050 実りある訪問
――鴉羽家 ヴァルトリーテ(続き)
「もうすぐ、孫が生まれるの」
時雨は目尻を下げ、優しげな笑みを浮かべた。
「お孫さんの誕生ですか、それはおめでとうございます」
「ふふっ、ありがとう。初孫だから、なんだかとても嬉しくて」
孫と聞いて、ヴァルトリーテは歴史の重みを感じた。
カムチェスター家を出奔したクラリーナは、日本で三男二女をもうけた。
そのうちの一人が、時雨の夫の父親であり、その子らの話をヴァルトリーテは、日本の居間で聞いている。
今度生まれるというその子は、クラリーナの玄孫となる。
カムチェスター家の血筋が日本でしっかりと命脈を保っていることに、感動を覚えた。
この鴉羽家が巡り巡って、魔導船の自壊を防いだのだ。
もしかすると、人知れず人類を救ったのかもしれない。
現存する八家がさらに減ることを防げたことは、それだけ大きな出来事だったのだ。
「でも……義親父さんみたいに、奇行に走らなきゃいいけど。それが少し心配かしら」
それまでとは打って変わり、時雨は心配そうな表情を浮かべる。
「奇行……ですか?」
「あらやだ。ごめんなさいね。……義父は少し、変わったところがある人だったので」
時雨が義父と呼ぶならば、それはクラリーナの息子、権蔵のことである。
それが奇行とは、おだやかでない。
「もし差し支えないようでしたら、お話し願えないでしょうか」
時雨は変なことを聞く比企嶋に、どう対処したものか悩んだものの「もう時効よね」と軽く納得し、話しはじめた。
「義親父さんは兄弟の中でも少し変わっていてね。大風が吹くたびに家を飛び出していったみたい。兄弟がどんなに言い聞かせても止めなかったって聞いたわ」
「大風ですか……それは台風の日にテンションが上がる子供のような?」
「だと思うのだけど、大人になっても変わらなかったっていうから、ちょっと変よね」
「そうなんですか」
比企嶋はドイツ語に訳しつつ、ヴァルトリーテを見た。
ヴァルトリーテは真剣な表情で聞いている。
「そういえば、みんなが止める中、倉子おばあさんだけは何も言わなかったって聞いたわね。躾に厳しいところがあったみたいだけど、義親父さんには甘かったのかしら」
「そういう面があったのかもしれませんね」
比企嶋の言葉に納得したのか、時雨は「大風の日にだけはしゃぐなんて、ほんと、子供みたいよね」と笑った。
その後、幾ばくかの雑談をしてから、ヴァルトリーテと比企嶋は鴉羽家を辞した。
「今度、夫がいるときにでもいらしてください」
時雨は最後、そう言ってくれた。
そして帰り道……。
「先ほどの大風の話ですが……あれ、魔法ということは?」
「あり得るわね。魔力が少なくて、魔道具なしでは魔法を使えなかったのでしょう。周囲に風……それも強い風があれば、少しは使えたんじゃないかしら」
現在、魔道具なしには魔法を使えない魔法使いは大勢いる。
その中でも、近くに火や水があれば、それを操ることができる者は多い。
ロウソクの炎を大きくしたり、風の向きを変えたり、水の流れを速めたりと、能力によっては有用になることもある。
クラリーナが権蔵《けんぞう》の魔力に気がついて、使い方を教えたのかもしれない。
他に奇行をする子供たちはいなかったというのだから、魔法使いの血が受け継がれたのは、権蔵だけだったのかもしれない。
魔法は秘匿をもって成すもの。クラリーナは権蔵に、「このことは、だれにも話しちゃだめよ」と言い聞かせたことは想像に難くない。
権蔵は母親との約束を守り、そのことを秘密にした。
大風が吹いた日だけ、権蔵は周囲の風を操ることができた。
それが兄弟の目には奇行に映った。
権蔵もすでに亡くなっているため、真実は分からない。
だがもし、権蔵が魔法を使えていたのならば、日本で新しい魔法使いの家が誕生しかけたことを意味する。
「となると、祐二さんで二人目ですか」
クラリーナ自身はカムチェスター家の人間だから除外するとして、権蔵と祐二という祖父と孫に魔法使いの血が発露しているのならば、今後も期待できるかもしれない。
「なにより、クラリーナ様が魔法を嫌悪していなくてよかったわ」
出奔した経緯から推測するに、魔法と一切関わらない生活を送っていても不思議ではなかった。
ゆえにヴァルトリーテは、クラリーナが日本に来てもずっと、魔法と親しくしていたことを純粋に嬉しく思ったのである。
――ピローン
「あら、お母様からだわ」
ヴァルトリーテがスマートフォンを取り出し、メッセージを読んでいる。
「世界中どこでも使えるんですよね、それ。羨ましいです」
ヴァルトリーテが使用しているスマートフォンは、叡智の会がゴランに作らせた特注品である。
