047 腐れ縁との再会(1)
――日本 首相官邸
「なんとかなったな」
「ええ……ギリギリでしたが、間に合いました」
首相官邸にある一室で、日本の内閣総理大臣敷島源一郎は、官房長官の立浪晴臣と密談していた。
政府は、日本に進出したダックス同盟への対処に成功した。
彼らだけではない。官僚や経済界の重鎮が迅速に行動した結果だが、これこそ快挙といっていい。
敵にかなりの出血を強いたものの、致命傷にはならなかった。
一年近く前から秘かに計画し、注目されることの少ない中小企業へと食指を伸ばしていたことで、最低限のシェアは確保されてしまった。
これは致し方ない面がある。政府が気付いた時にはもう遅かったのである。
これでは日本の技術のいくつかが、海外にタダ同然で流出する。
今後を考えれば、なんとかしておきたい案件だ。
そう考えた敷島は、ゴランの幹部と直接交渉し、政府の手が届かないところのフォローをお願いした。
「それで金の借り換えは順調と聞いたが、これで中小は一息つけるか?」
「はい。ゴランの援護射撃もありますので、ダックス同盟のシェアは縮小傾向であります。押しているところは、遠からず決着がつくかと思います」
「そうか。日本の中小……技術大国日本に乾杯だな」
敷島は、日本の中小企業の多くを守れたことに、安堵の表情を浮かべた。
敷島が守った中には、世界に通用する技術や特許を数多く取得している企業もあったのだ。
「技術者や特許技術が、ダックス同盟傘下のファンドに渡りかけていますので、まだ安心はできないのですが」
官房長官の立浪の言葉に、敷島は「国策としては、もう限界なんだよなぁ。マスコミもうるせえしよぉ」と渋い顔をした。
銀行に安い利率で借り換え可能な商品を用意させ、その上で借入金が支払えない中小企業に対しては、整理銀行による借金の一本化と長期金利見直しによる支援策を打ち出した。
敷島の振るった大鉈に、マスコミ各社は「過剰な保護」「財源のない支援策」と噛みついた。
それでも敷島は強行した。
支援策からこぼれた企業はゴランが買収し、ダックス同盟の狩り場は徐々に縮小している。
早晩、このままでは投資に見合わないと考えるであろう。
「しかし今回の件、敵さんの意図は何だったのでしょう」
「単純な陣取り合戦……じゃねえよなぁ」
シェアの奪い合いは日常茶飯事。だがこれは、少々趣が違う。
敷島は煙草を咥えた。
「総理、禁煙中では?」
「人前ではな。ゴランとダックス同盟……いま日本だけじゃなく、世界中でシェアの奪い合いが始まっている。つばぜり合いを含めたらもっとだ」
「ええ、欧州はさすがにゴランの力が強いですが、オセアニアとアジアは酷い有様です」
「市場はもう成熟しているから、あとは相手陣地の崩し合い……と思ってたんだが、俺は違うんじゃねえかと思いはじめた」
「と、言いますと?」
「第三者の思惑があるんじゃねえかって思ったのよ。まっ、気のせいってこともあるがね」
将来のカリスマと野生の勘で総理まで上り詰めた敷島がそう言うのだ。
この件を調べ直した方がいいかもしれないと、立浪は秘かに思い始めていた。
夕方になり、秀樹と待ち合わせの時間が迫ってきた。
待ち合わせ場所は、近所のファミリーレストラン。
秀樹から「メシでも食いながら話そうぜ」と言われたので、祐二は「夕食はいらない」と母親に告げてある。
「……レストラン?」
ユーディットが不思議そうな声をあげる。
「そう。ファミレスはね……家族向けのリーズナブルでゆったりできるレストランだね」
二人が入ると、秀樹はすでに来ていた。
メニューを放り出して単語帳を眺めている姿は、いかにも受験生らしい。
「よお、秀樹。ちょっと遅れたかな」
「いや、オレが早く来ただけだだ……だ、だ、だれ?」
「だれって、祐二だよ。まさか顔を忘れたのか?」
「そうじゃねーよ。後ろの天使みたいな女性のことだ!」
「ああ、紹介しようと思って連れてきたんだ。ユーディットって言って、向こうで知り合ったんだ……って、おい」
「てめえ、あの写真の女だけじゃ飽き足らず、こんな天使みたいな可愛い子と知り合いだとぉ!? 天が許しても、オレは許さんからな! もげまくる呪いをかけるぞ、ゴルァ」
「まて、秀樹。首が絞まってる。チョーク、チョー……」
両手で首を絞めて、カックンカックン揺らす秀樹に、祐二の顔は赤くなったり青くなったりと忙しい。
