054 着物とお出かけ
元旦。
二年参りを終えて家に帰ってきた祐二とユーディットは、家族に新年の挨拶をしたあと、部屋で仮眠をとることにした。
ほんの二、三時間と思っていた祐二だったが、実家に戻ってきて気が緩んでいたのか、昼過ぎまで寝てしまった。
元旦の消滅である。
リビングに行くと、父の史継は酒を飲みつつ、上機嫌でテレビを見ていた。
「あれ? ヴァルトリーテさんとユーディットさんは?」
「んあ?」
史継はすでにでき上がっているらしい。
キッチンにいる母に問いかけると「出かけたわよ」との返事。
「出かけたの? 元旦からどこに行ったんだろ」
「ほら、よくウチに来るスーツの人」
「比企嶋さん?」
「そうその人が、涙目で迎えに来てたわよ」
「あー……元日なのに、まあいいか」
通訳として呼ばれたのだろう。
出世に貪欲な比企嶋のこと、流したのはきっと嬉し涙に違いない。祐二はそう思うことにした。
小腹が空いたので、キッチンにあるおせちを少しつまんでリビングに戻ると、史継は赤ら顔でイビキをかいていた。
「なんていうかもう……」
テーブルの上には、かわき物とおせちの残りがある。
それにラップをかけて、祐二は久し振りに日本のテレビを見た。
正月特番の生放送らしく、スタジオの中と外でやりとりしながら、芸人が右往左往する様が映し出されていた。
何ともなしに、祐二はそれをぼーっと眺める。
夕方になってヴァルトリーテとユーディットが戻ってきた。
美容院に行ったらしく、二人の髪がアップになっていた。
「どう、ユージ。似合うかしら」
「うん。もしかして、そのために出かけたの?」
「そうよ。美容院で結ってもらったの。慣れなくて、ちょっと恥ずかしいかな」
普段隠しているうなじと、耳の裏が完全に露わになっている。
「ユージさん、私はどうかしら?」
「ヴァルトリーテさんもよく似合ってます」
そう、よく似合っているのだ。
ヴァルトリーテは、祐二と同い年の娘がいると思えないほど若々しい。
「ふふっ……ありがと」
お世辞抜きに言ったのが伝わったのか、ヴァルトリーテは微笑んだ。
そしてユーディットと違い、見せ方、いや魅せ方を心得ている。
うなじを色っぽく撫でる仕草に、祐二はぞくぞくとした気持ちになった。
「美容院って、元旦から営業してるのね。驚きだわ」
「しかも混んでいたのよ。あと、着物姿の人が多かったかしら?」
ユーディットとヴァルトリーテが口々に言う。
祐二はすぐに、美容院が正月も休まない理由に思い至った。
「あれ? その髪型ってたしか……」
「分かっちゃった? 今朝、テレビで見てたら、みんな着物姿だったのよ。しかも綺麗」
「テレビに出ている女性はそうだね。芸能人の人たちはここぞとばかりに、着物を身につけると思う」
祐二もテレビを見ていた。たしかに男女関係なく着物姿だった。
「というわけで、私たちも着たくなっちゃったわけ。でも聞いたら、着物の場合、髪をまとめるんだって?」
「そういう場合が多い……のかな。よく分からないけど」
「着物をレンタル予約できたので、美容院に行ったの。ユージに着物姿を見せるのは明日ね。期待しててよ!」
「着物かぁ。ユーディットなら、何を着ても似合いそうだね」
「あら、私はどうなのかしら」
色っぽく微笑みかけられて、祐二は慌てて答えた。
「もちろんヴァルトリーテさんも似合うと思います!」
「ふふ、ありがと」
女性はいくつになっても、張り合うことを忘れないものらしい。
そうこうしている内に、如月家の酔っ払いが復活した。トロンとした目をこちらに向ける。
「ん~?」
史継が真っ先に見たのは、髪をアップにした美女と美少女。
史継は「これは飲まずにいられない」と、再びお酒(今度はビール)を飲み出してしまった。
リビングが酒臭くなったので、祐二は部屋に退散した。
風呂に入るため階下へ降りてきた祐二は、ヴァルトリーテに酌をしてもらっている史継を見た。
もちろん祐二は、元旦から鼻の下を伸ばしている父親のことをすぐに記憶から消し去った。
翌日の朝。
ヴァルトリーテとユーディットは、着物の着付けに向かった。
着物のレンタルと写真撮影がついたお得パックらしい。
かき入れ時だからだろう。翌日迎えに来た比企嶋から聞いた値段は、それなりのものだった。
二人を送り出した祐二は、ゆっくりと身支度をする。
