038 良いことと悪いこと
祐二が叡智大に通うようになって、一カ月が経った。
季節は秋、十月がもうすぐ終わろうという頃である。
この一カ月で、良いことと悪いことがそれぞれ二つあった。
まず良いこと。
祐二が懸念していた特別科の選抜クラスだが、当初の予想に反して、すんなりと慣れることができた。
ミーアが積極的に他のクラスメイトとの間を取り持ってくれたことで、ごく自然に話の輪に加わることができたのだ。
しかもミーアが祐二を立てるため、クラス内でもリーダー的立場に収まることもしばしばである。
高校時代の祐二からすれば、考えられないことである。
良いことは、もう一つ。
魔導船『インフェルノ』はいま、権限を与えた副船長が船団行動の練習をしている。
その過程で分かったのだが、どうやら祐二以外、魔導船の固有武器を使うことができないらしい。
これは『インフェルノ』がいまだ変容を続けているからであり、真の姿をまだ見せていないと考えられる。
『インフェルノ』はいまだ強化途中であるらしい。
ただし、良いことばかりではない。
この前の侵攻元である18番魔界だが、やはり溢れたと断定された。
いまだ断続的に、魔蟲がやってきているのだ。
現在、18番魔界をどうするか、叡智の会で連日会議が開かれているという。
十一月に引き続き、十二月の遠征も中止が決定された。
今後、18番魔界がどうなるかで、遠征を含めた魔界での動きが変わってくる可能性がでてきた。
そして悪いことが、もう一つ。
これは比企嶋からもたらされた情報だが、巨大企業ゴランに対抗するため、ダックス同盟が本格的に日本へ進出してきたらしい。
気がついたときにはもう、日本の中小企業のいくつかが取り込まれてしまったという。
日本の中小企業は、特許や独自技術を持っていることも多く、ゴランと取り引きしているところも多い。
ゴランとダックス同盟は敵対関係にあり、今後完成品をつくる過程において、一部の部品だけが手に入らない状況が考えられる。
日本政府は、この状況に頭を悩ませているという。
これがなぜ祐二に関係するかといえば、日本は政治と経済が密接に結びついており、今回の件で政権交代がおこると、統括会や祐二を含めて、立場の見直しが図られる可能性が出てきたのだ。
「以前、統括会が仕分けの対象にされたことがありまして、このような島流しの憂き目にあったのです」
比企嶋が以前、そんなことを言っていた。
世界に冠たる巨大企業のゴラン。
人知れず世界の平和を守っている叡智の会。
この両者のバックアップを受けているにもかかわらず、なぜ東京支店が雑居ビルの一室しか有していないのか。
支店長と比企嶋の二人しかいないのか。
それは過去の仕分けのせいらしい。
次に何かあれば、統括会すら潰されることも考えられるという。
「現在、日本の中小は、ダックス同盟の狩り場となっています。それを許すと技術と利益が海外へどんどん流出し、日本経済の底が抜けることでしょう。そうなれば株価が下がり、いまの政権が責任を取らない限り、国民は納得しません。ですが、私たちにはどうしようもないのが現状ですね」
比企嶋の言葉は、なんともはや頼りないものであった。
ちなみにダックス同盟は、純粋に企業や投資家の集合体であり、魔法使いとは一切関わりがない。
ゴランのことも「自分たちより大きな憎きライバル企業」と捉えており、その裏まで知っている者はいない。
そのせいで、ダックス同盟の幹部連中は、ゴランのことを「なぜか国家に贔屓されるズルい企業」と思っているらしい。
月が変わった十一月の中旬、香港でテロが起きた。
駐車してあった車が突然、爆発したのだ。
爆発によって、通行人とすぐ近くのレストラン客数十人に、死傷者が出た。
このニュースはすぐに世界中を駆け巡り、爆発後を撮影した動画がSNSや動画サイトにアップされると、大いに盛り上がった。
「この前の爆発事件だけど、おそらく黄昏の娘たちの仕業ね。今回はたまたま被害が出なかったけど、もう少し注意する必要がありそうなの。申し訳ないけど、祐二くんはウチで護らせてもらうわ」
爆発の二日後、ヴァルトリーテはそう言って、祐二をドイツの屋敷に呼び寄せた。
香港でおきた爆発は、ロイワマール家を狙ったものだった。
ロイワマール家の上層部数人が香港で仕事を終え、打ち上げのためにレストランを予約していた。
