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元亀元年

第四部 足利織田包囲網編

 時の将軍足利義昭は人生の絶頂の最中にあった。

 兄が死んでよりの念願が叶い、自らは征夷大将軍として公方になった。

 政敵の平島公方家はその庇護者である三好家の弱体に伴い京への復帰はおろか、前の将軍であった義栄の死と義昭自らの存在により名前を残っているものの存在感は皆無であった。

 畿内は公方の名の下に鎮まりその足場を固めている。そんな状況であった。

 信長が三好討伐に乗り出せば平島公方家はその尽くを葬り去れる。そしてそれは後回しにしても全く問題がなかった。

 そして今は在りし日の足利による政を取り戻すことを目標として各地の大名へ自らの手で書状を送り、将軍としての存在感を高めていた。


 それだけではない。

 いまだ実現はしていないが、将軍が代替わりしたままであるというのに元号が『永禄』のままである。これは憎き三好の奸計により斃れた兄光源院の時代のモノであり、義昭にとって不吉なものでしかない元号である。故に朝廷へ改元を請う為奏上した。その上で改元の費用とは別に朝廷への献金を行った。その甲斐はあったようで春過ぎには改元ができる見込みである。


 それと時期を同じくして新たな御所も竣工した。この祝いとして能を上演させることとした。

 これには前回の将軍就任時と比べ、見物客として信長の相婿である飛騨国司姉小路中納言、先年従ったばかりの伊勢国司北畠中将といった者だけでなく、三河より徳川三河守、更には三好左京太夫や松永弾正少弼、河内紀伊守護畠山昭高に丹後守護一色義道など、畿内が安定したが故の人物が訪れていた。

 ここに若狭武田氏の当主であり、甥にもあたる武田孫犬丸元明が居ないことは多分にして残念であった。

 年明けに信長を通じて彼の上洛を促したが何も返事がなかった。当主朝倉左衛門督の上洛どころか、その使者による弁明すらも、だった。

 それを考えると将軍たる自分の命令であるにも関わらず、彼の身柄を自らの手元に置いたままにしている朝倉左衛門督の仕様は許せるものではない。

 それにこの場には上洛に手を貸してくれた浅井もこの場に居ない。彼の家は朝倉と盟を結んでいたはず。

 能の見物客をみて考える。――この状況であるなら阿波の平島なんぞより、先ずは朝倉を懲らしめる方が先ではないか、と。

 将軍となり未だ将軍自らの手により軍を興していない。そのはじめとして朝倉征討をしてしまうか。それとも若狭を押さえ朝倉に武田孫犬丸を引き渡すようにさせるべきか。色々と考えが浮かぶ。


「――ぅ様。公方様」


 思考の海に浸っていると、傍に控える小姓から声をかけられる。

 それにより意識を現実へと引き戻せた。


「ああすまん。もう始まるかな」

「はい間もなくとなります。差し出がましいかと思いましたが外からの声が聞こえておりませんでしたので」


 恐縮しながら小姓が話す。


「気にするな。もうすぐ・・・ああ弾正忠殿がお出でだ、後は気にせずに後ろに下がっていろ」

「ははっ」


 ――そして演目が開始された。

 観世太夫と今春太夫の二流派による競演である。それを各演目事に交互に演じていく。


「御父殿、どうぞ一献」

「公方様御自らの酌、まこと感謝の至りにて」


 義昭は手ずから酒を注ぐ。


「さていつかにもお話しさせていただきましたが、改めてお聞きいたします」

「いったいどんなことでしょうか?」


 俺の言葉を聞いた弾正忠の雰囲気が少々張り詰めたものとなった。

 流石四か国を治める大名なだけはある。しかし俺は将軍だ、こんなことで怯むわけにはいかない。


「そんな睨まないでくれ。余から言いたいことだが、もう少し上位の官職に就かないかと聞きたかったのだ。希望の官位があれば朝廷に取り次がせて貰いたいのでな」

「左様でございましたか。されど以前にも申しましたが私めの身には勿体なさすぎるモノです。すでに我が一族の弾正忠の職を戴いております。これ以上求めるは私の器量に合わないものですので折角の申し出ですがご辞退させていただきます」


 俺の言葉を聞いた弾正忠はその気を緩め答えてくれた。

 薄々はそうだろうと思っていたがやはり断られたか。


「そうか。ならこの話はこれで終いにしよう。弾正忠殿も引き続き楽しんでくれ」


 大方先年の内裏の修繕に対する借りを返そうという考えがあったのだろう。今回の叙任の打診は公家の者共が押してきた話なのだ、わざわざ俺が粘ってまでする話ではない。

 俺としては将軍に就けてくれた礼はすでにしているのだから、どうしても叙任させる必要などない。


 ――この日の能興行は好評を博した。だが義昭の意識は越前に向き続けたのであった。



 ※  ※


 翌日のことである。


「急な呼び出しで済まなかった、弾正忠殿」

「いえ、この身は公方様に仕える者です。お呼び立てとあれば如何な用件であろうと、第一に参じるのは当然のことです」


 彼女は言った通り京にいる間は俺の元にすぐさま駆けつけてくれている。

 本当に働き者であると感心しきりだ。まあ仕事のし過ぎで俺の将軍としての仕事を減らしてくるので、威光を示す機会が少ないことは不満であるがな。


「うむ、殊勝な心がけよ。此度呼んだのは越前の事である。余が公方の座に就いてから朝倉の者の顔を未だ見ぬ。これはどういうことだと思うか?」

「は。おそらくは公方様のことを認めぬとの考えでしょう」

「うむ、そうだ。上洛をするように越前へ使者を何度も送ったが、使者は皆当主の左衛門督に会わず帰されるばかり。そしてそのことに対する弁明の使者どころか詫び状すらも寄こさぬ。挙句余の甥である武田孫犬丸も連れ去り越前の屋敷に閉じ込めているとか」

「左様でございます。朝倉とも昵懇であり我が妹婿である浅井備前守にも、朝倉を調べてもらいましたが武田殿のことについて秘せられているようで。家中にも話はとんと聞かなかったようです」


 一拍、時を置く。


「もう一度だけ余から左衛門督に書状を送る。孫犬丸を解放し、左衛門督と共に京へ上るように、と。確か年明けに決めた掟では弾正忠の副状も要したな、すぐさま用意せよ」

「かしこまりました」

「返答なくば若狭の支配を認めぬ、甥を取り返させてもらうぞ。準備しておけ」


 俺の言葉に頭を下げる。


「万事抜かりなく」

「うむ、頼みとしておるぞ御父」


 時は永禄十三年、春の事であった。

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