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今川治部大輔義元

夏山の 茂みふきわけ もる月は 風のひまこそ 曇りなりけれ

 尾張との小競り合い、現当主上総介信長の父である備後守信秀の代から繰り広げられていた。

 初めは三河を舞台として煮え湯を何度も飲まされはしたが三河での優位が決定的になってからのここ数年でその状況は好転した。

 特に備後守が死んでから家督をうつけの上総介が継いでからは尾張への対応に笑みがこぼれるほど順調に進んでいた。

 織田上総介は周囲を対立勢力囲まれ劣勢に陥っていた。

 この分なら、自分がかき乱さずとも自然と織田上総介は居なくなるのではないか。氏真の手で叩き潰し功績にできる。

 そう思えるほどには優位に立っていた。

 しかし気づくと上総介は確実に対立勢力を叩き潰し、尾張での支配を確立していった。

 彼女の事績を見て考える。

 自らが居るうちは対応するのも難しくないだろう。そんな確信はあった。

 しかし愛娘の氏真を見て思う。彼女は上総介と比べると凡才過ぎる。平静の時代であれば、卒なく領国を統治できよう。だから、甲斐と小田原と盟約を結んだ。だが、上総介の目が東を向けた時にどれだけ対抗できるか。

 三河の娘である次郎三郎元康を氏真と供に育て友誼を育ませたが、所詮は十年ほど前に屈服させたばかり三河衆。彼女自身が氏真を支えようとしても、三河の家臣どもはどれほど次郎三郎に着いて行くか分かったものではない。彼女自身心からワシを尊敬し、氏真とは仲良くしてくれている。思いやりのある娘だ。だから考えてしまう、そんな彼女は家臣との繋がりと氏真との友誼、どちらを選ぶだろうか。


「御屋形様。・・・御屋形様」


 深く考え込んでいた。


「おうどうかしたか?」

「大高に詰められている鵜殿様より書状が届きました」


 と書状を渡される。

 ・・・大方弱音が書かれているのであろう。

 今、奴には対織田の最善である大高城に入ってもらっていた。厳しい状況であることは認識していた。尾張への橋頭保でもある城であったため妹婿で信頼のおける者に任せていた。

 この城がこちらの手に落ちていることは織田にとって無視できない事柄である。元々厳しかった締め付けがより強いものとなっていた。

 書状には砦に詰める織田方の顔触れが一門や重臣に代わったこと。城内ではついに食料が底を尽き山野に入り僅かばかりの木の実で凌いでることが書かれていた。


 ――潮時であった。


 これ以上尾張を放置してはまた十年前の状況に戻ってしまう。

 それに前々から那古野今川の連中に奪還の兵を挙げろとせっつかれていた。

 大高、鳴海の救援を期に尾張内部の掌握。いや、織田上総介を駆逐してやろう。

 氏真の統治を盤石にするにはこの機を置いてない。


「これより尾張征討の軍を興す。速やかに兵を集めこの駿府へ参陣せよ」


 駿府に参陣した兵は二万を超した。

 これから遠江、三河を通ることでこの数はさらに増えるだろう。実際に戦える者は減ってしまうがそれでも尾張を叩くには十分すぎる数だった。


 行軍は順調に進んだ、遠江、三河で続々と将兵が合流し、尾張との国境に差し掛かるころには四万を超えていた。

 これだけの大軍を揃えたものはどれだけいただろうか。

 自ら呼びかけておいてなお、その数に圧倒された。


「お呼びでしょうか御屋形様」


 松平次郎三郎と朝比奈左京亮がやってきた。


「此度おぬしらを呼んだのは他でもない。大高城が兵糧も尽き果て雲に困っているという。そこにおぬしたちの手で兵糧を届けてほしい」


 今回の遠征の目的の一つである。


「この役目は絶対に失敗できぬゆえ、ワシが信頼しておるお主らに頼む次第だ。必ずややり遂げてくれるだろうとな」

「承りました!」

「必ずや役目を果たして御覧に入れまする!」


 二人は揃って頭を下げ退出しようとした。


「頼んだぞ。それと次郎三郎!お主にはワシから此度の戦に備えて贈り物をやろう」


 と次郎三郎一人残ってもらい、傍に控えた者に運んでくるように命じた。

 それは金に包まれた甲冑であった。


「金陀美具足という。先年の三河衆の活躍もあり、その旗頭であるお主に何か渡そうと考えてな。それで偶々普段からお主が使っておる甲冑を見かけたら大層くたびれておったが故特別に拵えたのよ!