そこが狙われたのである。
打ち上げに出発する直前、当主が階段から足を踏み外し、足首を捻挫してしまった。
腫れ上がった足首では、歩くこともままならない。すぐさま医者に診せる必要があると判断された。
打ち上げは一時間遅れで開催することになり、爆発時には不在。難を逃れたようだ。
本当ならば会がちょうど始まった頃に爆発がおこり、死傷者は発表の数倍、出ていただろう。
あの中に自分がいたと思うとゾッとすると、ロイワマール家の上層部は語っている。
叡智の会はこのことを重く受け止め、各家の当主および船長の安全を確保するよう、緊急に通達を出している。
「なぜ彼らは、テロを起こすんですか?」
祐二は不思議だった。黄昏の娘たちの行為は、ただ世間のヘイトを稼ぐだけでしかない。
政治的、もしくは宗教的意義があってもテロはいけないことだが、彼らがテロを続ける理由が何なのか、祐二は知らない。
「一番の大きな理由は嫉妬だと思うわ」
「嫉妬……ですか?」
大きな事件をおこすには不釣り合いな理由だ。
「彼らは魔法使い。そして魔導船は、私たちの祖先の血が流れていないと使えないでしょう? それが悔しいのよ」
栄光なる十二人魔導師たちが魔界を発見し、魔窟を越えた先で魔導船を手に入れた。
それは揺るぎない事実であるが、当時、強大な魔法を使う人間が、たった十二人しかいなかったわけではない。
たとえば彼らの兄弟姉妹、対立していた魔法使いもいただろう。
運の良かった十二人だけが栄光を掴み、それ以外の者たちは何も手に入られていない。
それが子々孫々まで続いている。
「ただの嫉妬で、そこまでするんですか?」
「嫉妬心は馬鹿にできないわよ。それに彼らは、栄光なる十二人の魔導師に対抗しようとして、禁断の秘術に手を染めたわ。過去には、強大な力を得ようと人間を捨て去った者も出たの。力を得るために、多くの生贄が捧げられたとも聞くわ」
いまある「悪い魔女」の原形は、彼らの所業が原因らしい。
「ひどい話ですね」
「そうね。昔、生贄になるところを逃げ出した者が教会に駆け込んだの。魔法使いの悪の所業を告発して、断罪を求めたわ。それが中世における魔女狩りの始まり。一般の市民には、良き魔女と悪しき魔女の区別はつかないから、私たちの祖先も地下に潜るしかなかった……」
魔法使いにとって、暗黒の時代だったらしい。
「でもいまは違いますよね」
「ええ。こういう言い方はあまり好きではないのだけど、魔法使いたちは教会に媚びて、生き長らえたのよ。その頃には一般の市民も魔女裁判にかけられて、多くが死んでいったから、わりとすんなり認められたみたい。共通の敵を前にして、共闘したというのが正しいかしら。どちらにせよ、魔女狩りは終焉を迎え、黄昏の娘たちが教会と私たちの共通の敵として、今日まで戦いが続いているわ」
それは何百年にも及ぶ闘争の歴史。語り尽くせぬ思いがあるのだろう。
ヴァルトリーテはゆっくりと息を吐いた。
「彼らは集団だけど、横の繋がりがあまりない。そう言われているわ。事実、目的も手段もバラバラであることが多いの」
「バラバラ……ですか」
「ええ、魔導船を占有する私たちが羨ましい、奪ってやろうとする集団。妬ましい、だったら栄光なる十二人魔導師の子孫を族滅してやろうと意気込む集団。魔導船をなんとか奪えないかと考える集団、より強大な力を得て、魔法使い、もしくは世界を支配しようとする集団。色々だわ。彼らは秘密主義だから、全体像は把握できないけれど……そうそう、魔界そのものを手に入れようとする集団もいたわね。でも彼らに共通しているのは、自分のため。それに……もっと悪いことを考えている集団もいるわ」
「もっと悪いこと?」
「人類に黄昏をもたらすために活動している集団のことね。人類なんて、侵略種によって滅んでしまえと願う過激な者たちがいて、私たちやバチカンがそれを追っているの。もう何年も、何十年も……ことによったら何百年もかしら。私たちは身の安全を守りつつ、彼らを殲滅するために、情報を集めているわ。子や孫たちを標的にさせないためにも、そして人類を守り抜くためにも、私たちは滅んではいけないのよ。だから正反対を主張する彼らを許さない……」
過剰ともいえる屋敷の防護設備は、そのためにあるのだという。
人類を守るために戦う魔法使いは、同時に人類を滅ぼそうとする魔法使いたちとも戦っているようだ。