074 新たな誘い
隼人と別れたあとは、みなでお茶をしてから解散した。
ミーアお薦めの店はまだ残っていたが、それは後日となった。
やはりケチがついてしまったことで、何人かは純粋に楽しめなくなったのだろう。
みなどことなくフリーデリーケを気にしだしたので、いいタイミングだったとも言える。
そのフリーデリーケだが、あとでこっそり聞いたところ、多くが初対面だったため、かなり緊張していたらしい。
そのせいで、前半は空気のようになっていたようだ。
隼人と遭遇して祐二がやり玉に挙がったことで、吹っ切れたのだという。
「ちゃんと寮まで送るから、心配しなくていいよ」
隼人はいまだ夏織に未練を残しているのは丸わかりだ。
一度くらいヘコまされたところで、懲りないかもしれない。
今回一緒に行動した彼女たちはみな寮生活をしており、夏織の周囲に隼人がうろつかないか、注意すると言っていた。
どうやら彼女たちの多くが言い寄られたり、つきまとわれた経験があるらしく、他人事ではないのだという。
特別科は美男美女の集まり。
その辺の対処法を知っている人は多そうである。
翌日から平穏な日々が続いた。
夏織が寮から出るときは、必ずだれかがついた。
やはり迫害されてきた歴史のある魔法使いは、仲間意識が強い。
しっかりと目を光らせてくれていた。
いまのところ、寮の周辺に隼人の姿はないようで、夏織も授業に集中できているらしい。
「ようやく会えましたね」
そしてなぜか祐二の前に、シスターのマリーがいる。
叡智大の門を出たところで呼び止められたのだ。
「マリーさん……お久しぶり?」
「ええ、久し振りです。まったく叡智の会は……」
「……?」
首を傾げる祐二に、マリーは「何でもないです」と手を振ったあと、「食事に行きませんか?」と誘ってきた。
「いいですけど……どこへ?」
先日、特別科の女性たちと出かけた記憶が蘇る。
それなりに楽しい時間だったので、また出かけたいが、繁華街で隼人と会うとやっかいである。
「美味しいカツカレーを出す店を見つけたのです。ぜひユージさんと一緒に食べたいと思いまして」
「カツカレーですか。いいですね……でもなんでカツカレー?」
そもそもカツカレーという言葉は日本人しか使わないはずである。
「あれ? 知りませんか? わたしはイングランド出身なんですけど、カツカレーは国民食ですよ」
「またそんな……本当に?」
冗談かと思ったが、マリーの表情は本気だと物語っていた。
「ええ、もはや国民食ですね。ちなみにロッド神父はウェールズ出身なので、あまり好きではないようですけど」
「……?」
イングランドとウェールズ。なにか違いがあるのだろうかと祐二が思っていると、マリーが「さあ、行きましょう」と腕を掴んで引っ張った。
どこにそんな力があるのかと思うくらい、マリーは華奢である。
だがその実、握力は相当なものだった。
祐二は引きずられるようにして、坂を下っていった。
「チキンカツカレー二つ。大盛りでお願いします」
店に入るや否や、マリーはメニューも見ずに注文する。
「ずいぶんと慣れてるね」
「日に二度は通っていますので」
「そ、そうなんだ……毎回、カツカレー?」
「ええ、もちろん」
「……ははっ」
しかしなぜカツカレーなのだろうと、祐二は答えの出ない問いを繰り返していた。
しかもチキンカツ。普通カツと言えばポークである。
別段異を唱えるつもりはないが、「なぜ?」という疑問が拭えない。
これは祐二が知らなかったことだが、イギリスでは日本のカレー、とくにカツカレーが空前の大ブームとなっており、イスラム教徒の多いイギリスでは、カツといったらチキンカツだったのである。
「来ましたね。とても美味しそうです」
「ああ……そうだね」
「では、神の恵みに感謝します」
「いただきます」
二人して黙々とカツカレーを食べる。
日本では福神漬けからっきょうだが、ここでは付け合わせにサラダが出た。
食後のコーヒーを待ちながら、祐二はかねての疑問を口にした。
「それでマリーさん、今日の目的はなんです?」
「目的とは一体、何のことでしょう?」
「とぼけてますよね。こうやって強引に誘ったのには、何か意味があるんですよね」
「いえ、わたしは純粋にユージさんと親交を深めたかっただけですよ」
「…………」
「信じていませんね?」
「まあ、そうですね。もしかすると最近、スレてきているのかもしれません」
「そうですか、それは困りましたね。……でしたら一つだけ、用件らしきものがあります」
