喜六郎立身伝

野田城・福島城の戦い

　いつまで戦が続くのか。そう思わずにはやっていられなかった。

　浅井朝倉との決戦を制した俺達は、丹羽五郎左殿ら一部の者を残し岐阜へと帰陣した。

　僅かばかりの休みと言わんばかりに足軽達は清州にある自らの故郷へと帰るとすぐさま岐阜へと参陣することとなる。

　小谷城が堅牢と言うこともあったが前の戦で攻め切ることができなかった原因の一つである、摂津池田の謀反とそれを後で糸を引いている三好勢の撃退を行わなければならなかった。

　摂津に対しては和田伊賀守ら幕臣が工作を行っている。その為俺達は摂津の中嶋という場所に上陸した三好勢を撃退することとなった。けれども三好勢はすでに河内を荒らして回り、幕府方の三好左京大夫の城を攻めており特に古橋城では全滅にほど近い損害となったとの報告があった。

　この急報を受けた姉上はまたしても馬廻りを率いて諸将に先んじて岐阜を発ってしまうのであった。

　俺達後発組が姉上と合流したのは本能寺と言う寺であった。

　その数は三万近くにもなり、更に先行している大和河内和泉など公方より参戦を命じられた諸将も合わさることとなっていた。

「また厄介な場所に砦を築いているわね」

　本陣を置いた天王寺に集まると開口一番にそういった。

「そうですわね。周りを川が流れ容易に攻め込めません。付近には石山の本願寺も居りますので下手に私どもが布陣して敵と見做されては堪った者じゃありませんの。攻略はそう容易では無いですわ』

「力押しはまた難儀しそうな地形ですな。殿ここは寝返りの工作を仕掛けてはいかがでしょう？この大軍を目の当たりにした敵にも怯えてこちらへ降る者も出てくるでしょう」

　この場には織田の将兵は勿論、幕臣の和田殿や三好左京殿に松永弾正と錚々たる面子が集っていた。

　軍議の場では皆が地図と外とを見比べながら頭を捻り、この局面をどうするべきかと考えていた。

「そうね、あと何日かしたら今日より公方様も軍勢を率いて来られるわ。あまり時間を掛け過ぎるのも良くはないけどその間にやれることをやってしまいましょう」

　姉上はそう言うと諸将に命令を行った。

「まずは寝返りを誘ってみるわ。それがうまく行ってもいかなくても構わない。川を堰き止める部隊と川岸に砦を築く部隊とに分かれてもらうわ」

「「承知致しました」」

　その指示のもと諸将が動き始める。

　当然小規模な小競り合いは起こったものの大勢を動かしての攻撃は両陣で起きることもなく、寝返りに応じた者も居たのだが、陣中での警戒が厳しくどうやら三好勢を打ち崩せるような計略は不可能に近いということで、日がただ過ぎ去るのを待つのみであった。

　途中本陣を天王寺から本願寺と野田福島両城の間に位置する天満ヶ森に移す位で他に大きな動きはなかった。

　事態が動き始めたのは公方様も合流して、更に紀州からの援軍が到着してからであった。

「さて公方様も参られ、さらに紀伊より雑賀の傭兵集団もそろった。これで時が来たといっても過言ではないわ」

「ではようやく城攻めですか？」

「そうよ。川のせき止めで水量も減り攻撃しやすくなった。この機を逃すほど愚かではないことを奴らに見せてやるのよ」

　その日から銃撃戦が始まった。

　※　　※

「それにしても酷い音ですな」

「そうだな奥山」

　鉄砲隊を備えている軍勢は日夜敵方に鉄砲を撃ちかけることとなった。

　俺達清州衆も二十丁程の鉄砲を備えていたため、この銃撃戦に駆り出されていた。

「これ程の量での火縄銃の打ち合いは日ノ本でもこの戦が初だろうな」

「左様で。特に此度は大鉄砲なども持ち寄っていたとか。先だっては松永様が浦江城を落とし、先だっては畠中城を落としました。こうなっては弓の時代も終わってしまいますかな」

