046 やりたいことと、やれること
祐二はユーディットを連れて、かつて自分が卒業した中学校を見学した。
と言っても今回は、校舎内を見学する許可はおりなかった。
グラウンドで部活動をしている姿を見て回っただけだ。
陸上部とサッカー部がグラウンドを半分ずつ使っている。
「ねえ、彼らはとてもスポーツに熱心だけど、なぜ学校でやってるの?」
「これは部活だね。放課後の課外活動だよ。グラウンドを運動部が使って、校舎の中では文化部が活動しているんじゃないかな」
「へえ、これがあの部活なのね。アニメとかに出てくるアレね。ナントカ部とか言うんでしょ」
「そうだね。ユーディットの学校にはないの?」
「放課後よね? 仲の良いグループでチームを作ったり、スポーツクラブに通う人はいるわ。だけど学校単位で、組織だって何かするようなことはないわね」
「そうなんだ」
「スポーツクラブはどこにでもあるし、未成年が遅くまで学校に残るのは、推奨されないもの」
ドイツの場合、日のあるうちに帰宅するのが一般的らしい。
「なるほど、けど帰りが遅くなるときもあるよね」
「遅くなるときは家族が車で迎えに来るわね。日中でもスクールバスで帰る生徒が多いわよ」
「スクールバスか。なるほど、それは盲点だった」
徒歩や自転車で通学し、男女ともに遅くまで学校に残っている日本の方が珍しいのかもしれない。
「そういえば、ユージ。彼らは甲子園を目指すんでしょ? アニメであったわ」
ユーディットは目を輝かせる。
「それは高校野球だけだね。高校サッカーだと国立競技場かな、高校ラグビーだと花園ラグビー場でやるから、そこを目指すみたい。でもここは中学校だから、そういうのはないね」
「ふうん。色々あるのね」
「どれも会場の名前が聖地になっていて、そこでプレーするのを目標にして、運動部は毎日苦しい練習に耐えているんだ」
「生徒が進んで苦行を行うわけね。なかなか日本の学生はアグレッシブだわ」
「高校時代の思い出の大半が、授業や級友じゃなく、部活の練習や試合だって生徒は多いみたいだよ」
勉学に励む生徒もいれば、部活に青春のすべてを捧げる生徒もいる。
彼らはみな、それぞれの目標を持って青春を謳歌しているのだ。
そんな説明をしていると、ユーディットは「打ち込めるものを学校が用意するだなんて、羨ましいわ」と感心していた。
中学校を出て、駅前のコンビニに入った。
弁当と飲み物を二人分、それに少量の菓子を買って、公園に向かった。
「どうぞ」
「ありがとう、ユージ」
冬だからだろう。公園は人がまばらで、閑散としていた。
ベンチに座り、二人は弁当を拡げる。
ユーディットが弁当のフタを外して、「ワオ」と小さな声をあげた。
「どうかした?」
「このお弁当……細かいところまでこだわっている! なんていうか、さすが日本人ね」
ユーディットが持っているのは、九つのマスにおかずやごはんが綺麗に並んでいる少し高めの行楽弁当である。
「色鮮やかだよね」
「ほんとにカラフル。食べるのがもったいないくらい!」
全国どこのコンビニでも買える普通の弁当だが、たかが一食のために目と舌を楽しませる工夫が凝らされている。
祐二としては普通のことだが、ユーディットが言う通り、細かいところまで本当によくできている。
何気なく「高そうなものがいいかな」と選んだだけだったが、ユーディットはとても満足したようだ。
実は会計時、箸と一緒にスプーンをつけてもらえるか、祐二は店員に聞いた。
店員はユーディットを見て、「もちろん、大丈夫ですよ」と微笑んでいた。
「そういえばドイツだと、必要ないと思ったところは、雑に手を抜くよね。あれは国民性なのかな」
ふと思い立って、祐二はそんなことを聞いた。
これは、「見えないところの手を抜く」という意味ではない。
