039 光の魔法
祐二がカムチェスター家の屋敷に到着した次の日。
叡智の会本部はすぐに動いた。
ゴランの役員が集う場所、各家の周辺、それに叡智大で、爆発物の大規模捜索が行われた。
怪しい者が入り込んでいないか、怪しい物が置かれていたりしないか、入念かつ徹底的に調査したのである。
各所で人や物が大きく動き、上へ下へと大騒ぎとなった。
一方祐二は、屋敷の中でのんびりと魔法の訓練をしていた。
「……町に買い物ですか?」
「そう。鍛錬ばかりだと、気が滅入るでしょう? 気晴らしにどうかしら。認識阻害の魔道具があれば、さほど危険はないと思うけど」
叡智大にある祐二のデータはすでに改ざん済みで、日本政府が用意したダミーの受験生データをそのまま流用してある。
祐二の実家でも不審な人物の姿は目撃されておらず、いまだ黄昏の娘たちは、祐二の情報を手にしていないと思われた。
認識を阻害する魔道具を身につけていれば、テロの標的となる可能性は限りなく低いとヴァルトリーテは言う。
「うーん、買い物は止めておきます」
「どうして? 護衛のことを気にしているなら、心配いらないわよ。ユージさんが出かけようと、屋敷にいようと、変わらないことだから」
「いえ、俺も少し休みを入れようと思っていたところでしたし、それはいいんですが、今回ちょっと気になったことを確認してみようかと思います」
「……? 無理にとは言わないけど」
ヴァルトリーテは首を傾げた。
その日の夜。
祐二は、フリーデリーケの部屋の扉をノックした。
「――だれ?」
「俺、祐二だよ」
少しして、扉が少しだけ開かれた。
「こんな時間にどうしたの?」
フリーデリーケは警戒している。
それもそうかと祐二は思った。
「話があるんだ」
「明日じゃ駄目なの?」
最近のフリーデリーケは、祐二とかなり打ち解けてきた。
会話も普通にすることができるようになった。
これは祐二が強く踏み込まず、程よい距離感で接してきた成果である。
フリーデリーケは、そんな気遣いのできる祐二に、信頼を寄せつつあったのだ。
それだけに、こんな非常識な時間にやってきたことが信じられなかったのだろう。
話があると言っているが、別な目的があるのではないか。そう思ったのだ。
「できればいま、屋敷の外で話したいんだ」
「外ね……分かった。着替えるから待ってて」
一度扉を閉め、フリーデリーケは明日着ようと用意していた服に袖を通した。
鏡台の灯りをつけ、二度三度、髪をすく。
用意を調えて廊下に出ると、祐二は先ほどと変わらぬ場所に立っていた。
「準備はできたわ」
家人が寝静まった夜中に尋ねて来た理由をフリーデリーケはずっと考えていたが、結局分からなかった。
「じゃ、テラスに出よう」
「……いいわ」
フリーデリーケは黙って祐二のあとを着いて歩く。
ここまでくると、なぜ祐二が自分を誘い出したのか、興味が湧いてきていた。
「星が綺麗だね」
一歩間違えば告白とも取れる言葉だが、フリーデリーケは「いつもの空だと思うけど」とそっけない。
「……まあ、そうなんだろうけど」
「わざわざこんなところに呼び出した理由は何なの?」
「今日の昼間、統括会の……日本で俺を支援してくれた人に連絡したんだ。そのとき叡智大で測った魔力量を伝えたんだけど、すごく驚いていた」
「……?」
フリーデリーケは、祐二が何を伝えたいのか、理解できていない。
「回数……えっと最大値というのかな、それが四十八だったんだけど、比企嶋さん……あっ、俺を支援してくれた人ね。その人が言うには、二年前に測った俺の魔力値は、概算で二十七だったらしいんだ」
フリーデリーケはフッと笑みを漏らした。
「測り方が正確じゃなかったみたいね。たった二年じゃ、運が良くても三や五くらいしか上がらないわ」
「そうだよね。そう言われた。この家に来たとき、魔導珠に魔力を限界まで注いだんだけど、そのとき一度に四つが限界だったんだ」
「ふうん……えっ?」
フリーデリーケの動きが止まった。
「魔導珠ひとつにだいたい八か九の魔力を使うみたいだね。だからヴァルトリーテさんは、俺の魔力値を三十五くらいだと思っていたらしい。その後でもずっと同じペースで魔力を注ぎ続けたからね。その見立てで間違いないはずなんだ。あのときは……」
日本で測った魔力量はおよそ二十七。
この屋敷に来たとき三十五で、最近は四十八というのはおかしい。
「叡智大にある魔道具が壊れている……?」
「その可能性はあるよね。それともうひとつの可能性……俺の魔力値が劇的に上がったというのはどう?」