「なんですか?」
「実はユージさんをわたしの地元で行われる聖ミカエル祭に招待したいなと思いまして」
「ミ、ミカエル……マス? 初めて聞くんですけど、それは」
「知らないのですか? まあ、祭り自体はイギリスが中心だと聞いていますが、一応世界中で催されているはずなのですけど……ちなみに1500年以上前から、毎年続けられている伝統ある儀式です」
「凄そうですね。それに俺を……?」
「はい。聖ミカエル祭自体は、各家庭で祝っていただく小さなものですけど、それとは別に、古式の風習に則った秘儀があるのです。ユージさんは、聖ミカエルのことをどれだけ知っていますか?」
「ほとんど……知らないかな。アニメやマンガ、ゲームだと『大天使ミカエル』ってよく出てくるから、とても偉い天使だってのは分かっているけど」
「なるほど、日本のアニメは侮れませんからね。聖ミカエル様はユージさんの言ったように大天使、四大天使のお一人です」
「そうなんだ」
「双子の兄弟にサタンがいます」
「そうなの!?」
「天界での名はルシフェルと言いまして……ちなみに敬称はつけません」
「あっ、堕天使か」
「そうです。そっちの方は知っているのですね。サタン、つまりルシフェルは、神の座を狙って戦いを仕掛け、ミカエル様と戦い、敗北したのです」
「聖のミカエル、魔のルシファーとしてよく出てくるね」
「はい。もともと天界の一員であったルシフェルでしたが、神に成り代わるために反逆、つまりクーデターを起こしたわけです。このへんは旧約聖書に書かれています」
「そうなんだ」
「この戦いに勝利したミカエル様はキリスト教の教えを守護する天使と呼ばれることになったわけです。そしてわたしの故郷には、ミカエル信仰というものがありまして、他とは違う特別な秘儀を行うのです」
「それに俺を招待したい……と?」
「はい。ぜひ参加していただいて、わたしたちの教義を深くご理解いただきたいと願うわけです」
「でも俺、キリスト教徒じゃないんだけど」
「だからこそですね。これまで対外的に一切アプローチをしてこなかったのですけど、今年ぜひ、ユージさんにご覧になっていただきたいと思いまして」
そう言ってマリーは、天使のような笑みを浮かべた。
――ドイツ バムフェンド家
栄光なる十二人魔導師の子孫であるバムフェンド家は、現在も魔導船を所有している八家のひとつである。
カムチェスター家と組み、世界経済に目を光らせては、様々な情報を叡智の会へ送っている。
バムフェンド家は魔法使いでありながら、表の世界を牛耳っている。
そんな風に言われている。
「……ふう」
当主であるアルビーンは、ため息をついた。
アルビーンの息子は、世界的な超巨大企業『ゴラン』のトップである。
一族も多くがゴランで働いている。
資産も多く、世界的に名の知れているバムフェンド家は、成功者と目されていた。
だが魔法使いの世界では微妙。
というのも数代続いて、微妙な力の魔導船しか所有し得ていないのである。
また魔法使いの質も落ちてきている。
ゆえにバムフェンド家の当主は代々、経済で叡智の会を支えることを信条としてきた。
アルビーンは、息子からの報告書に目を通す。
そこには日本でダックス同盟とシェア争いをしたこと、日本政府協力のもと、それを駆逐したと書いてあった。
「どこかで補填しなければならんだろうな」
アルビーンはもう一度、ため息をつく。
世界中から巨額の資金が叡智の会へ流れ、その一部がゴランにも投入されている。
先進国はそのことを把握しており、経済戦争においてゴランが負けることは少ない。
政府と繋がっているのだから、チートと言われてもおかしくない状況である。
それゆえ、アルビーンがゴランの代表をしていたときは、他の経済団体にそれなりの配慮をしてきた。
今回、息子は少しばかり「やりすぎた」ようである。
ダックス同盟はたしかに商売敵だが、ゴランが本気で戦えば勝負にならないのである。
プロとアマチュアのトップがチェスをすると考えればいい。
最後はプロが勝つ。ゆえに勝ち方が問題になるのだ。
「どこかで補填……おお、ここにするか」
日本からは完全に叩き出されてしまったらしく、主要な会社やファンドはすでに撤退の動きに入っていると報告にある。
「まあ……仕方ないか」
アルビーンの息子はまだ四十代。老獪さを身につけるのはこれからだろう。
アルビーンは、ゴランとダックス同盟の手がまだ伸びていない東欧へ向かうよう、息子に手紙を書いた。