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宇佐山の戦い

 森三左衛門可成の家系は元々美濃の土岐氏に仕える将であった。だがこの争乱の世の中にあって血筋の良さだけで世を渡り歩くことはまず不可能であった。

 仕えるべき主である土岐の御屋形様はその家臣である斎藤山城守に実権を握られ、終いには美濃に留まることすらできなくなった。

 そのような時に我が一族の行く末を考えた父は尾張で頭角を現していた織田弾正忠家の下へと鞍替えをした。

 有難いことに新参でもあり、つい先日まで争い合っていた美濃の出である自分たちを、嫡子の三郎信長様の傍付きとして雇ってくれた。

 この御恩に報いんと、三郎様の槍として働こうと若い身空ながら決意をした日を思い出していた。


 つい先ごろまで共に槍を振るっていた嫡男の傳兵衛可隆は金ヶ崎の地にてその生涯を終えた。まだ二十にも満たない齢でありながら、勝ち戦である天筒山城の攻防で討たれてしまっていた。

 大戯けな息子であった。親よりも先に死んでしまい、織田家はこれからと言うのに討たれる不出来な息子である。だが可愛い我が子でもあった。

 そしてその仇である朝倉勢が浅井備前守と共に京を、三郎様の後背を討たんと再び大挙して攻め寄せてきている。これを息子の弔い戦とは三左衛門は思わなかった。ただ主君の夢を成すために自分がここにいるだけの、普段と変わりのない戦である。そう決意し槍を手にした。



 ※  ※


「殿、どうやら浅井朝倉の連中は大殿が居ない京を狙って兵を挙げたようですぞ。どうも琵琶湖の西を通り京へ向かう道筋のようで、恐らく二三日ほどで坂本に着くものかと」

「そうか。ならば奴らを出迎えてやらねばならんな」

「そうですな、ケツばかりを狙ってくる臆病者共に織田の、森家の槍を馳走してやりましょう」

「おうよう言った!まずは兵を分けるぞ。半分はこの宇佐山を守ってもらう。ここを抜かれてしまっては俺達だけでなく、織田全軍が畿内に閉じ込められてしまうからな。万が一が必要だ」

「勿論です!」

「残りの者は俺に着いて坂本まで出てもらう。街道は全て封鎖、その上で志賀や穴太に兵を伏して置くぞ。先日俺らにやられたばかりの連中だ、初めに一発強い一撃を食らえば大人しくなるだろうよ」

「違いありませんな!」


 方針が決まると家臣から笑い声が上がってきた。数的には不利だろうが彼らの顔を見ていると負けることなど想像すらできなかった。


「ですが殿、より万全にするために近隣の者にも使いを出しておきましょう。確か京では九郎殿や青地殿が一帯を守備していらっしゃったはず」

「・・・それもそうだな。よおしでは誰か使いに言って来てくれ。兵が多ければそれだけ早く奴らを追い返せるだろう」

「かしこまりました!」


 出て行ったものの姿を見送りその日はしっかりと体を休めた。その翌日に坂本へ布陣が完了した。

 想定通り最初に手痛い一撃を食らわせてやることに成功すると、敵は動きが鈍くなりほとんど戦闘は起きなかった。

 その間に救援にやって来た織田九郎殿や青地駿河守殿が駆けつけてきた。


「流石ですな三左衛門殿。俺達の到着前に敵の首を取ってしまうとは!攻めの三左の名は伊達ではありませんな!」

「左様。少々遅参してしまったのでないかと反省するしかありませんぞ!」

「いやいや運が良かっただけですぞ。こうまで上手く行くとは思わなかった。だが敵の方が数も多いゆえ、油断なく相手にせねば為らん」


 その通りだ。と将兵は改めて意気込み一日を終える。その翌日も相変わらずの様相で緊張感はあったものの無理のない攻防のみでただ時が過ぎて行った。

 だが着実に疲労は堪っていくのであった。


 その日の夜の事である。

 ぽつりと三左衛門がつぶやいた。


「そろそろ敵も攻め方を変えるやも知れんな」

「それはどうしてですか?」

「いや奴らが坂本に着いて三日が経つ。初日は数を頼りに力任せに攻めてきたが失敗し追い返された。そして昨日と今日とでは大軍ではないが数の利を活かして絶え間なく攻め寄せて来た。おそらくは我らの疲労を狙っての事であろう」

