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首取り

「ふふふ喜六郎、この三郎に運が向いてきていると思わない?」


 清州へ呼び出されたこの日、姉上が大層ご機嫌であった。

 周りに集められた他の者も困惑しており、居心地が悪そうであった。


「何かあったんですか?」

「よく聞いてくれたわね。これは私たちにとっても良いことなの」

「はあ」

「何よその顔は」


 本当に機嫌よさそうだ。こんな姉上は見たことがない。


「いえ、まだ私どもは内容を知りませんので、早く教えていただければと思うのですが」

「そうね、そうだったわね。きっとこれを聞けば皆も驚くわ」


 とても勿体づけて話す。


「斎藤左京大夫が死んだわ」

「え?」

「なんと!」


 姉上の言葉に集まったみんなが驚き声を上げる。

 予想だにしなかった出来事であった。


「どうやら急に病に倒れてそのままらしいわ。何分急なことで斎藤家中も大慌て。民にもこのことが広まったらしいの」

「たしか、斎藤左京大夫はまだ三十も半ばほどの齢でしたな。なんとも急なことで」

「そう、そうなのよ三左!惜しいことに左京大夫の子供は一人だけで家中が割れることは無かったってことね」

「けれどまだ齢十四、五程の若さであったはず。・・・もしや」

「ええそうよ三左、この隙を突いて美濃を攻める。そして稲葉山への橋頭保を築きたいと思っているの。ただどこを確保しようかと思って皆を呼んだの」

「なるほど、ですから我ら美濃の出の者が多かったのですな」


 といって集まっている者の顔を見渡す。

 ここには重臣の佐久間、柴田の他、金森や堀、美濃国主道三の末子であった斎藤利治なども顔を並べていた。


「美濃を攻めるならば、ですか」


 皆顔をしかめて考え始める。


「――では墨俣の地はいかがですかな」


 と声が上がった。


「墨俣?」

「ええ、墨俣です。東美濃は山がちなうえ、犬山を通らねばならず行軍に支障があります。かといって笠松や前渡の辺りからでは稲葉山に近すぎてしまい渡河中に襲われる可能性が高い。けれど墨俣ならば稲葉山からはほどほどに離れている上、南から渡ってしまえば早々邪魔はされぬでしょう」

「なるほど、それに墨俣を確保してしまえば稲葉山だけでなく西美濃にも圧力を掛けられる」


 彼らの言葉を聞いた姉上は少し考えた後に答えを出した。


「よし、今回は墨俣の奪取に動くことにするわ。二日後には軍を動かすから急いで支度しなさい」

「「「は」」」

「それと金森五郎八や森三左衛門は美濃衆に渡りをつけておきなさい」

「「ハハッ」」


 姉上が話を纏めると皆すぐ戦支度に取り掛かるのであった。


「・・・西美濃を牽制するには六角か、浅井か。どちらにしようかしら」



 ※  ※


「又左衛門殿。貴方は目立つのですからもう少し縮こまっててくだされ」


 付近に並んだ他の将兵に目を向けられていた。ジッと見続ける者はいなかったが、どうしても那古野衆に紛れる又左衛門が気になるようで、頻繁にこちらへと視線をよこされていた。 

 渦中の又左衛門殿はそんな目を気になどせず、ただ前方の斎藤勢にのみをにらんでいた。

 俺は傍に控える又左衛門に声を掛けながらこうなった経緯を思い出すのであった。


 あの日那古野城へ戻った俺は、家臣に戦支度をさせ、居候の前田又左衛門に美濃への攻撃を伝えた。

 この時は前回の桶狭間の時と同様に浪人として参戦するものだとばかり考えていた。


『又左殿、今回は美濃の墨俣へと攻め込むこととなりました。手柄を上げるのならばこれにも参戦するといいと思う。此度もこの那古野の馬を一頭連れて行っても構わないです』

『ありがとうございますっス!けど今回の戦は私も那古野の兵として陣に加えていただきたいっス』

『は?』

 しかし違った。

『いやいやいや、又左殿は姉上の怒りを買って出仕を禁じられているのですよ!それを無視して陣に加えるのはさすがの姉上でも許してくれるはずがないでしょうが!』

『それはそうかもしれないっス。でもこれまで浪人の身である私を二度も居候させてくれた喜六郎様に恩を返さないのでは私の気が収まらないっス。それで戦に出て首を取ってもどうして三郎様に顔を向けて会えるのでしょうか。そのような恥知らずには為れませんっス』

『しかしだがなあ』

『もし難しいのであれば今回の戦は那古野にて留守番とさせていただくっス』


 ドンと頭を下げ梃子でも動かなさそうな又左衛門を見てつい固まってしまう。

 彼女の言葉通りに参陣させないのは簡単だ。だがその選択はありえない。

 彼女の姉上を思う気持ちは本物だし、姉上に彼女が必要なことは皆知っている。だから那古野に暮らしていることを誰も敢えて言ってこない。


『重ねてお願い致します。この前田又左衛門利家、織田家の為、織田三郎様の為に働きたく。その為織田喜六郎様の一兵卒として加えてください』

『・・・分かった。そう言われたら断れない』

『ありがとうございます』

『ただし目立たない格好で来てください。この那古野の兵として扱わせていただきますからね』

『はっ!喜六郎様の為必ずや斎藤方の首を上げて見せますっス』




 昨日俺達織田勢は木曽川を渡河し勝村の地に陣を構えた。この日は美濃勢の来襲もなかったが、翌日には長井甲斐守と日比野下野守が、遠藤六郎左衛門と共に墨俣城を南下してきた。

