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008 予期せぬ邂逅

 夏休みに入っても、祐二は勉強漬けの毎日。

 朝から晩まで、とても忙しい日々を送っていた。


 これまでは、学校にいるときが唯一のやすらぎ、休憩時間みたいなものだった。

 だが、夏休み初日から始まった『一日講習』は、祐二の精神をガリガリと削っていく。


「一日講習って、本気でそのまんまの意味じゃん」

 朝に始まり、夕方に終わる。その後、家に帰って復習と宿題をやらばければならない。


「……はぁ、もう逃げたい」

 ヨロヨロとした足取りで、祐二は駅に向かう。


 スマートフォンを見ると、秀樹からメッセージが入っていた。

『今晩、夏祭りに行かないか?』


 文面はたったそれだけ。

 秀樹からの誘いに、祐二は一も二もなく飛びついた。精神的な限界が来ていたのだ。




「よぉ、久し振り、祐二……だよな?」

「どうしたんだよ、ヒデ。俺の顔を見忘れたか?」


「いや、だってよ、なんか痩せた? というか、やつれてないか?」

「そんなことないさ」


「足がフラフラだぞ、寝不足か?」

「気のせいだ。何しろ毎日二時間半も寝られているんだ。こんな幸せなことあるか?」


「変な宗教とかやってないよな」

 秀樹は、祐二の顔を心配そうに覗き込む。


「それより久し振りにヒデの顔を見た気がする。なぜだろう?」

「夏休みに会うのは初めてだからじゃないか? もう八月の中旬だぞ、分かってるのか?」


「多分大丈夫だ。早く学校が始まらないかな。そうしたら休めるのに……」

「おい、祐二。本当にどうしちゃったんだよ!? ちょっと休むか?」


「いやいい。それより夏祭りって、どこだ? はやく行こうぜ」

「おう……おまえがそう言うんだったらいいけどさ」


 秀樹は祐二の手を引いて歩く。どうやら、相当危なっかしそうに見えるらしい。

 しばらくすると、盆踊り特有のメロディが聞こえてきた。


「祭りをやってるのは、あの先だ。住宅街の中にあるから地元民しか来ないが、結構本格的なんだぜ」


「そうなんだ。人ってこんなに一杯いるんだな。教室には俺と先生しかいないのはなぜだろう? 結界でも張ってあるのかな」


「おい、祐二……おまえ、本当は病気なんじゃないのか?」

「健康だよ。健康じゃなかったら、乗り切れないじゃないか……ハハッ」


「……? それならいいんだけど。あの神社の境内はこの辺の広域避難場所にも指定されているくらい広いんだ。はぐれたら会うのは大変だから……っと、電話だ。ちょっと待っててくれ」


