089 不幸な家
――魔界 ロイワマール家
かつてロイワマール家は、この世の春を謳歌していた。
ロイワマール家が製作する魔道具は、どの家もが欲しがったのである。
大金を出しても惜しくないと言わしめた。
だが、時はうつろう。
現在、叡智の会に強い影響力を及ぼしているのは、アームス家、ロスワイル家、カムチェスター家の三家である。
その中でも、魔導船『マーメイド』を失ったフリュー家を取り込んだアームス家が頭ひとつ分飛び抜け、八家筆頭と言われている。
八家の中に序列があるわけではないが、その次に来るのはおそらくロスワイル家であろう。
ロスワイル家は純血主義ゆえ、この現代の世になってすら、強力な魔法使いを多数抱えている。
また魔導船『インディペンデンス』の「白の膜」は、あまりにも有名だ。
大規模侵攻ですら跳ね返す白の膜は、人類最後の防壁として期待されている。
多数の魔法使いを抱えた防御のロスワイル家の名は、今後何十年にもわたって揺るぎないであろう。
このロスワイル家に続く家となれば、多くの者がカムチェスター家の名を挙げるだろう。
最近でこそ凋落しかけていたカムチェスター家だが、長年各国へ赴き、政府要人や、有名人、有力者と太いパイプを維持し続けてきた。
政治と経済に明るく、これまで様々な団体、企業、国家との交渉役を務めてきたのだ。
代替わりした若い船長が操る魔導船『インフェルノ』は広範囲攻撃に特化し、多くの魔蟲を一瞬で炎の海に沈めたという。
この三家は、いずれも他家が取って代わることのできない能力を有している。
つまり、ロイワマール家がその地位に返り咲く可能性は当代、次代でほとんどないと言ってよかった。
ロイワマール家の当主であるランクは、そんな現状に忸怩たる思いを抱いていた。
一族の主な働き口は、叡智の会ではなく叡智大だ。
人類を守る最前線に、ロイワマール家は不要と判断されたことになる。
もちろん後進の育成は重要なことだが、それでも最前線ではないということは、魔法使いとして二流、三流の扱いを受けたに等しい。
バムフェンド家のように魔法使いとしての貢献を諦められたら、どんなによかったことか。
バムフェンド家は超巨大企業ゴランを動かし、表の経済から叡智の会に貢献している。
裏の世界より表の世界で名を馳せているのがバムフェンド家である。
世間的な知名度もさることながら、一族の多くが巨大な資産を保有している。
これまでの財産を切り崩しながら生きているロイワマール家とは、あまりに対照的な生き方といえた。
ロイワマール家が凋落したのは、魔道具を製作できる者がいなくなったからであり、それに代替できるような「何か」を見つけ出せなかったからである。
プライドばかり高く、全盛期と同じ暮らしをし、過去の栄光にしがみつく。
その実、向上心がなく、地位も名声もなく、資産は目減りするばかり。
ランクはなまじ優秀だったために、現実が見えてしまった。
妻のヨゼフィーネも同じ。
もしこの夫婦がもっと愚かで、もっともっと鈍感だったら、これから先の歴史は大きく変わっていただろう。
少なくともあと数百年、いまのままの生活が続き、ロイワマール家はゆっくりと衰退していったはずである。
いかに落ちぶれたとはいえ、ロイワマール家は、まだそれだけのものを持っていたのである。
ロイワマール家が道を踏み外した遠因は多くあり、これは当主だけの責ではない。
状況、歴史、環境、そして本人の資質が複雑に絡み合った結果だと言える。
では今回の離反。直接の原因は何だったのか。
たった一人の女性の存在が、そこにあった。
「当主様、お久しぶりでございます」
「おお、ペパーミントか。久しいな」
ある日、一族の中でも優秀と評判の女性が、ランクの前に現れた。
「実は折り入って、当主様にお話ししたいことがございます」
「なにかな」
気軽にペパーミントの話を聞いて、ランクは驚愕を隠しきれなくなってしまった。
ペパーミントは叡智大を卒業後、経験を積むために外部の企業に就職していた。
どうやらそこで、黄昏の娘たちと接触したらしかった。
叡智の会と黄昏の娘たちは、同じ魔法使いでありながら、まったくもって相容れるところがない。
ランクはすぐさまペパーミントを拘束し、叡智の会に通報すべきであった。
話を聞くべきではなかったのだ。
「当主様、かつての栄光を取り戻してみたくはございませんか?」
「それは……我が一族のかね?」
ペパーミントは頷いた。
「ロイワマール家が叡智の会よりも強力な力を得るのです。さすればこの世界、裏も表も支配することができます」
「そんな夢物語……」
