004 将来について考える
大臣二人が帰ったあと、我に返った父親が今さらながらに「寿司を取ろう」と言い出したり、それを家族が押し止めたり、妹が「だったらピザにしようよ」と横から口を挟んだりして、如月家は大いに混乱した。
夜も遅いので、寿司もピザもなしになったが、父親の興奮は醒めやらず、調子に乗ってビールをもう一本開ける始末。
最後はリビングのソファに、片足を乗せて寝てしまった。
四月中旬とはいえ、明け方はまだまだ寒い。
クリーニングに出そうと重ねておいたコタツ布団をかけて事なきを得たが、如月家に突如降りかかった非日常に、だれもが平静ではいられなかった。
翌朝、昨日の出来事を聞いた健一が「なんだって!?」と大声を出したのに合わせて、父親がビクンと跳ね起きたあと、頭を押さえてうめいた。二日酔いだ。
「くそう、そんなことがあったとは……家にいりゃ良かった!」
「コンパばかりしてるからよ」
悔やむ健一に、母親はにべもない。
政経学部を専攻している健一は、家族の中で唯一政治に関心がある。
将来は、政治家の秘書になりたいと常々口にしているくらいだ。
まさかコンパで浮かれている間に、家にそんな大物が来ていたとは思いもしなかったようだ。
「おい祐二、次はいつ来るんだ?」
「もう来ない。というか、来て欲しくないよ」
大物の来訪は心臓に悪いと、祐二は顔をしかめてみせた。
「なんだよ、もったいねえな。オレも会ってみたかったぜ」
「そうそう健一、このことはあまり言いふらさない方がいいって、その人たちが言っていたわよ」
大臣たちは帰りしな、母親にそう言い含めていた。
すでに祐二の進学に向けて、多くの人が動き出している。
留学をとりやめることはもちろん、権利をだれかに譲ることもできない。
そして事が事だけに、やっかみの対象になりやすい。
平穏無事に過ごしたいならば、言いふらさない方がいいと母親に伝えていたのだ。
「それもそうだな。……というか、いま気付いたけど、外国の大学へ推薦っておまえ、うまくやったな」
「いま気付いたって……兄さんは俺の進路より、官房長官たちが来た方が大事なの?」
「まあ……そうだな。お前がどんな人生を歩もうと、オレにはあまり関係ないだろ」
ドライな言い分である。それでも嫉妬しないだけマシなのだろうと、祐二は思うことにした。
「でも二年後か……」
いまは高校二年生の四月。準備期間は、二年間近く残っていると言っていい。
「そういえば、この前来た比企嶋さん? あの人が、叡智大は九月入学だって言ってたわよ」
「えっ?」
祐二は初耳である。
「そういえば、外国は九月入学のところが多いって聞いたことがあるな」
健一は知っていたようだ。
「そうなんだ……じゃあ、高校を卒業してもしばらくは余裕あるのかな」
それを聞いて、幾分ホッとする祐二であった。
「なあヒデ。将来の夢って、あるか?」
「どうしたんだよ、やぶから棒に」
学校の休み時間、祐二は気になっていたことを秀樹に尋ねた。
「ちょっと進路に悩んでいてさ。そういうときは、身近な友人を参考にすべきだろ?」
「そりゃそうかもしれないけど……ああ、もうすぐ進路面談が始まるんだっけか」
祐二の悩みの方向とは違うのだが、秀樹は都合よく解釈したようだ。
「まあそんなところだ。何かやりたいことあるか?」
「そうだなあ……夢ってのはないかな。親戚のオジさんから、仕事を手伝えって言われてるんだよ。やりたいこともないし、それでいいかなって思ってる」
「やりたいこと、何もないのか?」
「意外そうな顔をするなよ。そりゃたとえば、煌びやかな芸能人、一流のスポーツ選手、成功した実業家なんてのは、なれるものならなりたいよな。だけど、オレたちの将来の夢って、そんなもんじゃないだろ?」
高校は義務教育から外れている。
いまでさえ、行動には責任を伴うのだ。成人したら尚更だ。
「実現不可能な夢を追うんじゃなくて、地に足をつけるってわけか?」
「身も蓋もない言い方だが、そういうことだ。だれもが一流のスポーツ選手になれるわけじゃない。だけど、モブにはモブの幸せってのがあると、オレは思うんだ」
「それが工場勤務なのか?」
「ああ、オレが知ってるオジさんだって、不幸せには見えないしな。小さな部品を作る工場だけど、それでも立派な工場主だ」
「ヒデはその人のこと尊敬してるんだな」
