犬山
墨俣を手中に治めた姉上は墨俣城を佐久間殿に、新しく築いた十九条砦に従兄弟である織田勘解由左衛門殿広良殿を置いて斎藤勢の襲来に備えた。
一度姉上は尾張へ帰陣したものの、敗走した斎藤勢は軍勢をすぐに立て直し墨俣奪還の兵を挙げたとの報を聞くと再度出陣するのであった。この時俺は那古野での謹慎に入った。
連日の大雨により増水した川が氾濫したため織田本体の救援が難しいことを確信した斎藤勢は砦に攻め寄せた。
しかし姉上が無事に渡河したことを知ると兵を引き上げ、さらに北方の十四条へ陣を構え織田勢を迎え撃つのであった。
これに対し追撃を掛けた姉上だったが当初は優勢であったが織田勘解由左衛門殿が斎藤方の野々村某に討ち取られると次第に劣勢となり、一度態勢を立て直すために陣を退いた。これに対し斎藤勢も十四条から軽海の地に移動し、そこで対陣する形となった。再びの戦いも激戦であった。両軍の足軽がぶつかりあいどちらも崩れることなく対陣し続けた。夜も過ぎたころしびれを切らした斎藤方の真木村某が突撃してくるとこれを撃退した。夜間ではあったものの斎藤勢を追い払うための追撃に際し、佐々内蔵助と池田勝三郎の手により稲葉又右衛門を討ち取るなど功を上げ、斎藤勢を撃退し墨俣を完全に手に入れたのであった。
とここまでは那古野で聞いた話である。順調すぎるほど快進撃であった。
しかしそうは問屋が卸さなかった。
かつて岩倉攻めの際に弾正忠家の軍門に下ったと思っていた犬山の織田下野守信清反旗を翻し、弾正忠領の楽田城を奪い取ったのである。
彼とは前から旧伊勢守領との境での領地争いが起きており問題となっていた。
この報はすぐさま墨俣の姉上に届けられ、翌日には清州へと帰城するのであった。
謹慎はすぐに解かれた。
※ ※
「十中八九下野守は斎藤と結んでいます」
楽田城主であった織田掃部助の言葉である。
「まあそうでしょうな。犬山と美濃との近さから考えても結ばずに我らに反旗を翻すと南北に敵を抱えることになりますし、犬山の独力では今回のように局地的に勝てても、最後まで勝ちきる見込みが無いですから」
「そうですそうです。さすがは喜六郎殿。上総介様、一度はこの掃部助油断して城を奪われはしましたが、上総介のお力添えがあればすぐにでも取り返して見せまする」
調子よく掃部助は言い放った。
だがこの掃部助は下野守が攻め寄せた時に禄に防衛もせずに城から逃げ出していたのである。勿論姉上はこのことを承知している。
「そうね。下野守には灸を据えてやらないとね」
「おお、では早速の出陣ですかな!」
「いや、今すぐというわけにはいかないわ」
姉上の言葉に不満げな顔をのぞかせる。
「それはいったいどうしてですかな?」
「まずは私たちの兵の多くがつい先日まで美濃で戦をしていたからね。美濃から戻して、はいまた次は犬山で戦ですって言っても士気が低すぎて使い物にはならないわ」
「ふむそれもそうですな。だけれどいつまた下野守が南下してくるかわかりませぬぞ」
「それは確かにそうだけど美濃には上四郡の兵は連れて行かなかった。だからある程度は持ちこたえられるはずよ。まさかこんなにあっさりと抜かれるとは下野守を見誤っていたわ」
「むっ」
最期の言葉完全に掃部助への煽りであった。
「それに犬山には私の姉が嫁いでいるのよ。すぐに攻めかかったりなんてできるわけないでしょうが」
これについて掃部助は埒外であったのだろう。姉である犬山殿のことを口にした途端に掃部助は何も言わなくなった。
「兎に角近いうちに一度犬山へ動くわ。掃部助は下がりなさい」
「ははっ」
掃部助が去ると姉上は大きく息を吐いた。
「はあ~。掃部助がもう少し城で粘りさえすればまだやりようがあったというのに」
「そうですね、何でも下野守が攻め寄せてくると城門を開けないようにとだけ伝えて、一当たりか二当たりほどで城を抜け出したとか。家臣が指揮をとって何とか持ちこたえていたそうですけど、それも少しして破られたとか」
「おべっか使うのは上手いのよね。口が達者だから、外交とかには使えるのでしょうけど」
この場の空気が重くなった。
「・・・まあこうなってはどうしようもありません。犬山をどうするか考えましょう姉上」
「そうねえ、北上して攻めていくしかないわね。犬山の東は山で大軍での迂回ができないから西と南から押し寄せるしかないわ」
「でしたら於久地と楽田からですね」
「とりあえずはそうなるわね。来月あたりを目安に出陣するから喜六郎も備えておきなさい」
「かしこまりました」
「これで斎藤がまた勢いづくわ。何とか墨俣を奪われなければ良いけど・・・」
「それは佐久間殿に頑張っていただかないとですね」
折角奪った土地である。これを奪われては再度やり直すことになる。その時は敵も警戒が今回以上になるのは想像に難くない。
一方で斎藤からしても墨俣がこちらの手にあるのは交通の要衝を押さえられただけでなく、西美濃との連絡が難しくなる。これを奪還するのに注力する絶好の好機に違いない。
折角今川治部大輔を打ち破っても次から次へと頭の痛い事案が舞い込んでくる。姉上の行先はこんなことばかりなのだろうかと頭が痛くなるのであった。