「人工衛星がカバーしている範囲ならば、どこでも使えるみたいね……あら、叡智の会が黄昏の娘たちの拠点をひとつ潰したみたい」
「それはおめでとうございます」
「そしてもう一件……と思ったら、叡智の会からね。同じ内容だったわ」
鴉羽家にいたときは電源を切っており、その間に来たメッセージの中に、叡智の会からのものがあったようだ。
「拠点を潰したというと……本部に詰めている傭兵団の方々が動いたのでしょうか。研修のとき一緒だったんですけど、私……あの人たち、怖くて」
比企嶋は当時を思い出したのか、身体をブルッとさせた。
「私たちを守ってくれる頼れる方々だけど……見た目は……まあ、アレよね」
有事には、躊躇わずに引き金を引ける人材。
実戦経験ありで雇っているせいか、傭兵たちの目つきが鋭い。
各家の護衛は大人しそうに見える者が重視されるが、表に出ない本部護衛に関しては、完全に実力重視で選ばれる。
そのため比企嶋などは、廊下ですれ違うだけでギョッとするらしい。
「ヘスペリデスからの報復に警戒するように……か。家の存続に注意しないといけないわね」
「自分の命を大切にするという発想ではないですか?」
「次代が安泰ならば、自分の命だけを考えるけど、次へバトンを渡すまでは家のことが大事。そのためにも死ねないわ」
後継者がいれば、自分の命などどうでもいいのかと思ったが、現代まで脈々と血を残し続けてきた一族は、考え方が根本から違うのだと、比企嶋は思うことにした。
「日本でテロがおきないといいですね」
「ヘスペリデスが極東に興味を持ったとは聞かないから、大丈夫だと思うけど」
主戦場はあくまで西欧。
叡智の会の影響が色濃く残っている場所がターゲットになることがほとんどだ。
その言葉を聞いて、比企嶋はひそかに胸をなで下ろすのであった。
――首相官邸
自主党総裁の敷島源一郎は、外務大臣の横溝を官邸に呼び出していた。
「立浪君から報告は受けたので、キミにも知らせておこうと思ってな。ダックス同盟の件だが、いろいろあったが、うまく排除できそうだよ」
「それはおめでとうございます、総理」
ダックス同盟は、日本の中小企業を標的としたものの、経団連や日本政府、ゴランの協力もあって、国内に確固とした足場をつくることに失敗していた。
投資した巨額な費用の回収もままならず、いつどこで損切りするかというところまで追いつめられているはずである。
「うまい具合に連中の動きが掴めたからな」
「そうでございますか……」
横溝は要領の得ない返事をする。
外務大臣の自分に何の関係があるのかという顔だ。
敷島はニヤリと笑った。一国の宰相がするには相応しくない笑み。
まるで悪事を働く悪代官のようだが、横溝にはそれが頼もしく見える。
「連中はいま、投資資金をどこで回収するかという問題を抱えている。もちろん国内でそんなことはさせん。米国本土は、各種ファンドが鎬を削っているのだ。損を取り返すほどの利益を出すのは難しいだろう」
「そうですね」
それは横溝にも理解できる。
「そこで連中が目を付けたのは、伸長著しい東南アジア各国だ。日本と同じ手口がある程度通用すると見ている。つまり、日本で失敗したツケをだね、東南アジアを食い物にすることで帳消しにするつもりってわけだ。横溝君、これについてどう思うかね」
「許しがたいことですな」
敷島の言いたいことを察して、横溝はすぐに追従する。
「そう。これは許しがたい蛮行だ。そしてちょうどよいことに、日本は東南アジアの各国に対して大いに『貸し』がある。そこで君の出番だ」
「私でございますか?」
たしかに東南アジアには、経済援助という貸しがある。
「外交チャンネルを使って、ダックス同盟の悪行をこれでもかと流してやってほしい。やり方は任せるが、把握していることすべて流していい。どうすればいいかと聞いてきたら立浪君が対処法を教えてやれる。もし、向こうが困っているようなら、手を差し伸べる用意があるとも伝えてくれ」
「東南アジアでもダックス同盟を閉め出すと? 我が国がそこまで企業集団と事を構えるのですか?」
「手を出してきたのは向こうの方だよ。手を噛まれるくらいは覚悟していただろう。だが屋台骨が揺らぐ覚悟はできているかな? しっかりと反撃して、そいつを確かめようじゃないか」
つまり、嫌がらせをされたので、仕返しをしてやろうということらしい。
しかも何倍返しに。敷島らしい考え方だと横溝は思った。
「分かりました。すぐに取りかかります」
「頼むよ。二度と日本にちょっかいかけて来ないよう、徹底的に叩いてやろうじゃないか。うまくいけば、来期も君に任せられる」
「ははぁ! お任せください。全力で事に当たります」
横溝は深々と頭を下げた。
すでに頭の中では、どの国のだれと連絡をとればいいか、皮算用をはじめていた。