくて良いと聞きました。そもそも寺社領を訳もなく没収することは良くないと思っています。もし石成が所領不足で困っているということであれば、彼の話を聞き届けてやり、将軍の御用を申し付けようと思っておりましたのに、このような形で内密の話をしては良くないです。
一つ、信長と友好的な者に対して、その者がどのような身分であっても不当な扱いをしていることで彼らは迷惑を被っております。信長と友好的であると聞いたならば、特別に目を掛けてこそ信長も取り計らった甲斐があります。けれどそれとは真逆なことをするのは何故でしょうか。
一つ、恙なく奉公をしている者に対し扶持を与えていない為、彼らは京での暮らしに困窮し信長に相談へ参っています。信長から将軍へお伝えすれば改善されると思い、彼らと将軍の為に申し上げたにも関わらず誰一人たりとも聞き届けられず居ります。これではあまりにもな処置である、信長は面目が立ちません。誰の事かと言いますと観世国広・古田可兵衛・上野豪為らのことです。
一つ、若狭国安賀庄の代官である者の行いが良くないことについて粟屋孫八郎が告訴していますが、信長も当然であるとお伝えしているにもかかわらず、今日までその決裁が行われていません。
一つ、小泉が妻の実家に預けていた身の回り品や質に出していた刀・脇差まで没収したと聞きました。彼が謀反など故意に悪事を企てたならいざ知らず、喧嘩によって死んだのです。それなのに法規に依らず将軍が没収しては欲深な将軍と見られてしまいます。
一つ、元亀の年号は不吉であり改元をした方が良いと世間一般の意見を参考に将軍へ申し上げました。これに宮中よりも催促があったのに、改元の為の僅かな費用さえも御出しになられず滞ったままです。これは天下の為のことですので怠るのは良くありません。
一つ、烏丸光康の懲戒について、息子の光宣への怒りは尤もであると考えましたが光康は赦免すべきと伝申し上げました。けれど誰か存じませんが、密かに使者を使わして光康から金銭を受け取り出仕を許したとは嘆かわしい行いです。殿上人である彼のような公家が普通の事ですから、このような行いは他の者にも影響してきます。
一つ、諸国から金銀を集めていることは周知の事なのに宮中幕府の為に使わないのはどういう訳でしょうか。
一つ、明智光秀が京の町にて地子銭として徴収していた物に、延暦寺領の土地であると差し押さえたことは不当な事です。
一つ、昨年の夏に幕府に備蓄されている米を売却して金銀に換えたとのことですが将軍自ら商売するなど古今聞いたことのない出来事です。このような乱世にこそ、お蔵に兵糧米があることが世間に聞こえの良い行いです。この事は驚くべき出来事です。
一つ、寝所に呼び寄せた若衆に扶持を与えようとお考えならすべき方法があるというのに、代官に命じたり道理の合わない訴訟を申し立てることに肩入れしては、世間の者から悪し様に批判されては仕方ありません。
一つ、幕府に仕える者たちは武具兵糧について何ら考えることなく、金銀を蓄えているそうです。これは浪人となった時のことを考えての事でしょう。これもすべて将軍が金銀を蓄えており、いざという時に御所をお出になるような素振りが見受けられますので、部下の者達が出奔をされるのだと推察しての事だと思われます。「上に立つ者は自らの行動を慎む」との教えを守ることは将軍であっても出来ないことではありません。
一つ、将軍は何かと欲深でありますので道理も外聞も気にはしないと世間では言われてます。ですから分別の無い農民でさえも将軍の事を「悪御所」と呼んでいるそうです。かつては普広院殿の事をそのように呼ばれていたと聞き及んでおりますが、それは余程の事であります。どうして今このように呼ばれているのか、今一度よくよくお考えになるとよろしいでしょう。“
「なっ、何なんだこれはあっ!!?」
突如織田弾正忠より届けられた書状を読んでいた義昭は声を荒げて物に当たり散らかした。
この書状は今この時に先だってすでに京の公家だけでなく、全国の大名に信長の手で送られていた。
当然傍に侍っていた者達もこの書状のことは承知していた。内容を承知していただけに、怒りに振れぬようにある者はそそくさと退出を、またある者は怒りの矛先が自身に向かぬように身を縮めて息を殺していた。
「信長は一体何様のつもりだ!信長如き言われる筋合いなど無いわっ!!」
机はもとより、小物から何からまで壊してもその怒りが収まることは当然無かった。
まるで野分が室内で暴れ散らかしたかのような惨状になって――いや当たれる物が無くなってから、ようやく義昭はその書状を持ってきた近習へと視線を向けた。
