087 思わぬ展開
――ギリシア 強羅隼人
ケイロン島からモーターボートで脱出した隼人は、そのまま一直線に陸地を目指した。
本来、不審なボートが島から出ればすぐに発見される。
ケイロン島の周囲もしくは港周辺に監視艇が目を光らせており、常時レーダーでも監視されている。
一隻のボートといえども、見逃すはずがない。
だがしかし……叡智大の職員の中には、ロイワマール家の裏切り者がいた。
それらの者が、監視システムの情報をヘスペリデスに流していた。
そもそも隼人が乗っているモーターボートはどこから来たのか。
それはレーダーが誤魔化され、監視網の間をくぐりぬけて、島に到着できたからである。
島から脱出するときも同じ。
島で爆発がおきた直後から、無事モーターボートを脱出させるために、囮の船がケイロン島へ近づいたり離れたりを繰り返していた。
監視艇はまんまとそれに乗せられ、確認に向かってしまったのである。
そしてレーダーはいまだ、正常に動作していないことに気づいていない。
ゆえに隼人は、妨害に遭うことなく、無事対岸にたどり着くことができた。
上陸できてしまったのである。
「砂浜か。ここでいいか」
モーターボートで砂浜に乗り上げ、そのまま上陸した。
「んで……ここはどこだ?」
隼人の目的は、日本大使館に保護してもらうこと。それまで警察に捕まってはならない。
上着で手錠をそれとなく隠し、砂浜から道路に出る。
海岸にいた何人かが物珍しそうに隼人を見ていたため、すぐにその場を離れた。
「ねえ、ちょっといいかな」
道行く若い女性に、隼人は声をかけた。
甘いマスクににこやかな笑み。
女性は好意的な視線を隼人に向ける。
「観光客なんだけど、ここはどこだか分かる?」
そうして隼人は、現在位置を聞き出した。
(へえ、ここはアルテミス・ビーチって言うのか)
その後も道行く人を眺め、大人しそうな女性を見つけては声をかけた。
「ちょっといいかな。聞きたいことがあるんだ」
隼人が声をかけた地味な雰囲気の女性は地元民だった。
「日本からの観光客なんだけど、腕に怪我をしてね。日本大使館に行きたいんだけど、場所を調べてもらえるかな」
両手首を上着で隠している理由を述べた上で、隼人はそう尋ねた。
女性はすぐにスマートフォンの地図アプリを起動させ、目的の場所を探し出した。
「ありがとう。助かったよ」
ギリシャの日本大使館の場所は、直線距離で二十キロメートルほど。
女性と別れた隼人は、どうやって大使館まで向かうか、しばし悩む。
(金もないし、さてどうするか)
同じ日本人観光客にお金を借りる方法もあるが、金銭を受け取るときに、どうしても手錠が見えてしまう。
公共機関を使うにしても、余計な注目を浴びない方がいい。
人と接触するたびにリスクが生じると隼人は考えた。
「……走るか」
二十キロメートルの距離ならば、三時間もジョギングすれば到着する。
そして隼人は、それくらいなら訳なかった。
こうして隼人は、日本大使館に向かって走り出した。
数時間後。
隼人は、日本大使館の前まで来た。
途中二度ほど道を尋ねただけでたどり着くことができた。
「よし、中に入ろう」
守衛に事情を話し、中へ入れてもらう。
これで安心と肩の荷を下ろした隼人だったが、驚いたのは大使館の職員たちである。
いきなりやってきて、自分は冤罪で捕まったと言い出したのだ。
詳しい事情を……ということで、隼人は大使館の一室に連れて行かれた。
「ケイロン島から逃げてきたんですよ」
「ケイロン島……から?」
ここで大使館員の顔が曇る。あそこはドイツが統治していて、ここはギリシアなのだ。
「いきなり警察に捕まって……しかもですよ。ドイツに連れて行くとか言い出したんですよ」
「それでキミは……というか、どうやってここまで?」
「もちろん、逃げてきたに決まってるじゃないですか。ちょうど警察署で騒動がおこったんで、その隙に脱出したんです」
刑務所破りだと職員は思った。しかも、ケイロン島から逃げてきたと本人が言っている。
すでにケイロン島でテロが行われたことはニュースになっている。
SNS全盛のこの時代に、テロのような大規模な騒動は、隠しおおせられるわけがない。
そんな場所から逃げてきた。
しかも本人は捕まっていたといい、悪びれている様子はまったくない。
