061 授業再開
祐二は一月七日の夜、大学の授業に間に合うようにケイロン島へ戻ってきた。
そして、日が変わって八日の朝。
「みんなおはよ~!」
元気よくミーアが教室に入ってきた。
彼女が姿を現すだけで、教室の雰囲気が明るくなるから不思議だ。
ミーアはクラスメイトと二言三言話したあと、祐二のもとにやってきた。
「おはよう、ユージ。元気だった?」
「おはよう、ミーア。それと新年あけましておめでとう」
「うん。ユージは律儀だね。もっとフランクに行こうよ。それで実家は楽しかった?」
祐二の肩をパンパンと叩いて、ミーアは笑う。
「そうだね。久し振りに高校時代の友人にも会えたし、充実した年末年始だったよ。ミーアはどうだった?」
「正月は家の手伝いかな。あんまし休めなかった感じ」
「そっか、忙しかったんだね」
ミーアはハワイ先住民の末裔。
新年を迎えるにあたり、作法やしきたりも多いのだろう。
家族総出で、何かするのかもしれない。
彼女の家は呪術師の家系らしいので、ソッチ系の仕事で忙しかった可能性もあるが……。
「今年もよろしくね、ユージ」
「こちらこそよろしく」
年があけてもこの選抜クラスの顔ぶれは変わらない。来年度も同じだ。
それどころか卒業するまで四年間、ずっとこのままだ。
この先もきっと、ミーアやエリーたちと仲良く過ごすのだろう。
そんなことを考えていた祐二は、ふとあることに気付いた。
「どうしたの、ユージ?」
「もうすぐ授業が始まるのに、エリーの姿が見えないなと思って」
「ああ、そういえばそうね。まだ戻ってないのかしら」
エリーは東欧のフィンランド出身。
この長期休みには、実家に帰ると言っていた。
エリーは、母親が魔女だと言っていた。家の事情でまだ戻ってきていないのかもしれない。
「それよりもっと、日本の話を詳しく聞かせてよ!」
ミーアは、キラキラした目を祐二に向けてくる。
「別に話すことなんて、ないんだけど」
「いいのよ。どういうことしてたのか、興味あるんだから」
そう促されて、祐二は日本で何をしたのかを語って聞かせた。
ただ、なんとなく恥ずかしいので、ヴァルトリーテやユーディットが日本に来たことは口にしなかった。
「へえ、その壬都って人が来年度、ここに通うんだ」
「そうだね。その時は紹介するよ。友達になってくれると嬉しいな」
「任せて! ユージの友達なら、私の友達だよ!」
ミーアから、そんな頼もしい言葉が返ってきた。
教授がやってきて、授業が始まる。
授業中祐二はずっと気にしていたが、最後までエリーは姿を見せなかった。
寝坊か、それとも本当に用事があってケイロン島に戻っていないのか。
そんなことを考えながら、その日は終わった。
だが翌日も、翌々日もエリーは大学に姿を見せなかった。
「エリー、亡くなったって……」
クラスメイトの一人が教室に飛び込んで来るなり、そんな話をした。
「えっ?」
祐二や、他のクラスメイトも驚く。
「どういうこと?」
「なんで?」
すぐに人が集まった。
「昨日の夜、電話したの。だって既読もつかないし、心配だったから」
チャットアプリで連絡をとっても既読がつかない。つまりエリーは読んでいない。
それはミーアも言っていた。
「電話して、どうだったの?」
「妹さんが出て……亡くなったって言われたの」
「うそっ!」
「なんで!?」
自分は大学のクラスメイトだと話し、エリーのことを尋ねたらしい。
すると昨年末、エリーは自宅近くの森で倒れているところを発見されたと。
発見されたときはもう、冷たくなっていたのだと。
「それでね、気持ちの整理がつかないから、少しの間だけそっとしておいて欲しいって言われたの」
集まったクラスメイトたちがシンッとなった。
「まさか、亡くなっていたなんて」
「どうして……」
事実を受け入れがたいクラスメイトたちは、ショックを隠しきれなかった。
祐二もエリーの優しい微笑みを思い出し、もうあれが二度と見られないのかと思うと、心が痛んだ。
祐二はその日、ずっと考え事をしていて、精彩を欠いていた。
「ねえ、ユージ。一応だけど、確認に行きましょう」
「確認って?」
「電話に出たのって、妹ってことでしょ。ほらぁ、もしかしたら、仲間内のそういうジョークかもしれないじゃん」
「まさか、人の死を冗談にするはずがないよ」
「私だってそう思うよ。だけど、確認。ねっ、学生課に行くから、ユージも付き合って」
「分かった……俺も気になるし、一緒にいくよ」
祐二とミーアは学生課に足を運んだ。
祐二がここを訪れるのは、魔力量の測定以来、二回目だ。
