068 フリーデリーケの成長
二カ月にも及ぶ遠征が終わった。
予定した魔界の調査もすべて無事終了し、さしたる騒動もなく戻ってくることができた。
調査の結果、他の魔界で魔蟲の異常行動は見られなかった。
ヤスミン船長の赴いた魔界だけ、何か特別なものがあったのかもしれない。
遠征の記録は本部に提出する。
そこで頭のいい人たちが判断すればいいと、祐二は深く考えないことにした。
「みな、御苦労だった。これにて解散とする」
「「「はっ!」」」
まだ船長としてのふるまいは板についていないが、この二カ月で、少しずつ慣れはじめてきている。
船団は解散したが、祐二はこれから本部に行って、遠征の結果を報告しなければならない。
記録を提出し、受理されるまでが遠征なのだ。
もちろん乗組員たちだって、休んではいられない。
魔導船のチェックが残っているし、各船で反省会を開き、行動記録とともにカムチェスター家本部に資料を提出しなければならない。
「任務成功ね、おめでとうユージさん。初めての遠征はどうだったかしら」
地上に出ると、ヴァルトリーテが出迎えてくれた。
わざわざ屋敷からやってきたようだ。
「そうですね……問題はなかったんですが、退屈な時間が長くて、そっちの方が大変でした」
「ああ……それは……大変だったわね」
ヴァルトリーテは、なんとも微妙な表情を浮かべる。
「時間を潰すものを持ち込んで来なかったので、ブリッジで素数を数えていましたよ」
ハハハと祐二は力なく笑う。
素数の勘定は、船長としての威厳を見せつつ、どうやって時間を潰すか考えたすえの、苦肉の策だった。
「主人はチェス盤を持ち込んで、副官とよく指していたみたいよ。本を大量に持ち込む船長もいるらしいけど、時間の潰し方は人それぞれね。あまりダラダラしているところを見せると、他の乗組員に示しがつかないから」
「そうですよね」
祐二以外の乗組員は、結構忙しく動いていた。
魔導船の乗組員となれば、魔法使いのエリートである。
サボって船を下ろされたら、一族に申し訳が立たない。一生懸命になるのは当たり前である。
そして遠征の目的と行動指針は、すべて本部が事前に細かく決めている。
それに逸脱しない限り、副官が指示を出せば事は足りてしまうのだ。
よって緊急事態でもない限り、祐二にすることはない。
「今回の遠征……別に俺がいなくても良かったような……」
ただし、船長がいなくてよいわけではない。
「戦闘時のセーフティネットね。ユージさんがいるといないとでは、魔導船の戦力に大きな差があるもの。船長がいないことで魔導船が大破、船団が全滅なんてことになったら、目も当てられないわ」
「なるほど……船長は緊急時には、絶対に必要なんですね」
「ええ、だから普段は……ほどほどにだけど、だらけていてもいいと思うわ」
『インフェルノ』の強力な範囲魔法『豪炎』は、祐二以外に発動させることができない。
また、道中で何かアクシデントがあり、魔導珠の魔力が大きく減った場合でも、祐二以外に魔導珠を満たすことは不可能。
それゆえ、二カ月にも亘る長期の遠征で、祐二が参加しないという手段は採ることができない。
そもそも新米だからと船長を置いて遠征に赴くという選択肢はない。
「……分かりました。次からは、時間を潰せる物を持参します」
将棋かリバーシをどこかで購入しておくかと、祐二は考えた。
もっとも、船内に将棋のルールを知っている者がどれだけいるかであるが。
本部に遠征の記録を提出し、そこで簡単なヒアリングを終えた祐二は、カムチェスター家の屋敷に向かった。
「ただいま、フリーデリーケさん。ようやく帰ってこられたよ」
「おかりなさい、ユージさん。会うのは二カ月ぶりね」
地上に出てからは何度も、フリーデリーケと連絡を取り合っている。
実際に顔を合わせるのは久し振りだが、祐二の無事は知っていたので、フリーデリーケにも余裕がある。
「あの予習が役に立ったよ、ありがとう」
「どういたしまして」
微笑むフリーデリーケ。彼女はもう、初対面の頃の緊張はない。
顔を合わせた瞬間、吐き気を覚えて口を押さえて走り去っていった頃に較べれば、格段に進歩と言える。
「これで二カ月は休めるんだよね」
遠征と哨戒任務は、ローテーションで他家に割り当てられる。
「そうね。次は六月の哨戒準備かしら。そして翌月が哨戒任務」
哨戒任務とは、ここの0番魔界に異常がないか確認してまわることだ。
必要ならば、魔窟の中にも入っていくことがある。
その監視網をくぐりぬけて基地に魔蟲がやってくることもある。
