【閑話05】 比企嶋のお仕事
「比企嶋くん、そろそろだよ」
「ああ、もうそんな季節になりましたか」
ここは統括会東京支店の事務所。
比企嶋は、窓の外を眺めつつ、ぼんやりと頬杖をついた。
「仕事に身が入らないかな」
支店長の塚原は、のんびりとした様子の比企嶋につられて窓の外を見る。
夕暮れ時、子供たちが道路で遊んでいる。
なんともはやノスタルジックな、まるで昭和のような風景である。それもそのはず。
ここの事務所は路地を入ったところにあり、車はやってこないし、土地勘のない人がわざわざ足を踏み入れる場所でもない。
そして下町よろしく、ご近所さんの目も行き届いていたりする。
子供たちが夕方まで遊んでいても、それなりに安全に遊べる環境なのである。
「薬品の予備はあったかな。比企嶋くん、覚えている?」
「たしか去年の残りが少しあったと思います。今年は中学二年生でしたっけ?」
「そうだね。足りるかな?」
「明日、確認してみますね」
「……そう、明日ね」
どうやら比企嶋は、相も変わらず、気の抜けた炭酸のようになっている。
統括会は、学校の業者テストを納入する団体なのだ。
公益財団法人として、しっかりと教育にたずさわる活動をしている。
一方、塚原を支店長とした東京支店だけは少し違う。
学校に納入する業者テストの配布や採点などを監督することをメインの仕事としている。
ことは教育に関わることである。癒着や不正があってはならない。
抜き打ちで検査する権限を有している。それゆえ、事務所も何もかも独立して存在している。
……というのは表向きな理由。
業者一斉テストは小学校から高校まで、それぞれ年に二回ずつ行われている。
それを毎年、特定の学年だけ抜き出してチェックしているのである。それが東京支店の役割。
一体何をチェックしているのか。
隠れた魔法使いがいないか、探しているのである。
その年のある学年にだけ、特別な用紙が使われる。
魔界に生えている石魔木の粉末を混ぜた用紙を使っているのだ。
これを複数の薬品と一緒に紙の原材料の一部にすると、魔力を持った者が触ったときに、反応がでるのである。
「祐二くんみたいな、こう……がぁーっと紙が反応するような子って、いないですかね」
「いないんじゃないかな」
「そうすると私たちって、来年までヒマですよね」
「ヒマってことはないだろうけど、動く理由がなくなるね」
「祐二くんのときはお咎めなかったですけど、それはミスとされなかっただけで、本部の心証は悪いですよね」
「ずっと前に分かっていて、直前まで知らせなかったのも効いているね」
否定しない塚原に、比企嶋はゴンっと額を机に打ち付ける。
「当分出世は無理ですよね」
「どうだろう……まあ、功績がないと無理だろうね」
比企嶋と塚原の仕事は、回収した業者テストに霧吹きで「とある液体」を吹きかけるだけである。
原液を2000倍ほどに希釈させた液体を噴霧し、反応があったものだけ抜き出して再テストさせる。
それで間違いないと分かれば、魔法使いとして生きていけるかどうかを判断することになる。
祐二はそれで拾い上げられたわけで、比企嶋はこれで出世は約束されたと狂喜乱舞したのを覚えている。
ドイツにある本部勤めも夢ではないと。
「……はぁ」
ため息をつく比企嶋に、塚原は「よしっ!」と活を入れた。
「今夜、一杯どうかね。おごるよ」
「本当ですか!?」
急に元気になる比企嶋に、塚原は苦笑いを浮かべつつ、仕事を頼むのを忘れなかった。
「それでは明日までに、希釈液を二百リットルだけ、作っておいてくれないか」
「あー……はい」
とたんにしおれる比企嶋に、塚原は「大丈夫、出世の目はあるさ」と声をかける。
「本当ですか? 本部に栄転できるような功績がどこかに転がっているとでも?」
「祐二くんだってまだ入学したばかりじゃないか。今後、彼を通して便宜を図ることも出てくるだろう? そうやって地道に小さな功績を積み重ねていけばいいじゃないか」
「まあ、そうなんですけど……」
「それなりの給与は貰っているよね。どうして出世にこだわるんだい? そういえば、かなりの額を実家に仕送りしているって聞いたけど……まさか借金?」
塚原と比企嶋を雇っている大元は、叡智の会である。
金で裏切らないように、かなりの給与を与えている。
都内ですら、かなり贅沢な暮らしができるはずなのだ。
「私、中国地方の山間部の出身なんです」
「知っているよ」
「小さな町なんですけど、町一番の才女って言われたんです。叡智大に受かったときも、町民総出で……万歳三唱して送り出してくれたんです」
「それは……」
比企嶋は現役で叡智大に合格している。
大学在学中、あまりに優秀だったため、ゴランではなくその上の『叡智の会』が声をかけたほどなのだ。
「両親は田畑を売って、私の学費を捻出してくれたんです。仕送りはそのお返しです。それはいいんです! 問題は、ここ! ここなんです!!」
「ここというと……東京支店?」
「ええ! 田舎の両親、同級生、近所の人たち……みんな私が出世したと思ってるんです。同窓会に来てほしいって、毎回請われるんです!」
「行けばいいと思うけど……もしかして、行けないとか?」
「行けませんよ。だってここ、社員二人の零細じゃないですか。名刺交換なんかして、住所をググられたら噴飯モノです! 私は田舎が生んだ、期待の星なんです。こんなところで燻っている姿を見せられるわけがないじゃないですか!」
「燻っている……」
比企嶋の地元がどれくらいの規模の町なのか塚原は知らないが、同年代で比企嶋より良い給与を貰っている者はいないと断言できる。
それくらい叡智の会の補償は、手厚い。
だが、本当のことを話せない以上、いまの比企嶋はちっちゃな会社の下っ端OLにしかみえない。
「なるほど……今日はトコトンまで飲もうか」
塚原は、そう言うしかなかった。
そして本当にトコトンまで飲み、翌日、二人して会社を遅刻した。