「――どういうつもりか・・・!」
だがその問いに応えられる者は居なかった。それほどまでに室内が張り詰めていた。
「このような物を余に送りよって・・・信長は将軍にでもなったつもりなのかッ!」
書かれていた内容はどれも義昭自身に身に覚えのある内容であった。だからと言って信長如きに一々言われるような程の立ち位置に自身の身をやつしているとまでは思っても居なかった。
――余は将軍である。日ノ本の武士の頂点に立っている存在なのである。
これまで上洛を助けてくれていた事を鑑みて、その恩を返すために信長を重用してやっていた。
だが思い返してみると、上洛の当初から信長は何かと口うるさく、将軍としての働きを邪魔し続けていた。
当時は敵である阿波三好一党を追い払ったばかりだったので、彼女の力が必要だった。
けれど今は情勢が変わっている。この畿内に親足利の勢力があり、浅井朝倉のように将軍にではなく織田に反旗を翻している浅井朝倉、本願寺と言った連中も多数居る。むしろ織田を抱えているばかりに足利が不利益を被っているのが現状である。
義昭はそのように認識していた。
「余が自ら行う治世に信長はやはり不要であったか・・・。どうにか余の為に織田を取り除かねばならぬか」
義昭が口にした言葉にその場にいた者達が驚き顔を上げる。その言葉は畿内の情勢を混迷に沈める可能性がある内容であった。
「どうすれば織田を消せるだろうか、皆に聞きたい」
その答えを言える者などいなかった。
将軍やその寵愛深い者はともかく、多くの幕臣は大なり小なり織田に縁を繋ぎ、あるいは施しを受けて日々の生活を送っていたのである。織田を取り除いたからと、そのまま自分たちに今の領地や扶持が残る保証など、これまでの義昭治世を見れば無いに等しいのだから。
「どうした?思いつかぬか?何も直ぐに信長を殺せという訳ではないのだ。どうにか畿内より織田を追い払い、足利将軍家としてのあるべき体制で天下の政を行いたいだけなのだ」
義昭は不気味な笑みを浮かべたまま問いかける。誰もがその異形な空気に飲み込まれてしまって言葉を告ぐことが出来なかった。
義昭はそんな恐縮しきった彼らを冷たい目で見下ろしていた。
そして居並ぶ面々を改めて見回して自分の迂闊さに気づいた。
そこに居たのは何方かと言えば織田寄りの立場の者が多かったのだ。今時点で告げ口は無いだろうが、情勢が危うく成れば織田に流れる可能性は低くないのだ。
「フハハ、冗談よ冗談。余がそのようなことをするはず無かろう」
当然その言葉をそのまま信じてはいないだろう。こうなっては誰だって疑心を抱いてしまうのは間違いのない事だ。
「だがまあ気持ちとしてはそれくらい一線を越えたことを弾正忠は言って来ておる。一言弾正忠に直接言ってやらねばならぬな!」
「そ、そうでありますな!いくら弾正忠様でもいきなり斯様な書状とは・・・分別を付けていただかねば!な、なあ皆の衆!」
「お、おうその通りであるな!」
そこまで言うことで、家臣たちはようやく緊張を解いておどけた様に笑みを浮かべる。
そして義昭はそんな家臣を後目に部屋を出ていく。
屋敷へ戻ると小姓に命じて、自身と近しく信頼できる者達を密かに呼び集めた。
勿論信長を取り除く策を練る為である。
集まった者は兄の代からの幕臣であり三好筑前守や阿波公方に与しなかったものや、義昭の還俗から共に連れ添った者達である。
義昭自身もこの者達ならけして自信を裏切らぬと胸を張って言うことのできる顔触れであった。
「お前達もすでに承知の事とは思うが・・・信長より日の本を騒がせておる書状の事は聞き及んでいるな」
集められた面々を見て一体どういうことか、と視線で探りを入れていた彼らも義昭の言葉に今回の目的に合点がいった。
――義昭様は歴代の将軍がそうしてきたように、一番近くて強大な味方を討とうと目論んでいる。
皆納得した表情を見せあっていた。
「は、我らの力及ばず斯様なことになり申した。本来なら義昭様の前に顔を出せるような事態ではありませぬ。面目次第もございません」
一人が大仰に、そして殊勝に頭を下げた。他の者達も彼に続いて頭を下げて、形だけでも義昭に対して詫びを入れた。
「よい。お主らがそこまで思いつめることは無いわ。悪いのは全て信長ぞ」
「ありがたきお言葉でございまする」
「お主たちが察した通り余はこれ以上、信長を増長させぬように灸を据えてやろうと考えておる。されど今の幕府には織田と縁深きものが多い、下手にどこぞの者と話しては明智十兵衛が織田に鞍替えた様に、信長に謀を携えて鞍替えされては堪らぬ。それゆえに余が一番信頼置ける者であるお主らをこうして呼んだのだ」
