042 説明するなら、今でしょ
祐二とカムチェスター家は、鴉羽家を通して血が繋がっている。
エルヴィラの叔母であるクラリーナは、日本人の鴉羽建蔵と結婚して、倉子と名乗った。
「……へえ、倉子さんって、実在した人だったんですね」
祐二はヴァルトリーテが持参した資料を読んだ。
「建蔵さんと倉子さんは、幼なじみみたいね」
資料には、本物の倉子は空襲で亡くなったのではないかとある。
クラリーナは倉子として生き、建蔵との間に三男二女をもうけている。
建蔵がクラリーナと結婚する際、ちゃんとクラリーナとして届け出を出していれば、祐二の血筋を調べたときに引っかかったはずである。日本人に帰化していても同様である。
だが建蔵はそれをしなかった。なにか問題があったのだろう。
密入国だったのかもしれないし、別の問題があったのかもしれない。
何らかの理由があり、クラリーナとして……普通の結婚ができなかったようだ。
建蔵は考えた末、他人の戸籍を使用することにした。それも幼なじみの戸籍である。
当時の日本の状況は、祐二も想像することくらいしかできない。
「二人の間には、資料には書かれていないドラマがあったかもしれませんね」
クラリーナは、鴉羽倉子という名で生きていくことになる。
彼女は三人の息子を生んでいる。その中の一人である鴉羽権蔵が、祐二の祖父である。
権蔵は寧々という女性と結婚し、二男一女をもうけている。
権蔵の長女である鴉羽清花が、如月史継と結婚し、健一、祐二、そして妹の愛菜が生まれている。
鴉羽家と如月家の両家を統括会は調べた。それはもう、徹底的に。
だが祐二以外、魔法使いは生まれていない。
もともと魔法使いが一般人と結婚すると、魔法使いが生まれる確率はかなり下がる。
おそらく祐二は先祖返りなのだろう。
だが祐二の例がある通り、クラリーナの子孫で、第二、第三の祐二が出現しないとも限らない。
彼女の子孫は、今後、観察対象となるらしい。
「自分の家族と会うのに、緊張してきたんですけど……」
祐二とヴァルトリーテはいま、実家の玄関前に立っている。
このあと、一大イベントが待っている。ここで立ち尽くしているわけにもいかない。
「た、ただいまっ……」
事前に客を連れてくることは伝えてある。
ただし、詳細は一切伝えていない。
込み入った話すぎて、伝えられなかったのだ。
「帰ったのね、おかえり。それでお客さ……ひゃっ!?」
母親がヴァルトリーテを見て固まった。
(まあ、驚くよな)
ヴァルトリーテは三十六歳、気品溢れる淑女である。
外国の大女優と言われたらそのまま信じてしまいそうなほど整った容姿に、ドイツ貴族が持つ高貴さが合わさっている。
ただ立っているだけで、育ちの良さが滲み出てしまっている。
これほど日本家屋の玄関先にそぐわない人物も珍しい。
それでも祐二に驚きはない。
母が、こんな反応になるだろうと予想していたからだ。
「母さん、俺がお世話になっているヴァルトリーテさん」
「ど、ど、ど……どうも……い、い、いつも祐二がお世話になっておりまして」
しどろもどろの返答を始める母親に、祐二は「日本語分からないからね」と付け足した。
父親の史継は仕事。まだ帰って来ていない。
兄はサークル活動に忙しく、帰りの時間は未定だという。
兄はどうやら、政治研究サークルに入ったようだ。
妹は部活の練習があるため、夜にならないと帰ってこない。
つまりしばらくは祐二と母親、そしてヴァルトリーテの三人のみ。
リビングで茶を飲み、ニコニコとしているヴァルトリーテに対して、母親はガクブル状態である。
実家なのに、借りてきた猫になっている。
先ほどからしきりに、祐二へ目配せしている。
「なに?」「なんなの?」「なんで?」と問いかけているのだ。
祐二は面倒なので、「通訳が来るから、もう少し待ってて」と相手にしない。
比企嶋に連絡してあるので、一時間以内にはやってくるだろう。
ちなみにヴァルトリーテは、英語とドイツ語が使える。
比企嶋も叡智大出身であるため、日本語、英語、ドイツ語のトリリンガルなのだ。
普段から比企嶋は、海外から送られてくる資料を日本語に訳した上で、仕分けして保存している。
性格はアレだが、本人はとても優秀なのだ。
祐二だってもちろん通訳できるが、するつもりはない。
(俺の将来を俺が通訳するって、何の拷問だよ)
ヴァルトリーテが何の話をするのか分かっているため、それを通訳したくないというのが本音だったりする。
「どうも、皆様の地下アイドルがやってまいりました。ふぁっ!?」
「あっ、比企嶋さん、お久しぶりです」
「ゆ、祐二さん……なぜカムチェスター家の当主がここにいるのです?」
「えっ? 通訳をお願いすると言いましたよね」
「たしかに頼まれてチケットを一枚取ったのは私ですけど、まさか当主自ら足を運んでくるなんて思いもしませんよ!」
