078 秘儀
教会から地下を通って、また地上に出た。
「結局、地上に出るんだったら、さっきの移動は何の意味があったんだ?」
地下を通らずとも、直接ここに来ればいいのである。
なぜわざわざこんな面倒なことをと、祐二が周囲を見回すと、おかしいことに気付いた。
「周囲すべてが、木で囲われているわ。ここに出入りできる所がないわね」
フリーデリーケもこの異常さに気付いたようだ。
この場所は、植栽によって完全に隔離されていた。
中から外が見えず、木と枝が密集していて、くぐり抜けることもできない。
もちろん木を伐るなどすれば、強引に出入りできるだろう。隔てているといっても、その程度である。
だがここが、外と中を隔てている空間であることに変わりはない。
「つまり、地下を通ってしか、ここに来ることができない……?」
「そうね、宗教的な意味があるのかもしれないわ。たとえば、生まれ変わりとか」
アフリカのとある国に、幼児を木の枝葉でできたトンネルを潜らせることで、病気せずに成長できると信じている部族がある。
日本でも、節句の日に鯉のぼりの中を潜らせると、オネショしなくなるという言い伝えが残っている地方がある。
これらはみな、暗いトンネルを自らくぐり抜けることで成長すると考えているからだ。
「生まれ変わり……そういえば、教会の地下に電灯がなかったけど」
天井にコードを通すことは容易い。だが、それをしていなかった。
もしかして真っ暗なままにしてあるのも、理由があるのかもしれない。
納得している祐二の横で、フリーデリーケは別のことを考えていた。
(なにか別の宗教的解釈があるのかしら……たとえば『隣の地』とか)
キリスト教の考えの中でも、その中核をなすのが「隣人愛」である。
これは、自分を愛するように他人を愛しなさいと単純に考えることもできるが、自分を嫌い、排斥しようとするような相手でも愛するという、現代人の考え方からすると、かなり特殊なものとなる。
「良心の愛」とも言われている。
この隣人とは、隣に住む者と単純に考えられるが、そもそも隣には人種、宗教、価値観が違う者が住むことだってありえるわけで、それを知った上で愛しなさいとキリスト教の教義では説いている。
究極的には、愛を自分だけではなく周囲にも拡げなさいという意味だ。
フリーデリーケはもう一度、この場所を眺めた。
ここは一辺が十メートルほどの正方形をしている。
中央に古びた石碑があるだけ。
そしてここは教会とは違う、隣の地。教会とは関係ない場所である。
隣で何が起ころうとも、隣に住む者には一切関係がない。
だがそんな場所でも「隣人愛」で救おうとするのがキリスト教であり、今回わざわざ他と隔離された場所を用意したのも、そういった意図があるのかもしれない。
(ここは教会の『隣の地』。そう思っておいた方がいいわね)
フリーデリーケは、そんな風に考えた。
「それでは聖ミカエル様の秘儀を始めたいと思います。ブロウディ大司教、お願いします」
「うむ」
ここにいるのは祐二とフリーデリーケを除けば、シスターマリー、ブロウディ大司教、ロバート司教だけである。
「秘密の場所で、しかもこんな少人数で秘儀……?」
なぜミカエル祭の日なのか。そしてなぜこれほど少人数なのか。
そもそも秘儀とは一体何なのか。
フリーデリーケの頭の中はハテナマークでいっぱいになった。
ブロウディ大司教が何かを唱えている。聞き取れないが、聖句であろう。
シスターマリーもロバート司教も同じように祈っている。
「えっと……」
祐二は戸惑い、フリーデリーケの顔を見る。
急に始まった秘儀に、どうしていいか分からないのだ。
中央の石碑は風化したのか、形が判別できない。
なにかのアンクのようでもあり、石像のようでもある。
ブロウディ大司教は、先ほどから石碑に向かって聖句を唱えている。
その後ろにマリーたちがいる。
どれくらい時間が経ったのか。
おそらくは三十分は越えているだろう。
