006 進路は進むよどこまでも
「ババーン、祐二様! 不肖、比企嶋が、祐二様の勉強カリキュラムを作製してまいりました!!」
比企嶋慶子は、背後に擬音を背負って登場した。
「えと、比企嶋さん……ヒマなんですか?」
「失礼な! 私はエリート揃いの統括会東京支店の中で、二番目の地位にいるのですよ」
たしかに比企嶋の外見は、仕事のできるエリート社員だ。
「それなら部下に任せればいいじゃないですか。なぜ比企嶋さんが、ここに来るんです?」
如月家のリビングで手際よく資料を並べる比企嶋に、祐二は不思議そうに尋ねる。
最近は毎日、家にやって来ている。だいたいリビングでくつろいでいる。
こんなことで仕事は大丈夫なのかと、心配になるのは当然のこと。
というよりも、統括会が何をしている団体なのか、祐二はよく分かっていない。
「東京支店には、私と上司の二人しかいないのです。部下がいないので、私が来るしかないのですよ」
「……それはたしかに、ナンバー2ですね。というか、たった二人でよくまわりますね」
どうやら統括会の東京支店というのは、祐二が思っているよりも規模が小さいらしい。公益財団法人とは、何だったのか。
「少数精鋭ですからこれでいいのです。それで先日、祐二様がちゃんと高校を卒業したいと申されましたよね?」
「ええ、高三の一学期までしか学校に通えないと、高校を卒業したことにならないですから」
祐二は日本政府の要請を受け、一年早く大学に通うことを了承した。
当然、卒業まで高校に通うことができない。
祐二は比企嶋に「ちゃんと高卒資格を取りたい」と伝えたのだ。
「というわけで本日は、高卒認定の試験要項を持参しました。それとこれが問題集と参考書です。講師はすでに手配済みですので、明日から利用可能です」
「はあ……相変わらず手回しがいいですね」
「英語とドイツ語の講師の方は、もう少しお待ちください。交渉は済んだと先方から連絡はありましたが、まだ日本に到着していません」
「あれ? 講師って、海外から呼ぶんですか?」
「そうですよ。どこぞの外交官に教えていた人を強引に……げふんげふん、理を説いて譲っていただいたのです」
「いま、強引にっていいましたよね」
「言ってません」
「言ってたじゃないですか!」
「たとえ言ったとしても、それがどうしました。だれも権力には逆らえないのです。長いものには巻かれろですよ」
「……はあ」
その「長いもの」に心当たりがある祐二は、それ以上突っ込む気力を失ってしまった。
「さて、話を戻します。昔は大学入試検定試験、通称『大検』と言ったのですが、いまは高卒認定試験といいます。祐二様は高校二年生までの単位は学校で取れますので、いまから三年生用の科目のみを勉強することになります。祐二様が必要になる科目は調べました。そしてこれが明日から祐二様が受けていただくカリキュラムの内容になります」
「ありがとうございます。目を通しますね」
「ちなみに今年の出願締め切りは二週間後ですので、お忘れなく。試験日は八月ですので、それに間に合うようにカリキュラムを組んでいます」
「そうなんですか。ギリギリでしたね……あれ? 俺、まだ高校の授業ありますよ? 勉強時間、多くありません?」
カリキュラムを見ると、毎日数時間が高卒認定の勉強に充てられている。
これに留学用の英語とドイツ語の試験勉強が加わるのだ。
「そうですか? 私はよく分かりません」
すっとぼける比企嶋に、祐二は何を言っても無駄だと理解した。同時に、比企嶋には口で敵わないことも理解できた。
考えてみれば、これはすべて祐二のために誂えたものだ。
かなり強引な気もするが、祐二がつつがなく大学生活を送れるよう配慮してくれたと考えることにした。
比企嶋は最初、「高卒資格? そんなものどうでもいいですよ」と連呼していた。
聞いてみると、叡智大は国外の大学であるため、日本の高卒資格は必須ではないらしい。
バカロレアという大学入試のような試験をクリアしているか、それに準ずる能力があると公的な機関が認めれば、問題ないという。
この『公的な機関が認めた』という部分は、教育制度が整っていない国に配慮した形だという。
たしかに日本のように全国津々浦々、どこでも同一の基準で成績や学力が測れている国ばかりではない。日本の方が珍しいのだ。
そして祐二の場合、日本政府が太鼓判を押しているため、選考基準は申し分ない。
それでも祐二は高卒資格に拘った。
高卒認定を受けるのは、いわば祐二の我が侭である。
比企嶋は、そんな祐二に付き合ってくれ、文句一つ言わずに学習環境を整えてくれたのだ。その献身的な行動は……。
「祐二様、明日から私の出世のために、がんばってください!」
「自分のためにがんばります」
「祐二様の努力が、私の出世に繋がります。ファイトです!」
この言動さえなければ、素直に感謝できるのだと思う祐二であった。
――とある場所
足元には、薄紫色のモヤが、たゆたっている。
ここは船のドック。
だが、通常のドックとは少し趣が違う。
そもそも係留されている船がまともではない。
何の支えもなく、中空に浮かんでいるのだ。
そしてそれを当然のことと受け止める四人の男女。
「最後の確認だ。機能を停止させて、本当にいいんだな?」
「ええ、構いません。空の魔導珠は、すべて取り外しました」
