065 イタズラなミーア
学食で祐二とミーアが昼食を摂っているとき、祐二のスマートフォンがメッセージを受信した。
ミーアが目で合図――早く見ろと急かしてくるので、ポケットからスマートフォンを取り出す。
「……そっか。ヒデ、やったな」
メッセージに目を通した祐二が、感嘆の声を漏らす。
「なになに? どうしたの?」
当然、ミーアが興味津々に画面を覗き込んでくる。というか、それを待っていたフシがある。
「日本の友達なんだけど、そいつが大学を受験するって両親に言ったらしいんだ」
「わお、頑張る若人は、私も応援するわよ」
「ミーアも若いだろうに」
祐二は苦笑する。
メールの差出人は、もちろん谷岡秀樹だ。
以前の秀樹は、親戚の部品工場に就職し、ゆくゆくは後を継いでいきたいと、抱負を語っていた。それが昨年の春。
その後、秀樹に彼女ができ……フラれた。
「オレは大学行かずに働くって彼女に言ったんだ。そしたらさぁ、ドン引きされたんだよ。別に早く社会に出たって、いいよな? そう思うだろ?」
そう嘆いていた。
その後、進学か就職か本気で悩んでいた。
秀樹の気持ちが受験に傾いていたのも知っていた。
だが両親のみならず、親戚もまた、秀樹が工場に就職するものと思っている。
そのことで、踏ん切りが付かないでいたのだ。
秀樹はついに決心し、大学受験することを両親に告げたらしい。
祐二は返事を書いた。
『ついに決断したな。おめでとう、ヒデ。おまえならやれると信じてるよ』
大学進学を選んだ切っ掛けは、元カノだ。
だが、その後秀樹はどうすれば自分にとってプラスとなるか本気で考えていた。
祐二や秀樹が通っていた高校は、もともとそれなりのレベルなのだ。
やる気を出した秀樹ならば、目標を叶えられると祐二は考えている。
大学受験といえば、気に掛かることがもうひとつ。
「半年後には、壬都さんが来るのか……」
嬉しいような、照れくさいような感情が、祐二の心に沸き上がってくる。
ある時まで、壬都夏織とは、ほとんど接点がなかった。
同じクラスになったこともあったが、話した記憶すら、ほとんどなかった。
だが祐二に魔力があることが分かり、状況が大きく変わった。
年末年始に里帰りしたとき、彼女の希望を知ったのだ。
「本当に、カムチェスター家に所属するのかな……」
別れ際、夏織はそんなことを言っていた。
叡智大に通った魔法使いは、必ず一定期間、叡智の会に所属する義務を負う。
一般的には、現存する八家のどれかに所属することになる。
夏織は「祐二が船長ならば、行きやすい」と言っていた。
そうなれば、卒業後も夏織と一緒である。
これまでは同級生としての関係だけだった。
これからは先輩と後輩として……さらには船長と乗組員として接することになる……はず。
関係性がいまより大きく変化していくことが、ほぼ確定してしまった。
そのとき祐二は、どんな顔で接すればいいのか。
どういう態度をとればいいのか、まだ結論は出ていない。
そんな物思いに耽っていると、ミーアがサッと祐二のスマートフォンを奪い取った。
いつものことである。
「頑張るユージの友達に、サービスショットよ!」
胸元のボタンをひとつ開け、ミーアは祐二のスマートフォンで自撮りした。
「おい、ミーア!」
ピローンとシャッター音が鳴ったので、もう撮った後である。
「まあまあ……」
慌ててスマートフォンを取り上げようとする祐二を制し、ミーアは祐二とのツーショットまで、撮ってしまった。
「これで元気を出してくれるといいね!」
祐二がスマートフォンを奪い返したものの、先ほどの写真は二枚とも送信されたあとだった。
すぐに秀樹から「これも、壬都さんに送っとくからな!」という血涙のスタンプ付きの返信が来た。
祐二はガックリとうなだれた。
――ケイロン島 教会
「ユージさんはあまり繁華街に出てこないようですね。なかなかタイミングが合いません」
マリーとロッドがケイロン島に来て、すでに五日が経っている。
その間、祐二が町に繰り出したのは、ただの一度もない。
祐二に会うためにわざわざ島へ来たのに、いまだ接触できていないのだ。
「だから、通学の途中で待ち伏せればいいだろ?」
「それはあからさまではないですか。もう少しですね、こう……自然な出会いというのを演出してみたいのです」
「そんなことのために信者を見張りに使うとは……」
呆れたとばかりにロッドは、頭を左右に振った。
マリーは信者に祐二の写真を見せ、彼の動向を探らせている。
学校の外へ出てくるのを見晴らせているのだ。
なにしろ祐二は、遊びたい盛りの大学生。
すぐに繁華街へ足を向けるだろうと思われた……が、そんなことは一度もなかった。