「言われてみれば絶え間なく攻めてきましたな」


 その言葉に集まっていた皆が頷く。昨日と今日と対処は出来てはいた、だが腕や足に疲れが出てきているのもまた事実であった。


「左様であろう。しかしそれでも我らは耐え抜き、奴らは時間ばかりを浪費しておる。業を煮やしてまた新たな攻め口で向かってくる頃だろうと思ってな」

「成程。奴らがあまり時間を掛けては摂津の三郎姉上たちが戻ってきてしまう。ならばそうならないうちに何としても坂本を抜けてしまいたい、だから次の手を、と言うわけですね」

「まあ俺ならそうするって話ではあるがな」

「いやいや三左衛門殿の考える通りの可能性が高そうです。ならば明日は注意して挑まねばなりませんな」

「うむ、頼んだぞ。街道を封鎖したまま故そこからは無いと思うが、二日もあれば山中を迂回して、何てことは十分考えられるからな」


 三左衛門の言葉に皆納得し頷いた。


「そういえば皆は戦の最中にどのように水を飲んでいるんだ?こうもずっと槍を振るっては中々飲む暇がなくてな」

「某は馬廻りの者に出てもらい、その間に一息に水を飲んでおります」


 まず織田九郎が答えた。


「拙者は水を含ませた布を口に入れておりますな。こうすれば喉の渇きも遅くなり乾いた時には布を嚙むことで水がしみ出てくるので便利ですぞ。それに気づけば唾などもしみていきますのでな」

「ほう駿河守殿の方法は中々に良さそうだな。今日はそれを試してみるとするか」


 などと他愛無い話をしていると夜も更けていき、明日に備えるべくそれぞれの陣中へと帰るのであった。



 ※  ※


「くっ!叡山の坊主どもめがっ!本願寺に続き貴様らも邪魔をしおってっ!」


 翌朝の攻撃は激しいものとなった。浅井朝倉勢は兵力を二分すると挟撃する形で押し寄せてきた。

 新たな動きに警戒していたこともあり対処を行っていたのだが、昼を過ぎる前に差し掛かった頃その均衡が崩れた。

 突如として西の方角より薙刀を携えた僧兵らが押し寄せてきたのであった。

 叡山の参戦は想定の外にあった。その突撃により少なくない数の将兵が一挙に討たれてしまった。


 それでも織田勢は誰一人と逃げることは無かった。

 自身の命が尽きるその時まで立ち続けて押し寄せる敵兵を刀で斬り、槍で突き刺し、捨て身で突撃を行っていく。辺りには血の匂いが立ち込め、織田勢による怒号が木霊していた。


「掛かってこんかァッ!お前らにこの首が取れると思ってんのかッ!!」

「おおぉっぉおぉぉっぉ!!!」

「糞坊主どもが!地獄に送ってくれるわっ!」


 もはやこの攻勢を野戦であるこの場において防ぎきることは不可能であった。

 ただ少しでも時間を稼ぎ、当主たる三郎信長の為の時間稼ぎを僅かな時であっても作り出そうと皆が必死になっていた。


「尾藤源内!討ち取ったりぃっ!」

「尾藤又八とやら、ワシが首にしてやったワ!!」


 日が傾くにつれ仲間の声が小さく、数が減っていた。いつのまにか隣に居たはずの者が地面に倒れ伏していた。京都から救援に駆けつけてくれた、織田九郎も青地駿河守もその命を燃やし尽くしていた。