エリーの死亡は学生課でも把握していたらしく、アッサリと認めた。
「落ちついたら、ご遺族が寮に連絡してから、私物を引き取りにくるそうです」
もし直接話したいことがあれば、その時に会いに行けばいいと言われた。
「分かりました。ありがとうございます」
二人は学生課を出た。
「まさか本当だったなんて」
「お悔やみを言いにいきたいけど……」
エリーの実家はフィンランドだ。気軽に行ける距離ではない。
しかもオーランド諸島という、小さな島々が多数浮かんでいるところらしい。
外国に不慣れな祐二が行くには、難易度が高すぎる場所である。
「冬だった……だからなのかなぁ」
「えっ? ……ああ」
自宅近くの森で倒れていたというエリー。フィンランドの冬は寒いだろう。
何かの拍子に動けなくなったとして、発見が遅れれば、簡単に死んでしまうこともありえる。
「私も魔力量を増やす訓練のときは気をつけないと」
「……そうだね」
ミーアの場合、真っ暗闇の中ですべての感覚を遮断し、集中力を高める方法を採っている。
周囲に余人がいない状況で修行するのだ。エリー同様、注意が必要だろう。
「しかし本当に惜しい人を亡くした」
仲の良い友人が永遠に失われたことに、祐二は寂しさを覚えた。
――バチカン奇跡調査委員会
机と椅子がひとつあるだけの殺風景な室内で、シスターマリーはクルクルと器用にペンを回す。
マリーは行儀悪く机に腰掛け、机上にある書類に次々とバツ印をつけていく。
それを苦々しく眺めているのは、ロッド神父である。
彼はイライラと足先を床に打ち付け、腕を組んだままマリーを凝視している。
マリーがどこ吹く風なのが、余計ロッドの気にさわるのだろう。
ロッドは、机をバンッと叩いた。
「なぜ、私たちが苦労して捕縛したヘスペリデスを叡智の会なんぞに引き渡したんだ?」
事と次第によっては容赦しないと、ロッドはマリーに詰め寄る。
それもそのはず。
バチカンの奇跡調査委員会は、多くの犠牲を出しながらも、黄昏の娘たちの拠点を潰し、そこにいた構成員を捕縛した。
彼らを拷問し、情報を聞き出したあと、異教徒に相応しい末路を与えてやるのが使命だと、ロッドは考えている。
それなのにマリーは、連中を無傷のまま、叡智の会に引き渡したのだ。
「だって、叡智の会本部から牽制が入ったんですもの。しかたないじゃないですか」
「こちらが媚びる必要はないだろ!」
「そのおかげで、向こうの態度が軟化したのですから、いいじゃないですか。これでケイロン島に渡れますよ」
「そのために、わざわざ捕らえた連中をだな……」
「だから、話が堂々巡りしてますって。私たちには彼を取り込む使命があるんです。それを優先させただけですって」
しばらく前、叡智の会本部――正確には本部長のノイズマンから、バチカンに牽制が入った。
ロッドとマリーが祐二と接触したことについてだ。
情報流出を懸念して、今後、祐二への接触はしばらく待ってもらいたいというものだった。
言っている内容はもっともである。続けて船長を失いたくないのである。
それを無視して行動し、もしヘスペリデスに情報が渡ってしまった場合、両者の関係が悪くなる。
上層部は、ロッドとマリーに「一時的な接触禁止」を申し渡した。
ロッドは「そこまでして会いたいわけではない」ととくに痛痒を感じなかった。
困ったのはマリーである。そこで彼女は、叡智の会におもねることにした。
「ヘスペリデスのメンバーを捕まえたんですよ。なんか叡智の会に対してよからぬことを企んでいるみたいですけど、いります?」と交渉を持ちかけたのだ。
もちろん上層部の許可をとった上での話だ。
マリーと叡智の会側の思惑は一致した。
叡智の会はヘスペリデスの構成員を手に入れ、マリーは祐二との接触許可を勝ち取った。
それで収まらないのがロッドである。
なぜ叡智の会にそこまでしてやらなければならないのかと、先ほどからずっと憤慨している。
「長い目で見れば、きっとこの決断がよかったと思うはずですって。……それじゃ、さっそくケイロン島へ渡る準備をしましょう。どうせなら、教区の所属を移しちゃいましょ」
マリーは書類に書かれている最後の人物にも、大きくバツをつけた。
書かれているのは、叡智の会へ引き渡した者たちのものである。
彼らの情報はもはや不要。
もう二度と、この世に出てくることはないのだから、記憶から消してもまったく問題がない。
「しかしまだ冬ですよね。露出の多い服はさすがに……引かれそうです」
マリーは「さてどうしましょう」とうそぶいた。
第三章『外敵と内乱』編が開始です!