男の言葉に、隣にいた女――ヴァルトリーテが頷いた。
「では今日、やってしまおう。副船長の権限を持った者を四人集めるのは、それなりに面倒だからな」
「アタシの目の黒いうちに、こんなことをするとは思わなかったね」
エルヴィラは、やりきれないとばかりに首を振った。
「それはこっちも同じさ。だが、こんなときだからこそ、一族は団結しなけれなならないだろう?」
「ああ、そうさね。ユンガー家には期待しているよ。……もちろん、アルザス家もだ」
「ご期待に添いたいところだが、情けないことに昨今の我が家は、みな魔力の低い者たちばかりだ」
アルザス家の当主であるハロルトは、首を何度も横に振った。
「アタシのダンナは、それなりに魔力を持っていたんだけどねえ」
「ギルベルト叔父は特別だったのでしょう。いまは恥ずかしいほど、みな魔力が少ない」
もう何十年も昔の話になるが、エルヴィラは当時、カムチェスター家存続のため、一族の中から一番魔力が多かったギルベルトを婿に迎え入れた。
ヴァルトリーテは、エルヴィラとギルベルトの娘である。
残念ながら、ヴァルトリーテの保有魔力量は、魔導珠を満たすのに足りず、二代続けて外から婿を取ることになった。
そこに白羽の矢が立ったのが、ユンガー家のクリストフである。
一族の中でもっとも魔力が多かったクリストフは、問題なく魔導船の船長に収まった。
カムチェスター家はクリストフを当主として、当面の間、安泰のはずであった。
彼を狙ったテロさえおこらなければ……。
「アンジェルのところはどうだい?」
「ウチも少しはマシだが、状況は同じだね。当主になれそうな者は出ていないよ。他家も同じなんじゃないのかい?」
ユンガー家当主の妻アンジェルは、エルヴィラと昔なじみだ。
幼少期にずっと一緒にいたせいで、行動や考えることがエルヴィラと似通っている。
「他の一族だって、入念に何度も調べたさ。だが、該当者はなしだった」
「するとやはり、若手の成長を待つしかないか」
「アタシたちロートルじゃ、もう魔力を増やすことは無理だろうしね」
エルヴィラの言葉にだれもが俯く。
一族の未来は、いまだ成長途中の若者の肩にかかっているのだ。
「いま機能を停止させれば、自壊まで少なくとも一年以上……これだけ猶予があれば、一族のだれかが……だれでもいい。魔力が増えてくれるさ」
若いほど増える魔力が多いとはいえ、それほど急激に増えないことをみな知っている。
だが、この場でそんな否定的なことは口にしない。
若者たちが最後の希望なのは、もはや疑いないのだから。
四人は魔導船に乗り込み、操舵室の奥からブリッジに向かった。
「……これか」
船長もしくは、船長から特別に許可された者のみが使用できる操作盤がそこにあった。
エルヴィラが操作盤に手を置き、深く押し込んだ。
「やるよ、準備はいいか?」
「……ああ」
「問題ない」
「大丈夫ですわ」
残りの三人もエルヴィラと同じように操作盤に手を翳し、魔力を流した。
カムチェスター家当主のヴァルトリーテ、その母親のエルヴィラ、アルザス家当主のハロルト、そしてユンガー家当主の妻のアンジェル。
この四人が、魔導船『黒猫』の副船長権限を持っている。
そして今日、主のいなくなった魔導船は、機能を停止されられる。
四人が手を離すと、艦艇の灯りがゆっくりと消えていく。魔力の供給が絶たれたのだ。
これまで聞こえていた低音の呻りが途絶え、辺りは静寂に包まれた。
「残った魔導珠の数からみて、一年以上は持つだろう。だが、二年は無理だ」
「それまでに後継者を見つけないと駄目なわけですね」
もし見つけられなければ、ヴァルトリーテが、カムチェスター家最後の当主となる。
「フリーデリーケを育てな。それが一番可能性が高い」
「…………」
ヴァルトリーテは、『諾』とも『否』とも言わなかった。
魔法使いを育てるのは難しい。
古来より優秀な魔法使いを育てるために、様々な方法が研究されてきた。
昔は感覚を研ぎ澄ませ、自然と一体になる方法がよく採用された。
深い森の中で何ヶ月も過ごしたり、北方の極寒の地へ移り住んだりもした。
命の危険が伴い、効果も今ひとつだったこともあり、いまでは実行する者も限られている。
最近では、精神を鍛える方法が研究されているが、精神を直接鍛える方法はまだ見つかっておらず、肉体をいじめ抜いて、副次的に心を鍛える方法が採られている。
他にも、頭に電極を流すやり方、修験者や僧侶の修行方法を取り入れることもある。
これらはみな、本人のやる気次第なところがあり、効果も個人差がある。
みな独自の修行方法を考え、一度は実行するものだが、魔力は一朝一夕に身につかないと思い知ることになる。
「他家に嫁いだ者が、わずかながらいただろ。中には魔導珠に反応する者もいるのではないか?」
「家系図を遡って洗い出しをしているよ。ただ、栄光なる十二人の魔導師の血が入っている場合、より強い血が優先されるからね。他家の血が勝っている場合、魔導珠は反応しない」
「だとすると、かなり厳しいな。私のところも外へ出た者はいるが、数代もすれば魔力を持つ者は出なくなる」
「状況は絶望的だが、可能性に賭けるのは悪くないさ。それにまだ、一年以上ある。一族の総力をあげて後継者を探し、育てようじゃないか」
エルヴィラの言葉に、三人は静かに頷いた。