 だが感傷になど浸ることもできなかった。三左衛門はただ槍を振るい続けるのであった。

 そして気づけば三左衛門の周りには敵も味方も居なくなっていた。だからとそこで体を休めるなんてことはしなかった。ここが死に場所である。ならば一人でも多くの敵を道連れにしてやろう、それだけを考え歩み続けた。

 ――すると近くの茂みが揺れた。

 三左衛門は槍を構え警戒しながら近づく。


「さ、三左衛門様!ご無事でしたか!」


 すると茂みから出てきたのは家臣の道家清十郎とその弟助十郎だった。


「どうしたお前達。・・・敵は退いたのか」

「いえっまだまだ居ります。気づけば三左衛門様のお姿が無く、慌てて捜しに来たのです」

「そうだったかすまんかった」

「こうして生きておられたので問題ありません。・・・もはやここは負け戦です。どうか宇佐山城へと退いてくだされ。織田殿も青地殿も討たれた今、大将となれるのは三左衛門様をおいてほかに居ませぬ」


 彼らは泣きながらそう懇願してきた。

 そうするうちにまだ生き残っている味方も続々と合流をしてきた。彼らも一様に三左衛門の姿を見ると安堵して胸を撫でおろしていた。

 三左衛門は彼らの姿をみて、それから死んでいった者の顔を思い浮かべる。そして、主君信長の顔を――


「済まぬが清十郎よ、俺はこのまま奴らを一人でも多くあの世へと送るつもりだ。だから城へはお前らだけで戻ってくれ」

「どうしてですか!」


 その声は絶叫に近い物であった。


「確かに城へ戻れば俺の命は助かる。山を城に石垣による頑強さを持っている。これをそう簡単には攻め落とせないだろう。――だが籠った所で奴らは城を無視してそのまま京へ攻め込む。そうなればここを三郎様より任された意味がなくなってしまう。だから俺は城へは戻らん」

「だけど、だけどこのままでは・・・」

「なに、別に怖くなぞ無いわ。なにせ我が子の仇をこうして取れているのだぞ!ここで退いてはあの世に居る傳兵衛に顔向けができん。それどころかこの場をもし生き延びて死んでしまっては傳兵衛に織田の九郎殿が討ち死にしてるのになぜ生きてたと叱られてしまうわ!」

「傳兵衛、様・・・」


 言葉を聞いていた者たちは顔を上げ、三左衛門の方へ目を向けた。ここにいる者は皆森家の者であった。金ヶ崎の地で死んだ若君である傳兵衛のことを知らぬ者など一人も居なかった。

 皆濁っていた瞳に輝きを宿し、その手に力が入る。この数か月織田の者は苦汁を嘗めさせられてきた。それには嫡男を死なせてしまうという、あるまじき失態も含まれていた。今こそそれを晴らす時であった。


「それにだ。俺は攻めの三左だぞ?ここで死んではその名が廃るわっ!最期のひと時まで暴れてくれようぞ!」

「「―――応!」」


 勢いのまま眼下に見つけた敵へと本日何度目になるか分からない突撃を掛けた。

 先程まで弱りきっており、後退していった連中だ。そう考えていた浅井朝倉勢は思わぬ強激を受けた。その隙を逃さず、次々と槍を繰り出し刀で貫き命を終える。悲壮感はなかった。ただこの世で受けた生を見せるため、ここまで生き延びた自分たちから、亡き若君の為に朝倉の将兵の命を捧げた。