「ユーディットさんは着物なんだから、ちゃんとエスコートするのよ」
「分かってるよ」
今日も祐二はユーディットとお出かけ。つまりデートである。
お台場にイベント用の特設会場ができており、正月限定のショップがオープンしているらしい。そこへ行くのだ。
ただ一つ心配なのは、会場にテレビ中継が入っていること。
大勢の若者が詰めかけているらしく、今日もかなりの人混みが予想された。
特設会場は広く、アイドルグループのグッズ専門店や、テレビ番組のアンテナショップ、昨年流行ったヒーローもののショーなどもあるらしい。
また、世界各国の料理を出す屋台が並んでいるという。
「着崩すと直すのは大変だから、本当に気をつけないとな」
と言っても、行きたいと言い出したのはユーディットである。
彼女はそこで、日本のサブカルチャーを堪能したいらしい。
「じゃ、行ってくる」
「駅で待ち合わせでしょ? まだ早いんじゃないの?」
「地元の神社に寄ってから行くから」
「そう。気をつけていってらっしゃい」
ユーディットの着付けが終わるまで、まだ時間がある。
昨日、松泉神社で初詣をした祐二だったが、地元の神社にはまだ行っていなかった。
毎年お参りしているところなので、三が日のうちに行っておきたかったのである。
祐二が神社に到着すると、参拝客の姿がそれなりにあった。
二日目の午前中とはいえ、お参りする人はまだまだ多い。
祐二は健康と家内安全を祈願して、待ち合わせ場所に向かった。
商店街の路地を抜け、駅前の広場に出た。
ここは普段、会社員や買い物客が早足で通りすぎるだけの場所である。
立ち止まる人が少ないので、待ち合わせするには最適だったりする。
「まだ早いか。というか……着物姿でここまで歩いてくるのか?」
着付けだけで四十分、写真撮影を含めて八十分のコースだと聞いている。
待ち合わせの時間までまだ少しある。
メッセージを打って確認しようと、スマートフォンを取り出したとき、駅前のロータリーに一台のタクシーが停まった。
「ユージ!」
タクシーから振袖姿のユーディットが降りてきた。
「……なるほど、そうきたか」
「どう、似合うかしら」
「うん。髪の色とよく合ってるね」
着物は、赤地に金色の模様が入っていた。よく見ると鳳凰が描かれている。
「お店の人に華やいでますって言われちゃった」
ユーディットは嬉しいらしい。
たしかに華やいでいると、祐二も思った。
「普通、髪と服の色を同じにすると目立たなくなるんだけど、ユーディットの場合、否が応でも人目を引くね」
着物の金色とユーディットの金髪がセットとなって、全身が光り輝いているようにみえる。
どこぞの芸能人でも、これほどハデではないはずだ。
「さっ、ユージ。行きましょう」
「そうだね。お台場まで電車だけど、大丈夫?」
ユーディットが手を回してきたので、そのまま受ける。
「ええ、立ってる分には問題ないわ。座ると帯が崩れるみたい」
「なるほど、それは気をつけないとね」
つり革に掴まるユーディットの反対の手を祐二は握った。
電車が急ブレーキをかけても転ばないようにだ。
「そろそろ都心だし、混んで来るから念のため……ね」
「ふふっ、ありがと、ユージ」
着物姿で微笑むユーディットに、周囲の乗客から「もげろ」という怨念が発せられた。
――ドイツ カムチェスター家
祐二とユーディットが合流する少し前。
――ぴろーん
フリーデリーケの寝室に電子音が響いた。
時刻は深夜の二時を回ったところ。
部屋の主はベッドの中ですやすやと眠っている。
同じ頃、日本ではユーディットがスマートフォンを片手に難しい顔をしていた。
「既読がつかないわね」
そんなことを呟いている。
ユーディットは、着物姿の自撮り写真をフリーデリーケに送った。
「そういえば……あっちはまだ夜ね」
それなら仕方ないかと呟き、写真館を出てタクシーに乗った。
駅前で祐二と合流したユーディットは、そこでもツーショット写真を何枚か撮り、フリーデリーケに送っている。
――ぴろーん、ぴろーん
少し時間をおいて二回、フリーデリーケのスマートフォンが着信を知らせた。
だがフリーデリーケは気付かない。
一度だけ「うーん」と眉根を寄せて寝返りをうったが、それだけ。
フリーデリーケが目を覚ますことはなかった。