「そうですか? でも、大事な話なら、当主自らやってくるのが自然じゃないですか。というわけで、通訳よろしくお願いします」
比企嶋が回れ右したので、祐二は「出世に響きますよ」と言って座らせた。
「あの……私が仲介したことがバレると、マジで日本政府に睨まれるんですけど」
「安心してください。本格的な話は、家族が揃ってからですから」
「全然安心できる要素がないんですけど!?」
そんな会話をしていると、祐二の母が不安そうに見つめてくる。
「えっとそうだ、みんなで雑談しましょう。比企嶋さん、通訳お願いします」
「祐二さん、半年の間にずいぶんと神経が太くなりましたね……ううっ」
半分涙目で、比企嶋は通訳を引き受けるのであった。
夜になって、家族全員が揃った。
最初に帰宅したのは、公務員の父。
ヴァルトリーテを見るなり、英語で話しかけたのは評価できるが、ヴァルトリーテが英語で答えた途端に黙り込んでしまった。
会話できないなら、使わない方がいいと思う。
次に兄の健一が帰宅した。さすがというかなんと言うか、まず祐二の首根っこを捕まえて部屋まで連行した。
説明している間に妹の愛菜が帰宅し、一騒動あった。
妹をなんとかなだめて、ようやくスタートライン。家族会議を始められる。
リビングには祐二が持ち帰ってきた土産と、つい先ほど届いた出前の寿司が並べられている。
「なぜ私だけ、土産が文鎮なのでしょう」
比企嶋が微妙な顔をしている。
「なぜか売ってたんですよね。ペーパーウエイトと言うらしいんですけど」
比企嶋への土産は直方体の文鎮。しかも合金であるため無骨。ただのインゴットである。
「私に何か恨みでもあります?」
「いえいえ、そんなことありませんよ。ちなみにこれ、低温度で融解する合金らしいです。飽きたら工作にでも使ってください」
百六十度ほどで融解するため、家庭のガスコンロと鍋で液体にできるらしい。
「ありがとうございます。新しい工芸に目覚めたらよろしくお願いします」
その瞬間、父親の史継がコホンと咳払いをした。
「それで祐二、ヴァルトリーテさんから大事な話があると聞いたんだけど」
「そうそう、ちょっと俺では決めかねるというか、俺だけで決めていいものか分からなかったんで、ずっと保留してたんだ」
祐二がヴァルトリーテに向かって軽く頷く。
『それでは、如月家の皆様にお話しさせていただきます』
ヴァルトリーテの言葉を比企嶋が通約する。
彼女が祐二と一緒に日本に来た理由。
それは、祐二の処遇についてだった。
魔導船の船長になった祐二は当然、カムチェスター家預かりとなるが、「公的にどのような形で?」の所がまだ決まっていなかった。
如月祐二のまま、肩書きだけ船長となるのはいささか難しい。
カムチェスター家の一族を率いるのだから、自身もその中に入るべきである。
配下の多くがそう考えている。
形式というのは大事なのだ。
祐二がヴァルトリーテの養子となるか、一族の誰かと結婚して家に入るか、フリーデリーケと結婚して宗家に入るかなど、方法はいくつかあるが、そのどれを選択しても、祐二は日本国籍から抜けることを意味する。
祐二は一人で決断できることではないため、一度家族に話してからということになった。
といっても、電話で済ませられる話ではないので、今回の帰省を利用することにした。
魔法使いに関する理由をボカした上で、ヴァルトリーテは祐二の家族に説明する。
比企嶋は「これ、絶対に政府に睨まれるやつじゃないですか」とぼやきながら通訳した。
「はあ、この子を一族に迎え入れる……ですか?」
ヴァルトリーテが話した内容を要約すると以下のようになる。
半分は統括会が用意した物語をそのまま使っている。
入学式までの間、ヒマだったためふと思い立って遺伝子検査を行った。
さすがに叡智大とはいえ、遺伝子検査が義務とはなっていない。
ゆえに自主的に行ったことにした。
結果を「公開」にしたところ、なんとカムチェスター家とDNA的に親類であることが判明した。
それを知ったヴァルトリーテが祐二に会いにきて、意気投合。
ドイツの屋敷に招待するまでになった。
カムチェスター家はドイツの名門貴族で、後継者がいない。
いまはヴァルトリーテが暫定的に女当主となっている状況である。
これも何かの縁。ぜひ祐二をカムチェスター家に迎え入れたいと考えるようになった。
そんな感じである。
「将来的には娘と結婚するか、一族の女性と結婚して家に入ってもらいたいと……考えているようです」
比企嶋が、チラチラ祐二の方を見ながら、説明を終えた。
「つまりあれかね。この子……祐二をドイツの貴族家へ婿に……望んでいると?」
「そう考えていただいて問題ありません。もしくは私……ああ、ヴァルトリーテさんの息子でもいいそうです。その場合、しかるべき女性と結婚できるようお約束します……と言ってます」
「………………はあ」
父親は気の抜けた声をだした。理解が追いついてないのかもしれない。