 使い馴染んだものでもそれはそれで良いのではあるが、仮にもお主は我が娘氏真の友人、それに亡き師匠太原崇孚の教えを受けた者、恥ずかしくない格好をしてもらわねばならないでのう」

「な、なんと!とてもありがたきことにございます。この次郎三郎、必ずやこの御恩を忘れず、戦働きにて忠節を見せてみます!」

「うむ、頼んだぞ。此度の戦にて今川に松平次郎三郎在りと呼ばれるように励むがよい」

「ハっ!」


 と渡した甲冑を持ち帰っていった。

 その翌日には金の具足に身を包み行軍に参加した姿を見てこの調子で松平を取り込むことを考えるのであった。


 それから幾日か経過した。西三河に入ったころには雨が降ったり止んだりを繰り返していた。

 尾張沓掛城へと辿り着いた。


「一同ここまでの行軍ご苦労であった。明日より我らは本格的に尾張攻略を目指す。幸いにも荷之上の服部と申すものも我らに合力し、上総介を窺うという。運はワシに味方しておる。何も恐れることはない。今日はゆるりと身体を落ち着け明日への備えとせよ」

「「ハハッ」」


 上総介に動きは見られない。しかし油断はできぬ。間者からは上総介の動きをつぶさに知らせるよう伝えている。もし上総介が動くならこの場をおいてほかはない。これから何日かはワシと上総介の我慢比べとなるであろう。

 静かな夜が過ぎていく。


「御屋形様!本日早朝、大高城への兵糧の運び入れが完了したと、松平、朝比奈より伝令がありました!併せて大高城を囲む丸根、鷲津の両砦に籠る城兵のことごとくを討ち果たしたとのことです!」

「あい分かった、両名大儀である!」


 結局夜の間に上総介は動かなかった。間者によると上総介は何もせず清州で過ごし重臣は自領に戻り籠城の支度をし始めたとのことであった。


「上総介・・・数に恐れを為しおったか」


 このまま降伏し忠節を誓うのであれば命を助けてやるのもやぶさかでない。


「伝令!僅かばかりの供回りを引き連れ織田上総介が清州を出陣いたしました!行き先は熱田の宮とのこと!」


 ・・・やはり座してやり過ごすタマではないか。


「御屋形様」

「フンやはり上総介は大人しくしている奴ではなかったな。このワシに向かってくるというのであれば海道一と呼ばれたワシ自らの手であの世へ送ってやるとしよう。皆出陣する!まずは大高城へ向かうぞ!」

「「ハハッ!」」

「馬を持てい!」

「御屋形様、すでに先陣として松平や朝比奈殿が敵を切り崩してございます。その上尾張では多くの者が籠城の構えと聞き及んでいます。ことこれに至りまして、わが今川の威光を見せつけるべく、御屋形様は輿に乗り移動されてはいかがでしょうか」


 傍仕えのものが言ってきた。

 確かに彼の言うとおりでもある。すでに敵領内に今川の将兵が入り込み討ち取っている。早朝に清州を発った上総介がどのような動きを見せるかは不明ではあるが、この大軍の中枢までは攻めこむことができぬだろう。