二人のやりとりで事情を察したユーディットが、そっと秀樹の腕を取る。
腕の力が弱まった隙に祐二を引き寄せ、身体を密着させつつわざと腕を絡ませる。
それはまるで、愛しい人と離れたくない乙女の姿だ。
「ゆぅじぃいいいいい……」
血涙を流しつつ、秀樹はテーブルにつっぷした。
えぐえぐと泣きながら、時折「裏切りモンがぁ」とか「腐り落ちてしまえ」と物騒なことを呟いている。
ユーディットにもたれかかり、荒く息を吐く祐二に、秀樹の嗚咽は届いたのかどうなのか。
「ユージ、これ、すごく美味しい!」
「ここは一応、イタリアンの料理を出すレストランだからかな。本場のものを日本人の舌に合うよう、アレンジしたみたいだよ」
メニューに写真が載っていることにユーディットが驚き、どれもこれも美味しそうだと決めかねていたため、三人でいくつか注文してシェアすることにした。
ピッツァとグラタン、スープにサラダ。
広いテーブルの上に、所狭しと料理が並んでいる。
「さすが食にうるさい日本人だけのことはあるわね」
「食にうるさい……の?」
初めて聞く台詞に、祐二が首をかしげた。
「だって、食べるだけに行列するでしょ? テレビではグルメ番組ばかりだし、日本人は普段温厚だけど、食のことになるとマジで怒るから気をつけろって」
日本に詳しい人が流す情報をいくつか漁ると、必ず出てくる言葉らしい。
「そうなんだ……」
たしかに日本人は食べ物に関して、非常に細かい。ただ、海外で有名になるほどだとは、知らなかった。
ちなみにこれらの会話はすべてドイツ語である。秀樹は、二人のやりとりをぼーっと眺めていた。
「やっぱドイツ語ができるって羨ましいぜ。オレなんか、英語すら満足にしゃべれないし、受験勉強でヒィヒィ言ってるってのに」
「必死に覚えたんだよ。さすがに頭がパンクするかと思ったぞ」
「そうだったな。ドイツ語で思い出したが、壬都さんもかなりペラペラらしいじゃんか。あのイケメン大魔王がちょくちょくドイツ語で話しかけてるぜ」
イケメン大魔王とはおそらく、強羅隼人のことだろう。
サッカー部のエースストライカーで、容姿、勉強、運動のどれをとってもトップクラスというチートな存在だ。
「あのイケメン、もうドイツ語しゃべれるようになったの?」
「いや、覚えた文をただ言ってるだけらしい。それでも壬都さんと会話が成立してるから、チート野郎の面目躍如だな」
隼人の場合、夏織が叡智大を受験すると分かってからドイツ語を始めている。
それでも覚えた文章だけで会話できるのならば、しゃべれるようになる日も遠くないかもしれない。
「凄いな。本当にそう思う」
「凄いのはおまえも一緒だろが。この前のクラスメイトの写真とか、おまえの隣にいるユーディットさんとか、オレも叡智大に行けるものなら、行きたいくらいだぜ」
「ははっ……ユーディットはクラスメイトじゃないよ。叡智大に来るのは再来年かな」
「そうなのか。たしかに若そうだと思ったけど、女子の年齢とか分からねえよ」
祐二と秀樹の視線が向いたので、ユーディットはスプーンを咥えたまま、小首をかしげた。
「くぅ~~、可愛いじゃねえか。なんかもう、祐二の頭のてっぺんからつま先まで爆発しろって感じだな」
「勝手に人を爆発させるなよ……なに? メロンフロートだね。食べたいの?」
ユーディットがメニューを指差して頷くので、祐二は店員を呼ぶボタンを押した。
その後、ドイツ語でやり取りをする祐二を秀樹が黙って見つめる。
当然何を言っているのか分からない。だが、両者の間にとても親しい雰囲気が感じられる。
「なあ祐二、おまえの勇姿を写真に撮りたいんだが、いいか?」
「写真? いいけど」
「おっし、許可もらったぜ。んじゃ、心置きなくしゃべってくれ。オレはシャッターチャンスを逃さないため、黙ってるからさ」
――ピローン
祐二とユーディットがメニューを見ながら会話する間、何度もシャッター音が響いた。
「くっそう、リア充め! ああは言ったものの、すぐさま二人だけの世界に入りやがって、オレは路傍の石か? それより、受験直前にこんなことしてていいのか? 答えてくれ、受験の神様っ!!」
意味不明な秀樹の叫びに、空いた皿を下げにきたアルバイトの男性が祐二とユーディットを見て、何度も頷いていた。
受験の神様に心当たりがあるのだろうか。祐二は首をかしげた。