048 腐れ縁との再会(2)
「えっ、これでこの値段?」
レストランで、レシートに書かれている値段を祐二はざっとユーロに換算して教えてあげた。
ユーディットは、メニューと料理を見比べて目を見開いている。
「ちなみに消費税とチップ込みの値段だからね」
「だったら……そうよ、サービス料はどうなっているの?」
「ゼロ円だね。つまりタダ」
「……信じられない」
ピザ398円、四種類のチーズサラダ298円、鳥のソテー398円……ユーディットは、単品の価格を祐二に教えてもらい、「やっぱり間違ってるんじゃ?」と半信半疑だった。
なにしろ、三人がお腹いっぱいまで食べても、合計で五千円を切ったのだ。
ドイツで外食すると、どんなに安くても一人2000円はいく。
もちろん量も多いのだが、味付けは大ざっぱなものが多い。
「塩入れときゃいいだろ」という感じにしょっぱい味付けのものも多い。
値段と満足度で言えば、日本の圧勝らしい。
「その分、利益率が薄いから、不採算店はすぐに撤退するし、これは善し悪しだね」
薄利多売は時として、正常な同業他社を駆逐する。
安くて美味しいのは結構だが、チェーン店でない個人経営のレストランが同じ事をできるかと言えば否である。
こういった店が町のスタンダードになると、大手の寡占化が進むことにもなりかねない。
祐二の言う「善し悪し」とはそういうことだ。
ユーディットは腹が膨れたらしく、下腹を撫でている。
会計を済ませている間、「いっそ、ここに住もうかしら」と不穏当なことを呟いていた。
「……よっし!」
これまで静かだった秀樹が、突如ガッツポーズをした。
「どうした、秀樹?」
ユーディットと会話していたため、少しの間、放っておいてしまった。スマートフォンでだれかと連絡を取り合っていたようなので、疎外感は味わってないようだが。
「なあ祐二、二年参りに行かないか?」
「二年参りか……」
「ユージ、二年参りって?」
祐二はユーディットに二年参りについて説明する。
大晦日に出発して、日付が変わってから神社に『新年のお参り』をすると説明したら、とても驚いていた。
「でも神社? 神様に祈るの?」
「そうだね」
「ユージは仏教徒じゃないのね」
「いや、仏教徒だね。宗派もあるし、お寺の檀家に入っているから」
「……それなのに神社?」
「その辺は……うまく説明できないけど、そういう風習と思えばいいかな」
日本人の宗教観は、あまりユーディットに理解されなかった。
「ウチの家の和室には、神棚と仏壇があるし」
「同じ部屋に? 神様と仏様は喧嘩しないの?」
「さあ、しないんじゃないかな」
やっぱりユーディットはよく分からないらしい。
「それで祐二、どうする?」
「大晦日だよね。とくに予定はないし、いいよ」
「んじゃ、他のメンツも誘っとくからな。十一時頃に松泉神社の鳥居んとこに集合な」
「分かった……って、松泉神社?」
「おう、そうだぜ」
「……分かった」
松泉神社は、壬都夏織の実家だ。
祐二たちの代ではすでに、聖地と化している。
受験を控えた同級生の半数は、お参りに来るんじゃなかろうか。祐二はそんなことを思った。
翌日、祐二とユーディットは、東京の銀座に来ていた。
秀樹と会ったあと家に帰ったら、母親から「せっかくだから、どこか連れてってあげなさい」と言われたのだ。
ユーディットに聞くと「だったら、東京観光がしてみたい」「行き先はユージに任せる」「楽しませてね」と無茶ぶりが入った。
「外国人に日本の文化を見せるといったら、一応はこれだよな」
というわけで、祐二とユーディットはいま、歌舞伎座に来ている。
歌舞伎座は東銀座駅の真上にあるのだが、祐二の家からだと、銀座駅で降りて地下道を歩いた方が早い。
だがそこには罠が存在していて、地下から地上に出る前に、歌舞伎座専門の土産物屋があるのだ。
「ワオ!」
ユーディットはそこに捕まった。罠に嵌まったともいう。
歌舞伎を観る前にお土産を買うのかと、祐二は苦笑いだ。