「・・・よし、輿を持て!大高までは輿に乗り行くこととする!」

「はっ!」


 大高城までの道は丘陵地帯が広がり大軍を動かすのに容易ではなかった。自然隊列は細く長くなり、動きも緩やかになっていた。


「伝令!織田上総介、熱田の宮より鳴海城の東、善照寺砦に入りました」

「中嶋砦より敵勢が出陣。その尽くを討ち取ったとのこと!」


 移動中も続々と味方の優勢の報告が入ってきた。

 周りの旗本たちは次第に浮かれ始め、義元自ら窘めるも、その義元すらも多くの報告に喜色を隠せなかった。

 そんな折、雨が降り注いだ。


「ここいらで一度休息を取るとしよう。先ほどよりも少々強めの雨が降ってきおった。ここで無理する必要はないゆえな」


 この言葉に旗本たちは休憩のための陣を敷いた。準備が整ったあたりで雨もより酷くなり、休息を取って良かった。誰もが思うのであった。


「織田の先鋒を蹴散らし、大高を救ったこれ程嬉しいこともない。どれ謡を謡ってみようという者はおらぬか!」


 との声に皆、我も我もと集い、その空気に長旅の行軍による疲れも、雨に降られことも忘れていた。

 いつしか雨は止み太陽が差し込んできた。

 陣を引き払い再度西の大高城へ向け進軍を再開した。

 しかし先程の浮ついた陣中の空気が伝播していたのか、未だ先陣が騒がしいものであった。


「愉快になるのも分からぬでもないが行軍を再開したのだ。いつまでも浮ついていてはいかん。誰ぞ走り行き注意してこい」


 周りの者を走らせる。

 その者が帰ってくるより先に、ずたぼろになった騎馬武者がかけてきた。


「ご、御注進にございます。織田上総介より奇襲を受けました!!」


 この時にはすでに、義元の頭から上総介の行方のことは消え去っていた。

 最後に砦に入ってからの報告が来ていなかった。

 青天の霹靂とはこのことであろうか、その言葉に義元は勿論周りの者も理解できず固まってしまった。


「き、奇襲とはどういうことか!」

「わかりませぬ!先の雨が止んだとおもったらいつの間にか丘の上から突撃を受けたのです。」

「分からぬでは済まされぬぞ!そ、そうだ上総介の連れている兵はそうは多くないであろう!後続で押しつぶせばよいではないか!!」

「は、はは!」


 家臣と伝令の者とで良い争いが始まる。その内容が頭に入ってこなかった。

 だが時は停滞を許してくれなかった。


「注進!注進にござります!久能元宗殿、元経殿討死!」

「蒲原氏徳様討死!」「井伊直盛様、討死!」

「由比正信様討死!すでに前線は崩れ織田勢が攻め寄せています!!」


 届く、報告が、信じられなかった。

 上総介を向かい撃たねば、だができるのか?兵は逃げている。数はもっと増えるだろう。


「っ!御屋形様、ここはお退き下され!!ここに至っては態勢を立て直すほかありませぬ!沓掛城を目指してくだされ!!」


 家臣の声によって現実に引き戻される。


「私が殿の後ろを守ります!織田が弱兵など蹴散らしご覧にいれます」

「ま、松井・・・!」

「さあ御屋形様早く!っ誰か!早く御屋形様に馬を引け!!」

「くっ済まぬ松井」

「構いませぬ、後日駿府でお言葉を下さればこれ以上のことはありませぬ」


 松井を置いて先ほどまで通って来た道を引き返す。

 だがすぐに馬が足を取られ使うことができなくなった。雨でぬかるみが酷くなっていたのだ。

 皆散り散りになり僅かばかりの旗本たちが残るのみであった。


「何ということだ・・・」


 後ろから喚声が上がり、松井が織田の者とぶつかった。

 だがその首はすぐに取られた。

 次は自分の番だ、と旗本たちが追いかけてくる部隊に突撃しては討たれた。

 しかしその甲斐もあり沓掛城からそう遠く離れていない場所まで戻ることができた。

 あと少しだ。すこし気持ちが楽になった。

 多くの将を討たれてしまったが駿府に戻れさえすれば再起が適う、そのはずだ。

 戻ってからまた、考えよう。


「馬廻り衆服部小平太なり!今川治部大輔殿とお見受けするぅ!」


 声が聞こえた。

 槍を、刀をぶつけ合う。

 氏真の為生き延びなければならない。こんな場所では死ねない。


 いつしか織田の者が二人に増えていた。

 だがやるべきことは変わらない。

 生きる為に殺す。泥水を被ってでも逃げなければ。


 義元が必死なように織田の二人も必死であった。


 組み付かれても振り払うだけの余力は尽きていた。


「よ、よせ。ワシは今川治部大輔よ、海道一の弓取りと言われた男よ・・・」


 ああ、ここでワシは終わるのか。終わっては、あの子は、氏真はどうなるんだ。


 願わくば我が骸は駿府の地に・・・我が師匠の傍に・・・

 最期に見えたのは幼き頃から自信を育ててくれた師匠、太原雪斎の呆れた顔であった。



 今川治部大輔義元は尾張の縁もない地にてその生涯を終えた。


第一部完!喜六郎の戦いはこれからだ!


補足というか死に設定になるのですがifルートというかよくある現代から転生した人が主人公ならどこぞのヒロインと結ばれる、一昔のエッな戦国SLG、ADVみたいな感じでしたね。

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