034 講義の続き
「魔法の実演はこれくらいにして、講義に戻りましょうか」
「あっ……そうだね」
ユーディットが見せた魔法は、祐二にとって衝撃的なものだった。
もう少し余韻に浸っておきたかったが、頼めばまた、魔法を見せてくれるだろう。
場所を部屋の中に移し、講義の続きを受けることにした。
「あとは……そうそう、忘れていけないのがあったわ。私たちと敵対する組織の話をしましょう」
「敵対組織か……」
魔法使いと敵対する組織があると、空港に向かう車の中で、比企嶋が言っていた。
カムチェスター家の屋敷は、まるで要塞のようになっていた。
魔法が現実にあるのならば、魔法使いと敵対する組織も存在するのだろう。
「敵対組織の名前は、黄昏の娘たち。私たちと大昔に袂を別った集団ね。この名前は、頭の片隅に常に残しておく方がいいわ」
その組織の名は、祐二も聞いたことがあった。
「エルヴィラさんがテロ組織だと説明してたけど、彼らも魔法使いなの?」
「全部じゃないけど、構成員の中に魔法使いはいるわ。個人主義と秘密主義が行き着くところまでいってしまった、私たちとは違う魔法使いね。自らの力を高めるためなら、違法なことすら平然と行う狂信者。それゆえ異端。教会からも危険視されているし、中世の魔女狩りは、彼らが原因と言われている……」
「あっ、教会。そういえばこの前、教会の人たちが会いに来たんだけど」
「奇跡調査委員会ね。安心していいわよ。叡智の会と教会は、敵対していないから」
魔法使いと教会関係者。
本来ならば敵対しあってもおかしくないが、そういう感じではないらしい。
「そういえば、同じことをヴァルトリーテさんが言ってたけど、なんで?」
同じ魔法使い同士で敵対し、教会とは仲がいいという。なんとなく、ちぐはぐだ。
「この辺は私もよく分からないけど、叡智の会がバチカンにかなり譲歩しているみたい。私たちの使命を考えれば、教会と対立しても、いいことはひとつもないもの。向こうも同じ考えなんじゃないかしら。私もそれでいいと思うわ」
叡智の会は、キリスト教の教義を受け入れることで、敵対していないと示したらしい。
名を捨てて実を取った形だろうか。
生き残るための処世術なのかもしれない。
「なるほど、無闇に敵をつくる必要もないよな」
「そうね。逆に黄昏の娘たちは、バチカンと完璧に敵対しているので、教会と共闘が可能ね。信者の多いバチカンからもたらされる情報は、有用なものが多いし」
「教会と共闘できるんだ。……そういった利点もあるわけか」
膨大な信者がいるのだ。集まる情報も、さぞ多いことだろう。
「私たちは、黄昏の娘たちに狙われないように気をつけているの。叡智の会の上層部ほど居場所を秘匿したり、護衛を周囲に置いたりしているわ。各家でも当主や船長、その候補者もね」
「カムチェスター家の屋敷は、かなり厳重な警備が敷かれていたな。そういえばユーディットの家も?」
「もちろんよ。だからたまに、息苦しくなるわ」
ため息をついたユーディットの横顔は、本当に疲れているようで、歳相応に見えなかった。
――ドイツ ベルリン 叡智の会本部
ヴァルトリーテが、連日の書類仕事からようやく解放されようとしていたときのこと。
叡智の会の本部統括部長であるノイズマンが、ヴァルトリーテのもとを訪れた。
ノイズマンは二十代の頃に本部所属となり、そこで順調にキャリアを重ね、四十代半ばにして統括部長にまで上り詰めた切れ者である。
あまりに多くの仕事をこなすため、実は三つ子ではないかと囁かれていたりする。
ヴァルトリーテもノイズマンに会うのは、しばらくぶりだった。
「襲撃者の名が分かった」
ノイズマンは重々しく告げる。
「夫を殺した者の名が分かったのですか?」
ノイズマンが頷いた。無駄を嫌う彼はいつも、口数が少ない。
「バチカンからの情報だ。本名は不詳。仲間内からは『合わせ鏡の道化師』と呼ばれているらしい。神出鬼没。何らかの魔法を使っている可能性が高い」
黄昏の娘たちの幹部は、ほとんどが魔法使い。だが、異名で呼ばれるのは珍しい。
「合わせ鏡……」
どのような魔法なのか、ヴァルトリーテは想像した。
襲撃者は現場から忽然と姿を消し、いまでも消息は不明。
町中に設置してある防犯カメラの映像のどこをどう探しても見つけることはできなかった。
どこから来て、どこへ逃げたのか、最後まで分からなかったのである。
慎重な性格なのか、魔法のなせる技なのか。
「新しい船長の情報をもたらしたことへの礼だろう」
「なるほど、そういうことですか」
突然、一年半前の襲撃者の名前が分かったというよりも、バチカンはすでにその情報を掴んでいたのだ。
相変わらず侮れないと、ヴァルトリーテは思う。同時に、もう少し協力的でもいいのではとも。