「それはおかしいわ! そんな簡単に魔力が増えたりしないもの!」
「うん、俺もそう聞いている。だけどもし、増えたとしたら何が原因だろう」
問われてフリーデリーケは考えた。
「短期間じゃ、どんな訓練も意味はないわ。ありえないと思う」
「もし、訓練じゃなかったら?」
「……どういうこと?」
「俺、比企嶋さんに空港まで車で送ってもらうときに、初めて魔法使いの説明を受けたんだ。そのとき正直言うと、座席に座っていて良かったと思った。腰が抜けるほど驚いたからね」
「魔法のことをまったく知らなかったんでしょ。そういう反応は普通だと思うけど」
「叡智大に来て、たまたまヴァルトリーテさんと出会って、ドイツに連れてこられて……正直、驚きの連続だった」
「あの時は我が家は切羽詰まっていたから……かなり強引に連れてきたと聞いたわ。でも私たちには余裕がなかったのよ。だけどあなたのおかげで、カムチェスター家は救われたわ」
「それはいいんだ。はじめて魔界に行ったときも驚いた。魔導船が変容する姿を目の当たりにしたときも驚いたな。それなのに、敵まで攻めてきてもう……訳も分からず迎撃に出たんだから、あの驚きといったら」
「あとで聞いた私も、冷や汗ものだったわ」
「突然、頭の中に思い浮かんだ武器で撃退できたんだから、運が良かったと思う。そうそう、アームス家の魔法使いにも会ったし、バチカンの奇跡調査委員会の人とも会った」
「バチカン……あれに気を許しては駄目よ。絶対に」
「そうだね。……向こうでユーディットに魔法を見せてもらったんだ。あれも驚いたな」
「この前、私も見せたわ」
「うん。ここ数ヵ月、俺の価値観は崩壊しっぱなしなんだ。これまで当たり前だと思っていた世界が歪んで見えて、自分の中では揺るぎないと思っていた常識が、音を立てて崩れ落ちた……」
「その気持ちは分かるわ」
「地動説全盛の世の中で、周りが天動説を唱えたような……と言えばいいのかな。俺の常識が崩壊して、状況に流されっぱなし。もう、ありのままを受け入れるしかないというか……」
「それは仕方ないんじゃない?」
「どうやら、ここ数ヵ月の俺にとってのパラダイムシフトが、『俺の魔力値』に影響を与えたんじゃないかと考えたんだ」
「考えたって……? あっ、魔力の増大?」
「そう。俺の魔力って、俺の中で常識が崩れるたびに増えていったのかなと」
「そんなこと……あるのかしら」
「常識が崩れるといったらアレだけど、世界が広がったと考えたら、どうだろう?」
「自分の中の世界が広がるたびに魔力量が……増える?」
「可能性として、あるのかなって。一度に放出できる魔力はまだ少ないから、魔道具なしで魔法は使えないけど、魔力量だけは魔法使いの中でもかなり多い方らしい」
一度に放出できる魔力が少ないのは、どうしようもない。
ミーアも言っていたが、祐二の場合、まだまだこれからだ。
「もしかしてその話をしたくて、こんな時間に呼び出したの?」
「思いついたら、いてもたってもいられなくなって……フリーデリーケさんの魔法、いまこの場で……この夜のとばりが下りた中で見せてほしいんだ」
祐二の中の常識が崩れるたび、大きく魔力が増大するのではないか。
もしそうならば……と祐二は一つのことを思いついた。
「前に私が言っていた?」
「そう……駄目かな?」
フリーデリーケは小さく笑い、「いいわよ」と言った。
「何の威力もないただの光だけれども、それでいいのなら」
フリーデリーケは両手を合わせ、しばし目を閉じる。
イメージするのは光の乱舞。放たれた光が自由に広がるように。
昼間と違って、夜の魔法は煌びやかであり、幻想的でもある。
「……キレイだ」
目を閉じたフリーデリーケの耳に、そんな声が聞こえた。
フリーデリーケはゆっくりと目を開く。自分の身体が、髪が光の欠片を浴びて光っている。
自分の前方にも、光の乱舞が展開されていた。
フリーデリーケが望んだ通り、光の欠片は自由に好き勝手に動く。
予想のつかない動きだからこそ、同じものは二度とできない。
フリーデリーケは再び目を閉じ、より一層、光が舞うように願う。
「俺の友達がこれを見たら、『尊い』と言うんだろうな」
そんな声が聞こえた。
これは、ただ光を出すだけの魔法。
実利は何もない。
それでも祐二は、それを綺麗だと言ってくれた。
フリーデリーケは何だか嬉しくなった。
光はいつまでも、フリーデリーケの周りを回っていた。