ここまでは値段分に含まれているのでしっかりやるが、ここに手をかけて値段を上げるくらいなら手を抜いてその分安くする……といったことが行われている。
祐二がドイツで買った商品のいくつかには、そんな意志が感じられたのである。
「うーん……それが普通だと思うけど? クレームが多ければ直せばいいわけよね」
ユーディットは、首をかしげている。
「日本じゃクレームをつける代わりに、次から買わなくなるから、見えないところでもあまり手を抜くことはしないんだよ」
「ふうん。だとしたらそれは国民性の違いになるのかもね。私からしたら、こういうのは無駄だと思っちゃうし」
ユーディットが手にしているのは、どこにでもあるコンビニ菓子のひとつ。
実はこれ、食べるまでの手数の多さに、先ほどユーディットは「嫌がらせか!」と叫んでいた。
なにしろ透明ビニールのパッケージを破き、切り取り線に沿って紙箱を開けた。
それで食べられるかと思ったら、紙箱の中には不透明の包装袋がデーンと鎮座しており、それを開けたら商品が個包装されていたのである。
「日本は、菓子ひとつでも、なるべく文句が出ないように、前もって気を利かせておくんだよ。でもさすがに、これは俺も過包装だと思うけどね」
ユーディットが出したゴミをコンビニ袋に詰めながら、祐二は苦笑した。
「このコーヒーは甘くて美味しいけど、薄いわね。これも国民性?」
「あー……そうなのかな?」
祐二がドイツで飲んだコーヒーは、苦くて濃かった。
あれがスタンダードだとすると、日本の缶コーヒーはクリアな味であるものの、薄く感じるだろう。
静かな公園で、ひとしきり弁当とお菓子を堪能した。
少し前、十歳くらいの子供が三人やってきて、砂場のそばで携帯型のゲームを始めた。
二人の視線が、対戦ゲームをしているでだろう子供たちに吸い込まれる。
「……なあ、ユーディット。どうして日本に来たんだ?」
「そんなの、ユージに会いたかったからに決まってるじゃない」
こともなげにユーディットは言うが、祐二の表情は動かない。
「ヴァルトリーテさんも来ているのに? ユーディットは、魔法使いのしがらみを嫌っていただろ? でもいまのユーディットはまるで、当主になって一族を率いてもいいって言っているように聞こえたけど」
祐二の進退を話し合うあの場で、なぜユーディットが自分の退路を断つような台詞を告げたのか、祐二は気になっていた。
「ユージとなら、それでも構わないと言ったはずよ」
人はだれしも、夢を追い求める時期がある。
隣の芝生は青いと考え、どうして自分のところは違うのだと思い悩む。
「ユーディットにはいろんな才能があるって、ハロルトさんに聞いたよ。その道を選ばないことに後悔はないの?」
アルザス家のハロルトは、自分の娘に英才教育を施していた。
といってもそれは、すべて魔力を高めるために必要だと考えたからだ。
ユーディットは女性であり、精神や肉体を鍛えるにも限界がある。
それゆえスポーツや芸術問わず、多くの分野を体験させられていた。
その甲斐あって、ユーディットは小さいうちから、かなりマルチな才能を発揮していたらしい。
いくつかの楽器を流暢に弾きこなし、勉強も絵もスポーツも万能。
さらに詩学や歌、踊りも堪能であるとハロルトは太鼓判を押している。
どの道も本気で目指せば、一流になれる力を秘めているという。
「そうね……後悔というより、私より才能もなく、努力もしてない人がその道に進むなんて聞くと、イラッとしてしまうわ」
祐二の問いかけに、ユーディットはそう答えた。いまのは、ユーディットの本心だろう。
「才能がない人だって、その人なりに努力しているんじゃないか?」
「そうかもしれない。けど、私ならもっとうまくやれるって思うじゃない。だけど私は舞台から降りて、観客席から眺めるだけ。正直に言うとね、一年前はずっと魔法使いの世界から逃げ出すことばかり考えていた」
