080 古き魔法の担い手(2)
「ブロウディ大司教が使ったのは、魔法よね」
フリーデリーケの言葉に、マリーは頷く。隠すつもりはないようだ。
「大昔の聖人は、奇蹟をおこしたといいます。その奇蹟とはいったい何でしょう」
不意の質問に、フリーデリーケは頭を働かせた。
「奇蹟……ね。聖人はこの世の理外、現実にはありえないことを成した人ではなくって?」
「ええ、そうです。彼らは人とは違う力を有していたために、神の御使いとして歴史に名を残すことになったのだと思います」
「それが魔法?」
「当時はまだ、そう呼べるものだったのかすら分かりません。科学と宗教と呪術……それらはみな未分化でした」
大昔には、多くの魔法使いたちがいたという。
キリスト教徒の中にいてもおかしくはない。
まだ魔法使いが異端とされていない時代であれば、只人にはできないことをなせば、奇蹟の御技として崇め奉られたとして不思議ではない。
「ではブロウディ大司教のその力は……」
「過去にあった悲劇を繰り返さないために、連綿と受け継いできた力です」
魔法使いの血は、婚姻を重ねるごとに強くも弱くもなる。
いまの言葉がたしかならば、ブロウディ大司教のような存在は、まだ他にいることになる。
力を持つ者同士で婚姻を重ね、その力を次代へと継承させていく。
多くの魔法使いが行ってきたことだ。
「過去の悲劇とはやはり……魔蟲の侵攻よね?」
地上に魔蟲が何度か出現した。それは叡智の会の史料にも書かれている。
まだ叡智の会が組織だっていなかった時代に何度か、地上へ魔蟲の侵攻を許している。
通常攻撃が効かないため、魔法使いたちが総出で退治したらしいが、教会関係者もまた、人知れず魔蟲を退治していたことになる。
「ですがそれは、正史には語られません。語れないといった方が正しいでしょうか。その理由はお分かりですよね」
「大司教が魔法を使えることもそうだけど、バチカンが魔法使いを飼っているのは問題よね」
バチカンは総じて教義から逸脱したことを嫌う。
最近になってようやく進化論を認めたくらいなのだ。
それ以前では、人は神が造ったのだと真顔で発言していた。
バチカンは、魔法や魔法使いの存在を認めていない。
にもかかわらず、裏で血脈を絶やさないよう、存続させ続けていたと知れたら、世界中の信徒が踊りだしてしまうことだろう。
「貴重な戦力は手放すことはできないのです」
マリーの意味深な発言に、フリーデリーケは「信用されていないようね」と返した。
「えっ? どういうこと?」
祐二は意味が分かっていない。
「たとえば私たちが魔蟲を一体だけキリスト教の総本部に放ったら、それだけでお終いになるのよ」
概念体を倒す術がないバチカンは、それだけで滅ぶ。
なす術がない状況に、天罰が落ちたと評する者も出るだろう。
叡智の会は、人類が絶対に倒せない存在を呼び寄せることができ、それをいつでも行使できる存在だと認識されていることになる。
それゆえ対抗策として、バチカンでも魔法使いの存在を容認しているのだとフリーデリーケは看破した。
フリーデリーケには確信があった。
バチカンがなぜ祐二を取り込もうとしているのか。
一族生え抜きではないからという理由もあるだろう。
他の魔導師にくらべたら、断然取り込みやすい。
だがそれだけではない。
叡智の会への対抗手段として祐二が必要であり、もし祐二がバチカン側に取り込まれたとしても、孤立することは絶対にないのだ。
なぜならば、魔法使いの血はバチカンにも存在していたのだから。
「……秘儀を見せたわけが分かったわ」
これで祐二は、バチカンに対しても親近感が湧いただろう。
フリーデリーケがいなければ、帰りしな、こう囁いてもいい。
「二十三億人の信者のトップは無理としても、その隣に立ってみたくはありませんか?」と。