 織田勢千五百。対し斎藤勢六千。またしても兵数の上で劣勢であった。

 この日も大雨が叩きつけていた。


「織田の将兵よ!昨年の今川治部大輔との戦同様今回も雨が降っている!雨はこの三郎に天が与えた加護に相違ない!敵はこの中を掛けてきた。我らに比べて疲れている!いざ、進軍せよ!」


 姉上の号令の下、着陣したばかりの斎藤勢に突撃を繰り出した。


 着陣したばかりの斎藤勢にとって、一糸乱れぬ織田勢の突撃は手痛いものであった。

 散々ぱらにやられはしたものの、斎藤に名だたる将の声もあり徐々に陣を纏め反攻を開始した。

 両勢がぶつかり合い、剣戟の音や馬のいななきがそこかしこに上がっていた。


「那古野衆、押せ!」


 押しては引き、引いては押す、この繰り返しである。

 何度目かのぶつかり合いに敵味方も疲れてきたころに敵陣から一人の武者が飛び出てきた。


「俺は日比野下野守が家臣、足立六兵衛なり!俺と戦おうという気概のあるものは居るかッ!!」


 彼の姿に俺たちは足踏みしてしまった。

 足立六兵衛――頸取足立として何度か斎藤勢と戦った時に織田の兵が瞬く間に討たれ、その名が尾張勢に轟いていた。


「誰もいないのか!そんなことで美濃を攻め取らんとは笑止なり!織田が将兵は皆弱卒よ!この戦がお前らの墓場だ!」


 彼の挑発が響き渡る。

 そこで一人の武者が飛び出したものの、彼は数度斬りあった後に首を討たれてしまった。

 彼は動かなくなった俺たちを一度見回した後、突撃を仕掛け兵たちは次々に斬り伏せ始めた。


「こうなったら俺が直接アイツと戦うしか・・・」

「お待ちくだされ、殿!」


 馬を駆け足立の下へ向かおうとしたが家臣に止められてしまった。


「くッ、だがこのままでは俺たちは足立一人にやられてしまうぞ!」

「それでも殿自ら出ては駄目です!」


 言い合いをしていると又左衛門がやって来た。


「私にお任せくださいっス喜六郎様。足立の首を取ってきてやるっス」


 それだけを言うと足立の目の前に走っていった。


「尾張浪人前田又左衛門利家!織田喜六郎秀孝様へのご恩返しの為、貴殿の首を頂戴する!」


 この声に兵の動きが止まった。


「その名前、聞いたことあるぞ。確か織田上総介のお気に入りの小坊主を斬った槍の又左とかいう」

「その前田又左衛門っス」

「フンなら相手にとって不足なし。いざ!」


 槍と槍がぶつかり合った。

 二度三度とぶつかり合い距離を取る。


「ほうやるじゃねえか、前田又左」

「どうもっス」


 再度距離を詰めあった。

 どちらも一級たる槍使いであった。首を狙っては避けられ、足を、胴を、手を。巧みな槍さばきであった。

 いつしか二人の戦いに兵は皆手を止め、勝負を見物し始めていた。

 どちらも自陣の将を応援し始め、さながら祭りのごとき喧騒に変わった。敵味方の別なく囃し立てる。


 槍を突き、払い、薙ぎ、袈裟に切り上げる。捻り、跳び、下がり、転がり。攻めては逃れ、自らが流した血と泥にまみれる。


「ここっス!」

「くっゥ」


 又左衛門の強烈な突きをまともに籠手に受け六兵衛は槍を取り落とした。

 慌てて距離を取り、腰の刀を引き抜く。

 だがその動きよりも又左衛門の方が早かった。


「足立六兵衛、この前田又左衛門が討ち取った!!」


 又左衛門は足立の首を掲げながら吠えた。


「この戦、織田の勝利よ!皆存分に首を上げろっス!」


 彼女の声に突き動かされ、先ほどまで共に一騎打ちを見ていたのにも関わらず、槍を手に襲い掛かり始めた。

 猛将足立六兵衛の討死はあっという間に広がった。

 すると付近の斎藤方領主であった、森部城主河村久五郎が織田に付き斎藤勢に襲い掛かり始めた。

 終ぞ兵は逃げ始め逃亡を押さえようとする中、長井甲斐守と日比野下野守は討ち取られ、遠藤は命からがら戦場を離脱していった。

 結果として織田勢の大勝であった。

 勢いのまま墨俣を押さえると次いで、墨俣の北方に位置する十九条に砦を建造した。

 これにより美濃へ軛を打ち込むことに成功したのであった。



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