「それが現実に……手の届くところにあるのです」
悪魔の囁きだった。
結局ランクは、ペパーミントの話を最後まで聞いてしまった。
ロイワマール家とヘスペリデスが手を組み、『はじまりの地』を目指す。
その準備は密かに、だが着々と進められた。
現代において実用的でないと放棄された砦に物資を運び込み、協力者を集め、計画を練っていく。
「疑われては元も子もありません。自演をひとつこなしておきましょう」
その言葉を信じ、香港の爆弾テロの被害者を演じた。
危うくロイワマール家の多くの者がレストラン爆破の餌食となるところだった。
そんな風聞を流し、疑いの目を逸らすことに成功した。
「ヘスペリデスには強力な魔法使いがいます。彼ならばやってくれるでしょう」
『合わせ鏡の魔導師』と呼ばれるイノンドという男を紹介された。
彼は周囲の認識をなくさせることができた。透明人間になるのだ。
カムチェスター家の元当主クリストフを殺害したのも彼の仕業である。
「彼ならば、人知れず魔界へ行くことが可能でしょう」
「いや、それは無理だ。魔界門の警備はそんな生やさしいものではない」
魔界門は、人の目と機械、そして物理的な障壁によって守られている。
人の目を欺いたとしても、機械のセンサーは体重や体温、呼吸などを計測する。
また、何重にも閉鎖された通路を通り抜けるのは容易なことではない。
「でしたら、力業でいくしかありませんね。どこかで事件をおこして、戦力を分散させましょう」
「ならば叡智大がよいだろう。あそこで一族が多く働いている。内部情報も手に入りやすい」
「外部犯の犯行に見せかけることができそうですね」
「島への出入りは監視されているため、それをかいくぐるのは骨が折れそうだがな」
「ヘスペリデスならば、それくらいの障害、難なくこなしてくれるでしょう」
完璧な計画が練られたが、唯一、計算違いがおきてしまった。
叡智大の新入生の一人が、特別科の敷地内に侵入。
大捕物のすえに捕まってしまったのだ。
そのことで敷地内の警備は厳重になり、警備体制の見直しが計られてしまった。
臨時の巡回を増やしたことで、前もって入手しておいた巡回のルートと時間が意味をなさなくなってしまったのだ。
そして間の悪いことに、爆弾をセットする所を見られてしまった。
驚いたのは、見つかった者たちだろう。
計画の成否は自分たちの行動に掛かっている。このまま何もせずに捕まるわけにはいかない。
そう思った実行犯は、爆弾を爆発させた。
予定よりかなり早く爆発テロがおきた。焦ったのはランクである。
だが計画を中止させるわけにはいかない。実行犯は捕まった可能性が高い。
すぐに疑惑の目がロイワマール家に向いてしまう。
その前に行動しなければならないのだ。
計画を前倒ししたことで、準備が十全に整っていなかった。
直前まで計画を伏せたのがアダとなり、一族の多くがこのことを知らない。
いまから説得して味方に引き入れる時間は残されていない。
ゆえにいまいるメンバーで行動を起こすしかなくなった。
それでも叡智の会の不意を突けたし、魔界門を突破することができた。
ヘスペリデスは魔法使いの集団であるが、最近の構成員の多くは、魔法使いではない。
魔界門を突破するときに彼らは捨て石となってもらった。
少しでも時間を稼ぐため、彼らは魔界で無理矢理活動させることにした。
全滅必至である。だが、どうすることもできない。
彼らは魔素を外へ放出することができず、呼吸をするたびに魔素が身体に溜まっていく
遠からず体調を崩し、意識を失ってしまうだろう。
彼らは酷い体調不良と戦いながら、他家を待ち伏せする道を選んだ。
このように多くの犠牲を出しながら、ロイワマール家は『はじまりの地』を目指すのである。
絶対に成功させねばならないと、ランクは決意を新たにした。
そしてシナイ山の近くでバムフェンド家と戦い、そのまま距離を取りつつ、戦場を離脱した。
情報が漏れるのを怖れたランクは、信頼のおける者たちにしか、クーデターの話はしなかった。
それゆえ入念な準備をしたにもかかわらず、追随する船の数は少ない。
いまの戦力で複数の家と戦っても勝ち目はない。
都合がよいことに、敵は『白の膜』を使った。
おおかた、基地やドックを破壊されるのを嫌ったのだろう。
それを目くらましとして、逃げることができる。
「指定のポイントへ急げ! 敵に追いつかれる前に魔窟を越えるのだ」
ランクの言葉を受けて、ロイワマール家の船団は、強力な攻撃を周囲に浴びせた後、四方に分かれて撤退を開始した。
『インフェルノ』に搭乗した祐二は、はるか高みから彼らをひそかに追うのであった。