「この情報を叡智の会内に公開しようと思う」
ヴァルトリーテは頷いた。
「それでいいと思います。その『合わせ鏡の道化師』はどこよりも早く、私たちが確保します」
ヴァルトリーテが夫を失ってから、もうすぐ二年になる。
彼女の心の底には、いまだその時の痛みが存在していた。
「話は以上だ」
「あっ、ちょっと待ってください」
「……なんだ?」
立ち去ろうとするノイズマンをヴァルトリーテが呼び止めた。
「バチカンの奇跡調査委員会のことです」
「彼に接触してきたのは、把握している」
「ユージさんを『身内』に取り込もうとする意図が見えました」
マリーという少女が、ある意味、扇情的ともいえる服装でやってきた。
擬似恋愛をしかけて、心を取り込もうとしているのではとヴァルトリーテは考えた。
「あの時の映像は見た。たしかに可能性は高いな。……であるならば、理由をつけて引き離すとしよう。簡単に会えなければ、しばらくは問題あるまい」
「ありがとうございます。ユージさんの件は、カムチェスター家にお任せください」
「うむ。期待している」
そう告げると、ノイズマンは今度こそ去っていった。
祐二が旧本部で待機を続けて、一週間が経った。
この間、一度も祐二たちにお呼びはかかっていない。
アームス家は、魔界で効率よく魔蟲を排除しているようで、魔窟から出てくる数も日に日に少なくなっているらしい。
魔蟲の侵攻が終息しつつあることから、明日、正式に待機が解除されることになった。
「これでようやく大学に通える」
長かった……と、祐二は感慨深げに呟く。
大学の授業はとっくに始まっている。祐二だけ出遅れてしまった。
もちろん、祐二に付き合ったユーディットも学校へ通っていない。
「講義と魔法の鍛錬もここまでね。私も家に戻ることにするわ」
「これまでありがとう、ユーディット。助かったよ」
「私もユージといて、楽しかったわ。とくに魔法発動に一生懸命になっているあたり……」
プッと噴き出すユーディット。
不謹慎だと思ったのか、すぐに後ろを向いて肩を震わせる配慮をみせた。
「まだ慣れてないんだ」
魔導珠に魔力を注ぐのは簡単にできた。というより、勝手に魔力を吸われた。
だが、魔法を発動させるには、自分から意識して魔力を操らねばならない。
いまの祐二には、それが難しかった。
力を込めるたびに変顔する祐二に対して、ユーディットは根気よく教えたのだ。
そのおかげか、祐二とユーディットは大分打ち解けることができた。
その中で分かったことがある。
ユーディットは魔力も多く、さらに努力家。
今後が期待されるのも頷ける技量だ。
魔法を習っていて、祐二はそれがよく分かった。
彼女は、一族の者がこぞって褒めるほどには優秀なのだ。
だがその実、ユーディットの心は別のところにあった。祐二はそれに気付いてしまった。
「なあ、ユーディット。もし一族の務めが嫌になったら、協力するよ」
祐二の言葉にユーディットは首を横に振る。
「私はこれまで何不自由なく暮らしてきたわ。この年まで一族の恩恵を享受し続けてきたほどには」
ユーディットの声が固い。
「うん」
「それに私は、一族の中でも優れた能力を持っている」
「そうだね」
「だから私は脇目を振らず、まっすぐ前を向いて歩いてゆくべきなの」
少し前の祐二ならば「そうなんだ」と納得しただろう。
だが、ユーディットと毎日顔をつきあわせていれば、わずかな表情の違いにも気付く。
「未来の選択肢は一つじゃないと思うよ。無理しなくてもいいと思うけど」
ユーディットはまだ十七歳。何にでもなりたいと考える年頃で、何にでもなれる年齢だ。
「他の人が羨ましくなるときはあるわ。ささいなことで悩む級友に憧れることだって。彼らが持っていないものを私が持っているのと同じく、私だけしかが持っていないものも分かってる。だけど……叶うかどうかも分からない夢を追い求めるには、私の両手は、もう多くのものを持ちすぎているの」
そう言って笑う彼女の顔は、なんだか泣いているように見えた。
たとえばファッションデザイナー、たとえばシンガー、法律の専門家……才能あるユーディットは、いくつもの夢を持ち、その夢を追う前から諦めなくてはならなかった。
大学を卒業後は、替えの利かない「魔力保持者」として、おそらくは中型の魔導船を操ることになるだろう。
当然、一年の半分は魔界で過ごす。
彼女が普通の夢を追い求めたところで、叶うはずがないのだ。
それゆえに求めない、憧れない、手に入れようとしない。
魔力を持ち、才があるゆえにユーディットは、一族の先頭を歩き続けることになる。
本人の意志とは関係なく……。
このような問題は、新参者の祐二ではどうすることもできない。
消化しきれない思いを抱えながら、祐二はユーディットと別れてカムチェスター家の屋敷に戻った。