「義昭様――!」
義昭の言葉に集まった者達は感激するのであった。
そんな彼らの顔を見て義昭もまた苦楽を共にした彼らを優しく見つめた。
「現状織田に対抗している連中はいるが、どれも芳しくない。今にして思えば摂津での折に信長が京へ戻れたのが悔やまれる。・・・意気地のない朝倉左衛門督の動きの悪さもあるがな」
義昭の言葉に皆当時の状況を思い返していた。
確かに普段は暴れ川であったはずの江口川が嘘のように大人しい日であり無事に退却することが出来た。
そして叡山では摂津を気にした状態の信長と対峙する状況であったのに比叡山に籠り切り一戦も直接戦をしなかった朝倉左衛門督は確かにぼやかずにはいられない程の戦下手である。
「まあ過ぎたことは後で悔いよう。今の織田の状況よ。相変わらず北近江で戦をしているようだが何も音沙汰を聞かぬ」
「確か先ごろ越前より朝倉が浅井の救援に向かったと聞いておりますな。そこから何も話が来てはおらぬので特に大規模な戦闘は起きていないのでしょうな」
「またしても織田は北近江に釘付け、ではあるが後背を突ける者が居らぬ。三好はもとより西の者は京に上ることも難しかろう。かといって大和の松永は同じ大和の筒井や河内の畠山殿と争い織田に目など向けられぬだろうし」
口々に皆が彼はどうか、いや彼の方が良いのではないかと意見を述べ合う。しかしその誰もが納得しておらず、結局これと言った案は出てこなかった。
この話はまた別の日に、という空気が流れた時にとある者が閃いた。
「そういえば以前甲斐の武田徳栄軒殿が書状をお送りでは無かったですか?」
「・・・ああ、越後の上杉と和睦をしたいから仲を取り持ってくれと言って来たな。確かそれは信長に一任していたが、それがどうかしたか?」
「いえ、これは使えませんかね?」
「使うとは、いったいどういう風にか?」
「和睦が為った暁に武田に西上してもらうのです。北の上杉と東の北条と手を組んだ武田なら敵は道中の徳川と織田のみになります。彼女も以前弾正忠殿に対して比叡山の事について書状で詰問しておりました。それほどの方であればきっと公方たる義昭様の言葉を聞き届けてくれるはずです」
彼の言葉に義昭は満足そうに眼を変えていった。
「成程、それは良い案じゃ!そうすれば信長は北に浅井朝倉と西に摂津池田に三好と言う敵だけでなく、東からの武田を相手にしないといけなくなるな!」
「はい、武田を相手にすれば弾正忠殿の腰巾着でもある徳川三河などは瞬く間に駆逐されましょう。場合によっては徳川三河が織田に牙を剥くやもしれませぬ」
その策は良い案であるとばかりに身を乗り出し、彼の言葉の続きを促す。
「武田が乱入した時に我らが京にて蜂起すれば、きっと弾正忠は手数が足りずに押し込めましょう!さすれば織田を討ったのは義昭様となり、以前の上洛のように他者の力を大きく借りることなく思いのままに政の差配が出来ましょうぞ!」
「よう言うてくれた!そうと決まればすぐに動こうではないか!甲斐の虎と言えばその牙は日ノ本一、尾張の弱兵には荷が勝過ぎるであろうよ!」
義昭はそれまで座っていた場所から、提案した将の下へと動きその手を取っていった。
彼の策に他の者達も異論はないようで、その成功を確信したような気持でいた。
「であればそれとなく近在の者にも声を掛けて我らに協力するように手配いたしましょう。一介の守護以下の出の者と足利の血を引く公方様とで比べたら断る者など居りますまい」
「そうであるな。何だったら大和の松永らにも声を掛けましょう。彼女らが乗らずとも筒井に任せれば障りなどありますまい」
「うむ。うむっ!余は何とも頼もしき家臣を持った!これほど嬉しきことなど無いぞ」
「この戦の鍵は甲斐の武田と義昭様のお二方。それに上杉も当時の状況下で光源院様に合力したいと仰ったほどの忠義の者です。ですので織田はもう負けたようなものですぞ!ガハハ」
「そうであろう、そうであろう!よし前祝だ。今宵は皆で酒を酌み交わそう出ないか!」
その日から暫くの間、京よりいくつもの書状が各地へと届けられた。
その内容はとある人を落胆せしめ送り主のやり様に怒り見限り、ある者は大儀ができたと送り主を小馬鹿にしながらも自らの野望の為に利用することを考え、ある者は現状を打破するための最期の希望を書状より見出した。
皆が皆目指すべき場所は違った。だがその中でも共通する強敵が立ちふさがっていた事のみ一致していた。
――これは間違いなく時代が変わる書状である。
などと知る者はこの時点においては当然居ないのであった。