大学とアパートメントを往復する毎日。
一度だけ、予定外の行動をしたが、それもただ学生寮へ足を運んだだけである。
それゆえマリーは、教会で待機してばかり。一度も出番がないのだ。
「これは長い目でみた方が良さそうですね」
そんなマリーの言葉に、ロッドは訝しげな顔を向ける。
「すでに一度接触してるんだ。そこまで慎重になる意味が分からない。シスターマリー、キミは一体、何を考えているんだ?」
「もちろんユージさんと仲良くなる方法ですよ。ロッド神父こそ、ユージさんの価値が分かっていないようですけど」
「分かっているとも。ヤツは魔導船の船長。八人の魔導師の一人だ」
「ええ、そうです。そして私たちの利益の代弁者になる可能性を秘めている人材でもあります」
「もとから魔法使いの思想に染まってないってやつか? どこまで信憑性があるのか、分からないが」
「私とユージさんが恋仲になれば、多少の便宜は図ってもらえます。それだけでも大きなアドバンテージなのですよ。そうでなくとも、両陣営の架け橋となることができるではないですか」
「それは分かっているが……」
「ロッド神父。ユージさんは魔導船の船長です。当主とは違います」
「知ってる」
「当主には、一族の責任がつきまといます。自身は賛成でも、一族の信条を慮って反対と表明しなければならないことだってあるでしょう」
「そうだな」
「また当主には、多くのしがらみが発生します。ですが、船長にはそれがありません。自由なのです。五年……いえ、十年かけてでも、親しくなる意味はあると私は考えます」
船長を味方に引き込む。
それが駄目でも、親しくなっておけば、有効な窓口となりえる。
もし、バチカンと叡智の会が対立した場合、全体に影響力を行使できる立場の人間と誼を通じておくメリットは大きいとマリーは力説した。
「それは分かる。だがその役目、おまえでなくてもいいはずだ」
今のマリーは神学校の女学生ですら「はしたない」と形容される格好をしている。
「いえ、この件に関しては、わたくしが適任なのですよ」
ほれ、このようにと、マリーは胸チラをする。
「その姿は……神の敵を次々と血の海に沈めていく姿とあまりにも違い過ぎる」
ロッドはしかめっ面をしつつ、憮然とそう言った。
実際マリーが、奇跡調査委員会に招聘されたのは戦闘力を買われてのことだ。
そうでなければ、これほど若くして重要な役割を与えられるはずがない。
敵に対して情けをかけず、容赦もない。それがマリーの本性。
ロッドはそれを知っているからこそ、いまどきの格好をするマリーがどうにも馴染めないのであった。
「あれ? ユージ、もう帰るの?」
今日の授業はまだ残っている。
それなのに帰り支度をはじめた祐二に、ミーアが首をかしげた。
「二月から遠征なんだ。だからドイツに戻らないと」
「遠征……? ああ、魔界へ行くのね」
あと数日で一月も終わる。祐二はこれから二ヶ月もの間、魔界で過ごすことになる。
「これも船長の義務だしね。魔導船の変容はほぼ終わったけど、まだ人任せにはできないから、遠征に参加せざるを得ない感じかな」
「いいなあ、魔界に行けて。はやく私も行ってみたいのよね」
「遊びに行くわけじゃないんだけど……ミーアだって、卒業したら嫌でも行くようになるでしょ」
「まあ、そうなんだけど……」
「そもそも許可証がないと魔界には行けないし」
魔界へ赴くには、魔界門を通過する必要がある。
そして魔界には『魔導船』という、替えの効かない兵器が置いてある。
魔法使いであるからといって、簡単に魔界へ赴く許可が下りるわけではないのだ。
「私たちはまだ一年だからいいけど、三年と四年で思想チェックされるのよね。それに身元確認もでしょ……プライバシーとか、どうなっているのかしら」
ミーアが嘆く。
カムチェスター家唯一の船長である祐二ですら、許可証が発行されるまで結構な時間がかかったのだ。
一般の魔法使いの場合、許可証の発行は推して知るべしである。
ゆえに、この叡智大にいる間に、様々なチェックをするらしいと祐二も聞いている。
「そこはまあ……我慢するしかないのかな。というわけで俺はしばらくいないから。戻って来るのは、早くても四月になってからだね」
「了解よ。授業のノートくらい、とっておいてあげるわ」
「助かるよ、じゃ!」
こうして祐二は、遠征に向けた準備をするために、ケイロン島を後にした。
マリーがこのことを知るのは、祐二が島を出た一週間後であったという。
マリーが「せっかくの衣装の出番がなかったわ」と嘆き、ロッドが「衣装と言っている時点で失敗だろ」と駄目出しをしていたとか。