南近江
義昭様に応えるよう姉上は美濃攻めの最中から上洛工作を行っていた。
その工作もあと一息という所であった。越前に滞在している義昭様が焦れてきている。
そう姉上に告げたのは先年より、義昭様の使いとして我ら織田家に合力している明智殿であった。
我ら織田家に対し義昭様は稲葉山城を落とし斎藤を駆逐した直後にも関わらず上洛の為の軍を興すように命じてきていた。
その際には明智殿や細川殿らには美濃を落とした直後の動員の難しさを義昭様に説明してもらい、一度は納得してもらっていた。
しかしこの一年の間に三好方の擁立した足利義栄が朝廷より将軍宣下を受けたことでその立場を盤石なものとしたのであった。
これにより義昭様は焦燥感にかられた。その意気はすさまじく、数日おきには書状をしたため各地の大名家に訴えかけているとのことである。
これ以上の工作は義昭様の手により破綻しかねない。
そう判断した姉上は越前の義昭様に迎えを出し、岐阜の留守を三郎五郎兄上に任せ尾張美濃北勢から軍を興し近江に入ったのであった。
「やはり六角は三好方に付いたようね」
「は、説得できず、申し訳ございませんでした」
使者として六角右衛門督義治の許へと赴いていた和田殿が頭を下げた。
「いえ構わないわ、駄目で元々と思っていたもの。そもそも義昭様に協力するのであれば最初っから追い出す必要なんてなかったもの」
そう俺たちは岐阜を発つ前から姉上より直接、六角とは戦になる可能性が高いことを告げられており、まさしくそうなっただけのことである。
織田の将兵は心構えができており、ただ戦を待つのみであった。
観音寺城は繖山に築かれた六角氏の本拠である。その防備は膨大な数の曲輪と支城、東は愛知川によって守られた堅城であった。
「殿!あやつらは和田山城に田中治部大輔ら主力を配し、箕作城に吉田出雲守を、観音寺城には六角親子が籠る構えを見せておりまする!」
織田徳川浅井からなる上洛軍に対し六角は籠城を選択した。
物見よりもたらされた情報を手元にあった紙に書き連ねていく。
「定石で言えばまずは和田山城を攻める形になりますな」
「左様、ここを無視して直接観音寺城を目指しても他の城から出た敵に挟まれてしまう」
「されど主力を置いているのであれば簡単には落とせぬでしょうな。和田山城に掛かりっきりになってしまえば箕作城から挟まれる」
敵の布陣を見ながら皆思い思いのことを述べていく。
その多くは時間をかけて攻め落とすことを考えているようであった。
「皆さん難しく考え過ぎではないかと」
声を上げたのは義弟の浅井新九郎殿であった。
「我らは数で六角に勝っております。まずはこの三城に対し兵を分け押さえておけば六角は手出しなどできぬものと考えます。それに観音寺城の造りはこの東山道に対しては極めて開放的で脆くなっています。家臣団からの求心力が落ちている現状であれば、城に籠ったままでは不利と悟ると思います」
彼の意見を聞き皆布陣図を見やり黙った。
「新九郎の言う通りね。我らは部隊を三つに分けて同時に攻め込む。和田山城には稲葉ら西美濃衆を、観音寺城へは権六と三左に、残りの私たちで箕作城へ。すぐに支度なさい!」
「「「ははっ」」」
姉上の号令の許皆すぐに動き始めるのであった。
※ ※
織田勢が一斉に愛知川を渡河を始め、各々が目標へと押し寄せる。
俺達那古野衆は姉上と同じ箕作城の攻略を任されていた。
東口より丹羽五郎左、北口よりは藤吉郎殿が中心となり押し寄せる形となっていた。
所々石垣も組まれており急峻な坂道を登る形となっていた。その上、ここを落とされたら観音寺城が目前と言うことも相まり敵の反撃は強固なものであった。
そんな中丹羽隊は果敢に攻め寄せて行く。敵の矢を木盾で防ぎ、あるいは槍で敵兵を押しのけていく。
「那古野衆、功を上げろっ!」
俺達も丹羽隊の後を着いて行き攻め上る。
敵の反撃にあい交代する丹羽隊の者達と入れ替わり最前線へ。あるいは俺達も引き下がり復帰してきた丹羽隊の者と入れ替わる。
申の刻より始まった城攻めは落城の為の決定打を打てず、およそ半刻の時をもって退却の法螺が鳴らされた。
姉上の本陣近くまで戻ると、そこには北口より攻めかかっていた藤吉郎殿がいた。彼もまた激しい抵抗にあい主だった成果を上げれていなかったようだ。
「・・・ん?喜六郎様でありゃあしたか」
彼は近づいてきた俺を一瞥するとまた元に戻りどこか一点を見つめていた。その眉間には皺ができていた。
「藤吉郎殿、北側はどのような状況でしたか?」
何を考えているのか気になり彼に声を掛けた。
「いんやあ、喜六郎様の東側とそう変わりゃせんでよ。一部で石垣が積まれとって、山道ん中突き進みゃあても、敵の曲輪に着く前に矢の雨にゃ降られ、曲輪に辿り着いても槍で追い返されたがね」
「成程、こちらも同じでした。早く落とさないといつ三好の援軍が来るか分かった物じゃない。悠長にしてられないというのに」
ハァッーと大きい溜息を吐き藤吉郎殿が寝転がった。
「そういえば先ほどは何を考えていたので?」
と声を掛けるきっかけについて尋ねる。
「・・・今回の城攻めで不甲斐にゃあ有様だったんで、何かいい手が無ゃあか考えていたんだぎゃ」
「城攻めといっても結局押し込むしか・・・」
藤吉郎殿は戦果を挙げることができず、他の手立てを考えていた。
俺は彼と一緒になり考える。
どれほどそうしていただろう、気づけば辺りは日が沈み切り夜の帳が下りていた。
ん、夜・・・?
