063 マリーの思惑
エリーが殺されたのかもしれない。そうミーアが言った。
それが本当なら、聞き捨てならない話だ。
祐二はミーアと二人っきりになったとき、もう一度尋ねた。
「ねえ、ミーアの噂、だれが流したの……?」
真剣な祐二の顔を見たミーアは、プッと吹き出した。
「いやねえ、だから噂よ、噂。……あくまでそう言った可能性があるって話だから、本気にしない方がいいわよ」
明るい調子でケラケラと笑う。祐二はイラッとした。
「だから、だれがそんな噂を流したんだよ」
「ごめんね、それは言えないわ。大事になったら困るし……忘れてとは言わないけど、騒いでほしくないの。そういった噂があったってことだけ、覚えておくってのは、どう?」
ミーアは、その噂を流した人物を知っている。だが、言うつもりはないらしい。
「……分かった。そう思っておくよ」
「じゃあ、この話はおしまい。次の授業があるから、私はもう行くわね」
「またね」と走り去ったミーアを見送ったあと、祐二はスマートフォンを取り出し、電話をかける。
「……もしもし、俺です。ヴァルトリーテさん、いまいいですか? ちょっとした噂なんですけど、聞いてくれます? あのですね……」
五分ほど話して、祐二は電話を切った。
――ケイロン島 教会
「荷物を没収されるだなんて、聞いてないぞ!」
ケイロン島にただ一つだけ存在している教会に着くや否や、ロッドは不満をぶちまけた。
「だから武器を持ち込むのは止めた方がいいって言ったじゃないですか」
対するマリーは、ロッドの扱いにも慣れたもの。
怒り心頭のロッドの方を見ようともしない。
「武器がなければ、どうやって身を守れというのだ!」
「そんな敵なんていないってことですわよね、神父様?」
マリーの言葉に、教会の神父はゆっくりと頷く。
「建前上はそういうことになっております」
「あら、では実際は違うのですか?」
「言葉が足りませんでしたな。この島は総じて平和です、シスターマリー。この島で武器を持っているのは、持つことを許された者のみです。それ以外の者が武装していれば、それはすなわち……」
「敵というわけですね」
「はい。問答無用で排除されることとなるでしょう」
「相変わらず、この島は厳重な警備ですね。渡る許可が下りて良かったですわ」
マリーはニッコリと微笑む。
ロッドとマリーは、叡智の会旧本部で祐二と接触した。
そのときマリーは、少しだけ行き過ぎた服装をしていたため、叡智の会に警戒されてしまった。
祐二との接触禁止は言い渡されなかったものの、ケイロン島への渡航は、「テロ警戒のため」というもっともらしい理由によって、却下され続けていた。
奇跡調査委員会の方針は、「力押しよりも、懐柔策を」である。
そこでマリーが、捕縛した黄昏の娘たち構成員を引き渡すかわりに、島へ渡る許可を得た。
「グルード神父、ひとつお聞きしたいことがあります」
「なんでしょう、シスターマリー」
「香港の爆破テロ以降、島に入り込んだスパイの摘発が行われたと聞きましたが、いまだ敵のスパイは残っていると思いますか?」
「そうですね……捜査の網を掻い潜った者はいるかもしれません。ですが、それほど影響はないと考えております」
「影響はない……ですか?」
「あまりに深く潜ったスパイは、多少の好機でも動くことはしないでしょう。いないのと一緒です。それに、この島に来られるスパイはヘスペリデスの構成員というよりも……」
「その協力者だから……ですね」
マリーの言葉に、グルード神父は大きく頷いた。
ヘスペリデスという組織は、構成員のほとんどが魔法使いである。
叡智の会に属さない魔法使いは一定数いるものの、完全に敵対している者は少ない。
ヘスペリデスは、その数少ない敵対派の魔法使いたちなのだ。
それゆえ、ケイロン島へ渡ることは不可能。途中で見つかってしまう。
「石魔木というのでしたか。魔界で採れる木材ですが」
「魔導船の修理素材にも使われると聞きますわ」
「それを粉末にして紙に混ぜ込むと、魔法使いの魔力に反応するようですね。つまり、島へ渡る者には、どこかでその紙に触れさせればいいわけです」