「ねえ、ユージ。これなんかどうかしら」
和風の傘を指差して聞いてくる。
「歌舞伎役者が描かれている和傘か。うん、いいと思うよ。普段使いにはできないと思うけど」
「これなんかステキね」
多種多様な隈取りが描かれたバンダナを拡げている。
「隈取りってさ、文様の一つ一つに意味があるらしいよ。俺はよく知らないけど」
「へえ、そうなんだ」
結局土産物店で一時間以上費やし、ユーディットはいくつかお土産を買った。
「子供の頃、神社の夏祭りで注意されたっけな」
「どういうこと、ユージ?」
祐二は親に連れられて、神社の夏祭りに毎年行っていた。
どうしても出店に興味が行ってしまうのは子供にありがちなこと。「先にお参りしてからな」と父親によくたしなめられていた。
そのことをユーディットに話すと「教会で神父様のお話の前に菓子を貰おうとするのと同じね」と、ドイツでも同じようなことがあるらしい。
地上に出てからもユーディットは上機嫌だ。歌舞伎座の建築に驚き、興奮している。
「さすが三百年も前の建物は趣があるわね」
「いや、結構しょっちゅう建てかえとかしてたはずだけど。……それより、全部見ると時間がかかるから、今回は一幕見席を使うよ」
「それはどういうの?」
「初心者や観光客、時間がない人向けに、上演の一幕だけを見せてくれる席があるんだ。先着順だけど続きの席も取れるから、これでいいかなと」
「日本語も分からないし、その方がいいわね。それで私も歌舞伎の着物を着て写真撮れるの?」
「さすがにそのサービスはないんじゃないかな」
運良く一幕見席の券を取ることができ、祐二とユーディットは歌舞伎を観ることができた。
演目は主君の敵討ちのために、引き留める友人知人を振り切って旅に出るシーンからだった。
周囲の迷惑にならないよう、祐二は小声で、その状況を解説する。
といっても、分かるところだけだ。
「本当は衣装とか時代背景とか、そういうものも分かればいいんだけどね」
「話の筋が分かれば十分よ。でも歌舞伎って、観るだけなのに知識が必要なのね」
「そうだね。映画のように万人が初見で理解できるようにはできてないんじゃないかな」
「オペラも予習が必要だし、伝統と格式がある見世物は、そういうものなのでしょうね」
と、ユーディットは理解を示した。
一幕だけとはいえ、ユーディットは十分満足したようだ。
最後は歌舞伎座の前で、通行人を掴まえて写真を撮ってもらったりしていた。
もちろん祐二とのツーショットをねだったのだ。
「とても面白かったわ。ファンタスティックってやつ?」
「日本の伝統文化を紹介できてよかったよ」
「もしかして次はスモウかしら?」
「両国に行ってもいいけど、さすがに当日の券は手に入らないね。というか、地方巡業中かもしれないし、調べてないから開幕しているのかも分からないよ」
「そうなんだ。日本の国技だけあって、人気が高いのね。なら次は、どこへ連れてってくれるのかしら?」
「今度は、新しい建物かな。日本人ならだれでも知ってる有名なところ」
「へえ、新しい建物なのにだれでも知ってるの?」
「うん。ここからそう遠くないから、着いてからのお楽しみということで」
地下鉄に乗り、祐二が向かった先は……。
「わぁ! すごい。ここね!」
「い、いや……」
感嘆符をつけて話すユーディットに、祐二はまたもや苦笑い。
ユーディットが向かった先は『ソラマチ』。
祐二が連れていきたかった場所はその上にあるスカイツリーだ。
つまりまた彼女は、土産物店の罠に嵌まったといえる。
「まあ、ここはバラエティに富んだものが多いし、仕方ないかな」
魅力あるデパ地下を複数持ってきたような場所だ。見て歩くだけで楽しいし、じっくり回ろうとしても目移りするほどだ。
「ユーディット、そろそろお昼にしよう」
テンション高いままのユーディットに、祐二はそう提案した。
ソラマチに来てからおよそ二時間が経っていた。
もちろんまだ、スカイツリーにはたどり着いていない。