祐二は感心した。ここは進学校ゆえ、大学進学を安易に選ぶ同級生がほとんどである。
だが秀樹は違った。
「おう、尊敬してるぜ。いまは町工場に若手がどんどん減ってきてるらしくて、後継者不足らしいんだわ。だから工場を継いでくれって言われてる」
「ということは、将来の工場主?」
秀樹は頷いた。
「ただし、時間外労働をゼロベースで計算される雇われ工場主かもしれないぜ」
「それは……世知辛いな」
「オジさんだってまだまだ現役だし、オレが継ぐ頃にはもう、機械だって古くなってるだろう。だから……いやそれより、おまえはどうなんだ? 悩んでいるんだろ?」
「将来への道が開けたっぽい? けどそれが、俺に合っているのか、やりたいことなのか、正直分からなくてね」
「ははあ、だからさっき、将来の夢とか言ってたわけか。オレはな、祐二。夢を叶えるには三つのものが必要だと思ってる」
「三つのもの?」
祐二は首を傾げた。
「才能と努力と運だ。才能があれば一瞬だけ光るかもしれないが、それだけだ。努力だって、努力がすべて実を結ぶわけがないのは分かるだろ? そして運。そもそも運がなければ、道はひらけない。才能ある者が努力をして、運を味方にすれば夢が叶うぜ」
「それはまた厳しい条件だな」
「祐二は才能があると思うぜ。常々オレはそう思っている。こっち側じゃねえってな」
「ヒデは俺のこと、よく知ってるだろ。そんなことないよ」
「いや、長年の親友だから分かるんだ。おまえは肝心なところで手を抜く。まるで目立つことを怖れるように、最後の最後で埋没しようとするクセがある。おまえが将来への道が開けたと言うなら、それは『運』を味方にしたのと同じだ。そしておまえには『才能』がある。あと必要なのは『努力』だけだ。つまりおまえは今、努力するだけで夢が叶うところまで来ている」
「買いかぶりだよ」
「いいや、そんなことはない。おまえはあっち側の人間だよ」
秀樹が指差した先……グラウンドには、強羅隼人がいた。
「さすがにスーパースターと比べられると困るんだが」
「そういえばさ、いまあそこで女子たちが騒いでいるだろ? 先週の練習試合に、プロのスカウトが観に来たらしい」
「プロって、プロサッカーのスカウト?」
「らしい。年齢制限のあるアンダーなんとかの代表かもしれないが、詳しいことは分からない。ただあいつは、それを断ったって話だ」
「なんでまた、もったいない」
「自分にふさわしいのは他にあるんだと」
「へえ……」
祐二と秀斗が眺めていると、隼人は壬都夏織を見つけて、笑顔で駆けよっていった。
隼人の白い歯が、太陽の光を反射してキラリと光った……ような気がした。
「祐二様、おかえりなさいませ」
「比企嶋さん、ただい……ま?」
ダイニングテーブルでくつろぐ比企嶋に、祐二は「なぜ、こんなにも馴染んでいるのだろう」と首を傾げる。
「いま、お母様から祐二様の小さい頃の話を聞いていたのです。なんでも、妹に『お兄ちゃんのお嫁さんになる』って言わせようとしたとか?」
「ぐああっ!」
帰宅早々、祐二はボディブローを食らったかのように、身をかがめる。
たしかにそんなこともあった。
あったが、それは家族以外に言ってはいけない話ではなかろうか。
「頑張ったけど、失敗しちゃったのよね、祐二」
「母さん……その話はやめて」
「それとお祖父様やお婆様、それにご両親のご先祖様のことも伺いました」
「そうですか。父は東北の田舎に住む、特に何もない家系ですし、母はこの辺の生まれですよ」
「……そうなのよね」
「……?」
「それで祐二様、来年の九月に……つまり通常より一年早く、叡智大に入学していただくことになりました」
「はいっ!?」
「統括会も全力でバックアップしますので、ご安心ください」
「いや、比企嶋さん、ちょっと待ってください! 来年だと、俺はまだ高校すら、卒業してないじゃないですか」
「祐二様、これは日本政府の決定事項です。私はそれを伝えにきただけですので、ご意見は伺いますが、決定に変更はないものと思ってください」
「日本政府……の決定?」
「はい、その通りです。日本政府の決定で間違いありません」
比企嶋の顔は、嘘や冗談を言っている感じではなかった。
どうやら祐二は、高校卒業を待たずに叡智大へ入学することが、日本政府によって決められてしまった……らしい。