落窪合戦
佐久間・柴田勢が合流したのに合わせ、落窪城より六角勢も兵を繰り出してきた。
野洲河原沿いに両軍は対陣することとなる。
六角勢はつい先ほど敗走したばかりで最早死に体であるはずなのに人手だけは一丁前に揃えていた。
「どうも敵は一枚岩でなさそうですな」
そんな彼らに対し眼前の敵軍を見て奥山はつぶやいた。
「そうなのか叔父貴?」
「ああ見てみろ。手前には禄に具足を着けてない連中が並び、中段にいる連中は恐らく門徒だろうな、どのこ宗派かは分からんが程々に質のよさそうな具足を着けている。そいで最後、城に近いとこに居る連中は六角方の国人勢力とその郎党と言ったところだな」
「確かにそうだな!」
「落窪城はそんなに大きい縄張りでなかったはず。入りきらなかった農民たちをどうにかしようとした時に、我らが着陣したので向こうもそれに備えたのでしょうな」
「成程。農民を纏める為に城から大将が出てきた。だからあのような布陣となっているわけか」
「ええ恐らくですが。戦況にもよるのでしょうが前列が崩れれば城から飛び出してくるのではないですかね」
そして改めて前方を見る。
どうにも手前の農民からはやる気を感じられず、渋々言われて並んでいるだけのようにも見えた。そして馬に乗った将が彼らを鼓舞しようとしているのか、声を上げて何事かを叫んでいる姿を見ることができた。
「あの農民たちは一揆を起こしたから六角に付いてきたけど、これだけの敵と戦うことは想定してなかったのかもな」
ふと思いついたことを口にする。
「だが戦えば相手が誰かは関係ないですよ喜六様。そうだよな叔父貴」
「こればかりは理介の言う通りだな。油断して挑めばこちらが痛手を負うこともありますので」
「分かってるよ二人とも」
戦は昼を過ぎた頃始まった。
兵力に双方差はなく、正面同士のぶつかり合いとなった。
弓矢を放ち槍を合わせる。だがどれだけあっても所詮は農民主体の軍である。対してこちらは猛将で知られた鬼柴田の軍勢に、父信秀の代より付き従って来た佐久間出羽介。それに我が清州勢も美濃攻めから始まり今日まで数ある激戦を潜り抜けてきた精鋭である。
負ける筈がなかった。
前に出していた農民が逃げ出すと敵は慌てて郎党を送り込んできた。
だがもう遅かった。
勢いづいた俺達を止められるはずもなく瞬く間に屍が転がるのであった。
「温い、温いッ!そんなものか六角承貞!!」
玄蕃の暴れっぷりは相も変わらず目を見張るものであった。
加えて足軽達はそんな彼女に引っ張られて勇ましく突撃をして彼女の後を追いかける。
そして奥山が突撃した者達の後ろを固め崩されないように対応する。
一種の完成した陣形と言っても良いのかもしれない。
・・・まあ俺を置いていくのはどうかと思うが。などと圧倒的な戦況の前に考える。
「やっぱ玄蕃が居れば大抵のことはどうにかなる気がするな」
最近はそう思うようになっていた。
「あのう、殿は着いて行かなくて良いんですかね?」
「つい呆けてしまった。助かった三之丞」
とつい遠くを見てしまった俺を現実に戻るよう声を掛けられる。
玄蕃と合流してからは、玄蕃と奥山、俺と三之丞との二人一組での行動がどうしても多くなっていた。
「では俺達も手柄を上げるとしよう」
「はいっ」
結局この戦でも六角承貞父子を討ち取ることができなかった。
上洛戦に際して逃走する六角父子を迎え入れた恩人であり、管領代六角定頼の頃から仕えた重臣三雲対馬守定持の討死との報せが入ると、またもや僅かな供回りだけで戦場を離脱して生き永らえたのである。
総大将の不在に浮足立った六角勢は悲惨なものとなった。
武士も農民も区別なく首を討ち取られ、結局三雲対馬守を筆頭に高野瀬に水原、伊賀甲賀の侍だけで八百近くの者が討ち取られる大敗北となる。
この敗北によって残された三雲一族を始めとした、江南地域の土豪は六角から織田に服属を誓い、上洛以来の国人勢力の臣従と近江半分の平定を成し遂げることができたのであった。
※ ※
江南地域の平定が完了すると姉上から俺達だけ帰陣しろとの伝令が届いた。
これは素直にありがたかった。
金ヶ崎では城攻めからの撤退戦、そして長光寺での籠城戦に落窪での追撃戦。
家臣たちは疲れた顔を見せないようにしていたが、実際体力的にも精神的にも疲れていることは間違いないだろう。当然俺もだ。
東山道が封鎖されている今、千草街道を通り清州へと帰陣することになる。
遠回りとなるこの道を通っていると、織田家の本拠地である美濃から京へ至る、主要な街道である東山道の確保は至急であるとどうしても再認識させられる。
その道中ふと思い出す。姉上はこの千草街道で狙撃をされた。幸いに銃弾は体を掠めただけであり掠り傷程度で姉上の命に支障はなかった。
とはいえ暗殺を目論んだことには違いないので、その下手人を必死で捜索させているらしいが未だ確保には至っていない。
「公方と関わってから俺達碌な目にあってねえなあ・・・」
俺が関わっただけでも本圀寺の襲撃に金ヶ崎での撤退戦、そして南近江での籠城戦。これが一年と少しの間に起きたのだ。
どうにも公方が疫病神だとしか思えなくなってきた。
そんなこと不遜なことを考えながら清州城に戻るのであった。