だがそれも想定済み。『哨戒準備』の名の下に、かならず一船団が基地に残り、地球を守っているのだから。
この哨戒任務と哨戒準備はそれぞれ、ひとつの家で行うことになっている。
哨戒任務を終えた家が翌月休みとなり、哨戒準備に入っていた家が哨戒任務に就く。
そして新たに別の家が哨戒準備のため、ドックで待機することになる。
つまりいつでも、どこかの家が基地に詰めているのである。
「六月かあ……またドイツに来なくっちゃなんだね」
ただでさえ授業に出られない日が続いているのに、また二ヶ月間も休まねばならなくなる。
「もしかすると、副船長権限で済むかもしれないわ」
「えっ? そうなの?」
「遠征と違って、哨戒任務の場合、さほど緊急事態はおきないから。当主と船長が兼任している家は、そうやっていることが多いわね」
年がら年中、魔蟲の侵攻があるわけではない。
哨戒といっても、境界面を見て回るだけの仕事であるため、戦闘が発生するケースの方が稀である。
「なら別に俺がいなくても……あっ、でも、船団の訓練をするってトーラさんが言ってたな」
「通常どこの家も、哨戒と訓練は同時にしているわね。ただ、ユージさんが希望すればだけど、そうでないなら、いまだけは大学を優先してもいいと思うわ」
祐二に足りないのは実戦の経験である。
それを訓練で補うわけだが、大学の勉学を疎かにしていいわけでもない。
特に祐二の場合、魔法使いとしてはまだまだ新米。未熟と言い換えてもいい。
魔法使いの一般常識に欠けるところもあるため、しっかりと勉強しなくてはならない。
「ヴァルトリーテさんと相談してみるよ」
「それがいいかもね。でももし、哨戒に来ることになったら、私の入学を待たずにまた会えるわね」
「なるほど! 六月に会う会わないは別として、大学で待ってるからね」
来年の九月、フリーデリーケは叡智大に入学する。
フリーデリーケがそう言ったからには、すでに入学が決まっているのだろう。
つまり今年の九月までに、外へ出て暮らせるくらいには心の病を治して見せるという決意の表れでもある。
「ええ、期待しておいて」
そう言ってフリーデリーケは笑った。
――ケイロン島 教会 異端審問官
ケイロン島には、教会はただひとつしかない。
マリーは、信者が座る長椅子で体育座りをし、ふてくされたように頬を膨らませていた。
祐二を誘惑するためにわざわざ島に渡ったものの、祐二とは入れ違い。
戻ってくるまで二カ月かかると分かった途端、諸々のやる気を失ってしまった。
「戻ったぞ……相変わらずだな」
教会の扉を開けて、ロッドが入ってきた。マリーはあいかわらず、ふてくされている。
「こんなことなら、中東でも回っていれば良かったわ……せっかくこの前、子羊を見つけたのに、叡智の会に取られちゃうし」
「ここでコトに及ぶわけにもいかんだろ」
「ぶぅ~、なんかロッド神父の方が物わかりがいい!」
「当たり前だ。ここは敵地だからな。さすがに私でも、こんな場所で全方位に喧嘩を売らん」
祐二が遠征に赴いている二カ月の間、ロッドとマリーが何をしていたかというと、ケイロン島を見て回り、黄昏の娘たちの影を探していたのである。
ヘスペリデスのメンバーは小規模な集団に分かれていて、横の繋がりがない。
ただそれだと行動に支障が出るため、特定の連絡方法を採用していた。
インターネット環境が全盛の現代においてさえ、古来より使われてきたやり方を踏襲していたりするのだ。
もっともその方が周囲の目を欺けるし、どのような記録にも残らないため、使い勝手が良いのかも知れない。
今回、たまたまその痕跡を発見したマリーとロッドは、入念な準備を整えた上で、この島に潜入したヘスペリデス側の人間を炙り出した。
その際、少しばかり大立ち回りをし、周囲の耳目を集めることとなった。
結果、確保したヘスペリデスの構成員は、叡智の会に引き渡すことを余儀なくされた。
「つまんないですわ」
「結果くらい教えてくれるだろ」
ロッドとしては、ヘスペリデスの構成員が一人減ったのならば、だれが捕まえても同じだと考えている。
逆にマリーは、「遊び相手を横取りされた」気分になっている。
「でもまだこの島に連絡員が残っているのよね」
「そうだな。だから私たちが発見できたわけでもある」
捕まえた構成員は、顔も名前も知らない誰かと連絡を取ろうとしていた。
つまりまだ、この島に敵側の人間が隠れ住んでいる。
「仕方ないわね。わたしは、連絡相手の方で我慢してあげるわ」
「一応言っておくが、遊びじゃないんだぞ」
くるくると器用に、手の平の中でクギを弄ぶマリーに、ロッドはそう苦言を呈するのであった。