「いやまだまだ弓は必要だろう。こんなにも弾が撃てるのは畿内を姉上が押さえているから、それに堺が近いってこともあるだろうな」

　雑賀根来衆の到着はそれだけで戦が変わった。

　これまで補助的な役割でしか扱ってこなかった。だが今では火縄銃による撃ち合いが主力となり、合間に足軽達による弓を放つ形となっていた。

「どうにも三好勢は音を上げ始めているとか」

「そりゃあこんだけ銃弾が降ってこられたら敵も堪ったもんじゃないはずだ。たしか先ごろ追い返されていたな」

　姉上の下に三好勢から和睦の使者が訪れていた。

　彼らは阿波へ兵を退くので和平をと言ってきたようだが、俺達が優位なので姉上は勿論のこと古橋城で兵の殆どを殺された三好左京大夫も当然徹底抗戦を選んだ。

「織田喜六郎様。後退の時刻となりましたので一旦おひきください」

「お、もうそんな時間か。奥山、兵を纏めてきてくれ」

　対岸の三好勢を見据えながら話している俺達の下に馬廻りの者がやって来て交代を知らせてくれた。

　二十丁程の火縄銃の数で連射をしているとどうしても銃身が熱くなってしまう。その為俺達のような小規模な鉄砲隊は刻限ごとに別の部隊と入れ替わることになっていた。

　起きては敵に向かい火縄銃を放ち、時間になれば交代してその日を終える。ここ数日はその繰り返しであった。

　だがこの日は違った。

　カンカンカーン

　カンカンカーン

　まだ夜も明けきらぬ時間であった。

　何処からか鐘の音が聞こえてきた。その音には勿論俺だけでなく足軽、味方の将兵も反応し様子を伺うようにして辺りを見回していた。

「喜六郎様、この音は一体？」

「俺も分からん。とにかく一度姉上の下に向かってみる。奥山は兵の取りまとめを頼む」

　彼は承知しましたと言い、兵が寝ている陣へと向かっていく。

　そして俺が本陣に着いた時にはすでに他の将も何事かと確認の為に本陣へと集まっていた。

　結局ここで何が起きたのか詳しいことは分からず、石山本願寺で何かあったということだけ知ることができたのだった。

　人騒がせな坊主どもと悪態をつきつつ、自陣へと戻った時であった。

　大きな何かが崩れるような音と地面より不気味に響く音とが一体に響き渡る。そしてその音の出どころがすぐに理解できた。

「水だ！」

「ここよりも高い所へ！」

　俺達が堰き止めていたはずの川の水が流れ込んできたのであった。

「大丈夫だったか奥山！」

「だ、大丈夫です」

　決壊した水は勢いのまま流れていくように、そう時間を掛けずに堰き止める前の水位へと戻った。あっという間の事であった為俺達に大きな被害は無かった。

「大変です、喜六様！殿の、殿の本陣が・・・！」

「どうした玄蕃、姉上に何かあったのか！」

「本陣が沈みました！」

「何ぃ！？」

　慌てて高台へ向かい、本陣の確認をしに行くと確かに玄蕃の言う通り水に浸かりきった陣幕が見えた。

　そして沈んだのは本陣だけでなく、この戦の最中に築いた砦や奪取した浦江城といった多くの物が被害にあったようだ。それは俺達織田勢だけでなく三好勢も多少の被害が見受けられる。