「そうか……それじゃ、パスポートとかは?」
「ぜんぶ取り上げられちゃってますよ。まったく困ったもんです。ちゃんと政府を通して抗議してくださいね」
「そうか……じゃ、身分を証明するものは何も持っていない?」
「ない……ですね。財布もないくらいですし」
「だったら、書類を書いてもらうか。ちょっと待ってて」
「はい」
職員は書類を二枚持って、戻ってきた。
一枚は住所氏名など、パーソナリティを書くもの。もう一枚はレポート用紙のようになっていた。
「これに今回おこった内容を詳細に書いてくれるかな。いくら時間がかかってもいいから、詳しく書いてくれ」
「了解です。全部覚えていますので、任せてください」
「私は仕事があるから、席を外すよ」
「分かりました。俺はこれを完璧に仕上げておきますね」
職員は隼人から聞き取った内容の裏取りをはじめた。
とくにケイロン島には、すぐに連絡を取った。
叡智大とそこにある警察署に電話で問い合わせた。
また、アルテミス・ビーチに上陸したと隼人が言ったので、そこの観光局と最寄りの警察署にも確認を取った。
それで分かった内容は、職員が頭を抱えるほどのものだった。
「テ、テロリストとして国際指名手配されている……だと?」
叡智大および、ケイロン島の警察から聞いた話は、隼人の説明と大きく異なっていた。
また、隼人が乗り捨てたというモーターボートだが、それはすでに発見、回収されていた。
そこに積み残されていたのは未使用の爆弾。
ケイロン島で起こった爆破事件に使われたものと同一ではないかと考えられているらしい。
なぜそんな問い合わせをしたのかと逆に尋ねられたため、職員は隼人がここにいることを告げた。
向こうも息を飲むほど驚いたようだ。
二、三のやり取りをしたあと、職員は電話を切った。
その足で、隼人のいる部屋に向かう。
「あっ、ちょうどいま書き上がったところです」
「そうか……確認させてもらうよ」
職員は時間をかけて隼人の書いた報告書を読む。
「どうですか?」
「よく書けているね。それで今後のことだけど」
「はい」
「もうすぐ迎えが来る」
「そうですか、良かった」
「それまで別の部屋で待機していてほしいんだ」
「分かりました」
職員は隼人を最上階の一番奥の部屋に案内する。
「迎えが来るまで、絶対に開けちゃ駄目だよ」
そう言って隼人を残し、職員は出て行く。
最上階の一番奥の部屋に連れてこられたことで、隼人は自分が大切にされていると感じた。
「俺のことを敵から隠してくれてるんだな」
そう考えたのである。
迎えというのも、隼人を日本まで送り届ける者のことだと考えていた。
「専用機をチャーターしたのかもしれないな」
官憲の理不尽な暴力に屈せず、ついに自由を取り戻した悲劇のヒーロー。
日本の地に降り立ったときには、取材が殺到するかもしれない。
「もしかしてこれで、壬都との関係もうまくいくかもしれないな」
巨大な悪に立ち向かう隼人は、国民のヒーローと同義だ。
夏織だって隼人に惚れるに違いない。
今までのことは水に流してほしい。そう言って向こうから頭を下げてくるだろう。
隼人はそんな未来を夢想した。
――コン、コン、コン
「はい」
「隼人くん、迎えがきたよ」
「ありがとうございます」
勢い込んで隼人がドアを開けると、武装した男たちが銃を構えて展開していた。
「えっ!?」
「確保ぉ!」
男たちが部屋になだれ込んでくる。
手錠をしたままの隼人はなす術がない。すぐに拘束された。
「なんだよ、これはっ!」
「テロリスト一名、確保成功しました」
「周囲クリア」
「よし、連行しろ」
両腕を頭の後ろに持ってこさせられた状態で、立たされる。
隼人は抵抗するが、身じろぎした瞬間に腹部へ重い一撃が加えられる。
引きずられるようにして廊下を進む隼人は、先ほどの職員を見た。
「テメエ!」
「強羅隼人くん、キミはすでにテロリストとして国際指名手配されている」
「なんだと!? フザけたこと言ってんじゃ……」
食ってかかる隼人の後頭部に銃座が打ち下ろされる。
「モーターボートのことは確認した。キミのしたことは平和に対する冒涜だ。罪を重ねる前に捕まってよかった」
職員の言葉は、気を失って引きずられる隼人の耳には届かなかった。