「夜襲、はどうでしょうか?今日は朝から渡河をしてそのまま攻城したばかり。普通は大人しくしていると相手は考えるのでは?」
ふと思いついたことを口に出す。
「それに確か麓には藁が積まれていたはず。これを用いれば松明として転用ができる。相手が気を抜いてくれてさえいれば城を落とせるかも」
言っているうちに良い案な気がしてきた。
「そ、それでいくだぎゃ!すぐに殿に進言しにいくがね!」
と藤吉郎殿は慌てて立ち上がり走っていく。突然の動きに圧倒されたものの俺はすぐに後を追いかけた。
すでに藤吉郎殿は夜襲の概要を姉上に伝えその許可をもらっていた。そして追いついた俺と入れ替わりで本陣を飛び出して行ってしまった。
動きが速すぎる・・・!
「喜六郎、猿から話は聞いたわ。アンタも兵を連れて松明の作成に取り掛かりなさい」
と来たばかりに関わらずすぐに追い出されてしまった。
ちらりと見えた本陣では慌ただしく小姓衆が駆け回っていた姿が見えたのでおそらく彼らも夜襲の準備を課せられたのだろうと当たりを付け、自陣へと急ぎ帰るのであった。
※ ※
夜襲の準備が整った。
すでに箕作城攻めの織田軍に緩んだ空気はなく、皆一様にこの一戦で落城させるという気概で満ちていた。
「殿、すでに敵軍は警戒を解き見張りに立つ者は僅かばかりでありました」
「あい分かった。――皆松明が灯されたら夜襲の合図だ。それまでは音を立てず、ただ機会を待て!」
俺は手勢の何人かを物見として走らせていた。
数刻前の攻城では短い時間ながらも激戦だったのだ。
多くの織田の兵が手傷を負い、曲輪の占拠も出来ず退いたのが今日の結果。長期戦になる雰囲気であったのだ。六角勢も長期戦を覚悟していた。
その結果、やはり敵は警戒を解いているようであった。
どれほどの間城を眺めていただろうか。
暫くすると山全体に火が付いたかのように灯が灯された。
「あっ!」
「灯だ!合図だ!」
周りの兵が声を上げる。
遠くからも喚声が上がっている。
「行くぞ者共、敵は緩んでいる!功を上げろ!」
俺達も後へ続かんと山を駆け上る。
敵にとって完全に予想外の夜襲だったようだ。反撃として頭上から降ってくる矢も昼の時と比べ物にならないほどに少なく、勢いもない。
「進め、進めぃー!」
俺は刀を振るい兵を激励する。
抵抗してくる敵を斬り捨て、あるいは配下の者が袋叩きにし、城門へと辿り着いた時にはすでに他の織田の兵が斬り合っていた。
「クソッ。一番手柄は取れなかったか」
主郭のあちらこちらで織田の旗指物が見える。
抵抗している者も徐々にその数を減らしていき、夜が明ける少し前に俺たちは箕作城を押さえることに成功した。
日に照らされたこの城からは六角の本拠である観音寺城を見ることができた。
※ ※
箕作城を攻め落とした日の夜、翌日の観音寺城攻めに備えていた俺たちの下に驚くべき報せがもたらされた。
「なに!?観音寺城からすでに六角父子が逃げ出しているだと!?」
何でも観音寺城に籠る兵の数が昨日と比べて減っていたのを見て不審に思って物見を放ったところ、一部の敵兵たちがこちらに接触してきた。そしてそいつが言うに六角承貞が箕作城を攻め落とされたのを確認するとすぐに一部の馬廻りと密かに夜が明けきらぬうちに遁走していったとのこと。
これを聞いた織田の者は皆一様に呆れを覚えるのであった。
翌日実際に観音寺城に向かうと勿論敵の反撃にあうこともなくこれを手中に収めることに成功した。
観音寺城陥落の報が広まるのは早かった。箕作城以外の各支城も降伏、あるいは城将の逃亡により尽くが織田家の支配する所となった。




