031 アームス家
魔界は、半径百キロメートルの球を半分に切ったものをイメージすると分かりやすい。
どの魔界でも大きさはほぼ同じで、その外壁に多くの穴が穿たれている。
その穴を魔窟といい、これがトンネルとなって魔界と魔界を繋いでいる。
一方、地球と魔界は、魔界門で繋がっている。
魔界門はかつて、魔界から魔蟲が出てくるときに開けられた穴で、それを魔道具で塞ぎ、現在、魔界に至る門として利用している。
魔界門をくぐった先にあるシナイ山の中腹に叡智の会の基地があり、その周辺に十二個のドックが点在している。
魔蟲の侵攻が続いているため、カムチェスター家の集団は、いまだ自家が所有するドックから離れられないでいる。
「ドックの中にいると、外の様子が全然分かりませんね」
祐二がドックの窓から外を眺めたが、ゴツゴツとした山肌が見えるだけだった。
「ドックには、一族以外だと、特別に許可された場合を除いて、だれも入れないのよ。こちらから聞きに行かない限り、外の情報は入ってこないわ」
ヴァルトリーテが答える。
よく言われることだが、魔法使いは秘密主義。
魔導船が保管されているドックに、他家の者は入ることができない。
「たしかバラム家の『グノーシス』が、戦闘を引き継いだんですよね」
「そうね。そろそろ敵を排除している頃かしら」
少し前、祐二は魔導船の船長として『インフェルノ』を駆り、魔蟲の群れを退けた。
だが、魔蟲を狩り尽くしたわけではない。
本来ならば、チャイル家の『ワイルドホーク』が掃討するはずなのだが、最初の戦いでかなり被害を受けたため、代わりにバラム家が魔蟲の迎撃に向かった。
バラム家の船団が向かったことで、侵略種の脅威は、大分軽減されたはずである。
このままバラム家の『グノーシス』に任せておけば、祐二の出番はない。
さらに大量の魔蟲が魔窟から出現しなければだが。
「もう俺たちの出番はないと考えていいんですよね」
大丈夫だと言われても、祐二は気が気でない。
「そうだと思うけど……いえ、これ以上は他家に任せるべきよ。なにしろユージくんは今回が初操船なのよ。それなのに大量の魔蟲と戦わせるなんて……一度、本部に文句を言った方がいいかしら」
ヴァルトリーテの懸念ももっともで、出港した段階では、敵の規模も正確に分かっていなかった。
そんな中での初操船、しかも初陣だったのである。
そもそも出航当時は、『インフェルノ』の武装すら未確認の状態だった。
どんな武器があるのかすら知らずに大量の魔蟲と戦わされたのだ。
未経験かつ未成年の船長には、酷な試練だった。
一歩間違えば『ワイルドホーク』ともども、魔蟲に取り付かれて墜落していたかもしれないのだ。
「たしかに魔蟲の数は凄かったですね……そういえば、『ワイルドホーク』は無事だったんですか?」
「外装の損傷が激しいみたい。しばらくドックで休んで修復させるんじゃないかしら」
「修復? 船の修理のことですか?」
「船の外装はね、魔蟲と同じで概念体なの。魔力さえあれば、時間とともに回復するわ。だから外装の場合、修理ではなく修復と言うの」
「魔力で回復……? ああ、魔導珠の魔力を使うんですね」
「そうよ。修復も戦闘と同じくらい魔力を使うから、船長は魔力の補充が大変ね。ちなみに外装はそれで治るけど、船の内部になるとそうもいかないから、魔界に存在する石魔木……ええと、魔界に生えている化石みたいな木材を使うわ。その場合は、魔法使いの職人総出で、修理する感じね」
「外装は魔力で直るけど、内側は魔界の木を使うんですか? なんかすごいですね。思っていた船の修理と違ってビックリです」
「船長が代わるたびに外装も変わるでしょ? 船の外装はそういうものと思えばいいわ」
「そういえば、外装……また少しだけ変わってました」
祐二が船長になって、魔導船の形状は大きく変化した。
これは船の概念体の部分が、祐二の魔力によって変容するかららしい。
「――失礼します!」
祐二とヴァルトリーテが話していると、基地の職員がドックの外にやってきた。