「それでも職業柄、常に手袋をしている人もいますよね、外科医とか。それにいまは冬ですから、手袋をしている人も多いですし」
事実、マリーもいま、手袋をしている。
「その通りです。運良く島内に入れたとしても、チェックは続いています。どこにでも叡智の会の者がいますので、魔法使いだとバレずに過ごすことは不可能。ゆえにここに来る者は、魔力を持っていない一般の者。つまり、ヘスペリデスの協力者になります」
「周囲は海。物流は制限され、町には監視の目が行き届いている。だから大きなことはできないというわけですか」
「そうですね。それと私はこうも思うのです。あえてスパイに付け入る隙をあたえているかもしれないと」
ここに魔法使いが集まっており、大したことができないのならば、あえて集まりやすいようにしている可能性があると。
「敵を炙り出すためにですか?」
「気付いたら、知り合いがいなくなっていたという話を聞きますので」
「なるほど……それは」
顔を引きつらせるマリーであった。
一月の下旬。
エリーの家族がケイロン島にやってきたと連絡を受けた。
早速、祐二とミーアは、学生寮を訪れた。
来訪を告げ、談話室で待っていると、四十代半ばの女性が階上から下りてきた。
「エリーの母のソーリアです」
「初めまして、俺は祐二といいます」
「私はミーアです。わざわざ時間をとっていただいて、ありがとうございます。お片付けの途中と伺いましたが、お時間の方は大丈夫ですか?」
「荷物の整理は明日いっぱいまでかかりそうなので、大丈夫です。それに私も、あの子の話を聞いておきたかったですから。……聞くところによると、あなたちも話があるとか?」
ソーリアはフィンランドの魔女。
だが、叡智の会に所属していなかったため、この島へ来るのははじめてだという。
「私とエリーは似たような環境で育ったんです。それで仲良くなって、共同で研究をすることにしました。今回エリーは、実家に帰って研究の検証をするって言っていました」
「共同研究ですか?」
「はい、そうです」
ミーアは、エリーと行っていた共同研究の内容を話しはじめた。
昔に比べて、魔法使いの数は減ってしまっている。
しかも強力な魔法使い――魔導師になれるレベルの魔法使いの数は、激減と言っていい。
それはなぜか?
魔法に携わる多くの人が、その謎を解くために様々な研究を行ってきた。
文明が発展し、電気機器が身近にあふれ、昔よりも生活が格段に便利になった。
その反面、かつて人の手が入っていなかった地への開発が進み、闇が打ち払われていった。
闇が消えたことで、人々は未知への畏れを抱くこともなくなった。
そう言ったもろもろが複合的に合わさり、魔法使いの絶対数が減ったと言われている。
文明の中に身を置く者が増えるのと反比例して魔法使いの数が減った。
強力な魔法使いが生まれなくなったのは、文明が発展したからと言われている。
それが本当に正しいのか。
「私とエリーは、近頃では珍しく、文明から断絶したところで生まれ育ちました」
「そうね。私の住んでいるところは、電気こそ通っているけど、何百年も景色が変わっていないわ……」
「ファストフードすら食べたことがなかった私たちが、文明的な生活をはじめて、どのような変化がおきたのか。もとの生活に戻ったとき、私たちはどうなったのか。それを研究しようと話し合ったのです」
エリーは亡くなった。だがそれで、二人の研究をストップさせたくない。
ミーアは、エリーの研究を引き継ぎたい。
それが彼女の遺志だと思うから……そうミーアは語った。
「そう……あの子は大学でそんなことをしていたのね」
「そういうわけで、エリーが家に帰ってからの記録と言いますか、何をして何を食べて、家族に何を話したのか、それを知りたいのです」
生前のエリーの研究を引き継ぐために……とミーアは言った。
「そういうことなら、あの子が帰ってきてから話した内容……覚えている限りのことを話すわ。代わりに、あの子のここでの生活を教えてくれるかしら」
「はい。それはもちろん!」
こうしてソーリアは、娘が里帰りしてきてからのことを覚えている限り、時間をかけて語ってきかせたのであった。