 だが、もう戦は終わりの時であった。


「三左衛門様。一足お先に逝きます」

「ご奉公できて、我ら兄弟は果報者でした」

「・・・ああ、いままでよくやってくれた。後から俺も向かうからな」


 道家兄弟は最期の力を振り絞ると、その背に白地に文字が書かれた旗指物を背負い敵兵の中へと散っていった。

 かつて武田信玄と東濃の地で小競り合いが起きたことがあった。そこは山深く谷多き土地であった。

 これに対応するために森三左衛門らは先鋒として戦い、武田の者共を大いに打ち払った。三左衛門は勿論のこと、その家臣である各務・肥田らはいくつかの首を取った。

 その時に兄弟は併せて三つもの首を取り、大殿である信長に披露した。

 すると信長は大いに喜び彼らを褒め称えたばかりか、褒美をくれてやろうとした。

 何かないかと小姓に差が差せている最中に、ふと兄弟の旗指物に目を付けた。

「そうだお前達、良ければその旗指物をもってきてくれない?」

 そう言われて断る理由もなかった為、近くの小姓へとそれを渡そうと手にした。小姓も勿論、直接信長と手渡しさせる訳にはいかないと、彼らの下へ近づいた。

「待って久太郎、今回は褒美なのよ。道家兄弟、貴方達二人で持ってきなさい」

 こう言われては小姓である自分が無理矢理持って行くわけにはいかず、本当にいいのかと言う顔を浮かべた二人には、頷きをもって返答とした。

 彼らが近づき旗指物を渡すと、信長は自ら筆を手に取り旗に文字を書きつけた。

 ”天下一の勇士なり”

 その文字を目にした時に自然と涙が頬を伝った。彼らにとってこれ以上の誉は無かった。

 兄弟はそれ以来数々の戦へ赴くたびに、その時の旗を持って手柄を上げ続けた。

 武士として他に並ぶことのない名誉と共にあり続けた。


 しかしそんな彼らも遂に討ち果てたのであった。

 主より賜った至上の宝を敵に取られてしまうことのないように、しっかりと体に旗を結び付けたまま、最高の名誉と共に――


 ※


 日が沈むころには味方も尽くが討たれ、三左衛門自身も疲労から満足に腕を上げることも適わなくなっていた。


「肥田、玄蕃は、いるか・・・?」

「ここに居りまする」


 最期の織田勢の奮戦に気圧された敵勢は遠巻きに弓矢を居ることで被害を抑えに掛かっていた。

 その為にしばしの猶予ができていた。


「俺は、もう駄目だ。・・・済まないが、お前に頼みがある」

「それは聞けませぬ!私もここで殿と共に――」

「いいから、頼みを聞いてくれ」

「っ!」

「宇佐山城に戻り、各務達に決して、城から出ないように伝えてくれ・・・。あの城が落ちては、今日までの、全てが無駄になる・・・」

「三左衛門様・・・」

「行け、何としても、殿の到着まで守り抜いてくれ・・・」


 その言葉を聞き届けると肥田玄蕃は走り出す。


「逃げたぞ!」

「逃がすな!」


 逃げ出す音を聞きつけた敵が反応して追いかけようとするがそこに三左衛門が立ちはだかった。


「どこを見てやがる。大将首はここぞ!森三左衛門の最期の足掻きを見せてくれるわ!」


 まさか目の前の敵が武名に誉れ高い攻めの三左とは思いもしなかった敵兵は、逃げた者から今にも死にそうな男の首に目を付けた。そして同時に今日これまでに苦戦させられた相手だと理解もしていた。


「囲め、囲めッ!」

「大将首ぞ!」


 一人で首を取ろうという蛮勇さを見せることもなく、弱っている敵と言えど数で押しつぶすこととした。

 そうして槍を同時に突き出し、反攻の隙を与えず貫いた。


「――ぅぐ、ぅっ」


 織田信長の家臣として歩み続けた。その功績は信長と共にあり続け、間違いなく信長が信頼する一番の家臣であった。

 彼は主君の行先の道半ばにて倒れ、その生涯を終えることとなったのであった。


 ――三郎様、こうも早くに逝く事となり申し訳ありませぬ。されど此度の生は、誠に楽しきものでありました。



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