「本部より伝達です。魔蟲の脅威が減りましたので、カムチェスター家のみなさまは、このまま地上にお戻りいただいて問題ありません。また、当主のヴァルトリーテ様は一度、本部にお越しくださいとのことです」
ここで言う地上とは、地球のことだ。
魔界門が地下にあることから、魔界は地下にあると昔は考えられていた。
それゆえ、魔界から地球に戻るとき「地上に出る」と以前から呼んでいる。
「魔蟲が通ってきた魔窟は分かったのかしら?」
「現在調査中です。バラム家のみなさまが戻られれば、詳しいことが分かると思います」
「そう。地上にいる他家の様子は?」
「アームス家の方々がまもなく基地に到着されます」
「分かったわ。それではカムチェスター家は一旦、地上に戻ります」
「再招集がかかるかもしれませんので、できればドイツ国内から出ないようにとのことです」
「それはもっともな話ね。承っておきます。というわけでユージさん、行きましょう。一族に、このことを知らせないと」
「え? あっ、はい。けど……まだ戦いが続いているんですよね?」
「きっと魔窟の近くでは、いまも戦闘中ね。そもそも今回の侵攻は、どこかの魔界が溢れたものよ。どこかの魔界が魔蟲で満たされて、この魔界へ侵攻してきたのだと推測されるわ」
魔界が魔蟲で満たされると、魔蟲は別の魔界へ向かう習性があるらしい。
侵略種と呼ばれる所以である。
今回、その侵攻先がたまたま0番魔界だったのだ。
「では、まだまだ侵攻は続くんですよね。大丈夫なんですか?」
「気になるわよね。でも本部が大丈夫と判断したなら、問題ないと思うわ。侵攻に対してのノウハウは、それなりに蓄積されているもの」
「そうなんですか」
「長い歴史でみれば、魔窟からの侵攻はよくある事……とは言わないけど、ノウハウが蓄積されるくらいには、あることなの。今回の規模でいえば、迎撃には二、三の家で対処が可能。それで無理と判断されればすぐに救援要請が出るわ……だから魔界は他家に任せても大丈夫」
「そうですか。それを聞いて安心しました」
防衛に失敗すれば、地球が滅ぶ。
それを知ってしまったがゆえに、どうしても祐二は、考えすぎてしまう。
とくに今回の侵攻はそれなりの規模らしいので、慣れていない祐二は気が気でない。
「問題は、溢れた魔界の方ね。すぐ隣の魔界だから、何かの機会にまたやってくることが考えられるの。ちょっと厄介ね」
「魔窟って、各魔界に六十から九十くらいあるんですよね。侵略種がここに来る確率は、それほど高くないんじゃないですか?」
「そうね。それでもすぐ隣の魔界が溢れた状態というのは、落ち着かないでしょう? こっちから魔窟を抜けて反撃することもできるけど、そうなるとほぼ総力戦になるの」
「それって、他家の力を集めて対処するんですよね? 駄目なんですか?」
「駄目というより、現実性が薄い感じね。各家が賛成しないと実現しないのよ。足並みを揃えるのは難しいわ」
「危険な魔界がすぐ隣にあるなら、できるだけ早く排除したいと思いますけど」
「そうしたいのは山々だけど、魔窟を抜けるだけで数日から十数日はかかるの。往復で倍の日数がかかるわ。そこが問題ね。理由は分かる?」
「えと……隣の魔界に行っている間に、ここが襲われる可能性があるからですか?」
「その通りよ。向こうでの掃討戦にどれだけ日数がかかるか、なかなか予測できないでしょう? いまは十二家のうち、八家しか残ってない。総力戦で二カ月もの間、ここを留守にすることはできないわ」
「なるほど、それはそうですね。でも一部なら可能ですよね」
「ええ、たとえば三家をここに残して五家で向かったとするわね。そうすると……まあ、戦力不足で、殲滅が延びることが予想されるわ。総力戦で二カ月だけど、五家だと半年とかね。その間に、ここを守る三家が対応できない規模の襲撃があった場合、地球が終わるわね」
「……防衛に失敗できないのは辛いですね」
「そうね。だから侵攻の可能性が低いときを狙って行くのが普通なのだけど、それを知るには多くの魔窟を調べておかないといけないの」