それは少しでもキリスト教を知っていれば、とても魅力的な提案となるだろう。
現状、祐二にしか『インフェルノ』は動かせず、祐二はまだ若い。
秘儀を見せて、魔法使いがキリスト教徒内にもいることを知らせるくらい、何でもないと考えるほどには、祐二の持つ力は魅力的だ。
やられたとフリーデリーケは思う。
ヴァルトリーテが警戒していた以上に、相手は本気だったのだ。
「ユージさんには少し刺激が強かったでしょうか」
何の説明もなく、秘儀に呼んだのだ。
そこでバチカン内部に魔法使いがいることが分かったとして、その歴史まですぐに思い至れるわけではない。
現状を把握するのに手一杯の祐二に、マリーが近づく。
「待って! ……ねえ、シスターマリー」
「何でしょうか?」
「あなた、この地の出身って言ったわよね」
「はい。それが何か?」
「もしかしてブロウディ大司教も、以前はこの教区にいたのでは?」
その質問に、マリーは笑顔で答えた。
「はい、ご明察の通りです」
「……やっぱり」
ブロウディ大司教が魔法使いであることはもう間違いない。
この目で見たのだから、疑うべくもない。
だがここにはまだ二人いる。
シスターマリーと、ここまで車を運転してきてくれたロバート司教だ。
とくにロバート司教は、若くしてその地位にいるいわばエリート。
なぜ彼が司教の地位を得たのか? それはもしかして……とフリーデリーケは考えた。
「秘儀というからには、秘する意味があるのだと思ったわ。それだからロバート司教が車を運転してきてくれたことにも……まあ、納得することにした」
考えてみれば、このような田舎の教区に大司教と司教かいるのがおかしいのだ。地位が高すぎる。
ならば、ロバート神父も魔法使いである可能性が高い。
そしてシスターマリーも。
いやシスターマリーは、魔法使いであるべきなのだ。
なぜならば、祐二を誘惑する人材なのだから。
ヴァルトリーテが警戒したとおり、バチカンはマリーを通して祐二を誘惑していた。
だがここで問題になるのは、その血筋だ。
祐二が一般人との間に子をなしても、その子が魔法使いになる確率は低い。
もし祐二のような魔法使いの子を得ようと思ったら、配偶者は魔法使いであるべきなのだ。
「だからあなたが選ばれたのね……」
フリーデリーケは、マリーを睨む。
「ご想像にお任せします」
祐二がキリスト教に帰依した場合、祐二は周囲からの尊敬を受け、高い位階を手にする。
そしてバチカンは、魔導船を一隻手に入れることになる。
もし祐二とマリーの間に子が生まれたら。
その子が魔法使いであったならば、カムチェスター家の血を引く子がバチカン内に誕生することになる。
「このこと……知っている人は多いのかしら」
「それほど多くないと考えますわ。受け入れられない人もおりますから」
事実、マリーと一緒に行動している異端審問官のロッド神父は、このことを一切知らない。
いまも、地元の祭りに参加するため、マリーが帰省したと思っている。
「つまり、大昔からそうやってきたのね」
「まあ……そうですね」
おそらく信徒の中に魔力を持つ者を秘密裏に探し出し、他の教徒の目から隠しつつ、育ててきたのだろう。
もしこの三人に判別紙を渡したら、さぞかしベタベタと跡が残るに違いない。
やはりバチカンは侮れない。
フリーデリーケがそう考えたとき、ポケットの中が震えた。
――ぷるるるるる
「えっ? 電話?」
フリーデリーケに電話をかけてくる者はそれほど多くない。
嫌な予感がして、フリーデリーケは「失礼」と断ってから、電話に出た。
「あっ、お母様。どうしました?」
相手はヴァルトリーテからだった。
火急の用件だろうかと思って、話を聞いてみると……。
「ええっ!? クーデター!? お母様、それはどういうことですかっ?」
フリーデリーケの甲高い声が、日の暮れようとする空にこだました。