「だけどユーディットは逃げなかった」
「嫌々だけど、自分を押し殺して優等生な後継者を演じてきたわ。……だから能力があっても、そこから逃げる人は許せなかった」
そこから逃げる人……口にこそ出さないが、それはフリーデリーケのことだろう。
他にやりたいこともないのに、勤めを果たそうとしなかったから。
「それで今はどうなんだ?」
「うーん、なんでかな? 今のままでもいいかもって思ってるのよね」
おかしいわよねと、ユーディットは笑った。
「今のままって、この世界を守るために魔法使いを続けること?」
「そう。どうしてだろう?」
「どうして……なんてそれは、俺には分からないな……あっ、でも」
ユーディットはこれまでとは違う何かを見つけたからではなかろうか。
この半年、祐二は驚くことばかりだった。これまでの常識は、とっくの昔に逃げ出してしまっている。
その中で真剣に向き合い、現実とすり合わせを行い、なんとか平静を保ってきた。
ユーディットが常識と思ってきた世界もまた、何かの拍子に壊れたのかもしれない。
「なに? ユージ、いま何か言いかけたでしょ」
「俺は魔法や魔法使い、それから魔導船のことを知って、世界が広がった気がしたんだ。それまで大事に抱えていたものが、急に取るに足らないものに感じたから……もしかすると、ユーディットにも同じ事がおこったのかと思ってね」
ユーディットが輝いていたと思っていた一般人の世界が、急に色あせて見えたのかもしれない。
もしそうなら、それはユーディットにとっていいことなのかもしれない。
――ロサンゼルス ダックス同盟
超高層ビルの最上階にある広いオフィスで、机に足を投げ出して座る壮年の男がいた。
名をリチャード・蔡という。
戦後、彼の祖父は華僑の資本を元手にアメリカ国内で金貸し業を営み、一代で莫大な財を築き上げた。
まるでアメリカンドリームを体現したかのような成功譚だが、光があれば影もある。
蔡一族が財を成した一方で、その何倍、何十倍もの人間が破産し、破滅の人生を歩むことになった。
『怨嗟の声は蜜の味』と嘯くほどに、蔡一族は多くの恨みを買っている。
それゆえか、リチャードは信用のおける者しか周囲に置かない。
彼が信用する数少ない部下の一人がいま、本日の報告をするため、彼のもとを訪れた。
「ボス、日本へ進出させた三つのファンドが泣きついてきました」
部下の言葉に、リチャードは小さく首を横に振る。
それ以上の報告はいらないという意思表示だ。
「かしこまりました。中東でいくつかの国から支援要請が来ております。すべて原油関連です」
部下はすぐ、次の報告に移った。
今度は、小さく頷く。
話せということだ。部下は資料をめくり、続きを読んだ。
リチャードは、アメリカの経済を牛耳るとまで言われている『ダックス同盟』の幹部。
彼の影響力は政財界に及び、彼の決断ひとつで多くの経営者が首を吊り、労働者が路頭に迷う。
彼のところまで上がってくる報告は、絞りに絞られている。
それでも毎日、十や二十の報告が来る。
実際にリチャードが判断するのは、その半数以下。
とるに足らないと彼が判断したものは、部下が処理することになる。
そして今日、ダックス同盟の同志に頼まれて貸し出したヘッジファンドのいくつかが、日本進出に失敗した。
ゴランより大きな影響力を及ぼせるよう、日本市場で工作をしていたが、技量不足か妨害にあったのか分からないが、うまくいかなかったのである。
リチャードは同志の情けなさを嘆き、この件を深く知ろうとはしなかった。
「……本日の報告は以上になります」
部下が一礼して去っていく。
今日、あらたに数億ドルの案件が生まれた。順調に進めば、来年あたり大きな富を生み出すだろう。
リチャードの頭の中にはもう、日本へ向かわせたファンドの記憶など、欠片も残っていなかった。