「では周辺の魔界の調査が完了すれば……」
「調査は遠征と同義なの。つまり、時間がかかるわ。結局、すぐにはどうこうできないというのが現状かしら」
自前のリソースが少ないゆえに、手が回らない。
やりたいことは明確に分かっているが、実現は難しいということらしい。
「世知辛いですね」
「昔のように十二家が揃っていたら、どれだけよかったかと思うわ。いえ、カムチェスター家が現存したことを今は喜ぶべきよね」
ヴァルトリーテはそう締めくくった。
祐二たちは魔界門を抜けて地球に戻り、地下のホールに到着した。
ホールに大勢の人間が集まっていた。
みな揃いの制服を着ていることから、どこかの家の関係者だと分かる。
「あれはアームス家よ」
ヴァルトリーテの言葉に、祐二はエルヴィラから受けた教育の内容を思い出す。
「アームス家というと、たしか十二家の筆頭ですよね。叡智の会に多くの一族を派遣している……」
「その通りよ」
現在もっとも力のある家だとエルヴィラが言っていた。
なるほど、集まった者たちにはどことなく自信と余裕が感じられる。
一人の男が祐二に気付き、大股でやってきた。
「やあ、キミがユージくんか。初めましてだね」
背が高く、胸板の厚い壮年の男性が、祐二に手を差し出してきた。
反射的に祐二は握手する。
「アームス家の当主よ」
横でヴァルトリーテが囁く。
「私はゴッツ・アームスだ。アームス家の当主であり、『イフリート』の船長でもある」
立派な口ひげは、まるでどこぞの国の将軍のようだった。
「初めまして、如月祐二です」
互いに強く手を握り合う。
といっても顔をしかめるほど強く握りしめられたわけではない。
十分、手加減されている。それでも祐二は痛かったが。
(巨大魔導船『イフリート』は、現存する八家で随一の攻撃力を誇るんだっけか)
『巨人の一撃』と称されるそれは、魔蟲の群れを一撃で葬り去ると、エルヴィラは言っていた。
魔導船は船長の性格、意志、考え方が、外装の形や武器の性能に現れるらしい。
ゴッツを見ると、なるほどと思われる。
「我々が魔界に向かうから、安心していい。それとユージくんとは一度、じっくりと話をしてみたいね。今回は敵が待っているから、これで失礼するよ。おい、出発だ!」
それだけ言って、ゴッツは一族を束ねて魔界門へと向かっていった。
「なんというか、豪快な人ですね」
言いたいことだけ言って、去ってしまった。
「裏表のない人よ。そのかわり利に聡く、冷徹な判断をいつでも下せる人かしら。情に流されない分、当主会議では扱いづらいかしらね。さて、私たちは地上……旧本部へ向かいましょう」
「はい」
「旧本部には宿泊施設があるから、一部の者はそこで待機させましょう。状況しだいでは、再招集がかかるかもしれないから」
「たしか二家が遠征中ですよね。ということは残っているのは六家ですか」
現存する八家のうちの二家は、魔窟を抜けて他の魔界へ行っている。
そのため、何かあれば他の六家で処理するしかない。
「私たちは待機だけど、修復中のチャイル家はしばらく使えないから、残りは四家。贅沢はできないわ」
「当面はバラム家とアームス家で追加の侵攻を押し止める感じですか?」
「そうなるわね。四家のうち、二家は温存しておきたいし、追加招集かかるとすれば私たちともう一家になるわ」
総力戦になって全船団が疲弊したあとで新たな敵が出現した場合、対処が難しい。
そのため最低でも一家、できれば二家は、戦力を温存しておくのが決まりになっている。
すでに戦いに参加しているカムチェスター家は、予備戦力として期待されているだろうとヴァルトリーテは言った。
「それにしても半年前の侵攻に続いて今回もそれなりの規模だし……ユージさんが来てくれて助かったわ。もしウチの魔導船が自壊していたら、残りは七家よ……地球もどうなっていたことか」
心底ホッとしたようにヴァルトリーテが言う。
たしかに八家しか残っていない中で一家が減れば、負担は激増する。
ユージが魔導珠を光らせたとき、ヴァルトリーテがあれほど真剣だった理由も分かる気がした。