「分かった。先に行ってるよ」

「おい、違うって、祐二っ……いや、こっちの話。何でもない、何でも……もしもし」


 電話中の秀樹を置いて、祐二は人混みの中に紛れてしまった。

 しばらく出店を散策しているうちに、秀樹の姿が見えないことに気付く。


「そういえば、電話するって言ってたけど、結構長電話だな」

 立ち止まって秀樹を待ったが、一向にやってくる気配がない。


「しょうがない、迎えに行くか……えっと、入口ってどっちだっけ?」

 記憶を頼りに歩くが、どうやら間違っていたようで、徐々に人が少なくなっていった。


「こっちじゃなかったか」

 見たことのない池と、小さな社のある場所に出てしまった。


 ここはルートから外れているらしく、出店がないどころか、提灯(ちょうちん)の灯りすらない。

 さてどうしようかと途方に暮れていると、奥の暗がりから着物姿の女性が歩いて来た。


「……あれ?」

 思わず祐二が声をあげ、女性がそれに気付く。


「如月くん? どうしてこんなところに?」

「いや、それはこっちの台詞かも。なぜ壬都(みと)さんが?」


 やってきた女性は、壬都夏織(かおり)だった。

 着ているのは、浴衣ではなく訪問着だ。


「ここの神社は実家と繋がりがあるので、挨拶に寄らせてもらったの。ここからだと見えないけど、奥に家屋があるの。私はそこからの帰り」


「そうなんだ……そういえば、壬都さんの実家は神社だっけ」

 とても由緒正しい神社だと、秀樹が力説していたのを祐二は思い出した。


「はい、よくご存じで」

「えっ、そう? 有名だよね?」


 彼女の実家情報くらい、「常識」という範疇に収まるのではなかろうか。

「それよりも如月くんは、一人なの?」


「ん? ヒデ……いや、友だちと一緒に来たんだけど、はぐれたみたい」

 スマートフォンをみると、秀樹から連絡が入っていた。


『彼女が来たいって言うから、駅まで迎えに行ってくる』

 そんな一文とともに、お笑い芸人が土下座して謝るスタンプが押されていた。


「はぐれたんじゃなくて、俺より彼女の方を選んだみたい。親友と言っても、男の友情なんてこんなものだね」


「あら、それだったら、少し私と話なんてどうかしら。池のほとりにベンチがあったと思うけど」

 夏織はうしろを見ずに歩き出した。


 祐二がついてくるのは当然と思っているようだ。

 たしかに池を眺める形で、ベンチが置かれていた。


 夏織は懐から大きめのハンカチを取り出し、それをベンチに敷く。

 二人並んで座ると、どうにも祐二は意識してしまう。


「如月くん、少し痩せた?」

「そう……かな?」


 不意の言葉に、祐二は動揺する。

「少し疲れているように見えるし……覇気がない感じ?」


「最近忙しかったからかな」

 たったこれだけの会話。それでも祐二の心臓は激しく脈打つ。


 同じクラスのときでさえ、夏織とほとんど話したことがない。

 クラスが別れたいまの方が、よっぽど話しているのではなかろうか。


「忙しいって、アルバイトとか?」

「いや、語学学習」


「あら、そうなの」

 意外そうに夏織が目を見開いた。


 祐二は何だか恥ずかしくなった。俯き、小声で言い訳をする。

「この夏休み中に会話できるようにって、詰め込んでいるから……結構、忙しいんだ」


「がんばっているのね。でも語学学習というからには、英語以外で何か習っているのでしょう?」


 中々鋭いところを突いてくる。

「うん……ドイツ語を少々」


 すると今度は本当に驚いたのか、夏織は両手で口を塞いだ。

 大きく口を開け放つのは、はしたないと思ったのかもしれない。


「そう、ドイツ語を……奇遇ね、わたしもよ」

「えっ? 壬都さんも?」


 実家は古来より続く神社で、本人は日本人形のような和風美人だ。

 ドイツ語より、祝詞(のりと)を唱えている方が雰囲気としては合っている。


「わたしには絶対に叶えたい目標があってね。小さい頃から学んでいるの」

 そう答えた夏織の表情は、とても真剣だった。


 祐二は、深く踏み込んでは駄目だと思いつつ、好奇心が勝った。

「その目標って……なに?」


 本当にそこまで踏み込むつもりではなかった。だが、口から出た言葉は戻せない。

「それは秘密。でも……」


 夏織は祐二の方を向き、『真夏の夜の夢』に出てくる悪戯をしかける前の妖精のような顔を浮かべた。


「(もし私の言葉が分かるなら、教えてもいいかな)」

 ドイツ語だと、祐二はすぐに理解した。


 すぐにあの厳しい講師の顔が思い浮かんだ。

 ドイツ語の講師は優秀で、祐二に一語一句正確に発音させ、正しい音の連なりを頭に叩き込ませた。


 すでに祐二は、簡単な会話ならばできるようになっていた。

「(いきなり話しはじめるから、ちょっと驚いたよ)」


「(うふふ……如月くんの発音はとても美しいわ)」

「(ありがとう。壬都さんの話す言葉は、とてもやわらかくて、聞き取りやすいね)」


「(やわらかいというのは、いい表現ね。ドイツ語の発音って、総じて固いから)」


「(うん、俺の講師は性格は厳格だし、教え方は四面四角だし、言い方はガチガチだしで、あまりドイツ語にいい印象ないんだけど、壬都さんの言葉を聞いていると、ドイツ語も悪くないなと思えるかな)」


「ふふふ、ありがとう。なんだか、嬉しいわ」

 夏織はふにゃりと笑った。とてもいい笑顔だった。



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― 新着の感想 ―
始めての良い事 頑張って〜
[一言] ドイツ語で口説いてる?無意識に褒め言葉がでるさすゆう。
[一言] 勉強の成果が現れてますねえ! 精神ガリガリ削れてまで学んだ甲斐がありましたね
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