　そして被害の確認をしていると今度は東の方から太鼓や鬨の声に交じり鉄砲の撃ちかける音が聞こえてきた。

「今度は何なんだ！？」

「もしかすると味方が攻められてるンじゃないですか！」

「誰にだ！」

「誰にって、そりゃあ・・・」

　三好勢は先ほどの水没で直ぐには動けないはず。・・・となると！

「坊主どもか！」

　この場で動けるのは奴らしか居ないはずである。

　これまで従順そうに姉上の要求に従っていた本願寺がこの瞬間に牙を剥いてくるとは・・・。

　戻ってきたばっかだが仕方がない。

「玄蕃、奥山と一緒に兵を纏め直ぐに動けるようにしておいてくれ。俺はもう一度姉上の下へ行き様子を伺ってくる」

「承知しました喜六様」

　玄蕃に命じ俺は再度本陣へと向かった。

　それにしても俺の陣地から見えた光景よりも、こうして目にした方がやはり被害は大きく見えるな。

　先程まで居た本陣は完全に水に浸かったようで、まだ完全に水が捌けていなかった。

　その状況の中で馬廻りや小姓達が駆けずり回っていた。その中に見知った顔である堀久太郎の姿があったので捕まえて姉上の所へと案内をさせた。

「姉上、御無事ですか！」

「・・・ああ喜六郎か」

　陣内に通されると姉上にもすでに本願寺の話しが届いているようで、大分苛ついた様子で地図を広げて見ていた。

「こっちは本陣が浸かった位で問題ないわ。貴方の所で何かあったのかしら？」

「いえ姉上の無事の確認と、東の方で騒ぎが起きているようでしたので駆けつけた次第です」

「そう。ありがとうね」

　姉上は地図から一切目を背けずに会話を続ける。

「本願寺が兵を挙げたわ。今はまだ温い反抗だから問題はないと思う。・・・けど、こっちに居る雑賀根来衆がどう動くか、それに三好の連中も息を吹き返すわ」

「狙い済ましたかのような本願寺の動きですが、これは三好と計画していた物でしょうか・・・」

「さあね、本願寺と三好が結託していようがいなかろうが、こうなったらどちらも相手にするしかないの。幸い侍大将以上で溺れ死んだとの報告は来てないわ、早い所部隊を立て直して貰わないと・・・」

「ですが海に近い所は見てきた感じでは二三日程度では水は引かなそうでした。こちらも混乱していますが三好勢も今は本願寺との合流を優先するのではないでしょうか。それを考えるとまずは本願寺に注力してはいかがですか？」

「それも考えているけど・・・」

　俺の提案を聞き姉上はようやく顔を上げてこちらを見た。言葉を濁し、困った表情を浮かべながら続けた。

「公方が本願寺とは戦いたくないって言ってるのよね。この場所での戦もなるべく本願寺を刺激しないようにと言われていたのよ」

「・・・それなのに楼岸に砦を築いたのですか！？あんな本願寺の目と鼻の先程の距離にも関わらず？」

　俺がそう言うと姉上は苦虫を嚙み潰したような表情でただ首を縦に振った。

　それを見た俺は何も言えず、肩を落とすしかなかった。

「最初は上手いこと行くかなと思ったのよ。間近に砦が築かれて戦をすれば門徒達が石山からどこかへ行くんじゃないかってね」

「以前もそうやって先走った考えで動いた結果、酷い目にあいませんでしたっけ」

　俺が思い浮かべたのは、まだ美濃が斎藤の勢力下であったときの上洛戦の事であった。あの時も先走った姉上が不意を突かれて大負けしていた。

　そう言えば今回三好勢の中に斎藤右兵衛大夫が居たな・・・。もしかして織田にとって斎藤は縁起の悪い存在なのでは？

「兎に角、ここで本願寺が敵対したことは想定外すぎる。そう遠くないうちに此方にも僧兵を寄こしてくるだろうからその対応をしないと」

「やはり楼岸ですか？」

「そこもあるけど恐らくは私たちのすぐ後方を突いてくるはずよ。前方は浸水してもう暫くは満足に動けない、狙うならここしかないわ」

「そうですか、ではそこで一当たりしておかないと駄目ですね」

「ええ」

　姉上は短く返答をするとまた地図に目を落とし黙り込んだ。

「喜六郎、貴方の兵たちは無事かしら」

「ええ多少水に濡れたくらいで動きには支障ないです」

「分かったわ。貴方に天満ヶ森へ出てもらうわ。内蔵助や犬と共に押し返しなさい」

「承知しました！」

　こうして俺はこの重大な局面での合戦を行うこととなった。