一心不乱に祈り、聖句を唱えるブロウディ大司教に異変がおきた。
「危ない!」
思わず祐二は叫んだ。
ブロウディ大司教が石碑に近寄り、手を伸ばしたのである。
石碑は二メートルを超える大きさである。枯れた老人が不用意に近づき、下敷きになれば命はない。
「シッ! ユージ、黙って」
フリーデリーケが見守るように言う。
祐二は手で口を押さえて、小さくなった。
その間にもブロウディ大司教は両手を伸ばし、石碑に力を加えていく。
石碑は下の方が太くなっており、安定感がある。
ブロウディ大司教が押したところでびくともしない……はずであったが。
――グラッ
石碑が揺れ、ゆっくりと横倒しになった。
「ええっ!?」
「まさかっ!」
祐二とフリーデリーケが揃って声を上げる。
見間違いかと思ったが、地面が揺れ、石碑が横倒しになった。
それを成したのはただの老人。
見間違いでなければ、あれは何だったのか。
どうやったところで、枯れた老人が石碑をどうにかできるはずがない。
驚いているのは祐二とフリーデリーケだけで、マリーとロバートはそっと立ち上がり、ブロウディ大司教の側へ寄る。
そして石碑を三人で囲うと、揃って右足を石碑に乗せた。
ブロウディ大司教の聖句は続く。
三人が石碑に足を掛けながら、その聖句はしばらく続いた。
「……これが秘儀?」
「というか、さっきのあれは……」
聖ミカエルの秘儀が終わるまで、祐二とフリーデリーケは驚きっぱなしだった。
秘儀は終わった。
ブロウディ大司教の聖句が終了したのだ。
マリーとロバートはブロウディ大司教に丁寧に頭を下げ、石碑から足を離した。
「最後まで見ていただいて、どうでしたか?」
マリーがやってきた。
「どうって……あの石碑……軽いとか?」
「数トンはあるのではないでしょうか。秘儀のあとであれを起こすのですが、クレーン車が必要ですよ」
「やっぱり……だったら、さっきのアレはなに?」
ブロウディ大司教は石碑を倒した。
石碑が見た目よりも軽く、バランスが悪い場合を除けば、あり得ない事である。
「これがお見せしたかった秘儀になります」
「た……たしかに、ここまで見に来た価値はあるわね」
倒れた石碑は後日、ここにクレーン車を呼んで起こすらしい。
おそらく車を植樹ギリギリまで寄せて、アームを伸ばすのだろう。
相当大きなクレーン車が必要なはずだ。
フリーデリーケは、この秘儀を行う意味を考えた。
(石碑を倒すのが目的……? よくある宗教儀式とはまったく違うし、そもそも大司教がなぜ?)
疑問は尽きない。
そして分からないのがもう一つ。
なぜ祐二をこの秘儀に呼んだのかだ。
それが最大の謎だ。
(あの秘儀がユージと関係するということはないわよね……だったらなぜ?)
ヴァルトリーテから、マリーが祐二に近づいた意図を聞いている。
祐二を取り込むことで、叡智の会の内部に親バチカン派を作りたいのだ。
魔導師がバチカンに好意的になれば、内部の情報も入りやすくなる。
祐二の出自を考えれば、取り込みやすいと考えるのも納得できる。
フリーデリーケはそれを牽制するため、こうして秘儀にも同行した。
だが、目の前で行われた現象は、そういった祐二の取り込みとはまた別の意図で行われたのではないかと考えてしまう。
(いくら考えても分からないわ……)
そこでフリーデリーケは発想を変えた。
フリーデリーケが秘儀を見学して驚いたのは、ブロウディ大司教が行った石碑を倒したことだ。
あれはどう考えてもおかしい。
数トンもある石をひっくり返せるわけがない。
(あの力があるなら、そこらの車だってひっくり返せるわよ。まるで魔法ね……えっ?)
そこまで考えたフリーデリーケは、とある事に思い至った。
(もしかして、あれは……)
それはフリーデリーケもよく知っているアレではないのか。
フリーデリーケは目を見張り、まず祐二を見た。
そしてゆっくりと視線をマリーに移す。
マリーは艶然と微笑んだ。